2 ――天界の大天使、ヤンデレの王国で三十秒で星になる
*
「アークエンジェル様! 最下級天使のエンジェルです!」
「おお、エンジェルか。どうだ? ヤンデレたちの邪悪な支配体制を崩す足がかりは見つかったか?」
「それが……主人公の屋敷に接触を試みたのですが、玄関を開けた危険人物に『新聞の押し売りは結構ですわ♡』とドアを閉められまして……」
「……なんだと? 新聞の押し売り?」
「はい……。名乗る隙すらありませんでした。アークエンジェル様、私はこれからどうすれば……!」
通信の向こうで、アークエンジェルはしばらく黙り込んだ。
「落ち着け、エンジェル。相手は世界の法則すら書き換える怪異だ。新聞の押し売りと認識されたのは、むしろ相手の油断を誘う高度なステルス作戦と言えなくもない」
「ぜ、絶対そんな大層なものじゃないです……っ!」
(上司、無理に前向きに解釈しないでください……! ただの追い返しですよ、あれは……!)
「いや、可能性はある。敵の警戒網を突破するには、こちらも相応の工夫が必要だ」
「そ、そうでしょうか……?」
「よし。もういい。俺が行く」
「えっ!?」
アークエンジェルの声に力がこもった。
「最下級のお前には荷が重すぎたようだな。ならば、この大天使が直接出向き、ヤンデレどもの実力を見極めてやる」
「アークエンジェル様自らですか!?」
「安心しろ。俺の力をもってすれば、どれほどの相手であろうと恐れるに足らん!」
「で、でも、相手は世界の法則を書き換えるんですよ……? しかも十人もいるんですよ……?」
「だからこそ、直接確かめる必要がある!」
エンジェルは不安を覚えた。
(そもそも、今回の任務は潜入調査だったはずですよね……? なんでいきなり武力行使の方向に……?)
しかし、直属の上司がこうと決めた以上、最下級天使にできることはない。
「……どうか、ご無事で」
「任せておけ!」
こうしてアークエンジェルは、意気揚々と人間界へ降り立った。
*
数時間後。王国の大通り。
人間の姿に変装したアークエンジェルは、周囲を見回していた。
身長は二メートルを超え、筋肉は隆々。顔つきも恐ろしく厳つい。
どう見ても、町に溶け込むための変装には失敗していた。
物陰から様子をうかがうエンジェルは、頭を抱えた。
(アークエンジェル様……! それ、変装というより、ただの『怖い人』です……! ステルスどころか、完全に目立ってます!)
しかし、本人はまったく気にしていなかった。
「さて、まずは武力を調べるとするか」
そのとき、路地の向こうから一人の男が歩いてきた。
格闘特化だった。
ランニングを終えたばかりらしく、額の汗を拭きながら満足げに呟いている。
「今日の鍛錬もいい感じだったな……。ご主人公様に報告しなきゃな。あとはプロテインだ」
その姿を見たアークエンジェルの口元に、不敵な笑みが浮かんだ。
「見つけたぞ。十人のヤンデレの一角……! 武力担当か!」
彼は大股で歩み寄り、格闘特化の前に立ちはだかった。
「おい、そこ行く者よ! 我は天界より遣わされし大天使――」
「邪魔だ」
ドゴォォォォォン!!
次の瞬間、アークエンジェルの巨体が空へと吹き飛んだ。
格闘特化が放ったのは、ただの裏拳だった。
相手が誰なのか、何者なのか、そんなことは一切関係ない。目の前に立ちふさがったので、邪魔だから退かした。それだけだった。
(トレーニングの邪魔は許さん。ご主人様への報告が遅れる)
「ぐはぁぁぁぁっ!?」
アークエンジェルは空の彼方へ飛んでいき、やがて小さな星のようになって消えた。
格闘特化は拳を軽く振り、首をかしげた。
「……ん? なんか急に何かが飛んできたな。まあいいや、帰ってプロテイン飲も。ご主人様に今日の記録を報告しねえと」
そして、何事もなかったかのように歩き去った。
物陰から一部始終を見ていたエンジェルは、口を開けたまま固まっていた。
「…………」
数秒後。
「アークエンジェル様ーーーーーーっ!!!!!」
悲鳴が王国の大通りに響き渡った。
天界の威光を背負い、堂々と出撃した大天使。
その実力を見せつけるどころか、名乗りを終えることすらできずに敗北。
潜入開始から、わずか三十秒の出来事だった。
(……三十秒。たったの三十秒で、第八位の大天使が『トレーニングの邪魔』扱いされて星になるなんて……。この国、本当に異常です……!)
*
その日の夕方。
エンジェルは王国の町外れで、天界通信を握りしめていた。
「……どうしよう」
直属の上司は星になった。
主人公への接触は失敗。
しかも、相手は自分たちが想定していた以上の『日常』の化け物だった。
「もう帰りたい……。天界に戻って、普通の雑用をしていたい……」
しかし、任務はまだ終わっていない。
天界に報告すれば、次はさらに上位の天使が派遣されるかもしれない。あるいは、失敗の責任を取らされる可能性もある。
エンジェルは震える指で通信を開いた。
「……あの、どなたか……。アークエンジェル様の回収を手伝っていただけませんか……? お願いです、誰か……」
返事はなかった。
ただ、遠くの空では、ようやく落下してきた大天使が地面に激突する音が響いていた。
ドゴォォォン!!
「ぎゃあああああっ!!」
エンジェルは両手で顔を覆った。
(……もうダメです。この任務、私には荷が重すぎます。上司も星になって、私は一人ぼっちで……)
こうして、天界による王国調査は、開始早々に取り返しのつかない事態へと発展した。
そして王国では、今日も何事もなかったかのように平和な一日が過ぎていくのだった。
(住民の人たち、本当に誰も気にしてない……。この平和が、一番怖いです……)
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