17――主人公、ヤンデレたちを支配したつもりが、ただのごっこ遊びでしたbyエンジェル
## ドSごっこ、あるいは立場逆転の幻想 エンジェル...私何見せられてるの?
### 1.最強のヤンデレたちと、自由を求める主人公
主人公は大魔王ルシファーを討伐し、大天使ミカエルとも渡り合える、人間最強クラスの実力者だった。
しかし、星を消し飛ばし、世界の法則すら書き換える十人のヤンデレたちには敵わない。
嫌われようとすれば愛され、命を懸けて呪いを解こうとしても復活させられ、章ボスまで勝手に倒される。
敵は滅び、問題は解決する。だが、主人公の自由だけは手に入らなかった。
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そんな折、屋敷には一人の居候が増えていた。
最下級天使エンジェル。
天界の全軍侵攻を密告するために辿り着き、そのまま「しばらくここにいさせてください」と居候することになった彼女は、翌朝、主人公の部屋の扉を小さくノックした。
「あの……主人公さん。お世話になっているお礼に、お掃除などお手伝いさせていただきます」
「いいって。気を遣うな。適当にリビングで報告書でも書いてろ」
「いえ、居候させていただいている以上、最低限のお仕事はしないと……!」
エンジェルは真面目な顔で掃除道具を持ち込み、主人公の部屋を丁寧に掃除し始めた。
埃を払い、床を拭き、散らかった書類を整える。
そして、掃除が終わると、彼女はなぜか小さなノートを取り出した。
『本日の記録:主人公様より「気を遣うな」との仰せあり。しかし居候の義務として清掃を実行。主人公様の生活環境を清潔に保つことは、今後の意思伝達を円滑にするための基礎作業と判断』
「……何書いてるの」
「え? あ、いえ、ただの……個人的なメモです。報告書の習慣がつい……」
主人公は呆れたように手を振った。
「好きにしろ。ただ、変なこと書くなよ」
エンジェルはこくりと頷きながら、ノートに続けて書き込んだ。
『追加記録:主人公様より「好きにしろ」との許可をいただく。今後の行動指針として採用。
備考:主人公様の言葉は、可能な限り正確に残すこと』
(……変な癖が出ちゃった。でも、ちゃんと記録しておかないと落ち着かないのよね。私、ただの報告係なんだから。
……でも、主人公さんの言葉を間違って伝えたら、大変なことになる気がする。正確に。絶対に正確に)
ペンを走らせる感触が、妙に心地よかった。
(……記録できた。主人公さんの言葉を、ちゃんと残せた。なんだか……少し、嬉しい)
この時点では、まだ「癖」の域を出ているつもりだった。
しかし、すでに彼女の優先順位は、天界の命令より「主人公の言葉を正確に残すこと」へ傾き始めていた。
### 2.主人公、ドSになる
主人公は、ソファに座ったまま深いため息をついた。
しかし、十人は何をしても離れない。むしろ、抵抗すればするほど喜び、主人公の行動を新しい愛情表現として解釈してしまう。
(……駄目だ。逃げるのも、嫌われるのも、こいつらには通用しない。俺が何をしても、結局はあいつらの思い通りになる)
主人公は十人を見回した。
魔導は優雅に紅茶を飲み、科学は端末を操作し、薬学は新薬の調合を楽しんでいる。森羅万象に至っては、主人公が逃げ出さないように空間を整えながら、穏やかに微笑んでいた。
(こいつらは俺の言うことを聞かない。俺が嫌だと言えば喜ぶし、逃げようとすれば道を塞ぐ。だったら……逆に、俺の命令に従わせることができればどうだ?)
ふと、主人公の頭に一つの考えが浮かんだ。
今まで自分は、十人に振り回される側だった。ならば、こちらが支配する側になればいい。彼女たちが自分を主人として認め、命令に従うようになれば、少なくとも勝手な行動を止められるかもしれない。
もちろん、十人の力を考えれば、そんな作戦が成功する保証などない。それでも、今までの方法がすべて失敗している以上、試す価値はあった。
(……要するに、こいつらが俺の命令を最優先する状況を作ればいい。そうすれば、少しは自由を取り戻せるはずだ)
主人公はゆっくりと背筋を伸ばした。
勝算はない。根拠もない。
だが、何もしなければ、この先もずっと彼女たちの愛情に振り回され続けるだけだ。
(やってやる。今度こそ、俺が主導権を握ってやる!)
そして主人公は、十人に向かって威圧的な表情を作った。
そんな状況を変えようと、主人公は新たな作戦を思いつく。
それは、ヤンデレたちを自分に従わせることだった。
ある日の夜。主人公は珍しく威圧的な表情を浮かべ、ソファに深く腰掛けた。
「お前たちは俺の所有物だ。勝手な行動は許さん」
十人が一斉に顔を上げる。主人公は内心で冷や汗をかきながらも、声を低く続けた。
「俺の許可なく逃げ道を塞ぐな。俺の許可なく地形を変えるな。俺の許可なく薬を盛るな。すべて、俺の命令に従え」
魔導が優雅に膝をつく。扇子で口元を隠し、震える声で答えた。瞳の奥では、愛おしさが溢れかえっている。
「はいぃ……ご主人様には敵いませんわ……♡ わたくし、ご主人様の所有物ですもの……ご主人様がそう仰るなら、わたくしのすべてを差し出ししますわ。ご主人様の命令以外、何も聞きたくありませんの……♡」
科学が眼鏡を押し上げ、俯く。指先が微かに震え、内心でデータ以上の興奮を抑えていた。
「データ上……ご主人様の支配下に入るのが最適解ですわ……♡ ご主人様に解析されるのも、命令されるのも……最高の実験です。わたくしのすべてを、ご主人様の数値に合わせて書き換えますわ……」
薬学が小瓶を握りしめ、頬を赤らめる。息が少し荒い。
「ご、ご命令なら……身体も心も、改変して差し上げますわ……♡ ご主人様に触れられるなら、どんな薬でも飲みます。ご主人様の所有物として、完璧な姿に整えてくださいませ……♡」
森羅万象が紅茶のカップを置き、静かに頭を下げた。優雅な微笑みの下に、絶対的な献身が宿る。
「……逃げ道を、整えませんわ。ご主人様の仰る通りに。ご主人様が望む世界だけを、わたくしがすべて整えます。ご主人様以外の因果など、消し飛ばしても構いませんわ♡」
監視がカメラを下げ、潜入が影から跪く。慈愛が優しく微笑みながらも「はい♡ ご主人様の痛みも喜びも、全部受け止めますわ」と答え、嫉妬が目を輝かせて「主人公様、かっこいい……♡ みんなで従うの、素敵すぎるわ」と呟く。
格闘特化が拳を握りしめ、熱く叫ぶ。
「……おれはご主人様の背中を追うだけだ。命令に従う!」
腰振りが腰を震わせ、拷問特化が拘束具を自分に向けて構える。
「……いい出来だ。おれも従う」
主人公は確信した。
(ついに立場が逆転した……! 今まで自分を振り回していた連中を、とうとう支配下に置くことができた。これなら、自由を手に入れることも夢じゃない)
【主人公の屋敷・居間の隅】
エンジェルは報告書の束を膝に置き、できるだけ存在を消すように座っていた。
(……とりあえず、今夜はここにいさせてもらおう。天界に戻ってもまた「現地調査を続行せよ」って言われるに決まってるし……)
そう自分に言い聞かせた直後だった。
主人公が珍しく威圧的な表情でソファに深く腰を下ろし、低い声を出した。
「お前たちは俺の所有物だ。勝手な行動は許さん」
エンジェルの手が、報告書の上でぴたりと止まった。
「……え?」
小さく漏れた声は、誰の耳にも届かなかった。
(な、何これ。急にどうしたの、主人公さん……? 今までずっと逃げ回ってた人が、いきなりドS発言……?)
十人のヤンデレたちが、一斉に顔を上げる。
魔導が優雅に膝をつく姿を見て、エンジェルの背筋が寒くなった。
(ま、まさか……本気で立場を逆転させようとしてる? でもこの人たち、そんな簡単に従うはずが……)
内心で警戒しながら、彼女は息を殺して見守るしかなかった。
(なんか変なこと、始まった……。嫌な予感しかしないんだけど……)
それでも、彼女の手は無意識にペンを走らせていた。
『緊急記録:主人公様より「お前たちは俺の所有物だ」との公式宣言あり。これを最優先事項として記録。以降の行動指針に反映させる必要性を検討。
注記:この言葉は、主人公様の明確な意思表示である。歪曲を許してはならない』
(……書いてる場合じゃないのに。でも、主人公さんの言葉を正確に残しておかないと……なぜか落ち着かない。
もしこの言葉が、あとで都合よく解釈されたら……私が止めるしかない)
ペンを置く瞬間、胸の奥が熱くなった。
(……残せた。主人公さんの言葉を、私が公式に残せた。
……なんだか、すごく満たされる。これが「伝える」ってこと……? もっと、残したい)
この時点で、すでに「報告癖」は「主人公の言葉を絶対視する執着」へと歪み、しかもその行為自体に快楽を感じ始めていた。
### 3.ヤンデレたちの本音
主人公がドSとして威張り、命令し、おしおきをするたび、ヤンデレたちは心の中で歓喜していた。
魔導は扇子の陰で頬を緩める。声は震えさせたままだが、内心は甘い蜜に満ちている。
(ふふっ……ご主人様が一生懸命に威張ってるの、かわいすぎますわ♡ わたくし、この「従っているごっこ」にハマってしまいましたの。ご主人様の命令が聞こえるたび、胸が熱くて……ご主人様の所有物でいられる幸せを、もっと味わわせてくださいませ。チャオ♡)
科学は端末に記録を取りながら、内心で笑っていた。眼鏡の奥で瞳が蕩けている。
(心拍数上昇、瞳孔拡散……ご主人様の「支配者モード」データ、最高ですわ。もっと威張ってくださいませ♡ わたくしを数値で支配して、完璧に所有して……ご主人様以外のデータを、全部消したいくらいです)
薬学はノートに書き込む。指が小瓶を優しく撫でる。
(おしおきのたびに反応が良くなってる……♡ ご主人様が楽しそうだから、もっと上手に従う演技をしなくちゃ。ご主人様に改変されるのが、こんなに嬉しいなんて……わたくしの身体も心も、全部ご主人様専用にしてくださいませ)
森羅万象は優雅に紅茶を啜り、心の中で呟く。穏やかな表情の下で、世界を差し出す覚悟が固まっている。
(整えなくていいのですね……。ご主人様の命令なら、わたくしも喜んで従いますわ♡ ご主人様が望むなら、この星すら消して、ご主人様だけが安らげる空間を作ります。ご主人様以外の存在など、邪魔なだけですもの)
監視はカメラを回しながら、私的ビデオ用に編集を考える。息を潜め、愛おしげにレンズを向ける。
(この「平伏シーン」、永久保存版ですわね♡ ご主人様がわたくしたちを見下ろす姿……何度見返しても足りません。ご主人様の視線だけが、わたくしの世界です)
潜入は影で微笑む。静かに、しかし熱く。
(先回りして「従う準備」をしておくのも、愛ですわ。ご主人様の命令が下る前に、わたくしのすべてを差し出せるように……逃げ道など、最初から塞いでおきます)
慈愛は優しく手を合わせる。聖母のような笑顔の奥で、献身が極まっている。
(ご主人様が満足してくださるなら……《フルヒール》でいつでも再開できますわ♡ ご主人様の痛みも、命令も、全部受け止めます。ご主人様が求める限り、わたくしは何度でも蘇らせて、傍にいます)
嫉妬は両手を合わせて目を輝かせる。純粋な応援の中に、独占への優しい執着が混じる。
(みんなで従うの、素敵……! 主人公様も、みんなも、両方応援しちゃう♡ でも……主人公様の「所有物」って言葉、すごく嬉しい。みんなで主人公様だけを見て、主人公様だけに見てもらえるなんて……最高の青春だわ)
格闘特化は拳を震わせ、内心で燃えていた。
(ご主人様が俺を従わせようとしてる……! 熱いぜ……! もっと命令してくれ!)
腰振りは腰をくねらせ、拷問特化は「いい出来だ」と満足げに頷く。
彼女たち(彼ら)は恐怖していたわけでも、心から屈服していたわけでもない。
主人公が支配者を演じる姿を愛おしく思い、彼のために「従っているごっこ」を全力で楽しんでいたのだ。主人公が強気になればなるほど、ヤンデレたちの満足度は上がっていく。
人間の中では最強格の主人公が、国を吹き飛ばせるヤンデレたちを従わせたと思い込んでいる。
その光景そのものが、彼女たちにとって最高の娯楽であり、純愛の表現だった。
居間の隅で、エンジェルは青ざめながらもペンを走らせ続けていた。
『続報:主人公様の命令に対し、対象者全員が従順な反応を示す。これを「公式な主従関係の確立」と仮認定。詳細は別紙にまとめる。
重要:主人公様の言葉が、対象者側の都合で都合よく解釈されていないか厳重に監視する必要あり』
(……なんで私、こんなに真剣に記録してるの。ただの居候なのに。でも、主人公さんの言葉を正確に残すのは……大事なこと、だよね?
もしこの人たちが「ご主人様がこう仰ったから」って勝手に拡大解釈したら……私が止めるしかない。
天界の命令より、まずは主人公さんの本当の言葉を守らないと)
ペンを置くたび、胸がざわついた。
(……また残せた。また、主人公さんの言葉を守れた。
……楽しい。記録するたびに、胸が熱くなる。これが私の役割……? もっと、もっと残したい。執行したい)
彼女の中で、「伝えること」への執着が、明確に「主人公の意思を絶対視する病み」へと変質し、その行為自体が快楽になり始めていた。
### 4.そして、立場が逆転する
ある日、屋敷の居間。
魔導が扇子を閉じ、仲間たちに静かに言った。声は優雅だが、瞳にはすでに次の所有欲が灯っている。
「ねえ、みなさま。そろそろ、この『ドSごっこ』……飽きてきてしまいましたわ♡ ご主人様が一生懸命に演じてくださるのは愛おしいですけれど、わたくしの方がご主人様を所有したくてたまらなくなってきましたの」
科学が眼鏡を光らせて頷く。唇に薄く笑みを浮かべる。
「データ上、ご主人様の満足度はピークを過ぎつつあります。次のフェーズへ移行する頃ですわね。わたくしの解析結果では、ご主人様を完全に囲い込む方が、双方の幸福度が最大化しますわ♡」
薬学が嬉しそうに小瓶を振る。息が弾んでいる。
「新しい反応が欲しいですわ♡ ご主人様の身体を、わたくしたち仕様に改変するデータが足りませんもの。今度はわたくしたちが主導で……」
森羅万象が優雅に微笑む。紅茶の湯気が、彼女の絶対的な意志を映す。
「では、整え直しましょうか。ご主人様の自由など、最初から存在しなかったように」
嫉妬が手を叩いて喜ぶ。目がハート形に近い。
「新しい遊び、楽しそう……! みんなで応援するわ♡ 主人公様をみんなで大好きって囲むの、最高のイベントだわ!」
そして魔導は、主人公に向かって満面の笑みを浮かべた。希望を与える、いつもの味方の顔で。だがその奥は、完全な所有宣言だった。
「プレイごっこ、飽きたから今度は逆ですわね♡ チャオ♡ ご主人様の視線も、声も、呼吸も……全部、わたくしたちのものにしますわ」
「……は?」
主人公が聞き返した瞬間、十人は一斉に立ち上がった。
先ほどまでの怯えた表情は、もうどこにもない。瞳には、純粋な愛と、絶対的な所有欲が宿っていた。
魔導が扇子を開き、優雅に告げる。声は甘く、絶対的。
「今までご主人様が支配者役でしたでしょう? だから今度は、わたくしたちが支配者役ですわ♡ ご主人様の視線も、声も、全部いただきます。ご主人様が他の誰かを見る隙間など、わたくしが埋め尽くしますの。逃げ道はありませんわ♡」
科学が端末を構え、淡々と続ける。眼鏡の奥で熱が宿る。
「データ上、ご主人様はすでにわたくしたちの所有物です。逃げ道はありませんわ。ご主人様のすべての行動パターンを、わたくしたちの愛に最適化します」
薬学が近づき、優しく囁く。指先が主人公の腕を撫でる。
「身体も心も、わたくしたちに合わせて改変して差し上げますわね♡ ご主人様がわたくしたち以外を想えないように……優しく、確実に」
森羅万象が指を鳴らす。空間が微かに歪む。
「空間を整えましたわ。ご主人様の自由は、ここにはありませんわ♡ ご主人様が安らげる場所は、わたくしたちの腕の中だけです」
監視がカメラを向け、息を弾ませながら記録を続ける。潜入が背後を塞ぎ、影のように寄り添う。慈愛が「いつでも回復しますわ♡ ご主人様が壊れても、何度でもわたくしが直します」と微笑み、嫉妬が「両方応援してるわよ♡ でも……主人公様はみんなのもの、だよね?」と手を振る。
格闘特化が拳を構え、熱く叫ぶ。
「ご主人様、おれたちの背中を追わせてくれ! 今度はおれたちがお前を鍛える番だ!」
腰振りが衝撃波を溜め、拷問特化が新しい拘束具を取り出す。
「……いい出来だ。お前もこれに収まれ」
「ちょっと待て! 俺はお前たちの主人だぞ!」
魔導がにっこりと笑う。裏を取る、いつもの笑顔で。声は希望に満ち、内容は完全な宣告。
「あら? さっきまで『お前たちは俺の所有物だ』って言ってませんでしたこと? でしたら今度は、わたくしたちの所有物になってくださいませ♡ ご主人様のためですわ。ご主人様が自由を求める姿も愛おしいですけれど……わたくしは、ご主人様を完全に手元に置いておきたいのですもの。チャオ♡」
「それは……! ま、待て! 話し合おう! 俺たちは対等な関係だったはずだ!」
「ふふっ。かわいいですわ♡ ご主人様が抵抗する声も、全部わたくしのものです」
主人公がどれほど抵抗しても、ヤンデレたちにとっては新しい遊びの始まりにすぎなかった。
その頃、エンジェルは報告書に必死で書き込んでいた。手は震え、字が乱れ始めている。
『重大事態発生:主人公様の「所有物宣言」が、対象者側により「所有権の相互確認」として再解釈される。
これは明確な意思の歪曲である。
主人公様の真意を正確に伝達する必要あり。私が間に入るべきか検討中。
……いや、検討ではない。私が止めなければ、主人公様の言葉は消されてしまう』
(……私が伝えなきゃ。主人公さんの本当の言葉を、ちゃんと残して、ちゃんと伝えなきゃ……。でないと、この人たちの解釈で上書きされちゃう。
天界の命令より、まずはこれだ。主人公さんの意思を守ることが、私の最優先事項……)
ペンを握る手が、熱を持っていた。
(……守れ。伝えろ。執行しろ。
……ああ、楽しい。主人公さんの言葉を守るたびに、胸が震える。
もっとやりたい。もっと正確に、もっと強制的に、主人公さんの「本当」を世界に叩きつけたい)
彼女の目には、すでに「ただの記録係」を完全に超えた、病んだ光が宿り、その光は快楽で潤んでいた。
### 5.結末――最初から、支配者ではなかった
主人公はようやく理解した。
自分はヤンデレたちを支配していたのではない。
彼女たちが自分のために、支配されているフリをしてくれていただけだった。
嫌われようとしても愛される。命を懸けても復活させられる。敵は勝手に倒され、章ボスは出番を奪われる。
そして、自分が自由を手に入れるために築き上げたはずの支配者としての地位まで、ヤンデレたちの遊びの一部だった。
主人公は支配者になったつもりだった。
ヤンデレたちは、主人公に支配者になった気分を味わわせてあげていた。
そして今度は、その役を交代する。
魔導が主人公の手を取り、優しく、しかし逃がさない強さで握る。指が絡みつき、脈打つ所有欲を伝える。
「さあ、ご主人様。今度はわたくしたちに従ってくださいませ♡ 夜はしっかりと『特別なご奉仕』をご用意しておりますのよ。ご主人様のすべてを、わたくしが味わい尽くします。逃げ道はありませんわ♡ ご主人様が他の誰かを想う隙間など、わたくしが愛で埋め尽くして差し上げます」
森羅万象が空間を完全に封鎖し、科学が追跡装置を起動し、薬学が「従属を促す薬」を準備する。嫉妬が「みんなで一緒に幸せになりましょう♡ 主人公様は私たちの宝物よ」と応援し、他の全員が笑顔で囲む。
監視が「この瞬間も、永久に残しますわ♡」とカメラを回し、潜入が「もうどこにも行けませんわ」と影から囁き、慈愛が「壊れても、わたくしが何度でも癒やしますわね♡」と優しく告げる。
こうして、主人公のドSとしての栄光は幕を閉じた。
人間の頂点に立つほど強くても、国を吹き飛ばし、星すら消し飛ばす十人のヤンデレたちの前では、支配者になることすらできなかった。
主人公にとっては、すべてを賭けた立場の逆転。
ヤンデレたちにとっては、ただの遊びのルール変更。純愛の延長。彼女たちの愛は、最初から一方的で、絶対で、逃げ場のないものだった。
「普通に飯を食って、普通に寝たいだけなのに……」
主人公の呟きは、誰にも届かなかった。
そして主人公は、今度こそ本当に自由を失ったのだった。
夜は、いつものように――いや、これまで以上に濃密に、彼女たちの愛に包まれて更けていく。
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その一部始終を、居間の隅で固まったまま見ていた者がいた。
最下級天使エンジェル。
彼女は天界からの全軍侵攻を密告するためにこの屋敷に辿り着き、そのまま居候のような形で残っていた。膝の上には報告書の束。右手にはペン。左手には、昼食代わりに食べようと思っていた小さな焼き菓子が一つ。
焼き菓子は、もうすっかり冷めていた。
「……は?」
主人公が「お前たちは俺の所有物だ」と宣言し、十人のヤンデレたちが一斉に従ったとき、エンジェルは思わず顔を上げた。
(えっ、立場逆転? 主人公さんが勝ったの? あの人たちを相手に?)
彼女はペンを握り直した。
(いや、待って。そんな簡単にいくわけない。ミカエル様ですら苦戦した相手なのよ。主人公さんが急に強くなったわけでもないし……)
魔導が膝をつき、甘い声で主人公を褒め称える。
その表情を見た瞬間、エンジェルの期待は消えた。
(……あ。これ、駄目なやつだ)
彼女は焼き菓子を口に運びかけ、そのまま止めた。
主人公が威張るたびに、ヤンデレたちの顔が幸せそうになっていく。科学は記録を取り、薬学は小瓶を抱きしめ、魔導は扇子の陰で笑っている。
誰一人として、支配されている者の顔をしていなかった。
(屈服してない。完全に楽しんでる。主人公さんが一生懸命に支配者を演じていること自体を、ご褒美にしてるんだ……)
エンジェルは報告書に一行書いた。
『現地状況:主人公様による対象者の支配を確認――』
そこで手が止まった。
「……違う」
小さく呟き、書いた文字に二重線を引く。
「支配を確認、じゃない。支配されてるのは主人公さんの方でしょうが……」
誰にも聞こえない声で突っ込んだ。
少しだけ、いつもの自分に戻れた気がした。
天界で働いていたころから、彼女はこうだった。上層部が無茶な命令を出せば、心の中で文句を言いながら報告書にまとめる。現場で予想外の事態が起きれば、頭を抱えながら記録する。
そして昼休みには、温かいランチを食べる。
それが彼女のささやかな楽しみだった。
(……今日のお昼、何にしようかな)
ふと浮かんだ考えに、エンジェルは自分でも驚いた。
こんな状況なのに、昼食の心配をしている。
けれど、仕方がないではないか。天界の全軍侵攻だの、世界を滅ぼせるヤンデレだの、主人公の自由が消滅するだの。そんなものばかり相手にしていたら、せめて食事くらい普通に楽しみたくもなる。
(お昼はスープとパンにしよう。できれば温かいやつ。今日は報告書が多いから、食堂でゆっくり……)
「プレイごっこ、飽きたから今度は逆ですわね♡」
魔導の声が響いた。
エンジェルの脳内から、昼食の予定が吹き飛んだ。
「ちょっと待ってください! 今の流れ、どうしてそうなるんですか!?」
思わず声が出た。
十人の視線が一斉にこちらを向く。
エンジェルは凍りついた。
「あっ、いえ、その……独り言です! どうぞお続けください!」
魔導はにっこりと微笑み、主人公の手を取った。
「さあ、ご主人様。今度はわたくしたちに従ってくださいませ♡」
「待て! 俺はお前たちの主人だぞ!」
「あら? 先ほど、ご自分で所有物と仰ったではありませんか♡」
「そういう意味じゃない!」
「では、どういう意味ですの?」
「……っ!」
主人公が言葉に詰まる。
エンジェルは額を押さえた。
「言葉尻を捕まえて所有権を逆転させないでください! それ、法廷でも通らないでしょうが!」
「エンジェルさん、法律に詳しいんですの?」
「天界の規則なら知ってます! でも、あなたたちに適用できるかは知りません!」
「では、試してみましょうか♡」
「試さなくていいです!!」
いつの間にか、エンジェルは立ち上がっていた。
十人のヤンデレたちを前にして、最下級天使が何をできるというのか。頭では分かっている。彼女たちは星を消し飛ばせる。自分の魔力など、彼女たちにとっては小さな灯火にすぎない。
それでも、主人公が困り果てている姿を見ていると、黙っていられなかった。
「主人公さんは、普通に飯を食べて普通に寝たいだけなんですよ! それなのに、どうして所有権だの空間封鎖だの従属薬だの、そんな話になるんですか!」
「エンジェル……!」
主人公が、初めて自分の味方を見つけたような顔をした。
その表情に、エンジェルの胸がわずかに温かくなる。
(……そう。その顔。私が守りたいのは、これなんだ)
しかし、魔導が首を傾げた。
「まあ。エンジェルさんも、ご主人様のことがお好きなのですね♡」
「違います!」
「では、わたくしたちの愛を邪魔なさる理由は?」
「本人が嫌がってるからでしょうが!」
「嫌がるご主人様もかわいいですわ♡」
「会話が成立しない!!」
エンジェルは頭を抱えた。
その瞬間、森羅万象が指を鳴らした。
空間が閉じる。
窓の向こうに見えていた庭が消え、玄関へ続く廊下も、屋敷の外へ通じる扉も、見慣れない壁に置き換わった。
エンジェルはゆっくりと振り返った。
「……あの。私、今日のお昼を買いに行きたいんですけど」
「外出は危険ですわ♡」
「ここにいる方が危険なんですけど!?」
「ご安心ください。食事なら屋敷で用意できますわ」
「そういう問題じゃないんです! 自分で選んで、自分の足で買いに行って、普通に食べたいんです!」
言い切ってから、エンジェルは口を閉じた。
自分の声が、思った以上に切実だったからだ。
主人公がこちらを見る。
その顔には、彼女が何度も見てきた表情があった。
何を言っても通じない。何を望んでも、相手の愛情によって勝手に解釈される。助けられているはずなのに、自由だけが遠ざかっていく。
(……ああ)
エンジェルは、ようやく気づいた。
自分は天界から逃げてきたつもりだった。命令に振り回されるのが嫌で、現地調査の名目で屋敷に居候し、報告書を書きながら時間を稼いでいた。
それなのに、いつの間にか主人公の言葉を記録することに夢中になっていた。
正確に残さなければ。歪められないようにしなければ。誰かが勝手に解釈する前に、自分が本当の意味を守らなければ。
それは正しい仕事だと思っていた。
けれど、今の自分はどうだろう。
主人公の「普通に飯を食って、普通に寝たい」という言葉を、何度も報告書に書き写している。
それなのに、彼が望む普通の食事すら、自分自身ができていない。
「……私、何をやってるんだろう」
手元の報告書を見下ろした。
そこには、主人公の言葉がびっしりと並んでいた。正確に記録したつもりだった。けれど、記録するたびに、自分の中でその言葉が特別なものになっていった。
他の誰にも触れさせたくない。
勝手に解釈されたくない。
自分だけが正確に伝えたい。
そして今、彼女は主人公を助けたいと思っている。
その願いは本物だった。
だが――その願いを叶えるためなら、何をしてもいいのだろうか。
「……エンジェル?」
主人公が呼びかける。
エンジェルは顔を上げた。
「はい。何でしょう、主人公さん」
「いや……助けてくれるんじゃないのか?」
その一言に、胸が痛んだ。
助けたい。
今すぐ、この空間を解除して、彼を外へ連れ出したい。温かい食事を取らせて、静かな部屋で眠らせてあげたい。
けれど、自分にはその力がない。
天界に戻ってミカエルへ直訴すれば、どうなるだろう。命令違反を責められ、報告書の内容を疑われ、主人公の言葉など「異常存在による発言」として処理されるかもしれない。
今まで通り報告を続ければ、天界は侵攻を進める。主人公を救うどころか、さらに大きな戦いを招く。
どちらを選んでも、これまでの自分ではいられない。
エンジェルは、胸元に下げていた天界の通信章を握りしめた。
「……ごめんなさい、主人公さん」
「え?」
「私、あなたを助けたいです。でも、今の私には、この人たちを止める力がありません」
言葉にすると、悔しさが込み上げた。
最下級天使。伝令と報告書作成が仕事。戦闘能力は低く、上層部の命令に逆らえば立場を失う。
自分にできることは、伝えることだけだった。
だからこそ、伝えることだけは間違えたくなかった。
「……なら、せめて」
エンジェルは報告書を開いた。
ペン先が紙に触れる。
『緊急記録:主人公様は「普通に飯を食って、普通に寝たい」と明言。対象者らは当該意思を認識しながら、独自の解釈によって行動を継続している』
そこまで書き、彼女は一度ペンを止めた。
今までは、記録した事実を天界へ送ることが自分の仕事だった。
けれど、この報告をそのまま送れば、天界は主人公の言葉を侵攻の正当化に利用するかもしれない。彼を救うための情報が、彼を傷つける武器になる。
エンジェルは通信章を見つめた。
それは、彼女が天界の命令を受け、報告を送るための証だった。
そして今、初めてそれが重荷に感じられた。
「……私は、天界の伝令です」
誰に向けるでもなく、彼女は呟いた。
「命令を伝える。事実を報告する。それが私の仕事でした」
通信章を外す。
「でも、伝えるべき言葉を、誰かの都合で歪めるのは……私の仕事じゃない」
彼女は通信章を机に置いた。
天界との連絡を断てば、命令違反の疑いは避けられない。最下級天使である自分が、上層部の指示を無視して独断で行動したとなれば、帰還後にどんな処分を受けるか分からない。
それでも、彼女は通信章を再び首に掛けなかった。
「主人公さん。あなたの言葉を、天界の都合で書き換えさせません」
主人公が目を見開く。
「……エンジェル?」
「はい。私はあなたの言葉を記録します。正確に伝えます。でも、それを口実にあなたの自由を奪うことも、あなたの代わりに勝手な命令を作ることも、しません」
そこまで言って、彼女は小さく息を吐いた。
「……少なくとも、今は」
最後の一言は、自分でも驚くほど弱々しかった。
守りたいという気持ちは、確かにある。
しかし、自分が何をしようとしているのか、まだ完全には分からない。主人公の言葉を守ることと、主人公の言葉を絶対の命令にしてしまうこと。その境界は、思っていたよりずっと曖昧だった。
エンジェルは報告書の端に、昼食の予定を書きかけた。
『本日の昼食:温かいスープとパン』
ペンが止まる。
屋敷の外へ出られない。食堂にも行けない。そもそも、ここで食事を取ることさえ、ヤンデレたちが「ご主人様と一緒に」と決めてしまえば、また別の騒動になるだろう。
彼女は、その一行を消さなかった。
「……せめて、お昼くらいは普通に食べたいな」
ぽつりと漏れた声に、主人公が少しだけ顔を緩めた。
「分かる。俺もそう思う」
「ですよね……!」
一瞬だけ、二人の間に平穏が戻った。
「では、お二人ともご一緒にお食事を♡」
魔導が笑顔で告げた。
「空間は整えてありますわ。食卓も、お部屋も、逃げ道もありませんの♡」
「逃げ道まで整えないでください!!」
エンジェルのツッコミが、屋敷に響いた。
主人公も同時に叫んでいた。
「普通に食わせろ!!」
二人の声が重なる。
その瞬間、エンジェルは思わず笑いそうになった。
笑っている場合ではない。状況は何一つ改善していない。天界との連絡を断ち、帰る場所を危うくし、主人公を助ける力もまだ持っていない。
それでも、今だけは。
自分の本当の気持ちを、誰かと共有できた気がした。
エンジェルは報告書を閉じ、胸に抱いた。
(……まずは、主人公さんを助ける。そのために、私にできることを探す)
決意は固まった。
だが、その決意の奥には、別の感情も芽生えていた。
主人公の言葉を守ることが、自分の役割になった。
天界の命令よりも、彼の言葉を優先することを選んだ。
その選択を、彼女は正しいと信じていた。
そして、ほんの少しだけ――その選択をした自分自身が、誇らしかった。
(……私が守るんだ。誰にも、勝手に書き換えさせない)
エンジェルはペンを握り直した。
今度は、同じ言葉を何度も書き写すことはしなかった。
代わりに、一つだけ記録した。
『新規行動指針:主人公様の意思を正確に記録し、伝達する。ただし、本人の意思を私自身の都合で拡大解釈しないこと』
書き終えた彼女は、その一文をじっと見つめた。
「……よし」
小さく頷く。
そして、次の行に、誰にも見せるつもりのない言葉を書き足した。
『備考:本日の昼食は未定。温かいスープとパンを希望』
それは、天界への報告でも、主人公の命令でもなかった。
ただの、彼女自身の願いだった。
エンジェルはその一文を見て、ほんの少しだけ安心した。
自分にはまだ、自分の望みがある。
主人公を守りたい。普通に食事をしたい。報告書を書きたい。天界の命令に振り回されず、自分の判断で動きたい。
そのすべてを、まだ手放したわけではない。
「……よし。まずは、この空間をどうにかする方法を考えましょう」
彼女は顔を上げた。
「主人公さん。私、あなたを助けます。天界の命令ではなく、私自身の意思で」
「……頼む」
「はい!」
力強く返事をしたあと、エンジェルは少しだけ言いよどんだ。
「それと……助け出せたら、お昼をご一緒してもいいですか?」
主人公は一瞬きょとんとし、それから疲れたように笑った。
「ああ。普通に食べよう」
「……はい!」
エンジェルは嬉しそうに頷いた。
その笑顔は、まだどこか普通だった。
けれど、彼女の胸の中では、すでに一つの言葉が特別な意味を持ち始めていた。
――普通に食べよう。
主人公が、自分に向けて言ってくれた言葉。
彼女はそれを報告書に書こうとして、ペンを止めた。
今は、書かなくても覚えている。
自分の意思で、覚えていたいと思ったからだ。
「……ふふ」
小さな笑みがこぼれた。
その笑みが何を意味するのか、彼女自身にもまだ分からない。
ただ、天界へ戻る道は、もう以前と同じではなかった。
伝令・報告書特化。
それが、彼女の役割だった。
そして今、その役割は、彼女自身の意思によって新しくなろうとしていた。
主人公の言葉を守るために。
主人公と普通に食事をする、その日を迎えるために。
――そのためなら、天界に背くことさえ、もう恐ろしくはなかった。




