第3話 【ファイル1】さまよう死霊事件 その1
イーストフォレスト北部 ローデル村
「ファ~ア~、良い夜だなぁ」
そう言いながら、男は酒瓶を口につけて中身のウィスキーをぐびぐびと飲み干す。
男は近場で漁で生計を立てており、今日は同じ漁師仲間と寄った酒場でたまたま誘われて遊んだポーカーで大勝し、彼らのおごりでたらふく酒を飲んでとてもいい気分だった。
おまけに、ここのところ夏の暑さも収まりを見せ、心地よく涼しい風と煌々と明るい満月に降ってきそうな星空が男の気分をより高揚させた。
すっかり空になった酒瓶を手で弄びながら、男は夜空を見上げる。涼しい風が木々の葉をサワサワと揺らす音を聞いていると程よく酔った男の瞼はとろんと落ちてくる。
「おっと、いけね」
早く帰らないと妻にどやされるだろうとぼやきつつも、どのみちこれだけ酔っていたら怒られることは避けられないだろうなと思いながら、再び停めていた足を動かす。
グチャ、パキッ
木々の葉同士でこすれ合う音に混ざって妙な音が聞こえてくる。
「ん? 何だぁ?」
音は、男が歩いている道沿いの雑木林の手前の草むらの方から聞こえてくる。男は興味本位で音のする草むらを覗き込む。
グチュリ、バキバキッ
「おい、何してんだ。あんたら」
そこには、まだ年若い青年が地面に横たわっており意識はないようで、ピクリとも動かない。その青年の胸元には、ぼさぼさの長い髪を振り乱した女が縋りついていた。
「その兄ちゃん、倒れてるみたいだが、大丈夫か?」
男は長髪の女に一歩近づく。
「おい、あんた。聞いてるのか?」
男が長髪の女の肩に手をかけようとした瞬間、女は突然ぐるりと振り返る。
「え…、う、うわああああぁぁ!」
月明かりに照らし出された女の顔を見て、男は二、三歩後ずさりしながら尻餅をついた。
血の気を失った浅黒い肌はところどころ腐敗して剥がれ落ち、落ち窪んだ眼窩からは蛆がポロポロと落ちてくる。半分ほど骨が露出した口からは、何かをうわごとのようにつぶやいていた。
女は両腕を伸ばしながらゆっくりと一歩ずつ男に近づいてくる。
「来るな! こっちに来るんじゃねえ!」
男の酔いは一気に醒める。伸ばされた両腕を振り払い、よたよたと震える足で立ち上がると、男は大声で助けを求めながら一目散に逃げ出した。
*
「今日は一段と冷えるな」
レオンは小さくくしゃみをしてブルリと肩を震わせる。レオンが特務課に配属されて二週間が経ち、夏の気配はすっかりなくなり、秋が深まりを見せてきていた。
レオンはこの二週間、主に他の課の応援業務に携わり、少しずつではあるが仕事にも慣れ始め、少し心にも余裕が出てき始めたころだった。
治安軍の本部敷地内の中庭を横切り、奥の建物に入る。今ではすっかり慣れた薄暗い廊下を通り抜け、特務課の執務室に入ったレオンは目の前の光景に腰を抜かして驚いた。
「何だ、これ!」
真っ白な羽に、何を見ているかわからないつぶらな目。ポッポッという軽快な鳴き声を発する無数のハトが特務課の執務室内を占拠していた。
「やあ、おはよう。レオンくん」
リシェルの声が聞こえ、その方向を見ると、たくさんのハトに群がられているせいで雪だるまのようなシルエットになったリシェルの姿があった。
「リシェルさん?! これは何が起こっているんですか?」
レオンは慌ててリシェルに駆け寄るが、リシェルは特に気にした様子もなくいつもの軽い調子で答える。
「これかい? 任務の選定をしていたんだよ。地域をまたぐような書類の郵送は機密保持の観点から普通の郵便は使えないからね。うちに届く書類は特務課専用の魔法構築式をかけられていて、これを解かないと書類が読めないようになっているんだ。だから、うちの場合はハトの形で届くんだ。最初は驚くだろうけど、すぐに慣れるよ」
「…ハトで届くんですね?」
「そうだよ~。私のリクエストでね。かわいいでしょ?」
同意すべきかどうか悩むレオンに構わず、リシェルは続ける。
「レオンくんも他部署の応援にも慣れたころだろうし、そろそろ本格的に業務を任せてもいいかなって思ってね。お、これがいいかな?」
リシェルはそう言いながら一羽のハトを掌にのせる。すると、そのハトはぐにゃりと流体のように形をゆがめ、一冊の書類の束が現れる。
「それは…?」
「うちに対処してほしい事件の報告書だよ。ほら、レオンくんがうちに来た時に説明しただろう。通常の事件なら事件が発生したエリアの支部が担当するけど、エリアをまたがって類似した事件が起きたら、私たちの担当になるって。この事件はその典型だよ。ノースフロストとイーストフォレストで起こった死霊に人が襲われるって事件だ」
リシェルはレオンに書類の束を渡しながら「おーい、ルカ」と呼ぶ。するといつの間にかレオンの背後にはルカが気配もなく立っていた。
「え、いつの間に」
ルカは驚くレオンのことを気にも留めることなく、レオンの手から書類をひょいと奪い取ると足早に執務室の出口に歩いて行ってしまう。
「おーい、レオンくんにも優しくするんだよー」
リシェルは遠ざかるルカの背中にそう呼びかけたが、ルカは返事どころか反応もすることなく出て行ってしまう。
「ありゃ。彼に次のバディをレオンくんにしようって考えてたけど、まだ早かったかな。ま、いいや。レオンくんはルカと一緒にノースフロストのモルティエル家へ向かってくれるかい? 今回の事件の捜査協力者だ。
心配することないさ。彼らには君たちがいくことは伝えてあるし、ルカが持って行った書類に彼らの住所も載っているからさ」
リシェルはそう言ってとまどうレオンにきわめて軽い口調で「いってらっしゃーい」と手を振る。
すると一瞬にしてレオンの目の前の景色がガラリと変わり、本部の中庭に放り出される。
「うわっ!」
突然、空中に放り出されたレオンはとっさに持前の身体能力で体勢を立て直して地面に着地したが、その拍子にレオンが現れた場所のすぐそばにいた人物を勢いよく突き飛ばしてしまった。
「あのっ、すいません。突き飛ばしてしまって」
レオンは申し訳なさそうに頭部の耳をぺたりとしおれさせながら謝罪すると、「あ?」という極めて不機嫌そうな返事が返ってきた。
レオンに突き飛ばされたルカは、レオンをじろりと睨んでから立ち上がり、軍服のよごれをはらって、レオンを無視して歩き出す。
「ちょっと…!」
「あのな」
レオンがルカを引き留めようと声をかけると、ルカはそこでようやく足を止め、レオンの方を振り返った。
「どういう事情でうちに配属されたかは知らないが、足手まといはごめんだ」
尊大な物言いにさすがのレオンもカチンときて言い返す。
「確かにあなたは実力があるのかもしれませんけど、そういう言い方ってないでしょう。まだルカさんと仕事をしたことがあるわけでもないのに」
レオンがそう言うと、そこで初めてルカの表情が動いた。ただし、レオンを嘲笑うように。
「お前と仕事? 対した魔力も持たないくせに? お前の力量くらい一緒に仕事をしなくてもわかることだ。さっさと異動でもなんでもして田舎に帰るんだな」
レオンは掌に爪が食い込むくらいの拳を握りしめる。二、三度深呼吸をしながら背を向けて去っていくルカの背中を見る。
(落ち着け。ここでヘタに言い返してもダメだ。ルカさんと比べて魔力が大したことないのは事実だし。…でも、かといって言われっぱなしなのはもっとダメだ)
そこまで考え、レオンはさっと周囲に目を走らせる。そして、ルカの歩いて行く先の床に落ちている『あるもの』を目にしたレオンは、廊下を一気に駆け抜け、ルカを追い越す瞬間に彼の腕を取り、流れるように背負い投げをする。
レオンに投げられ、持っていた書類が散らばるのも構わず、急な出来事に驚いたようにルカは目を見開く。
「おい! お前たちに何をやっている。私闘は軍規違反だぞ!」
レオンが突然ルカを投げたことで、周囲の隊員がざわつく中、雷のような声を張り上げながらひときわガタイの良いトラの獣人の隊員が走ってきた。
「お前、この間特務課に配属されたレオンだろ。こいつを投げ飛ばしたくなる気持ちは分かるが、規律がある以上は守ってもらう必要がある。何があったか聞かせてもらおうか」
その隊員はレオンに詰め寄るように立ちふさがる。レオンは慌てることなくルカの腕から手を離し、トラの獣人を見上げるようにして直立不動の姿勢になる。
「お騒がせして申し訳ございません! ルカさんの足元に魔導銃の弾丸が落ちているように見えましたので、助けようとしました」
レオンはそう言って床に落ちていた弾丸を拾いあげてトラの獣人に見せる。
「何ぃ! おい、訓練棟で弾丸がひとつ足りないと言って探していたが、これだな?!」
吠えるように叫ぶと、レオンたちの周りにいた隊員たちをかき分けながら、ひょろりと背の高い隊員が「すいません! それです!」と言いながら走ってくる。
「全く、今日中に見つからなかったら始末書じゃすまないところだったぞ。気を付けろ! レオン、礼を言う。それに、そいつを投げ飛ばし、…おっと失礼、助けた時の身のこなしはなかなか見どころがある。
俺は人事部の教育課で術科訓練を担当しているガルダだ。お前はなかなか体術全般の素質があるようだから、夏の地域対抗の術科大会に出場してみないか?」
「え?! 俺ですか!」
「まあ、考えてみてくれ。じゃあな」
そう言ってガルダと名乗った隊員は去っていった。
「…チッ。相変わらず脳筋な奴」
ルカはそう言いながら床から起き上がるのを見て、レオンはルカの方へ向き直る。
「ルカさん」
「…なんだ」
「確かに俺はあなたよりも魔力は少ないです。でも、あなたはその魔力が少ない俺に投げ飛ばされています。一緒に仕事をするかしないかは、一度一緒に仕事をしてから決めてもいいんじゃないでしょうか」
レオンがそう言うと、ルカは「はぁ」とため息をつきながら立ち上がる。
「仕方がない。ただし、無能だったらお前とのバディは今回限りにさせてもらうぞ」
「それで構いません」
「それと、俺に対して『さん』付けも敬語もやめろ。堅苦しいのは嫌いだ」
「わかり…、わかったよ」
レオンは仕事を進めることができるようになったようだと、心の中で胸をなでおろした。
「とはいえ、ここでは俺が先輩でお前が後輩だ。運転はお前がしろ」
ルカはそう言って魔導公用車の鍵をレオンに投げ渡す。
レオンは鍵を受け取りながら、「わかったよ、先輩」と言って頷く。
ルカは一瞬虚を突かれたような表情になったかと思うと、再びため息をつき、「お前、意外と図太い性格しているな」と呟くように言う。
しかし、レオンはそんな言葉を気に留めることなく、公用車の停めてある駐車場へ向けて歩き出していた。
駐車場は治安軍の本部の建物の裏手にあり、多くの乗用の公用車の他に、犯罪者を運ぶために窓ガラスに特殊な金網を取り付けた護送車や立てこもり事件の対応などに使われる装甲車などの大型の車も停まっていた。
レオンは公用車の鍵に付属していたプレートを確認し、同じ番号の公用車を探し出して乗り込んだ。
ルカが助手席に乗ったのを確認して、レオンは手前に設置されているパネルに指先で軽く触れると、パネルは青白く輝いた。
『特務課 レオン・コルネル。運転者の魔力を認証しました』
無機質な女性の機械音声が聞こえると、公用車のエンジンが起動する。
普通の魔導車は運転する人物の魔力で燃料が積まれたエンジンを起動させているが、治安軍をはじめ、他の陸海空軍の公用車も軍隊に所属する人物の魔力を検知してからエンジンがかかる仕組みになっている。
レオンは訓練学校に入ってから初めて運転をしたため、最初は機械音声にすら慣れていなかったが、訓練の成果もあって今では慣れたものだった。
レオンはパネルを操作して捜査協力者の自宅住所を入力し、自動運転モードに切り替えると、公用車は静かに走り出した。
移動する車内でレオンはリシェルから渡された書類を目に通していた。
「最初の事件は一か月前、ノースフロストの東部にあるオスロウ村。被害者はアラン・ポートマン、四十五歳男性。自宅で就寝中に失血死。体中に噛み跡があり、それが原因と思われる。
彼の側には一年前に埋葬した妻の遺体があり、アランの体に残った噛み跡と妻のルイーゼの歯型が一致した。
最初の事件から二日後、オスロウ村から東部に十キロほど離れたハーシュという街の公園でリネア・ニルソン、二十五歳女性の遺体が発見された。死因はアランの時と同じ。
遺体発見後、近くを捜索中、血まみれの服で歩いている男を発見し、職務質問をしたところ、捜査員が噛みつかれそうになり、その男を公務執行妨害の容疑でその場で拘束。男の身元を確認すると、リネアが亡くなる一週間前に亡くなったエリック・アンドレ―で、被害者女性の婚約者だった。そしてリネアの遺体に残った歯型とエリックの歯型が一致したのを確認。
そして一週間前、イーストフォレストの北部、ローデル村で同様の事件が発生。被害者はロニー・ライル、二十八歳男性。死因は最初の二人と同じ。
ただし、今回に事件では目撃者がおり、目撃者の近所に住む漁師の男性が言うには死人のような女がロニーに馬乗りになって噛みついていた。後の捜査でロニーを襲っていた女性は彼の恋人にハンナで、ロニーが殺害される二ヶ月前に亡くなっていた、か…。被害者の三人には接点はなし、共通点も生前近しい間柄だった人に殺害されたってことくらいで、今回の加害者、とはいっても故人だけど、彼らを含めても接点は確認されていない、確かに変わった事件だな」
レオンは読み終えた書類から顔を上げ、ルカに話しかける。ルカはというと、退屈そうに外の景色を眺めながら、心底嫌そうにつぶやく。
「だから、そこに書いてある協力者のところへ向かっている」
ルカにそう言われて再び書類に目を落とし、『捜査協力者』と書かれている項目を目で追う。
「これまでの捜査の結果から、一連の事件に死霊が関連していることが濃厚となったため、モルティエル家の家督継承者であり、国家登録死霊使いである、ユリア・モルティエルに捜査協力を要請した。か」
そう書かれた報告書をめくると、『国家登録死霊使い』と書かれた登録書の写しが添付されており、ユリア・モルティエルの写真も載っていた。
生気を感じさせない白い肌に白髪も相まって、一見するとかなり年上と思ったが、写真越しであってもわかるほどに光を帯びてぱっちりと開いた琥珀色の瞳は生き生きと輝いており、年もレオンとそう変わらないくらいのようだった。
「『国家登録死霊使い』って名前は聞いたことあったけど、この人は軍の所属ではないんだよな」
そうつぶやくと、助手席からあからさまに呆れたようなため息が返ってきた。
「そいつは普段は墓守をやっている。いわば外部協力者ってやつだ。そもそも死霊術は、魔力がある奴がだれでも使えるようなものじゃない。一定のセンスや生まれ持った才能、何より家系に死霊使いの奴がいないと発現しない魔法だ。その上、死体を扱う魔法だから倫理的な観点から禁術指定されている。だから、国は死霊術を使える奴に登録の義務を課していて、国の許可がない限りは死霊術を使えないようにしているんだ」
「へえ、そうか」
「…感心しているところ申し訳ないが、国家登録魔法は訓練学校の二年次の座学で習う内容だろ」
「う、そうだった…。ところで、ルカはユリアさんと会ったことがあるのか?」
レオンは一刻も早く話の矛先を変えようと思って聞くと、ルカは苦虫を噛み潰したような顔で答える。
「一緒に何度か仕事をしたことがある。ちなみに、そいつには葬儀屋をやっている双子の弟でノアってやつがいる。別に覚えとかなくてもいいが、おそらく今日会うことになるだろう」
「へえ、姉弟で墓守と葬儀屋をやるなんて仲が良いんだな」
「別に奴らは仲が良いわけじゃない。先祖代々続く家業ってだけだよ。それに…」
ルカは続きを言う前に眉をしかめて口を閉ざしてしまった。
「どうしたんだ?」
「今は言いたくない。あの面倒な双子のことを考える時間は短い方がいい。着いたら起こせ」
ルカはそう言うと、目を閉じて寝息を立てて眠りについてしまった。




