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CROWN   作者: 山木京、
白猫の探偵と黒犬の警察
8/20

06

 雲一つ無いよく晴れた夜空にまん丸な月が煌々と輝いていた。首筋を撫ぜて行く夜風が心地いい。庭の笹の葉を揺らして涼しげな音を奏でた。

 縁側で一息ついていると誰かが砂利を踏みしめて近づいてくる音が聞こえた。夜風が一緒にその人の匂いも運んできた。汗臭く埃臭い、でもその中に知っている匂いがした。今朝嗅いだ匂いだ。

「こんな夜に勝手に入んないでくれる?」

 道場の敷地内へ勝手に侵入して来た不届き者の姿を、月の明かりが夜の闇から照らし出した。

 何をして来たかは知らないがつい半日前に会った時とは違って服は汚れ、普段から特別整えてはいない毛並みがいつになく乱れていた。

「ごめん。携帯の充電切れちゃって。ほら、ここ呼び鈴無いからさ」

 彼は自分のポケットから携帯を取り出して、わざわざ私に見せてくれた。

「あ、ついに携帯持つようになったんだ。卒業間近でも持ってないのシュトレンだけだったからね」

「……うん、まあ必要に迫られて」

「ちょっと待ってて」

 私は携帯電話を持ち始めて間もないシュトレンのために、自室へ充電器を取りに向かった。あいつの持っていた携帯はひと世代前の物のようだったから、以前私が使っていた充電ケーブルが使えるだろう。

 部屋の障子を開けるとヤマトが布団の上で漫画を読んでいた。それを跨いで自分の机の引き出しの奥に手を突っ込んだ。確かここに置いていたはず……。

 目的の物はすぐに見つかった。白だったケーブルは日焼けして少し茶ばんでいたがまだ使えるはずだ。

「何すんだ?そんなの」

 仰向けで寝転びながらヤマトは言った。

「んー、迷い猫が入って来てさ。あ、あんた前の携帯の充電器まだ持ってる?」

「んぁ?多分引き出しの中」

「おっけー。ちょっと借りるね」

 隣に並べて置かれているヤマトの机の引き出しから、それらしきアダプターを取り出して部屋を後にした。

「だから何に使うんだよー」と聞こえたがその声は聞こえていないふりをした。

 縁側に戻ると彼は私がここを離れた時と同じ場所で同じ格好で立っていた。

「おまたせ。なんで突っ立ってんの?座ってくれればいいのに」

 私がそう言うと彼は「いやぁ、なんとなく」と笹薮の方を見て答えた。

「ほら、充電するから携帯貸して。こんな時間だから家にも一報入れたほうがいいでしょ」

 私は差し出された携帯を受け取ると、充電ケーブルを廊下脇にあるコンセントに挿し込み繋いでみた。真っ黒だった画面に赤く点滅する充電ゲージが映し出された。

「よし、大丈夫だね」

「……ありがとう」

 そうお礼を言うシュトレンは変わらず立ったままだった。

「ほら座んなよ。充電終わるまで立ってるつもり?」

 私が縁側をバシバシ叩いて彼はようやく座る気になったのか、縁側の下の普段は履物を脱いで置く岩の上に座った。

 それからしばらく沈黙の間があった。二人の間を夜風が通り抜けていった。

 私は沈黙に耐えかねて、月をぼーと眺めているシュトレンに尋ねてみた。

「ところでなんの用事だったの?まさか充電器借りに来たわけじゃないでしょ」

 彼は空に目を向けたまま「……僕って弱いね」と呟いた。

「当たり前じゃない。今朝始めたばっかりなんだから、そんなにすぐ力がつくわけ無いでしょ。特に才能がない限りね」

「……僕って才能ない?」

 そう言うとシュトレンは弱々しく笑った。

「まぁ、筋は悪くは無いと思うけど、特別いいってわけじゃ無いからなあ。努力次第かな」

「……うん、それもそうだね」

 そう言って彼は立ち上がった。

「?どうしたの?」

「いや、稽古つけてもらえたらなぁって思ったけど、やっぱりこんな時間だし今日は帰るよ。充電ありがと」

「あぁ、そう?」

 充電している携帯の画面を着けると、バッテリーの残量は五分の一くらいを示していた。これなら家に電話をかけてシュトレンが家に帰るまでくらいなら保つだろう。

 シュトレンは立ち上がって伸びをしていた。月明かりが彼の顔を照らしていた。よく見たら左目の周りが少し腫れているようだった。

「…………少しだけならいいよ」

「え?」

「ちょっとだけなら見てあげるよ。やっぱり充電器合ってなかったみたい。まだ二パーセントくらいしか充電できてないや」

 私は嘘をついて時代遅れの携帯を閉じた。

「でも、迷惑じゃ無い?」

 シュトレンは、いつもそうだが遠慮気味に言った。

「充電できるまでね。もうお風呂入っちゃったから軽くだけだけど」

「……うん、ありがとう」

 彼はそう言うと靴を脱いで縁側に上がった。

 こいつの事は昔から知っているけど、自分から何かしたいという事はほとんど無かったと思う。いつも誰かの調子に合わせて、自分の意思は尊重してこなかったんじゃないだろうか。そんなシュトレンが自分から何かしたいと言ってきた事に私は少し嬉しかった。

 まるでこいつの親じゃないか。と自分に突っ込みを入れて、稽古場に立てかけてあった竹刀を二つとり、片方をシュトレンに投げ渡した。彼は一瞬慌てたがしっかりと竹刀をキャッチした。

「はい、構えて」

「え、防具は?」

「そんなのいらないよ。私は当てないし打たれないし」

 あと重くて暑いし、それに臭い。私がそう付け加えると。シュトレンは少し笑って、すぐ後真剣な顔つきになった。

「……お願いします」

「どっからでもどうぞー」

 静かな夜の稽古場に竹刀のぶつかり合う音が鳴り響いた。


                  ♢


 僕が家に帰り着いたのはすっかり夜が更けて、日付が変わる少し前だった。玄関の小さな灯りが暖かく僕を迎えてくれた。鍵穴に鍵を挿れて回すとガチャリと錠が開く音がした。

「ただいま」

 玄関を開けて家に入るとキッチンにもリビングにも誰もおらず、ただ静けさが横たわっていた。

 シオリは職業柄か行き過ぎた朝型になっていた。朝の三時には起きて、夜も遅くても十時には床についている。父はここのパン屋のほかに平日は学校で教員もしている。日曜日の夜は学校で仕事をしていて家にはいない。

 台所のテーブルの上に『今日はカレー』とシオリの字で書かれた書置きを見つけた。僕は小鍋に移された玉ねぎ抜きのカレーを火にかけて食べた。

 部屋の静けさに耐えかねてテレビをつけた。テレビ画面の中で狸人と狐人の二人がどこかの田舎町を散歩していた。特に興味がある内容では無かったが深夜の寂しさを紛らわせるには十分だった。

 テレビをぼーっと眺めながら今日はシャワーだけでいいかと思っていると、二階から物音が聞こえてきた。

 ……まだ起きてるのか?

 いつもこの時間ならとっくに寝ているはずだ。父も今日はいないはず。

 僕はそんなことはないだろうと思いながらも、物音がした二階に足を運んだ。万が一泥棒だったり不審者が入ってきていたら大変だ。

 足音を立てないように慎重に階段を上がると、半開きになったシオリの部屋から明かりが漏れているのが見えた。

  僕は忍び足で明かりの方へ近づいて、開いたドアの隙間から部屋の中を覗き込んだ。すると、机に向かって何やら作業をしているシオリの後ろ姿が目に入った。

 てっきり小説を読んでいるものだと思っていた。読みかけの小説を「今いいとこだから」と、最後まで一気に読んでしまわないと気が済まない性格のシオリは、夜更けまで本を開いていることは今までもよくあることだった

 ただ、今回は違うようだ。本を読むだけだったらあんなに右手は動かさないし、左手で頭を抱えてウシガエルのように唸ることもないだろう。

 僕は半開きになったままのドアをノックした。木の扉は軽い音を出した。きちんと三回。二回だとトイレのノックになってしまう。就活の時に学んだことだ。それが役に立ったかというといささか疑問ではあるが……。

 しかし僕のノックはシオリの耳には届かなかったようだ。それもそのはず、よく見るとシオリの耳からイヤホンの白いコードが伸びて音楽プレイヤーに繋がっていた。

 まぁいいか。いちいち帰ってきた報告なんかしなくても大丈夫だろう。

 僕はそう思ってその場を立ち去ろうとすると、床に落ちているくしゃくしゃに丸められた紙に目が止まった。一つだけではなくそれがいくつも床に散らかっている。まるで漫画家や小説家がアイデアに行き詰って原稿を丸めて散らかすその様のようだった。

 シオリの部屋はいつも散らかっているが、さすがにこれは酷いな。

 無秩序に散らかっている部屋を見ると、僕の悪戯心は刺激された。

 一番近くに落ちていた紙の球を二、三個拾い上げると一つに丸めて硬くした。それをシオリの頭のすぐ横辺りにめがけて軽く放り投げた。僕の手を離れた紙の球は綺麗に弧を描いて、狙った通りシオリの顔の横すれすれを通って机の上に落ちた。

 僕は少し脅かしてやろう程度の気持ちだった。しかし彼女の反応は僕の予想の範疇を超えて、、声もあげずに体を一度ビクつかせた。多分驚いたんだろう。その後ものすごい勢いで机の上にあったものを片付けて、何か書いていたであろう紙の束を引き出しに突っ込んだ。そこで一度、時が止まったかのようにシオリは動きを止めた。

 僕もその動きに呆気にとられ同じように固まっていると、椅子が軋みながら回転し、こちらを振り向いたシオリと目があった。

「……ただいま」僕が脅かすつもりだったが逆に驚かされてしまった。

「お帰り。いつからそこに?」

 先程の挙動とは打って変わって不自然なほどに冷静を装った口調だった。

「……えっと、ついさっき、かな……?こんな時間まで起きてて大丈夫なの?明日仕事は?」

 僕の問いかけにシオリは部屋の壁に吊るされた時計を見て言った。

「明日は休みだから別にいいの」

「へぇ、そうなんだ……。ところで今、何してたの?」

「白猫」

「ちょっと黒も混じってる」

「回れ右」

「はい」

 僕は言われた通り、回れ右してドアを静かに閉めた。ああなってしまったらもう話は通じない。会話のキャッチボールができなくなってドッジボールになる。僕はいつも的になる。

 何をしていたのかは気になるところだが、今日のところはやめておこう。もしかしたらサクラが何か知ってるかもしれない。明日また訊いてみよう。

 明日も早いし、さっさとシャワー浴びて寝よう。そう思って下りの階段に差し掛かると、後ろでドアの開く音が聞こえた。振り向くとシオリが顔だけ出してこっちを覗いていた。

「……何?」

「眼、腫れてない?」

「腫れてないよ」

「嘘つけ。なんにもなかったら触んないわ」

 僕は無意識のうちに右目を手で触ってしまっていた。

「探偵の見習いなんでしょ。嘘つくならもっとうまく吐きなさいよ。あと、あんまり危ないことしちゃだめだからね」

 シオリは一方的に言いたいことを言うと僕の返事も待たずにドアを閉めた。

 それはちょっと難しいかな。

 ドアがもう一度開かないことを確認すると僕は階段を下りた。その途中で携帯からメールを受信した通知音がした。降りながらメールを確認するとシオリからだった。

『遅くなる時はちゃんと連絡すること!メールぐらいできるでしょ!』

 さっきまとめて言ってくれたらよかったのに。僕はそう思いながら『了解』と返信した。


                     ♢


 正座した状態から太腿に力を入れて腰を浮かす。足の指を床に立てて右足から立つ。その時上半身が前かがみにならないように注意しなければいけない。

「何やってんだよ、シュトレン」

 そう言って僕の顔を覗き込むヤマトを僕は床から見上げていた。

「足、痺れた」

「全然慣れねえな」

 僕は痺れたふくらはぎをもみながら悶えていた。この道場では稽古の始まる数十分間、正座をして精神統一する時間が設けられている。慣れている子たちはスッと立ち上がって、粛々と稽古の準備を始めていた。一方僕はというと、足の痺れの所為で立ち上がれずに体勢を崩して道場の床に倒れていた。痺れて感覚がないのに不快感だけが足から伝わって来ていた。

 道場に通い始めて数日が経った。午前中は道場。午後からは地下核闘技場を行き来することが、ここ数日の僕の行動パターンになっていた。しかし捜査の方には一向に進展が無く、ヒロ・ドーベルに話を訊くことはおろか、見つけることも情報を得ることもできずにいた。

「ちょ、やめて」

「ほらほら、早く立てよ」

 ヤマトは竹刀の先で自由の利かない僕のふくらはぎをつついていた。

「ほんとに、やめて」

 どうしようもなく笑いが不思議とこみあげてくる。精神的に壊れた人が笑っているのってこういう感じ何だろうかと思いながら、そろそろいい加減にしてくれないかとヤマトの方を見ると、ヤマトの背後から竹刀がヌッと現れるのが見えた。そしてその竹刀はゆっくりとヤマトの頭に振り下ろされた。今度は僕の隣でヤマトが頭を押さえて転がった。

「ヤマト!竹刀をそんな風に使っちゃダメって言ったでしょ」

 竹刀を肩に担いだサクラが道着を着て立っていた。背中に刺繍が施されていたら、いつかの時代の女番長を彷彿とさせる立ち姿だ。

「お前こそ人の頭殴っていいのかよ」

 頭を押さえて涙目になりながらヤマトは言った。サクラはそれを無視して僕の前にしゃがみこんで手を差し伸べてくれた。

「……ありがとう」

 僕はその手を握ると半分立ち上がったところで握った手を押し込まれ、そのまま後ろに尻餅をついた。

「イっ」

「ははは、まだまだだねシュトレン君。まだ足痺れてんの?」

 サクラは笑いながら僕の足をバシバシ叩いた。

 僕はササキ姉弟に剣道を教えてもらう傍ら遊ばれていた。

「……これ、やる必要ある?逆に精神が乱れるんだけど」

 正直決まりとはいえ、ずっと足の痺れが気になって集中できない。終わってからも痺れが引くまで動けずにいた。

「もー、しかたないなー。ほら、足出して」

「え、やだ」

「やだじゃないの」

 サクラはひっこめていた僕の足を強引に引っ張り出すと、踵を拳でぐりぐり按摩した。はじめはただ触られていた時のようにくすぐったいだけだったが、徐々に足の感覚が戻ってくるのが分かった。くすぐったさが段々気持ちよくなってきた。

「どう?だいぶマシになったんじゃない?」

「……うん」

「こうすると血行が良くなって痺れはマシになるの。小さいときにお父さんが教えてくれた」

 もう片方貸して。というサクラの言う通りもう片方もマッサージしてもらった。

「あとね、これは習慣っていうか習わしっていうか、ルーティーンワークみたいなもんだから絶対やるよ」

「ルーティーンワーク?」

「なんだよ知らないのかよ、ルーティーン」

 いつの間にか復活していたヤマトが僕に言った。

「決まったことを決まった手順でやることでしょ。それぐらい知ってるよ」

 僕がそう言うとヤマトはやれやれといった様子で付け加えた。

「そうなんだけど、それ以外にも集中力を高めたりゲンを担いだりっていう意味合いでもあるんだよ」

「ふーん」

「ふーん、って興味なしか!」

 ヤマトが得意げに言ったことを僕は無下にした。

「まぁね。ヤマトが言ったことも正しいんだけど、こういう剣道とかスポーツの場面では練習の時と同じ決まった所作を行うことで、試合の時に練習通りに力が発揮できるようにする儀式的なものでもあるかな」

 サクラは加えて説明した。そして「シュトレンもどこかでやることがあったら試してみたら?」と冗談めかして言った。僕は剣道の試合に出る予定もないし、もしやるとしたらあの場しかないけど……。大勢に囲まれた小さなリングの中で正座している自分を想像すると、何とも不思議な光景でとてもではないができそうになかった。

「さぁ!始めるよ!」

 サクラの合図でいつも通りの練習が始まった。そしていつも通り午前中いっぱいは道場で剣道の稽古をして、いつも通り格闘技場に足を運んだ。

 いつもと違ったのは、そこでヒロ・ドーベルの姿を見つけたことだ。


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