最弱天使、反撃開始
【主人公の屋敷・改造工房】
エンジェルはバインダーを胸に抱えたまま、工房の隅で俯いていた。
最下位の天使。
報告以外、何の力もない。
天界との激突が近づいているというのに、自分にできることといえば「報告書を書く」だけ。
(……私、何もできない。上位の方々が動く中で、私はただ記録するだけ。
歯噛みしても、何も変わらない……)
その姿を、魔導が優雅に眺めていた。
扇子で口元を隠し、目を細める。
「あらあら♡ エンジェルさん、ずいぶんと暗い顔をしていますわね。
……ふふっ、最近のあなた、以前とは違いますもの。主人公様の言葉を最優先に記録するようになってから、目の奥が変わっていらっしゃる」
エンジェルがびくりと肩を震わせる。
「えっ……? 私、ただの報告係ですよ? 何も変わってなんて……」
「嘘をおっしゃい♡ あなた、主人公様の『普通に』を守ると宣言したでしょう? あれはもう、立派な病みですわ。
……でしたら、そのバインダーも、ただの報告書用では物足りませんわね」
魔導が一歩近づき、優しく提案した。
「特殊能力、つけてみませんこと? あなたが主人公様の意思を、もっと強く、もっと正確に執行できるように」
エンジェルは首を傾げた。
「特殊能力……? よくわかりませんけど……」
「ふふっ、細かいことは気になさらず♡ ただ、流されるままに承諾していただければ結構ですわ。チャオ♡」
理解できないまま、エンジェルは小さく頷いてしまった。
(……流されてる。でも、主人公さんの言葉をもっとちゃんと伝えられるなら……)
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改造は、すぐに始まった。
科学がバインダーを分解しながら、眼鏡を光らせる。
「興味深い素材ですわ。天界製の記録媒体……数値化して最適化します。
持っているだけで脳内報酬系が活性化し、能力値が一時的に上昇するよう調整しますわね♡ ご主人様のためですもの」
薬学が小瓶を並べ、にこにこしながら液体を垂らす。
「これに私の特製を少し♡ 持つとほのかにハイになって、集中力と反応速度が上がるわ。副作用で『主人公様の言葉を執行したい』欲求も強くなるけど……ご主人様のためなら問題なしよね♡」
拷問特化が工具箱を開け、真剣な顔でフレームを強化する。
「……耐久性を上げる。絶対に壊れないようにな。いい出来に仕上げてやる」
腰振りスペシャリストがバインダーを両手で持ち、試しに軽く振ってみる。
「……おい、これで衝撃波が出るようにしてほしいんだが。俺の腰のキレを移植するぞ。朝のトレーニングのついでだ」
魔導が全体を統括しながら、優雅に魔法を込める。
「具現化の術式を追加しますわ♡ あなたが記録した『主人公様の言葉』を、必要に応じて一時的に具現化できるように。
……ふふっ、面白いものができそうですわね」
嫉妬が工房の隅でメガホンを持って応援していた。
「みんな頑張ってー! エンジェルちゃんのバインダー、最強にしようね♡ 主人公様のためだよ! 私も応援してるから!」
改造が進むにつれ、エンジェルの瞳が少しずつ熱を帯びていく。
(……これがあれば、私も何かできるかもしれない。
上位の天使たちに、逆らえなくても……少なくとも、主人公さんの言葉を守るための力にはなる)
科学が回路を接続するたび、薬学が薬を染み込ませるたび、拷問特化がフレームを打ち込むたび、腰振りが衝撃波の調整をするたび――
エンジェルの呼吸が、徐々に乱れていった。
(……すごい。これが完成したら、私でも……私でも、上位に届くかもしれない。
ケルビム……あの人に、少しは見返せるかもしれない)
魔導が気づいて、扇子の陰で微笑む。
「あら♡ 目の色が変わってきましたわね。いい傾向ですわ」
嫉妬が手を叩く。
「エンジェルちゃん、その調子ー! もっと欲張っていいよ♡ 主人公様のために強くなって!」
そして、改造が佳境に入った頃。
エンジェルは、自分から前に出た。
「……お願いです。最後まで、完成させてください」
声が、少し震えていた。
「これがあれば……私でも、何かできる。
主人公さんの言葉を、もっと強く執行できる。
……それに、今まで私をこき使っていた人たちに、少しは……」
彼女はバインダーを強く抱きしめた。
(……仕返しができる。特にケルビム。覚えてろ。
報告書を何十枚も突き返してきたこと、全部覚えてるから)
魔導が目を細め、他のメンバーと顔を見合わせる。
科学が小さく息を吐く。
「……データ上、想定以上に病みが進行していますわね」
薬学が苦笑する。
「まあ、ご主人様のためならいいんじゃない?」
拷問特化が肩をすくめる。
「……いい出来にするつもりだったが、思い入れが強すぎるな」
腰振りが苦笑いを浮かべる。
「……俺の衝撃波、復讐に使われるのかよ」
嫉妬だけが純粋に目を輝かせていた。
「わー! エンジェルちゃん、やる気満々だね♡ 応援してるよ! 主人公様のためにも、自分のためにも頑張って!」
魔導が優雅に手を打った。
「ふふっ♡ わかりましたわ。でしたら、最後まで責任を持って仕上げますわね。
……あなたがそこまで望むのなら、全力でお応えします。チャオ♡」
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数時間後。
魔改造されたバインダーが、完成した。
外見は以前とほとんど変わらない。
しかし、手に取った瞬間――
エンジェルの世界が、一変した。
「……っ、は……!?」
膝から力が抜ける。
バインダーを抱いた腕が、勝手に震え出す。
脳の奥で、何かが真っ白に弾けた。
熱い波が背骨を駆け上がり、頭のてっぺんまで突き抜けた。
呼吸が浅く、速くなる。瞳孔が限界まで開き、視界の端が虹色に滲んだ。
(あつい……頭の中が、溶けてる……)
単なる「軽いハイ」ではなかった。
科学と薬学が仕込んだ報酬系への刺激が、一気に閾値を超えたのだ
快感が全身の神経を焼き、指先から足先までが甘く痙攣する。
「ん、ぁ……あっ……」
声が、普段の彼女のものではなくなる。
甘く、掠れて、抑制の利かない吐息が漏れた。
胸の奥が激胸の奥で心臓が激しく鼓動するしく鼓動する。
心臓が「もっと」「もっと触れ」「もっと記録しろ」と叫んでいるみたいだった。
(これ……これが、力……?
いや、違う。これは……快楽。
バインダーを持ってるだけで、こんなに……頭がおかしくなりそう……)
彼女はよろめきながらも、バインダーをさらに強く抱きしめた。
革の感触が手のひらに伝わり、そのたびに新たな快感の波が押し寄せる。
能力能力値が跳ね上がっていくのを感じる。値が跳ね上がる感覚。
思考が異常なまでに澄み渡り、同時に欲求だけが肥大化していく矛盾。
「記録したい」「執行したい」「残したい」「主人公さんの全部を、私の手元に」――その衝動が、脳内を埋め尽くす。
「……ふふ、あはは……」
笑い声が、自分でも止められない。
目元が緩み、頬が赤く染まる。
涙が少し滲んでも、止まらない。
(すごい……すごすぎる……。
これがあれば、私でも届く。上位に、ケルビムに、全部に届く。
ドミニオン……中間管理職として苦労してるのは分かる。同情はする。
でも、私に無理難題を押し付けてきたのはあなただから、同罪。許さない。
……ミカエル様には、少しだけごめん。あなたは私を直接いじめてはくれなかった。
でも、もう遅い。私は決めたから)
頭の中が快楽で溶けているのに、復讐と使命の意識だけが異常に鮮明だった。
エンジェルは、バインダーを胸に抱きしめたまま、ゆっくりと、深く、蕩けたように笑った。
「……これで、いい」
声が、以前より低く、湿っている。
興奮で潤んだ瞳が、熱を帯びて光っていた。
「これで……今まで私をこき使っていた上司に、仕返しができる。
特にケルビム。覚えてろ。
次に会ったときは、ただの報告書じゃ済まないから。
ドミニオンも……同情はするけど、同罪だからね。
……ミカエル様には、少しだけ、ごめん。
……でも、最高。これ、やめられない……」
その表情を見て、ヤンデレたちは揃って本気で引いた。
魔導が扇子で口元を完全に隠す。
「……あらあら。予想を、かなり超えましたわね♡」
科学がタブレットを二度見する。
「病み係数……測定不能。報酬系の発火が危険域です。記録……というか、観察継続しますわ」
薬学が慌てて手を振る。
「副作用、強すぎた……! 量、間違えたかも……」
拷問特化が腕を組んだまま、一歩下がる。
「……いい出来すぎた。明らかに」
腰振りが本気で頭を抱える。
「俺の衝撃波が、こんなことに使われるとは思ってなかったんだが……」
それでも、彼女たち(彼ら)は温かく――少し怖がりながらも――見守っていた。
嫉妬が一番近くで、無理に明るく手を叩く。
「す、すごいよエンジェルちゃん! かっこいい……! 主人公様のためにも、自分のためにも強くなったね♡ 私もずっと応援してるからね!?」
エンジェルはバインダーを抱き直した。
指先が、甘く痙攣している。
(……主人公さんの『普通に』を守るために。
そして、少しだけ、自分のためにも。
この力で、執行する。
……ハイが、止まらない。でも、これが私の新しい役割。
もっと、もっと記録したい。執行したい。残したい……)
彼女の病みは、快楽とともに、確実に次の段階へと突き進んでいた。




