15――叡智が導く戦乱
## 天使編 天界が検知した「バグ」
天界の監視間。
無数の光のモニターが、地上のあらゆる事象を映し出していた。
その中の一つが、急激に明滅を繰り返す。
『伝説の英雄・主人公の軌跡』
再生回数は、すでに天文学的な数字を突破していた。
イケメンに加工された主人公が、十人のヤンデレに振り回され、逃げ、叫び、時に「孤高の英雄」として美化される映像。
花吹雪の格闘シーン。魔物から守るための別離。無給で働くヤンデレたちの笑顔。
天界の下級天使たちが、困惑した表情で画面を見つめる。
「これ……地上のコンテンツですの?」
「再生数が異常です。神の管理システムにすら負荷が……」
「イケメン加工がすごすぎて、元の人物がわかりませんわ」
その報告は、やがて上位へと伝達された。
しかし、大天使ミカエルは不在だった。
主人公に敗れて以来、完治のために少し場を離れている。
その空白を、誰かが突いた。
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一方、大反省会の後。
ミカエルの言葉により、上級部隊による即時侵攻は延期されていた。
ドミニオンズ以下、各隊は待機を命じられ、天界には一時的な静けさが戻っていた。
すでに下級・中級の精鋭たちは、ことごとく無残な敗北を喫し、**戦闘不能**となっていた。
- アークエンジェル …… 宇宙送りの後遺症で療養中。戦闘復帰不可。
- プリンシパリティ …… 管理者権限喪失と精神的ショックにより情報戦線から外されている。
- パワー …… 腰振り衝撃波による深刻な筋肉損傷で長期療養中。軍団ごと再編成待ち。
- 元・力天使ヴァーチャーズ …… 洗脳状態が解けず、メイド服姿のまま再教育施設で保護観察中。
彼らが次の戦闘に参加することは、一切ない。
(最下級のエンジェルのみは、記録係として制限なく行動可能だった)
その静けさの裏で、光の回廊を一人の智天使が静かに歩いていた。
智天使ケルビム。
神の叡智と秘密を深く理解する存在。
四つの顔と無数の瞳を持つその姿は、地上の事象をあらゆる角度から同時に解析し尽くしていた。
彼はモニターに映る映像を、まるで興味深い文献でも眺めるように見下ろし、口元を僅かに歪めた。
(……ミカエル様が皆を抑え込んだか。論理的には正しい判断です。ですが、それでは物語が停滞してしまいます)
心の中で、冷たく笑う。
(主人公というバグの自由が、少しでも遠のく可能性があるなら……私は動きます。完全な解析結果を、都合の良い形に切り取り、秩序を揺らし、より興味深い展開を観測するために)
「なんと惨めで、不道徳なコンテンツ……。
ミカエル様を倒した英雄が、十人の狂気に囚われ、イケメン加工されて見世物にされているとは。
神の管理が届いておりませんね」
声には感情がほぼなく、ただ正確な事実を述べるだけだった。
ケルビムはすぐに、三大天使のもとへ向かった。
ウリエル、ラファエル、ガブリエル。
三人が並ぶ光の間で、彼は丁寧に頭を下げ、指先一つで映像を展開し、同時に膨大な解析データを光の粒子として空間に展開する。
最初、三人はミカエルの言葉を思い出し、慎重な態度を崩さなかった。
ウリエルが腕を組み、低い声で言う。
「……ミカエルの進言は正しい。今は観察に徹するべきだ。彼自身が敗北を経験している以上、軽挙は禁物だ」
ラファエルが静かに頷く。
「回復の力を司る者として、私も同意する。相手の全容が不明なまま動けば、被害が拡大するだけだ」
ガブリエルが穏やかに息を吐く。
「神の意思を伝える立場として、拙速な判断は避けねばなりません。ミカエル様の判断を尊重しましょう」
ケルビムは、その慎重さを観察しながら、内心で興味を示す。
(……まだ、ミカエル様の影が強い。ですが問題ありません。彼らの正義感と、秩序へのこだわりは、正確なデータと過去の敗北を刺激すれば容易に傾きます)
彼は丁寧な口調で、しかし的確に「叡智」を差し出した。
「ウリエル様、ラファエル様、ガブリエル様。ご覧くださいませ。私が完全解析した結果でございます。
地上では、ヤンデレという名の『バグ』が蔓延しております。
英雄を拘束し、人生をコンテンツ化し、無給で働きながら感謝を強要する――これは、神の秩序に対する明確な逸脱です。
そして……すでに我々の精鋭たちが、次々と敗北を喫し、戦闘不能となっております」
ウリエルが険しい表情でデータを睨む。
「……確かに、異常だ。美化されすぎている。だが、ミカエルの言う通り、今は……」
(まだ抵抗している。ですが、過去の敗北を見れば見るほど、彼の正義感が疼くはずです)
ケルビムは映像を拡大し、解析結果をさらに精密に重ねる。
「ウリエル様。この英雄は、かつてミカエル様を退けた存在でございます。その方が、このような扱いを受けている。
さらに、アークエンジェル様は宇宙送りの後遺症で療養中、パワー様の軍団は腰振りにより全滅し長期療養、ヴァーチャーズ様は洗脳状態のまま再教育中……。いずれも戦闘復帰は不可能な状態です。
神の武を司るウリエル様として、このデータを……この連続した戦闘不能状態を、看過なさいますか? 私の解析では、放置した場合、ミカエル様の敗北が『無駄』として歴史に刻まれる可能性が極めて高いのでございます」
ウリエルの眉が、わずかに動いた。
(……ミカエルの仇、か。確かに、このままでは……下級の連中まで戦闘不能にされている)
ラファエルが眉をひそめる。
「回復の概念すら、『再開ボタン』として悪用されているようですな。癒しが、終わりのない拘束の手段になっている……」
ケルビムは丁寧に続ける。
「ラファエル様。あなた様が大切にしてこられた『癒し』が、このような形で歪められております。主人公が倒れるたび、即座に回復させられ、再び苦痛を強いられる――私の解析では、これは回復の神髄を完全に逆転させた行為でございます。
癒しを司るラファエル様なら、この異常を……そして、すでに癒しの力が敵に利用され、複数の精鋭が戦闘不能となっている現状を、正確に認識できるはずです」
ラファエルの手が、杖を握る力を強めた。
(……確かに。癒しが、愛の名のもとに悪用されている。下級の者たちまでが戦闘不能に……これは看過できないかもしれない)
ガブリエルが静かに息を吐く。
「ミカエルが不在の今、放置すれば地上のシステムが崩壊するかもしれない……。でも、ミカエル様は慎重を期すよう……」
ケルビムは彼女の前に、神の喇叭に関する解析データを静かに、丁寧に差し出す。
「ガブリエル様。神の意思を地上へ届ける喇叭を持つあなた様なら、分かるはずでございます。この『バグ』が広がれば、神の声すら届かなくなる確率は急上昇します。
すでに下級・中級の精鋭たちが次々と戦闘不能となり、ヴァーチャーズ様までが敵の教えに染まっている現状……。ミカエル様の判断は短期的には賢明ですが……時間が経てば経つほど、バグは根深くなり、取り返しがつかなくなります。私の完全解析がその証拠でございます」
ガブリエルの瞳が、わずかに揺れた。
(……神の声が届かなくなる、か。下級の者たちまでがあのような目に遭い、戦力から外れている……それは避けねば……)
ケルビムは満足げに、しかし感情を表に出さず、丁寧に頭を下げた。
(……いい。最初は抵抗していても、彼らの内側にある『正しさ』と、すでに積み重なった戦闘不能の事実を、正確なデータで刺激すれば徐々に傾く。ミカエル様の抑制を、叡智という名の刃で、ゆっくりと溶かしていく)
「ですので、ウリエル様、ラファエル様、ガブリエル様。上位階級への報告を急ぎましょう。
『地上はヤンデレというバグにより崩壊寸前です。すでに複数の精鋭が戦闘不能となっております』――この一文で十分でございます。
ミカエル様が戻られる前に、最低限の備えをしておく。それが、真の慎重さというものかと存じます」
三人の表情が、少しずつ変わっていく。
ウリエルは拳を握りしめた。
(……ミカエルの仇を、このまま放置するわけにはいかん。下級の連中まで戦闘不能にされている。観察だけしていては、遅すぎるかもしれない)
ラファエルは目を伏せた。
(癒しが歪められている現状を、ただ見ているだけなど……私の矜持が許さん。すでにこれだけの戦力が失われている以上……)
ガブリエルは喇叭に手を触れた。
(神の意思を、正しく届けねばなりません。バグが広がる前に……戦闘不能となった者たちの犠牲を無駄にはできない)
ケルビムは、その変化を無数の瞳で正確に記録した。
(……ふふ。序盤は慎重だった彼らが、私の解析と、すでに積み重なった戦闘不能の事実で少しずつ動き始めている。物語は、ここから面白くなる)
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報告は、天界の階層を一気に駆け上がった。
まず、大天使から主天使へ。
主天使たちは統治の観点から危機を察知し、**既に戦闘不能となった部隊を除外した上で**、新たな力天使と能天使の予備戦力に通達を出す。
「奇跡も勇気も、バグの前では意味をなさぬ可能性がある」
「既敗北部隊は戦線から完全に外す。新たな戦力で国境警備を強化せよ。地上への干渉準備を」
さらに上へ。
座天使が厳格な審判の言葉を下す。
「神の玉座を支える我らが、この混乱を看過することはできない」
智天使ケルビム自身が、知識の庫を開き、自らが加工したデータを照合する。
「ヤンデレという概念は、既存の愛の定義を逸脱している。危険因子と認定する。すでに複数の精鋭が戦闘不能である」
そして、最高幹部。
熾天使が、神への愛で燃え上がる声で宣言した。
「地上に巣くうバグを浄化せよ。
英雄を狂愛から解放し、神の秩序を取り戻すのだ」
通達は、下級にまで瞬時に広がった。
権天使が地上国家の監視を強化し、
**既に戦闘不能となった者たちを除く**、残存可能な一般の天使たちに動員令が下る。
「地上はヤンデレというバグにより崩壊寸前です! すでに複数の精鋭が戦闘不能となっております!」
この一文が、天界の**新たな軍勢**を動かした。
光の軍勢が、次々と編成されていく。
大天使を司令とし、**未敗北の**力天使が先陣を切り、能天使が防衛線を張り、戦闘可能な天使が後に続く。
(アークエンジェル、プリンシパリティ、パワー、ヴァーチャーズは、一切この編成に含まれない)
ウリエルが剣を抜く。
彼の目には、もう迷いはなかった。
「ミカエルの仇も、兼ねてだ。観察だけでは、何も守れない。既に戦闘不能となった者たちの敗北を、これ以上重ねるわけにはいかん」
(最初は慎重であるべきだと思っていた。だが、このバグを放置すれば、ミカエルの敗北が無駄になる。俺が動く)
ラファエルが杖を構える。
「回復すら歪められた世界を、正さねばなるまい。癒しの名を汚す者を、許せん」
(序盤はミカエルの言葉に従おうとした。しかし、解析データとこれまでの戦闘不能報告を見るたびに、歪められた回復の姿が脳裏に焼きつく。これは、私の使命だ)
ガブリエルが喇叭を手に取る。
「神の意思を、地上へ届ける。バグが根付く前に、声を届けねばなりません」
(ミカエル様の判断は正しかったのかもしれない。でも……神の喇叭を持つ者として、今動かねば、後悔する。戦闘不能となった者たちの犠牲を無駄にはできない。私は、届ける側なのだから)
智天使ケルビムは、その光景を遠くから眺め、静かに、しかし冷たく笑った。
(……ふふ。最初はミカエル様の言うことを聞いていた彼らが、私の『完全解析』と、すでに積み重なった戦闘不能の事実で少しずつ傾いていく。正義感、矜持、使命感……全部、都合よく刺激できます)
彼の無数の瞳には、純粋な興味と、どこか楽しげな光が宿っていた。
(これで、主人公の『自由』も、少しは遠のくでしょう。
いえ、遠のくどころか……もっと面白い展開になる。
ミカエル様が押さえたはずの動きが、裏でこうして広がっていく。バグを煽る側として、最高の眺めです)
心の中で、彼はすでに次の展開を正確に予測していた。
(天界の新たな軍勢が動けば、ヤンデレたちも対応する。主人公はまた逃げ惑う。その姿を、私は静かに、完璧に観測するだけ。興味深い……本当に、興味深い)
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地上では、まだ誰も知らなかった。
動画配信サービスの再生数が、天界にまで届いてしまったことを。
イケメン加工された主人公の顔が、神のモニターに映し出されてしまったことを。
そして、十人のヤンデレたちが「バグ」認定され、天界の新たな軍勢の標的になったことを。
屋敷では、ヤンデレたちが今日も主人公を囲み、幸せそうに微笑んでいた。
「ご主人様♡ 今日の夜も、楽しみですわね♡」
主人公は天井を仰ぎ、小さく呟いた。
「……なんか、嫌な予感がするんだが」
その予感は、正確だった。
天界の光が、静かに、しかし確実に、地上へと降り始めようとしていた。
そしてその光の裏側で、智天使ケルビムは優雅に、しかし冷酷に微笑み続けていた。
ミカエルが押さえたはずの動きは、彼の「叡智」によって、静かに、しかし確実に動き出していたのだから。
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その光景を、陰からずっと見ていた者がいた。
最下級天使・エンジェル。
彼女は光の回廊の影に身を潜め、智天使ケルビムの動きも、三大天使の変化も、上位への報告が駆け上がっていく様子も、すべてを目撃していた。
報告書の束を胸に抱えたまま、彼女の顔は蒼白だった。
「……だめだ。これ、大変なことになってる……」
声にならない呟きが、喉の奥で震える。
(ミカエル様がせっかく止めたのに……また動き出してる。智天使様が裏で完璧な解析データと、他の者たちの戦闘不能状態を使って煽って、ウリエル様たちも傾いて……上位まで通達が行って、新たな軍勢が編成され始めてる……)
エンジェルの手が、報告書を握りしめて白くなる。
「また私の仕事が増える……いや、それどころじゃない。地上に新たな軍勢が降りたら、また誰かが星になったり、ゲームの報酬になったり、腰振りで飛ばされたり……で、全部私が後始末する羽目になる……」
彼女は頭を抱えた。
(……止めないと。このままじゃ、本当に取り返しがつかなくなる。ミカエル様はまだ戻ってこない。ドミニオンズ様も抑制を解かれかけている。私が……私が何かしないと)
恐怖と責任感が、胸の中でせめぎ合う。
それでも、彼女は決断した。
「……主人公さんのところへ行こう。地上の当事者に伝えれば、何か変わるかもしれない。少なくとも、一方的に降下される前に……」
エンジェルは深く息を吸い、光の回廊から身を翻した。
羽を広げ、天界の境界を越え、地上へと降下する。
風が頬を打ち、雲を突き抜ける。
「私、ただの報告係なのに……どうしてこんな役目まで……」
弱音が零れても、羽ばたきは止まらない。
「でも、止めないと。また悲惨な報告書を書きたくないんです……! 普通に仕事して、普通にランチに行って、普通に帰りたいだけなんですうぅっ!」
悲痛な決意を胸にエンジェルは、主人公の屋敷を目指して降りていった。
天界の光が地上に届くより、少しでも早く。
彼女の小さな反抗が、物語の次のページを、静かにめくり始めていた。




