幼馴染みはヒーロー
直哉さんは生返事をする。これもいつも通りの反応だ。
俺は声を荒らげて頭を抱える。
「いいんですよ、分かってるんですよ! 俺たちはただの幼馴染みだし、もう半分家族みたいなもんだし……異性として意識しろって方が間違ってるんですから!」
「いやでも、好きでもない男の子に『イチャイチャする?』なんて誘うと思うかい? うちの小春はそんなふしだらな子じゃないんだけど」
「俺が怖じ気付いて突っぱねるって読んでのことでしょ。あいつならやります」
脳裏に蘇るのは、昨日の小春の言葉だ。
『ここに実際の銀髪美少女がいるんだよ? 良太くんさえその気になれば……あんなことも、こーんなことも、してあげてるんだけどなー』
それに俺が乗れないことも、あいつは計算尽くなのだ。
小悪魔なんて可愛いもんじゃなく、もっと恐ろしい何かだ。
「あいつには俺の好意が筒抜けだから、からかって遊んでるだけなんですよ! そうなんでしょ、直哉さん!?」
「いやあ……それは俺の口からはなんとも、うん」
直哉さんは何故かそっと目を逸らす。
これも含めていつものパターンだった。
目を逸らしつつも、なんだか懐かしそうに苦笑する。
「うちの奥さんも、昔は拗らせて俺に当たったりしていたけど……君も君で別ベクトルに拗れてるねえ」
「えっ、マジですか。ご夫婦めちゃくちゃラブラブなのに?」
「あはは、本当だよ。たとえば――」
直哉さんが口を開いた、そのときだ。
「ちょっと直哉くん!?」
玄関扉が開いて、銀髪美女が顔を出した。
笹原小雪さん。小春のママさんだ。
いつ見てもびっくりするような美人だし、高校生の子供がいるようには到底見えないほど若々しい。他にもいろいろ褒めたくなる美貌だが、これ以上は直哉さんが怖いので考えないようにする。
ともかく小雪さんは俺と直哉さんを見て、ぐぐっと目をつり上げた。
「また良太くんを虐めていたのね。もう、いい加減にしなさいよ」
「人聞きが悪いなあ。単に娘の幼馴染みと立ち話してただけだって」
「嘘おっしゃい。どうせまた小春のことでチクチクやってたんでしょ」
小雪さんはすぱっと断じて俺に向けて頭を下げる。
「ごめんなさいね、良太くん。うちの旦那と娘が、いろいろと心労をかけて……」
「小雪さん……」
そんな彼女に、俺はどんっと胸を叩いて言う。
「大丈夫です。このくらいでめげてたら、アイツの幼馴染みなんて勤まりませんから」
「本当にごめんなさいね……?」
小雪さんはますます申し訳なさそうに眉を寄せた。
小春に振り回され、直哉さんにいじられ、それを小雪さんが謝罪する……みたいな流れが完全に定番化していた。長い付き合いなので今さらだ。
そこでふと、先ほど直哉さんがつぶやいていたことが気になった。
いい機会なので、おずおずと小雪さんに尋ねてみる。
「ところでその、ちょっと聞いたんですけど……小雪さんも昔いろいろと拗らせてたってほんとですか? いったいどんな感じだったんです?」
「何を言ったのよ直哉くん!?」
「事実だけだよ」
怒鳴りつけられても、直哉さんは悪びれることもなく肩をすくめた。
小雪さんはこめかみを押さえて呻くばかりだ。
「私が拗らせてたのは、まあ自分の性格のせいもあるけど……大部分がこの人のせいよ。分かるでしょ」
「まあ、だいたい予想は付いてましたけど……具体的には?」
「『分かってるって、どれだけ悪態をついてても心の底では俺のことが好きなんだよな、うんうん』みたいなことをしたり顔で囁かれてごらんなさい。当然拗らせるでしょ」
「俺とほぼ一緒じゃないっすか……」
たしか直哉さんと小雪さんは高校からの付き合いだ。
思春期まっただ中の時期に、そういう図星を突かれることがどれだけキツいか……たぶん経験者にしか分からないだろう。
青ざめる俺に、小雪さんは笑う。
「でもまあ、それもひっくるめて出会ってよかったと思うわ。癪ではあるけどね」
「何から何まで同意します」
俺と小雪さんは深々とうなずき合った。
なんだか戦友としての絆が芽生えた気がした。
そこで、直哉さんが珍しくムッとしたように片眉を寄せる。
「小雪とそれ以上仲良くならないでほしいなあ。うちの奥さんなんだけど」
「そもそもはあなたが虐めるからでしょ」
小雪さんはそんな夫をじろりと睨み付けた。
そこで開け放した玄関扉から、小さな少年が顔を出す。どことなく直哉さんに似た子だ。
この春、小学校に上がったばかりの小春の弟である。
「ママー。叩いてもつねってもおねーちゃんが起きないよ、どうしたらいい?」
「あーもう……待ってて、冬哉! やっぱりママが起こしに行くわ!」
「おう、冬哉。おはよ」
「お、おはよ」
冬哉に手を振ると、彼は恥ずかしそうにはにかんで引っ込んでしまう。
しかしすぐにまたそっと外をのぞき込み、小さく手を振った。
「じゅーどーの練習がんばってね、りょーた兄ちゃん」
「ありがとな。冬哉も小学校がんばれよ」
「うん! またね!」
そう言って冬哉はぱたぱたと足音を響かせ消えていった。
見た目は直哉さん似だが、中身は小雪さん寄りでシャイな子だ。
そんな息子を追いかけつつ、小雪さんは夫へ人差し指を突きつける。
「いいこと、それ以上良太くんにへたなことを吹き込んでごらんなさい。二度とチューしてやらないんだからね」
「それは困るなあ。心得ました」
直哉さんは両手を挙げて従順のポーズを取った。
家の中に消えたお嫁さんを見送って、改めて俺に振り返る。
「そういうわけだから、小春のことよろしくね?」
「善処します」
俺は直哉さんに頭を下げて、そのまま学校に向かった。
朝練を終えて教室に行くと、HRで担任から俺と小春は名指しで褒められることとなった。警察やあの女性から直々にお礼の電話があったらしい。
クラスメートたちは「すごーい」なんてもてはやすが、同じ中学だったメンツは慣れたもので反応が薄い。入学して間もないためクラスのテンションに大きく開きがあるものの、そのうち後者がデフォルトになる日も近いとだろう。
ともかくそのためか、小春は丸一日ご機嫌だった。
放課後、俺の部活が終わるのを待って寄り道に誘われた。
引っ張ってこられたのは駅近くのショッピングモールだ。そこのアイスクリーム屋が小春はお気に入りで、俺も無理やり付き合わされた。
「えへへ、お手柄だって褒められちゃったね」
「そうだな」
小春は三段アイスを器用にぱくつき、俺は質素にバニラを一段。
どうやらこれが彼女なりの祝杯らしい。
ニコニコと笑顔を絶やさない小春を見ていると、小さな疑問がむくむくと膨れ上がるのを感じた。アイスを食べきって質問を投げかけてみる。
「盗撮犯を追い払うくらい、おまえにとっては日常茶飯事だろ。それをいちいち褒められたからってそんなに嬉しいもんか?」
小春はひと目見ただけで何でも察してしまう。
それこそチート探偵と言っても過言ではない。
たとえるなら、シャーロック・ホームズが振り込め詐欺犯を捕まえたところでドヤるだろうか?
すると小春はきょとんとして言う。
「もちろんだよ。だって、昨日のお姉さんはよろこんでくれたでしょ」
「まあ、たしかに……」
「おまけに昨日は良太くんと一緒に退治できたんだもん、嬉しいに決まってるじゃない」
小春は悪戯っぽく笑ってみせてから、わざとらしく俺にしなだれかかってくる。
もちろん上目遣いも忘れなかった。
「いわゆる夫婦の共同作業ってやつだね♡」
「警察がらみの事件をそんなふうに言えるの、おまえだけだぞ」
そんな小春を手で押しのけて、俺は深々とため息をこぼす。
「でもやっぱ、おまえは相変わらずなんだな」
「相変わらずって?」
「主人公っていうか、ヒーローっていうかさ……」
俺はぼそぼそと言葉をつむぐ。
幼馴染みの美少女相手に何を言い出すんだと思われるかもしれないが、小春はからかうこともなく俺の話を聞いてくれた。俺の気持ちなんかずっと見透かしていたからだろう。
小春は苦い笑みを浮かべてかすかにうつむく。
「相変わらず、あのときのこと気にしてるんだ。ごめんね、もっと早く見つけられたら良太くんが怪我することもなかったのにさ」
「そんなことない。おまえのおかげで助かったんだ」
今から十年ほど前のこと。
小学校に上がったばかりだった俺と小春は、遠足でとある山を訪れていた。
今よりもっと頭の足りないヤンチャ坊主だった俺は、なんの変哲もない芝生の広場に飽き飽きしていた。そこで先生たちの言いつけを無視して、友達たちを引き連れて立ち入り禁止のテープを無視して山に踏み入ったのだ。
探検と称して変わった植物や虫を見つけたり、鬼ごっこをしたり――俺たちは山を存分に遊びつくし、そうしてあっけなく遭難した。
ハッと気付いたときにはもう夕暮れで、あたりは薄暗くなりはじめていた。
俺たちはそのときになってようやくバカなことをしたと悟ったのだが、時はすでに遅く、帰り道は見当も付かない上、どれだけ声を張り上げて助けを求めても返事がかえってくることはなかった。もう二度と家に帰れないのだと、あのときは本気で思った。
みんなべそをかいていて、リーダーを気取っていた俺も今にも泣きそうだった。
転んで膝を擦りむいて、あちこち泥と血だらけだった。痛くて怖くて寂しくて、誰でもいいから助けてほしかった。
そんなとき、背後の茂みがガサガサと動いたのだ。
もしや熊か……なんて騒然とする俺たちの前に現れたのは小春だった。
小春は俺たち以上の泥だらけで、それでもにっこり笑ってこう言った。
『やっぱりここにいた!』
『こ、こはる……?』
『うん。小春が助けにきたよ、りょーたくん!』
きっぱりとそう言って、小春は俺に手を差し伸べた。
夜闇に沈みはじめた山の中、その小さな手は太陽のように輝いて見えた。
そのあと小春に導かれ、俺たちは無事に元の広場に戻ることができた。もちろん大人にはこっぴどく叱られたし、小春も一緒に叱られた。
後で聞けば、小春は俺たちの足跡などから居場所を推理して追いかけてきたらしい。
このことがあって、小春は俺たちの世代では名探偵として伝説となっている。
かく言う俺も、その名探偵に心酔するひとりなのだ。
「あのときのおまえは本当にカッコよかった。あの日からずっと、おまえは俺のヒーローなんだよ」
「良太くん……」
小春はじっと静かにその話を聞いていた。
しかし話が終わるや否や、ぶすっとした顔をするのだ。
「だから私が、良太くんのことを好きでもなんでもないって思うの? ヒーローだから?」
「うぐっ……おまえ、今朝の話を聞いてたのかよ」
どうやら布団の中で直哉さんとの会話をうかがっていたらしい。
開き直ろうとする俺だが、小春が先制攻撃を仕掛けてくる。
ぴとっと身を寄せて向けてくるのは、ふて腐れた子供のような上目遣いだ。
「パパも言ってたけど、好きでも何でもない男の子にこんなことしないんだけどなー?」
「……俺が怖じ気付くのを織り込み済みで、からかってるだけだろ」
「何よ、それ」
小春はムッとしたように口を尖らせる。
そのまますこしうつむき加減で、ぽつぽつと言うことには――。
「いくら心が読めたって、私は普通の女の子なんだよ? 好きな人からそんな風に思われてるなんて……ショックだな」
「こ、小春……」
その寂しげな横顔に、俺はごくりと喉を鳴らした。
好きな人。
思いを寄せる女子からそう呼ばれて、ドキッとしない男はいないだろう。
(ひょっとして、これはマジで脈ありだったりするのか……?)
俺が薄らとそんな希望を抱いたころ――。
「……ぷっ」
小春は小さく噴き出した。
そのままお腹を押さえてケラケラと笑う。目にはうっすらと涙すら浮かんでいた。
「あはは、こういうアプローチもけっこう効くんだね。今後の参考にさせてもらうよ」
「おーまーえー……!」
俺は肩を震わせるしかない。心臓は全力疾走したあとみたいにバクバクしていた。
どうやら完全に遊ばれてしまったらしい。
「俺の純情を弄んでそんなに楽しいか!?」
「だって、そうすると良太くんの頭の中は私でいっぱいになるじゃない」
小春は悪びれることもなくそう言って、やけに無邪気ににっこりと笑う。
「それがすっごく嬉しいんだよね」
「やっぱり好きでもなんでもない、オモチャ扱いじゃねーか!」
「そこまでは言ってないんだけどなあ」
ニコニコする小春である。
小悪魔なんて甘いもんじゃない。これじゃもはや大魔王だ。
俺は溜まりに溜まった鬱憤を込めて宣戦布告をびしっと突きつける。
「もう怒った! ちょうど本屋も近いことだし……これから例の銀髪美少女エロマンガを買ってきて、おまえの目の前で読んでやる! おまえを想像してオカズにする俺の胸中を読んで、おまえも悶えるといい!」
「うっ、それはたしかにちょっぴり恥ずかしそうだけど……私より、むしろ良太くんに大ダメージなんじゃないかな?」
「身を切らせて骨を断つ作戦なんだよ! そこで大人しく待ってやがれ!」
「はいはい。お早めにねー」
にこやかに手を振る小春を残し、俺は足早にアイスクリーム屋を後にした。
続きは明日更新。
明日でラストとなります!よろしくお願いいたします。






