エンジェルヤンデレ化の兆し
【主人公の屋敷・居間の隅】
エンジェルは、いつものように報告書を膝に置いて座っていた。
最初は、純粋な観察だった。
天界から命じられた「現地調査」。
十人のヤンデレたちと、彼女たちに囲まれる主人公。
その異常な関係性を記録し、上層部へ報告するのが自分の仕事。
(……観察対象。ただの観察対象よ。私は報告係なんだから)
ペンを走らせる手は、まだ職務的だった。
『対象A(魔導):主人公の発言を都合よく解釈し、行動を正当化』
『対象B(科学):数値化により愛情を最適化』
『対象C〜J:それぞれ特化した執着を発揮』
『主人公:逃走・抵抗を繰り返すが、結果的に囲い込まれる』
淡々と。正確に。感情を排して。
それが、最下級天使としての正しい姿勢だった。
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数日が経つ。
エンジェルは気づかないうちに、記録の密度を上げていた。
主人公がため息をついた時間。
魔導が扇子を開く角度。
科学が眼鏡を押し上げる頻度。
嫉妬が「両方応援する」と手を叩くタイミング。
『詳細記録:主人公様が「普通に飯を食いたい」と呟いたのは本日14時23分。直後、慈愛が《フルヒール》の提案を行う』
(……なんで、こんなに細かく書いてるんだろう)
自分でも不思議に思う。
でも、書かないと落ち着かない。
書かないと、何かが抜け落ちる気がする。
(観察対象の行動を正確に残すのは仕事。私利私欲じゃない。仕事よ)
そう自分に言い聞かせながら、ペンを走らせる。
ところが、ある瞬間から、書き方が変わった。
主人公がソファに深く沈み、天井を見上げたとき。
『主人公様の疲れた横顔。目元に影。口角がわずかに下がっている。この表情を……残しておきたい』
「……あ」
エンジェルはペンを止めた。
(残しておきたい? 報告のためじゃなく?)
胸の奥が、小さく熱を持った。
彼女は慌てて二重線を引き、書き直す。
『主人公様の疲労兆候を確認。上層部への参考資料として記録』
職務に戻したつもりだった。
でも、心のどこかで、先ほどの「残しておきたい」が消えていなかった。
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さらに日が経つ。
エンジェルのバインダーは、主人公関連の記述で埋め尽くされ始めていた。
他のヤンデレたちの行動も記録する。
けれど、文字数が明らかに偏っている。
主人公が水を飲んだ。
主人公が窓の外を見た。
主人公が「自由になりたい」と小さく呟いた。
そのすべてを、彼女は丁寧に、時には何度も書き直して残した。
(……これはもう、観察じゃない)
夜、一人でバインダーを見返しながら、エンジェルは認める。
最初は天界のための記録だった。
次に、正確に伝えるための記録になった。
そして今は――
『主人公様の今日の行動を、私の手元に残しておきたい』
ペンが、震える。
(私利私欲……? 私、そんなつもりじゃ……)
それでも、手は止まらない。
主人公が笑った瞬間を書き留める。
主人公が困った顔をした瞬間を書き留める。
主人公が誰にも届かない「普通に」を呟いた瞬間を、何度も何度も書き留める。
書くたびに、胸が熱くなる。
書くたびに、「もっと残したい」という欲求が強くなる。
(観察対象じゃ、なくなってる。
私は……主人公さんのことを、自分のために記録している)
バインダーの頁をめくる指が、どこか愛おしげだった。
最終的に、彼女はこう記した。
『新規・個人記録方針:
主人公様の行動・発言・表情・呼吸の間隔までを、可能な限り詳細に残す。
これは天界への報告のためではない。
私が、主人公様の「今」を手元に置いておきたいから。
誰にも渡さない。誰にも歪めさせない。
私だけが、正確に、永遠に、記録する』
ペンを置いたエンジェルは、静かに笑った。
(……ああ、そうか。
私はもう、観察してなんかいない。
ただ、残したいんだ。主人公さんの全部を)
その欲望は、もう止まらなかった。
伝令・報告書特化ヤンデレ。
観察から始まり、私利私欲の記録を経て、
「主人公の行動を記録しておきたい」という純粋で病んだ欲求に辿り着いた、確かな一歩が。




