第6話【ファイル1】さまよう死霊事件 その4
レオンはひとり検死室に残り、アランを蘇らせたときに汚れてしまった床や壁を掃除していた。
あの後、ルカの「ここで話していても始まらない。リシェルに報告して判断を仰いでくる」と言って電話をかけるために検死室を出て地上階に行き、ユリアは汚れた服や体を洗うために、支部のシャワー室を借りに向かったところだった。
あらかた掃除も終わり、内線でクロエに連絡をしようとした時、レオンのいる検死室の扉が控えめにノックされた。
扉を開けると、今まさにレオンが連絡を取ろうとしたクロエが立っていた。
「あのう、さっきユリア様とすれ違った時に聞いたのですが、大丈夫でしたか?」
申し訳なさそうに言うクロエはか弱い小動物のようで、何も悪いことをしていないのに、レオンの胸の内にちょっとした罪悪感のようなものが生まれた。
「えっと、彼女も驚いたようですが、洗えば落ちると言って気にしていないようでしたし…。それに、こちらも部屋を汚してしまってすいません」
そう言って頭を下げるレオンに、クロエは両手を顔の前でぶんぶんと振りながら、「とんでもないですぅ!」と言う。
「私も死霊術に関しては知識しかありませんので、ちゃんと確認できず申し訳ないです。ユリア様にもご迷惑をおかけしてしまいましたし…」
そこでクロエは言葉を切り、周囲をうかがうようにあたりを見回し、おずおずと遠慮がちに「ところで」と切り出す。
「ユリア様はこちらにまたいらっしゃいますか?」
「いえ、着替えた後はこのまま出発する予定ですよ」
そう言うと、クロエはがっくりと分かりやすく肩を落とし、落ちこんでしまった。
「あの、どうかしましたか?」
「いえっ、私情ですので…」
そう言ってクロエは躊躇した様子を見せたものの、「実は」と話しだす。
「お恥ずかしながら、私はユリア・モルティエル様のファンでして…」
「はい?」
予想外の言葉に、レオンは「ファン、ですか?」と聞き返す。
「できれば、ユリア様のサインをいただきたく思っているんです」
そう言うクロエの胸元には色紙が抱えられていた。不安と期待の入り混じった目で見上げてくるクロエにレオンは必死で言葉を選びなら答える。
「あの、すいませんがユリアさんは今回の捜査協力としていらっしゃっていますので…」
「そうですよね…。すいません、勝手なことを言ってしまって」
クロエはしょんぼりと肩を落とす。おやつをおあずけされた子猫のような姿により一層レオンの心が痛む。
「サインならお安い御用ですよ」
突然、レオンたちのいる検死室の入口からユリアの声が聞こえ、ふたりは同時に入口の方を向く。
「ユリアさん?! 着替えたら先に出てるんじゃなかったんですか?」
「アランさんがあんなことになってしまったのは私が原因ですし、レオンさんに掃除を押し付けるのも申し訳ないと思いましてね。ところでそちらの方は…」
ユリアに視線を向けられ、クロエは「ピャッ」と小さく悲鳴をあげてレオンを盾にするように後ずさる。
「たしか検視官のクロエさんでしたね。ん…? そういえば、あなた」
ユリアは記憶を手繰るように顎に指をあてて少し考える仕草を見せて「イーストフォレストのソルボン大学の医学部にいらっしゃった、クロエ・アイビーさん?」と言った。
その途端、クロエは輝くような笑顔になる。
「え、私のこと、ご存知だったんですか?!」
「ええ、もちろん。あなたは主席争いをするほど優秀だと聞いていましたから」
「そんな、光栄です!」
「いえいえ、私こそあなたのように優秀な方に覚えていただけて嬉しいですねぇ。ええと、サインでしたね。その色紙に書けばよろしいですか?」
クロエは「はい!」と嬉しそうに返事をして色紙をユリアに渡し、サインを書いてもらう。
「私のような一介の墓守にファンがつくなんてねぇ。そういえば、クロエさんはコルン・トーナーという方と同期ではありませんでしたっけ」
クロエは「トルン・コーナー」の名前を聞いた瞬間、浮かべていた笑顔がかすかに引きつったのがレオンはわかった。
「えぇ。そうでしたけれど…。彼がどうかしましたか?」
「彼もあなたと同じくらい優秀でしたからねぇ。今はどうしているのかと、ちょっと気になっただけですよ」
「彼なら卒業前に除籍処分になりました。なので、今はどうしてるかは分かりません」
クロエは少し不機嫌そうな様子でそっけなく答える。しかし、ユリアは気にした様子も見せずに、目を丸くしながら「それはなぜ?」と尋ねる。
「さぁ…。私も人づてに聞いたので詳しくは知りませんが、倫理的に非難されるようなことをしたとか、オルフェ・ドームスを尊敬していたるとかで…」
クロエは勢いよくまくし立てたものの、途中で気まずくなったのか、「なので、その、とにかく今は何をしているかはわからないんです」と言葉を濁す。
レオンはついさっき話題に上がった「オルフェ・ドームス」の名前を聞いて耳がピンと立ち、クロエに尋ねる。
「クロエさん、そのコルン・トーナーという方は死霊使いだったんですか?」
レオンの問いにクロエは首を横に振る。
「いいえ、死者蘇生の研究をしていたと聞いたことがあるので、知識としてはあるとは思いますけれど。…あ、いけない! そろそろ会議の時間なので私はこれで失礼します」
クロエはそう言い残してパタパタと走って出て行ってしまった。
「トルン・コーナー、ねぇ」
何かを考え込む様子のユリアに、レオンが話しかけようとしたとき、丁度入れ違いでルカが戻ってきた。
「遅い。掃除ごときにどれだけ時間を割くつもりだ」
「すいませんねぇ。ちょっとした思い出話に花が咲いてしまいまして。さ、レオンさんも行きましょう」
三人はノルドレン支部の建物から出ると、乗ってきた公用車に乗り込む。
「そういえばルカはリシェルさんと連絡をとっていたんだろ。なんて言ってた?」
「詳しい死霊術の痕跡に関しては本部の分析室で調べるからユリアを連れて戻ってこい、とのことだ」
レオンは頷いて公用車のエンジンをかけようとした時、後部座席に座っていたユリアが声をあげる。
「そのことについてですがねぇ、ルカさん。本部に向かうのもいいですが、一カ所寄っていただきたいところがあるのですが」
「何だ。言っておくが、次の事件も発生する可能性が高い。あまり悠長なことはしていられない」
「お優しいですねぇ。では、遠慮なく。イーストフォレストのソルボン大学に向かっていただけますか?」
「断る」
ユリアの言葉に被せる勢いでルカは即答した。
「ひどいじゃありませんか、ルカさん! そんなに食い気味に断ることはないでしょう!」
ユリアはそう言いながら、しくしくと泣きまねをする。
「やかましい。本部から大きく外れるだろ。理由は?」
ユリアはルカの座る助手席の座席に縋りつくようにして懇願する。レオンは「まあまあ」とユリアをなだめる。
「さっきクロエさんとの話に出ていたコルン・トーナーの研究内容についてですよね、ユリアさん。検視官のクロエさんから聞いたんだけど、コルンはソルボン大学を除籍処分になった学生で、オルフェ・ドームスについて研究していたみたいなんだ」
「なるほどな。だが、コルン・トーナーは死霊使いではないし、研究内容が事件に関係している確証もない。徒労に終わりそうだな」
ルカの言葉に、ユリアはがっくりと肩を落とす。
そのまま公用車はにノルドレンの街を抜け、本部へ向かう道へ入って行った。
*
街を出ると、建物も人通りもなくなり、道の両側には深い森が広がっていた。しばらく自動運転のままで公用車を走らせていると、座席に身を預けていたルカが突然体を起こす。
「レオン、手動に切り替えて右に切れ!」
反射的にハンドルを切った瞬間、前方に何かが落下して地面を砕くような音がした。
「死霊?! なんでここに!」
落下してきた死霊はすぐに立ち上がると、レオンたちに向かってうめき声をあげながら突進してきた。
「面倒なことになった」
ルカはそうつぶやくと窓から飛び出して行き、レオンと同じく白色の魔法石が付いて杖を取り出して死霊へ向けると、死霊は四肢を地面に投げ出す形でうつ伏せに倒れた。
「おい、ユリア! こいつを死体に戻せ」
ルカがそう言った途端、ユリアの腕に着けなおされていた制約の腕輪が音を立てて外れる。
「やれやれ、人使いの荒い方ですねぇ」
ユリアはそう言いながら、車を出て死霊に近づき、「Requiesce(眠れ)」ユリアが短くそう唱えた。
死霊からはオレンジ色のロウソクについた炎のような光が飛び出し、死霊は力なく崩れ落ちた、はずだった。
「ぎゃあ!」
倒れて遺体に戻ったはずの死霊が起き上がり、ユリアの足首を掴んでいた。
「おい、死体に戻したんじゃなかったのか!」
ルカは杖を構えなおして再び死霊を地面に拘束する。
「大丈夫ですか、ユリアさん!」
レオンも慌ててユリアに駆け寄り、ユリアを死霊から引き離す。
「おい、レオン。上だ!」
レオンは頭上を見上げると、木の上から自分とユリアのいるところに猿の用に機敏な動きで飛びかかってこようとしている死霊がいた。レオンはとっさにユリアを突き飛ばしてその場から離れさせ、降ってきた死霊を蹴り飛ばして距離を取った。
「嘘だろ、二体も?!」
レオンも急いで杖を取り出し、現れた死霊に拘束魔法をかけようとしたが、その死霊は急に向きを変え、俊敏な動きでユリアに突進する。レオンはとっさにユリアを突き飛ばしてかばったが、その勢いでユリアは持っていたランタンは派手な音を立てて地面に転がった。
「いたたたた。あぁ! 私の商売道具がぁ!」
ユリアが悲鳴をあげると、ユリアに突進した死霊がランタンを拾いあげているところだった。死霊はランタンを拾いあげると、跳ねるように森の中へ姿を消していった。
「待て!」
後を追おうとするレオンにルカは「むやみに深追いするな」と言って止める。
「こっちは収まったようだ」
ルカが魔法を解くと、先ほどまで拘束から逃れようと暴れていた死霊はこと切れたように動かなくなった。
ほっとした途端、レオンの鼻腔を嗅ぎなれない匂いがくすぐった。その正体がわかった瞬間、レオンは動かなくなった死体の近くに立っていたルカの腕を力強く引いた。
同時に、つんざくような爆音と熱い爆風がレオンたちに襲い掛かった。
「おい、いつまでそうしているつもりだ」
いつまで経っても覚悟をしていたはずの熱風がことに疑問を感じてレオンが目を開けると、ルカは自分たちの周囲に魔法で防御壁をつくっていた。
「悪いが、鼻が利くのはお前だけじゃないんでな。あいつの腹に爆弾が仕掛けられていたことくらいは俺にもわかる。それに、新入りに助けられるほど落ちぶれちゃいない」
レオンは冷たく言い放つ。
「それにだ、なぜあの時拘束魔法を使わなかった?」
「なぜって、ユリアさんが危なかったから…」
「…だから魔法の扱いもなっていないやつとの仕事は嫌だったんだ。捕まえられれば手がかりになっただろ」
レオンは悔しさに唇を噛む。
そんなレオンの様子を気にすることなく、ルカは地面に残った焼き焦げた跡を眺めながら続ける。
「おそらくこいつは使い捨てのつもりで攻撃させたんだろ。図体もでかく、体内に爆弾を隠しやすかったからな。問題は俺たちを襲撃した目的だ」
ルカはそう言いながら、がっくりと肩を落としているユリアに目を向ける。
「私のランタン、取られてしまいました。しくしく」
「犯人の目的はわからないが、もう寄り道はなしだ。本部に戻るぞ」
レオンは今度こそ本部へ向かうために公用車へ乗り込む。朝、本部を出たはずだったが、いつの間にか太陽が傾いて夕日が車内に差し込んできていた。夕日が差し込む車内でレオンは森のざわめきに身震いした。




