楽しいびこう
そこで声を掛けられました。
「お姉ちゃん?」
「あら?」
すぐそばに、綺麗なお姉さんとお兄さんがいました。
ママの妹の朔夜おねーちゃんと、パパの親戚の桐彦おにーさんです。
すぐにママも気付いて、少しだけ笑顔になりました。
「朔夜と桐彦さんじゃない。奇遇ね?」
「これからクレアの家に行くんだけど、双子ちゃんにお土産を買おうかと思って。お姉ちゃんたちは何をやってるの?」
朔夜おねーちゃんはほんの少しだけ首をかたむけます。
あんまりお顔が変わりませんが、ママに会えてうれしいみたいでした。
桐彦おにーさんもニコニコしてわたしに手を振ってくれました。
「こんにちは、小春ちゃん。ママとお出かけなんていいわねえ」
「うん! これからパパの尾行をするの!」
「び、尾行……? え、それって私たちが聞いてもいい話?」
「いったいどういうことなの、お姉ちゃん」
桐彦おにーさんだけでなく、朔夜おねーちゃんも心配そうでした。
ママは少しへにゃっと眉を下げて言います。
「実は……」
ふたりに同じテーブルについてもらって、ママは事情を説明しました。
「……というわけなの」
「はあ」
「へえ」
ふたりは同時に生返事をしました。
それからそろって、わたしににっこりと話しかけてきます。
「そういえば小春。このまえ小学校に上がったばっかりだよね、どんな感じ?」
「すっごくたのしいよ! りょーたくんもいるし!」
「ああ、幼稚園時代から小春ちゃんに懸想してるって噂の幼馴染みね」
「うん。おんなじクラスだし、いっつもいっしょに帰ってるんだ」
「よかったね、小春」
「いいわねえ、青春だわ」
ふたりはほのぼのします。
「私の話はスルーなの!?」
そのせいで、ママがぷんぷん怒りました。
他のお客さんの迷惑にならないように声をおさえながら、必死に訴えます。
「家庭の危機なのよ!? もっと真剣に聞いてくれたっていいじゃない!」
「いやだって、笹原くんが浮気とか……ねえ?」
「天変地異の前触れにしてもナンセンス」
桐彦おにーさんが困ったように言って、朔夜おねーちゃんはきっぱり言いました。
ふたりがあっさり否定したので、ママはぐっと言葉に詰まります。
そのまましょんぼりしてぽつぽつと続けました。
「だってだって、大学を卒業して結婚して、すぐに小春が生まれたじゃない。幸せいっぱいすぎて、なんだか怖くなってくるんだもの……」
「たしかにお姉ちゃんたち順調だったもんね」
ママとパパは高校生から付き合いだして、大学を出てすぐに結婚しました。
それからまたすぐにわたしがうまれて、三人家族になりました。
結婚式のお写真も、わたしがうまれた日のビデオも、何回も見たことがあります。
どんなときでもママとパパは幸せそうで、ニコニコしていました。
だからママは不安になったみたいです。大人は難しいです。
「学生時代から数えるともう十五年の付き合いなのよ。そろそろ別の刺激を求めてもおかしくない時期でしょ。あの人ったら社会人になってそれなりの社会性を身につけたから、悪い虫が付きかねないし……!」
「まあ、彼も年を重ねてやり方がうまくなったところはあるわよね」
パパは会社の出世頭だそうです。
お客さんのほしいものをズバズバ言い当てて、たくさんお仕事を取ってきます。
桐彦おにーさんはしみじみ言って、にっこり笑いました。
「大丈夫よ、小雪ちゃん。笹原くんがどれだけ小雪ちゃんのことを大好きなのか、私たちはよくわかっているわ。だから信じてあげましょうよ、愛の力ってやつを」
「桐彦さん……」
ママは少しだけじーんとしたみたいでした。
でも、すぐにジト目で桐彦おにーさんを睨みます。
「そういう桐彦さんは、うちの妹のことをどうお考えなんですか?」
「げぶっふ……!?」
桐彦おにーさんがテーブルに突っ伏しました。大ダメージだったみたいです。
ママは淡々と続けます。
「ふたりがお付き合いするのはかまいません。いい大人ですし。でも、いい大人だからこそ責任の取り方ってものがあると思うんですよね」
「えっと、その……今ちょっと仕事が修羅場でして……」
「おにーさん、アニメ化おめでとー」
桐彦おにーさんは小説家で、売れっ子なのです。
だからいつも忙しそうにしています。
そんなおにーさんに、朔夜おねーちゃんはふっと微笑みました。
「桐彦は気にしないで。それくらい私は待てるから」
「朔夜……」
「ここまできたら誤差だから。一年も十年も変わらないよ」
「本当に申し訳ございません……死ぬ気で片付けます」
桐彦おにーさんはテーブルに額をすりつけて誓いました。
朔夜おねーちゃんが高校から大学までずっと猛アプローチを続けた結果、ふたりはお付き合いをすることになりました。
朔夜おねーちゃんはバリバリ働きながら、桐彦おにーさんの身の回りのお世話をしているみたいです。だから、おにーさんはいろんな意味で頭が上がりません。
さくっと釘を刺してから、朔夜おねーちゃんはうなずきます。
「でも、私も桐彦と同意見。お義兄様が浮気なんてありえないよ」
「そうかしら……」
ママの心はちょっぴり揺れます。
信頼している妹から断言されたのが効いたみたいでした。
そして、そこでパパの会社に動きがありました。
「あっ、パパだ」
「なんですって……!?」
ママがガタッと立ち上がります。
ビルの入り口に、スーツを着た人たちが何人も出てきました。どうやらお仕事が終わったみたいで、中には小春のパパもいます。ママはそれを見て真っ青になりました。
「お、女と一緒だわ……! やっぱり浮気よ!」
「ただの同僚だと思うよ」
「たった今、あっさりと別れたものね」
朔夜おねーちゃんと桐彦おにーさんは、冷たくツッコミを入れます。
パパは同僚さんたちと別れて、ひとりで別方向に歩き出しました。とってもゆっくりした足取りです。今から喫茶店を出れば、簡単に追いつけそうなスピードでした。
ママは拳をにぎって、メラメラ燃えながら宣言します。
「やっぱりこの目で確かめなきゃ信じられないわ……! ちょっと行ってくる!」
「はいはい。頑張ってね、お姉ちゃん」
「小春ちゃん、ママのこと頼んだわよ」
「はーい。まかされました!」
わたしは元気よくお返事して、ふたりと別れました。
ママといっしょに喫茶店を出ます。
パパは数十メートル先の交差点で、信号が変わるのをぼんやりと待っていました。信号が青になるのと同時に、わたしたちは少し間を開けて追いかけます。
街にはほかにも多くのひとがいました。
お休みだからか、小春たちみたいな家族で出かけているひとたちもたくさんいました。
そんな賑やかななかで探偵さんごっこをするのは、なんだか特別な気がしてドキドキしました。ママに話しかけるお声も小さくしました。
「でもさ、パパのことだから小春たちがついてってることにきっと気付いてるよ?」
「それくらい分かってるわよ」
ママはパパの後ろ姿を睨みながら、ちっと舌打ちしました。
「あの人ならプロの尾行だって察知して簡単に撒くわ。それをこうしてゆったり歩いてるってことは……挑発に違いないわ」
「ちょーはつ?」
「『浮気の証拠を掴めるものなら掴んでみろ』って言ってるのよ」
ママは低い声で言います。
パパを見る目は、とってもどんよりしていました。
「余裕をぶっこいていられるのも今のうちよ。絶対に尻尾を掴んでやるんだから!」
「そうだね。頑張ろうね、ママ」
わたしはそんなママを応援しました。
パパはまず駅前のデパートに入りました。
そのまままっすぐ向かったのは、一階のアクセサリー屋さんです。ショーケースの中にはキラキラした宝石がついた指輪やネックレスが並んでいて、すっごくきれいでした。
「すみません、予約していた笹原です」
「笹原様ですね。少々お待ちください」
パパが話しかけると、店員さんは奥に引っ込んでいきました。
すぐに小さな箱を持ってきてふたりで何か楽しそうに話しはじめます。
わたしとママは少し離れた柱の陰で、それをこっそり観察していました。遠かったので声はほとんど聞こえません。
でも、わたしはとびっきり目がいいです。
だからパパと店員さんの唇の動きで、なにを話しているかがわかりました。
「奥様へのプレゼントですか?」
「あはは、お恥ずかしながら」
だいたいそんな感じです。
「ほら、やっぱりママへのプレゼントを買いに来たんだよ。浮気なんかじゃないよ」
「……いいえ、違うわ」
ママはますます怖い顔になりました。
どれくらい怖かったかというと、通りかかった他のお客さんがビクッとして、さっと目を逸らすくらいです。小春は慣れているのでへっちゃらでした。
ママは携帯でパパの写真を撮りながら推理します。
「私へのプレゼントなんてありえないわ。だって私の誕生日でも、ましてや結婚記念日でもないんだもの」
「あー、たしかにそうだねえ」
ママのお誕生日も結婚記念日も冬です。今は春なので、ぜんぜん季節が違います。
ちなみにわたしのお誕生日は四月一日です。
ポカポカしてあたたかい日だったので、小春というお名前になりました。
「あっ、ママ! パパが移動するよ!」
そんな話をしていると、パパが店員さんにお金を払ってお店を出ていきました。
こっちを一度も見ないまま、やっぱりゆっくりと歩きます。絶対に気付いていました。
ママは暗い目で、じっとパパの背中を見つめて言います。
「……追いかけるわよ」
「うん!」
そのままパパはデパートを出て、すぐ近くのお店に入りました。
「お花屋さん……」
「わっ、きれーな花束だ!」
ここでもパパは予約していたようで、話しかけるとすぐに店員さんが大きな花束を持ってきました。ピンクと白のお花がたくさん包まれていて、わたしの顔よりずっと大きかったです。
それを店員さんから受け取って、パパはニコニコしていました。
店員さんもニコニコしています。
「ご注文通りに仕上げました。記念日ですか?」
「ええ、そんなところですね」
パパはちょっと恥ずかしそうにそう言って、花束を抱えてお店を出て行きました。
そのまままたまっすぐどこかへ向かいます。
「あっ、小春たちも行かなきゃ! 次がたぶん最後だよ!」
次の場所も、だいたいのけんとーがついていました。
わたしはワクワクしてパパの後を追いかけようとします。
でも、すぐに立ち止まりました。ママがパパの背中を見つめたまま、一歩も動かなかったからです。さっきまで怖い顔をしていたのに、そのときはぜんぜん違いました。
どこかぼんやりして、心がどこかに飛んでいってしまったみたいでした。
わたしは不安になって、ママの手を引っ張ります。
「ね、ねえママ、パパが行っちゃうよ。早く追っかけなきゃ……」
「……そうね」
ママは少しだけ目を閉じました。
その間もパパはゆっくりと遠ざかっていきます。
人混みの中にパパが消えるか消えないかというころ、ママはそっと目を開きました。
そうして痛いのを隠すような笑顔で、わたしにこう言いました。
「もう、尾行はやめましょうか」
「えええっ!?」
続きは明日更新。最終巻は6/14ごろ発売予定です!
そして以下は活動報告やTwitterにも書きましたが、ちょっとした業務連絡。
以前ファンレターをくださいました、A県在住のむらくも様へ。
お手紙に記載されていたご住所にお礼の小冊子をお送りしたのですが、ペンネームでは送付できなかったようで当方のもとへ戻ってきてしまいました。
お手数ですがお心当たりのある方は、メッセージ等にてご連絡いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。