1――最下級天使、ヤンデレ王国に潜入する
番外編――天使、王国に潜入する
天界の会議室。
そこには、厳格な表情を浮かべた天使たちが集まっていた。
議題となっているのは、とある王国の問題だった。
その国には、十人のヤンデレがいる。
彼女たちは圧倒的な力で国家を守護し、治安を維持していた。しかし、その力は国家のためだけに使われているわけではない。
魔導は世界の法則を書き換え、森羅万象は空間や重力を自在に操る。科学と薬学は技術や薬剤を用いて他者に干渉し、監視と潜入は情報を掌握する。慈愛は癒やしの力を持ち、嫉妬は国民的人気と配信を通じて世論を動かす。
さらに、格闘特化、腰振りスペシャリスト、拷問特化の三人は、圧倒的な武力と技術を有していた。
天使たちにとって、これは看過できない問題だった。
「彼女たちは、愛情を理由に世界の秩序を私物化している」
天使の一人が重々しく告げた。
「法則を書き換え、他者の自由意思を侵害する。これは秩序に対する重大な脅威だ」
「しかし、彼女たちは国家を守護している。国民の生活も維持されており、治安も悪くない。単純に討伐するわけにもいかないだろう」
「正面から戦えば、こちらも甚大な被害を受ける可能性がある」
会議室に沈黙が落ちた。
やがて、一人の天使が口を開いた。
「まずは現地の実態を調査すべきだ。彼女たちの支配体制を崩す糸口を探すのだ」
「誰を派遣する?」
天使たちは互いの顔を見合わせた。
そして、会議室の隅に立っていた一人の天使に視線が集まった。
「エンジェル。お前に任せる」
「……えっ?」
呼ばれた天使は、思わず声を漏らした。
エンジェルは天使の階級の中でも最下級に位置する存在だった。
(え、私? 最下級の私が、あの十人を相手に調査だなんて……絶対に無理ですよね? 無理ですよね?)
「人間の姿に変装して王国に潜入し、統治状況を調査せよ。可能であれば、支配体制を崩すための協力者も探すのだ」
「わ、私がですか? 十人のヤンデレを相手に?」
「そうだ」
「……私、最下級天使なのですが」
「だからこそ、相手から警戒されにくい」
エンジェルは言葉を失った。
(警戒されにくいって……ただの使い捨てじゃないですか。天界の命令は絶対、って分かってるけど、私の命運の方が心配なんですけど……)
彼女は逃げ道を探すことを諦め、うなだれながら返事をした。
「……承知しました」
こうして、天界の命運を左右するかもしれない潜入作戦が始まった。
ただし、本人は自分の命運のほうを心配していた。
*
王国に到着したエンジェルは、まず町の様子を調べることにした。
天界で聞いていた話から、彼女は恐怖政治が敷かれた暗い国を想像していた。
(きっと住民たちは怯えながら生活しているはず……。十人の暴走を止めるために、私はここに来たんですから)
しかし、目の前に広がっていたのは、ごく普通の町並みだった。
商人たちは元気よく商品を売り、子供たちは広場を駆け回っている。住民たちは笑顔で談笑し、食堂からは楽しそうな声が聞こえてきた。
「……あれ?」
エンジェルは首をかしげた。
(思ったより平和なんですけど……。むしろ、みんな元気すぎませんか?)
もちろん、町の平和が十人のヤンデレによって維持されていること自体、天界にとっては問題だった。
しかし、住民たちが彼女たちを恐れている様子はない。むしろ、誰もが彼女たちの存在を当たり前のものとして受け入れ、感謝すらしているようだった。
(……これ、私が想像していた「支配」と全然違う。でも油断は禁物です。表向きは平和でも、裏では何かあるはず……!)
「いえ、油断してはいけません。問題は、あの十人が主人公という男性を執拗に束縛していることです」
エンジェルは調査対象の情報を思い返した。
十人のヤンデレに囲まれ、自由を奪われている男性。
彼ならば、彼女たちの回収システムを崩すために協力してくれるかもしれない。
そう考えたエンジェルは、主人公の屋敷へ向かうことにした。
(主人公さんなら、きっと私の話を聞いてくれますよね……? お願いします、協力してください……)
*
主人公の屋敷に到着したエンジェルは、緊張した面持ちで玄関の扉を叩いた。
(深呼吸、深呼吸……。まずは名乗って、天界からの調査員だと伝えれば大丈夫。大丈夫なはず……)
しばらくすると、扉が開いた。
姿を現したのは、魔導だった。
優雅な笑みを浮かべた彼女は、エンジェルを一瞥しただけで結論を出した様子だった。
「こんにちは。少々お時間よろしいでしょうか? 実は皆様に、大切なお話がありまして――」
「新聞の押し売りは結構ですわ♡」
バタンッ!
「…………え?」
エンジェルが名乗る間もなく、扉は閉じられた。
彼女はしばらく、その場に立ち尽くした。
(えっ、ちょっと待ってください……! 新聞の押し売りって何ですか!? 私、天界から派遣された調査員なんですけど!?)
「えっ、ちょっと……! 私は天界から派遣された調査員で……!」
もちろん、扉の向こうには届かない。
一方、屋敷の中では魔導が何事もなかったかのように主人公のもとへ戻っていた。
「ご主人様。玄関に新聞の押し売りが来ていましたので、追い返しておきましたわ♡」
「いや、相手が本当に新聞の押し売りだったか確認しろよ!」
「ご安心くださいませ。必要でしたら、世界中の新聞をすべて取り寄せますわ♡ チャオ♡」
「そういう問題じゃねえ!」
主人公の叫びが屋敷に響いた。
その頃、玄関の外ではエンジェルがうなだれていた。
「……名乗ることすらできませんでした」
天界からの命令を果たすどころか、新聞の押し売りとして処理されてしまった。
最下級天使の彼女にとって、これはあまりにも厳しい現実だった。
(上司に報告したら絶対に怒られる……。いや、それ以前にどうすればいいのよ、この状況……)
エンジェルは涙目で天界通信を開いた。
頼れる相手は一人しかいない。
直属の上司、第八位の大天使――アークエンジェルである。
*
屋敷の居間。
主人公がソファに座って溜息をついていると、魔導が再び近づいてきた。
「ご主人様、押し売りを追い返したお疲れ様ですわ♡ 今日は少し早めに『夜の生活』に入りませんこと?」
彼女は優雅に扇子を開き、いつものように希望を含んだ笑顔を浮かべる。
「今日は特別に、わたくしがご奉仕いたしますわ。ご主人様の疲れをすべて癒やして差し上げますのよ♡」
主人公が即座に拒否の姿勢を取る。
「いや、結構です。普通に飯食って寝たいだけなんで」
「ふふっ……ご遠慮なさらないでくださいませ。ご主人様のためですわ♡」
魔導の笑顔は変わらない。むしろ、裏を取る準備が整ったような、静かな光を宿していた。
エンジェルが玄関でうなだれ、上司に連絡を取ろうとしているこの時も、屋敷の日常はいつも通り――逃げ場のない「愛」に包まれていたのだった。
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