第14話 数字の先にあるもの
セレスは大きな町だった。
城壁を抜けた瞬間から、アルネとは人の密度が違う。
荷馬車。
商人。
冒険者。
職人。
道の両側には商店が並び、少し歩くだけで何度も呼び込みの声をかけられる。
「懐かしいな」
「来たことがあるのか?」
「ない」
「では何が懐かしい」
「気にするな」
レオンがため息をつく。
ゲームでは何度も来た。
町の構造も覚えている。
中央広場。
冒険者ギルド。
大市場。
錬金術師組合。
そして東区には、後にこの地方最大級になる商会がある。
ただし、今はまだ名前が違うはずだ。
「まず宿だな」
「その前に、俺は剣を見てもらいたい」
「紅蓮王の剣?」
「ああ。封印は解けたが、鞘と柄の調整が必要だ」
「じゃあ鍛冶屋」
「お前の知っている場所か?」
「ある」
「聞くだけ無駄だったな」
ゲームで評判の良かった鍛冶屋へ向かう。
場所は覚えていた。
ただ、店名が違っていた。
「ここ?」
「たぶん」
「たぶんか」
中へ入る。
店主は若い。
ゲームでは老人だった。
親か祖父の代なのだろう。
レオンが剣を預ける。
作業は一日。
その間、俺は市場を見て回ることにした。
「付き合う?」
「他にすることもない」
二人で大市場へ向かう。
そこで見覚えのある顔を見つけた。
「セリアだ」
昨日の女。
荷馬車の横で商人と話している。
というより、揉めている。
「またか」
「揉め事に縁がある人だな」
「お前が言うな」
近づく。
太った商人が怒鳴っていた。
「契約はここまでだ!」
「承知しています」
「お前のせいで昨日は予定が狂った!」
「余分な税を銀貨三十二枚払うより良かったと思いますが」
「役人に目をつけられた!」
「不正な徴税を断っただけです」
「商売は正しければいいというものじゃない!」
「それは理解しています」
「理解していない!」
商人が袋を投げる。
硬貨の音。
「報酬だ。もう顔を見せるな」
「……分かりました」
セリアは袋を拾った。
反論しない。
昨日ほど表情も変えない。
商人はそのまま去っていった。
「切られたな」
声をかけると、セリアがこちらを見る。
「見ていたんですか」
「途中から」
「趣味が悪いですね」
「ごめん」
素直に謝る。
「で、これからどうするの?」
「仕事を探します」
「すぐ見つかる?」
「簡単ではありません」
即答だった。
「昨日は頭いいと思ったけど」
「頭が良ければ仕事に困らないなら、世の中はもっと単純です」
「それもそうか」
レオンが横から聞く。
「帳簿係の経験は長いのか?」
「七年ほどです」
「七年?」
若く見える。
「家が小さな商会でしたから」
「でした?」
「潰れました」
淡々としている。
「二年前です」
「何で?」
俺が聞く。
「一つではありません。父の病気、取引先の破綻、借入金。それから最大の原因は、状況が悪化しているのに昔と同じやり方を続けたことです」
「セリアは気づいてた?」
「……はい」
「言わなかった?」
「言いました」
「聞いてもらえなかった?」
「娘の意見でしたから」
「ああ」
この世界では珍しくない。
女性だから、若いから。
能力とは関係ないところで判断される。
「それで今は臨時仕事?」
「商会の名前がなくなれば、私には信用がありません。大きな商会では正式な教育を受けた者が優先されます」
「でも計算できるじゃん」
「それだけでは足りません」
「ふーん」
もったいない。
その感想しか出なかった。
ゲームでは、この女はかなり重要なNPCだった。
少なくとも、ただの帳簿係で終わる人物ではない。
「クロウ」
レオンが小声で言う。
「何?」
「またその顔をしているぞ」
「どの顔?」
「何か思いついた顔だ」
「分かるようになってきたな」
「嫌でもな」
俺はセリアを見る。
「ちょっと付き合わない?」
「……どこへです?」
「市場」
「仕事を探したいのですが」
「その仕事に関係ある」
「どういう意味です?」
「見てほしいものがある」
警戒している。
当然だ。
「変なことはしない」
「その言い方をする人間ほど信用できません」
「じゃあレオンもいるから」
「俺を保証人に使うな」
「駄目?」
「……いや、構わん」
結局、三人で市場を歩くことになった。
目的は一つ。
相場確認。
「この町で紫鈴草いくら?」
俺が聞く。
セリアがすぐ答える。
「品質によりますが、一本銅貨七十から銀貨一枚程度です」
「アルネだともっと高かった」
「産地から遠いからでしょう」
「じゃあ青鋼石は?」
「加工前なら銀貨八枚前後。鍛冶組合への卸値ならもう少し下がります」
「火精石」
「市場にはほとんど出ません。出れば金貨数枚でしょう」
速い。
「何でそんなに知ってるの?」
「商売をしていましたから」
「じゃあ、これは?」
露店を指差す。
赤黒い石。
値札は銅貨五十枚。
「鉄鉱石……ではないですね」
「黒晶鉱」
セリアの目が動く。
「聞いたことがありません」
「今はな」
「今は?」
ゲームでは数年後、この石から高性能な魔力伝導素材を作れることが発見される。
その後、価格が何十倍にもなる。
現時点では見た目の悪い低品質鉱石扱い。
「これ、後で高くなる」
「なぜです?」
「使い道が見つかるから」
「いつ」
「数年後」
「……」
セリアが黙った。
レオンも黙る。
「何?」
「クロウ」
レオンが言う。
「お前、それを他人の前で言うな」
「何で?」
「普通は数年後の相場など分からん」
「予想だよ」
「お前の予想は、今まで一度も外れていない」
「たまたま」
「火精石の場所も、赤竜草の場所も、剣の封印解除もか?」
「……まあ」
セリアがじっと俺を見る。
「他にもありますか」
「何が?」
「今は価値が低いが、将来価値が上がるもの」
「あるよ」
「いくつ」
「かなり」
「土地は?」
「ある」
「鉱山は?」
「ある」
「魔物素材は?」
「ある」
「技術は?」
「それも少し」
セリアの顔から表情が消えた。
怖い。
「どうした?」
「……あなた、その話を誰にしました?」
「してない」
「本当に?」
「レオンにはちょっと」
「ちょっとどころではない」
「他には?」
「睡眠花のことは冒険者に教えた」
セリアが額を押さえた。
「なぜ教えたんですか」
「簡単にオーガ倒せるから」
「そうではありません」
「何が?」
「価値のある情報でしょう」
「ゲームだと常識だったから」
「またその言葉か」
レオンが呟く。
セリアが俺へ一歩近づく。
「クロウさん」
「はい」
「あなたは、自分の知っていることの価値を理解していますか?」
「だいたい?」
「していません」
即答された。
「ひどいな」
「事実です」
セリアは黒晶鉱を指差す。
「もし本当に数年後に価値が上がるなら、今のうちに買い集めるだけで莫大な利益になります」
「そうだな」
「土地も同じです。鉱山の場所を知っているなら、国家が動く情報です。魔物の弱点は冒険者の生死に直結する。特殊な育成方法まであるなら……」
言葉が止まる。
「なら?」
「軍事力そのものです」
「大げさじゃない?」
「大げさではありません」
セリアの目が真剣だった。
「レオンさん」
「何だ」
「あなたは、この人から何を教わったんです?」
「魔物の弱点。効率的な鍛え方。装備の入手法。それから家宝の復活方法」
「結果は?」
「数日で、以前の俺より遥かに強くなった」
セリアが黙る。
数秒。
「……やはり」
「何が?」
「この知識を無制限に広めるべきではありません」
「何で?」
「悪用されるからです」
俺は少し考えた。
確かに。
言われてみればそうだ。
ゲームならプレイヤー全員が攻略情報を共有しても問題ない。
全員が遊ぶ側だからだ。
しかしここは現実。
強くなる方法を盗賊に教えれば、強い盗賊ができる。
儲かる土地を貴族に教えれば、先に押さえられる。
兵器に使える素材なら戦争にも使われる。
「なるほど」
「今、初めて気づきましたね?」
「ちょっと」
セリアが深いため息をついた。
「信じられない……」
「でも、誰に何教えるか考えればいいんだろ?」
「それをあなた一人で判断するつもりですか?」
「駄目?」
「絶対に駄目です」
強く言われた。
「じゃあ、セリアやる?」
「……はい?」
「そういうの得意そう」
レオンがこちらを見る。
「クロウ」
「何?」
「今のは、何を頼んだつもりだ」
「情報整理?」
「軽いな……」
セリアはしばらく固まっていた。
「待ってください。意味が分かりません」
「仕事探してるんだろ?」
「探しています」
「俺、こういう管理苦手なんだよ」
これは本当だ。
ゲーム知識はある。
だが、誰に何を教えていいか、どの情報を隠すべきか、そんな判断を毎回するのは面倒だ。
セリアならできそうだ。
「レオンの育成も見てもらえばいいし、金の管理も俺より得意だろうし」
「待ってください」
「給料いる?」
「そこではありません」
「じゃあ何?」
「あなたは、会って二日の人間に、自分の最重要情報の管理を任せようとしているんですか?」
「二日だけど、セリアだし」
「意味が分かりません!」
初めてセリアが声を荒げた。
レオンが笑っている。
「何がおかしい」
「いや。俺も似たような目に遭ったと思ってな」
「笑い事ではありません」
「そうなんだが、クロウは本気だ」
セリアが俺を見る。
「本気なんですか」
「うん」
「私が情報を持って逃げるとは考えない?」
「逃げる?」
「売るとか」
「ああ」
少し考える。
ゲームのセリアは裏切らない。
だが、これはゲームではない。
そのくらいは分かっている。
「そのときは、そのとき考える」
「……」
「でも、たぶんしないだろ」
「なぜ」
「昨日、銀貨三十枚のために役人と揉めただろ」
「それが?」
「自分の金じゃないのに」
セリアが黙った。
「面倒避けるなら払わせればよかった。でもしなかった。帳簿投げられて怒ってたけど、それでも殴ったりしなかった」
「当たり前です」
「そういう当たり前をする奴なら、まあ大丈夫かなって」
俺としてはそれだけだった。
正直、完璧な判断ではない。
でも友人になる相手を採用面接するように調べるのも違う気がする。
「嫌なら別にいいよ」
俺は言った。
「無理に頼むことじゃないし」
セリアは返事をしなかった。
市場の喧騒だけが聞こえる。
しばらくして、彼女は聞いた。
「……具体的に、何をすればいいんです?」
「俺が知ってること整理して、危なそうなのは止める」
「それだけ?」
「あと金の管理とか、行く場所考えるの手伝うとか」
「報酬は?」
「相場分からない」
「そこからですか」
「決めていいよ」
「自分で?」
「うん」
「本当に駄目ですね、あなた」
「そう?」
「はい」
だが、セリアの口元が少しだけ緩んだ。
「では、試用期間ということで」
「試用期間?」
「私があなた方についていく価値があるか。あなた方が私を雇う価値があるか。双方で確認します」
「いいよ」
「期間は一か月」
「長くない?」
「短いです」
「じゃあそれで」
レオンが横から言う。
「これで三人か」
「まだ試用期間です」
「細かいな」
「重要です」
「まあ、よろしく」
俺は手を出した。
セリアは少し迷い、その手を握った。
「よろしくお願いします、クロウさん」
「さん、いらないよ」
「ではクロウ」
「うん」
「私の判断で、あなたの情報を止めることがあります」
「いいよ」
「勝手に人へ教えないでください」
「できるだけ」
「できるだけでは困ります」
「努力する」
セリアが頭を抱えた。
レオンが笑う。
俺も少し笑った。
こうして、三人目が加わった。
俺としては、頭のいい仲間が増えた。
ただそれだけだった。
一方、セリアはこの日から、クロウが何気なく口にする一言一言を記録し始めることになる。
本人が価値を理解していない以上、誰かが管理しなければならない。
その判断が、後に巨大な情報組織の原型になることなど、この時点では誰も知らなかった。




