第16話 湧き待ち三十分
翌朝、クロウは宿を出るなり北東へ向かった。
「今日は急いでいるように見えます」
「時間が決まっているからな」
「何の時間だ?」
「魔物が出る時間」
レオンとセリアは、ほとんど同時に足を止めた。
「魔物は普通、巣や縄張りにいるものでは?」
「普通はそうだ。今日狙うやつは、出現条件が特殊なんだよ」
「出現条件」
セリアが帳面を開いた。
「時刻、場所、天候、周辺の魔力濃度。何か決まった条件があるのですか?」
「時間と場所だけ。たぶん」
「たぶん?」
「ゲームではそうだった」
クロウは歩調を緩めなかった。
狙いは、セレスから半日ほど離れた旧採掘場に出る魔物だった。ゲームでは、午前十時から十時半までの間、坑道の最奥にある崩れた祭壇を三周すると出現する。倒すのに多少手間はかかるが、経験値は周辺の魔物とは比較にならない。
しかも、出現は一日一回。
これを逃すと、次は明日だ。
旧採掘場に着いた時、太陽はまだ低かった。崩れた木柵の向こうには、雑草に埋もれた坑道が口を開けている。かつて銀を掘っていた場所らしいが、今では誰も近寄らない。
「ここに魔物がいるという情報は、ギルドにもありませんでした」
セリアが周囲を見回した。
「だからうまいんだ。誰も知らない狩場は、敵が残っている」
「誰も知らないのではなく、誰も見つけられなかった可能性は?」
「それもあるかもな」
クロウはあっさり認めた。
坑道へ入り、最奥まで進む。途中で出てきた岩鼠や腐った鉱夫の亡霊は、レオンがほとんど一人で処理した。昨日までならクロウの指示を待っていたはずだが、今は敵の攻撃範囲を読み、余計な傷を受けずに倒している。
「ずいぶん慣れたな」
「教え方が具体的だからな。敵の動きを先に言われれば、合わせられる」
「いいことだ」
祭壇の前に着くと、クロウは懐中時計を確認した。
「あと三十分」
「三十分、ここで待つのですか?」
「そうなる」
セリアが祭壇を調べ始めた。石は黒く変色し、表面に読めない文字が刻まれている。周囲には古い採掘道具と、砕けた鉱石の山があった。
「待っている間に、これを確認してもいいですか」
「好きにしていいぞ。敵はまだ出ないから」
「断言するのですね」
「出ないものは出ない」
クロウは祭壇から少し離れた場所へ腰を下ろし、パンを取り出した。レオンも壁に背を預ける。セリアだけが忙しそうに鉱石を拾い、刻印を写し取っていた。
「食べないのか?」
「あなたは、魔物が出ると分かっていてよく食事ができますね」
「腹が減るからな」
それもそうか、とセリアは言いかけて口を閉じた。クロウと一緒にいると、時々、重大なことがひどく普通の話に変換される。
「では、質問をしても?」
「いいぞ」
「昨日の谷にいた魔物は、どこから来るのですか」
「地面とか岩陰とか。場所によって違う」
「そういう意味ではありません。なぜ、あなたは出現場所や時間を知っているのですか」
「攻略情報に載っていたから」
「誰が書いたのですか」
「プレイヤー」
「その人たちは、どこでその情報を?」
クロウはパンを噛みながら考えた。
「何度も試したんじゃないか?」
セリアは帳面に何かを書いた。たぶん、答えではなく、クロウの知識がどのように成立しているかを記録している。
レオンが横から覗き込んだ。
「何と書いた?」
「検証済みの情報を、本人は当然の前提として扱っている、と」
「難しいな」
「簡単に言うと、クロウは知っていることを知らない人間の感覚が分からないのです」
「そうか?」
二人は同時にため息をついた。
やがて時計の針が十時を指した。
クロウは立ち上がり、祭壇から三歩離れた。
「そろそろ来る」
「何がです?」
「あれ」
祭壇の周囲に、黒い線が走った。
石の隙間から赤い光がにじみ、坑道全体が低く震える。空気が重くなり、古い採掘場に残っていた魔力が一か所へ引き寄せられていく。
次の瞬間、祭壇の上に巨大な影が立った。
四本の腕。鉱石のような外殻。顔の代わりに、縦へ裂けた赤い眼。身長はレオンの二倍以上あり、腕を動かすたびに岩盤が軋んだ。
「……これは、情報にありません」
セリアの声が硬くなった。
「ギルドが知らないだけだ。こいつは鉱脈喰らい。攻撃は強いけど、行動パターンは単純」
「単純に見えません」
「右腕を振り上げたら横薙ぎ。両腕を開いたら地面攻撃。胸の青い鉱石が弱点だ」
鉱脈喰らいが咆哮した。
レオンが前へ出る。
「俺が引きつける」
「三回までは受けていい。ただし四回目は避けろ。連続攻撃の最後だけ、踏み込みが深い」
「分かった」
巨体が右腕を振り上げた。
「来る!」
レオンが盾で受ける。衝撃で足元の石が砕けた。二撃目、三撃目。重い攻撃を受けながらも、レオンは体勢を崩さない。
四撃目が来る。
「今だ、下がれ!」
レオンが横へ跳んだ。腕が空を切り、鉱脈喰らいの上体が大きく前へ流れる。
クロウはその懐へ入り込んだ。短剣を青い鉱石へ突き立て、魔力を流す。硬い感触の奥で、何かが割れた。
鉱脈喰らいが身を反らす。
「セリア、魔力を受けている場所を見ろ!」
「胸部中央、損傷しています。ですが、右肩にも魔力の流れが集中しています!」
「そこは罠だ。胸だけ狙え!」
セリアは一瞬だけ目を見開いた。しかし迷いは短かった。
「レオン、左へ誘導! 胸部をこちらへ向けさせます!」
指示を受けたレオンが動く。鉱脈喰らいの腕をくぐり、横へ回り込んだ。魔物の胸がこちらを向く。
「今です!」
セリアの声に合わせ、クロウが投げた刃が青い鉱石へ突き刺さった。レオンの剣が続き、紅蓮の光が鉱石を内側から焼く。
鉱脈喰らいの体にひびが走った。
最後の咆哮が坑道を揺らし、巨体は崩れ落ちた。
残ったのは、いくつかの鉱石と大きな魔石だった。
「……勝った」
レオンが剣を下ろす。
「予定通りだな」
「予定通りで済ませていい戦いではありません」
セリアは肩で息をしながら、倒れた魔物を見た。
「これほどの魔物が、誰にも知られずにいたと?」
「ゲームだと、毎日倒されてたけどな」
「ゲームの話は、今はやめてください」
坑道を出ると、入口近くに荷車が止まっていた。
採掘場の様子を見に来た商人らしい。クロウたちの背後から運び出された鉱脈喰らいの外殻と魔石を見て、商人は目を丸くした。
「まさか、あの音は……あの魔物を倒したのか?」
「経験値がうまいから」
クロウが答えると、商人の顔から血の気が引いた。
話を聞けば、ここ数か月、旧採掘場の周辺では荷車が襲われ、作業員が近づけなくなっていたらしい。原因は分からず、鉱山の再開も諦められていた。
「じゃあ、もう大丈夫なんですか?」
「たぶん。明日にはまた湧くかもしれないけど」
「また……?」
商人はクロウの言葉を聞かなかったことにしたようだった。
その日の夕方には、セレスの宿で妙な噂が流れていた。
北東の廃鉱を救った三人組。赤い剣を持つ騎士。魔物の動きを言い当てる黒髪の男。眼鏡の女は、敵の弱点を見抜く魔術師。
実際には、クロウは経験値のために狩りをしただけで、レオンは剣を振り、セリアは観察しただけだ。
「明日は別の場所に行くぞ」
食事の席でクロウが言った。
「北東の魔物は、もう一度出るのでは?」
「一日一回だから、明日は別の狩場だな」
「……救援を求める人間が来るかもしれません」
「そういうのは、ギルドに任せればいい」
セリアは何か言いかけて、やめた。
クロウが悪意なくそう言っていることは分かっている。彼にとって、今日の出来事は攻略の一工程にすぎないのだ。
けれど、町の人々にとっては違う。
長く恐れられていた魔物が倒され、閉ざされていた道が開く。その意味を理解している者は、すでにクロウたちを探し始めている。
クロウだけが、明日の狩場の場所を地図で確認していた。
「次は、もっと効率のいい場所だ」
彼は満足そうに言った。
こうして三人のレベルは、また一つ上がった。
そしてセレスの街には、彼らの姿を見た者たちの噂が、静かに広がり始めていた。




