自由への逃走 前編
主人公の屋敷・地下室。
主人公はいつものように、全身を丁寧に拘束されていた。
三日前に逃げて、二日前に捕まり、昨日また逃げて、今日また捕まった。
「……繰り返してるだけじゃねえか。これ、無限ループか? セーブポイントどこだよ」
深いため息が冷たい床に落ちる。拘束具が微かに軋む音だけが響く。
そこへ、明るい声が弾むように響いた。
「主人公様ー♡」
嫉妬が階段を弾むように降りてくる。両手には綺麗に包まれたお弁当。笑顔は朝の太陽より眩しい。
「帰れ」
「差し入れ持ってきたわ♡ 今日は皆で作ったお弁当よ♡ 愛情たっぷり!」
「置いて帰れ。いや、持って帰れ。愛情はいらない、普通の飯が欲しい」
「科学さん監修だから大丈夫♡ 栄養バランス完璧、カロリー計算済み、毒は入ってないって保証付きよ!」
「不安が増しただけだ。……毒が入ってないってわざわざ言うなよ。逆に怖いだろ」
主人公が顔をしかめていると、地下室の奥から低い咳払いが聞こえた。
「相変わらずだな」
振り返ると、そこには老騎士ガルドが壁に寄りかかって座っていた。
王国最古参の騎士。だが、主人公にとっての彼はそれ以上の存在だ。
「生きてたのか」
「勝手に殺すな。俺はまだ現役だ」
老騎士は苦笑する。
「また捕まったのか」
「また捕まった。……四回目だぞ、今週」
「逃げたのか」
「逃げた。完璧に」
「懲りないな」
「そっちこそ。なんでここにいるんだよ、老騎士様」
二人同時にため息を吐く。息が合いすぎていて、嫉妬が目を輝かせた。
「仲良しねー♡ 友情だわ♡ 素敵! 二人とも頑張って!」
「違う」
「違う」
主人公と老騎士が同時に、ほぼ同じトーンで否定する。
嫉妬はますます嬉しそうだった。手を合わせて飛び跳ねる。
「二人とも元気そうでよかったわ♡ じゃあお弁当置いていくね。食べてね? 残したら……残したら、次はもっと愛情を込めて作り直すから!」
「食えねえよ、科学監修の時点で。データ至上主義の飯なんて、数字の味しかしねえ」
「意地悪言わないの♡ みんなで作ったんだから。私、頑張って具を詰めたのよ?」
「……それ、もっと怖い」
嫉妬が出て行った後、地下室内に静寂が落ちる。
老騎士はしばらく黙っていたが、やがて小声で言った。
「逃がしてやろうか」
主人公が固まる。拘束具が微かに軋む。
「……は?」
「聞こえなかったか。逃がしてやろうか」
老騎士の目は真剣だった。地下室の空気が、少しだけ重くなる。
「本気か」
「本気だ」
「なんで」
老騎士は少しだけ笑った。あの、ゲイバーでよく見せる、普通の笑みだ。
「お前、最近笑わんだろ。昔はもっと馬鹿だった。今は疲れた顔ばかりしている。……俺が最初に会った頃の、あの馬鹿面が恋しいんだよ」
「うるせえ。老けただけだ、俺も」
「覚えてるか? オアシスで初めて会った夜だ」
主人公の表情がわずかに緩む。
ゲイバー「オアシス」。お兄さんと一緒に店をやっている、唯一の普通の場所。
そこで老騎士ガルドと出会った。
酒を飲み、愚痴を言い、意気投合した。世界を救った英雄と、ただの老騎士。ただの「普通の夜」だった。
「お前が世界を救った話を聞いたとき、俺はただの騎士だった。でも、あの店でお前とお兄さんの『普通』を見て、親友になれた気がした。……お前は世界を救った。だから今度は、自分のために生きてもいい」
「……馬鹿みたいな話だな」
「馬鹿でいい。俺はお前の『普通』を守りたいだけだ」
主人公は答えられなかった。胸の奥が、少しだけ熱くなる。
その瞬間、ガチャリと地下室の扉が開く。
科学が入ってきた。白いコートの裾を優雅に翻し、タブレットを片手に微笑んでいる。
「検査の時間ですわ♡ 前回のデータから、ストレス値と逃走傾向が上昇しています。今日は詳細に分析しますわね」
「帰れ」
「帰れ」
主人公と老騎士が同時に言う。息が合いすぎて、科学が軽く首を傾げる。
「嫌ですわ♡」
即答だった。微笑みは変わらない。
「数値的に見て、拒否反応は予想通りです。でもご安心を。わたくしの検査は、ご主人様の健康のためですもの♡」
「健康のためなら、普通に寝かせろ。拘束解除して、普通のベッドで寝かせろ」
「拘束は安全確保ですわ。データ上、解除すると逃走確率が98.7%に跳ね上がります」
「……その数字、どうやって出した」
「経験ですわ♡」
その後、扉が再び開く。
魔導が優雅に入ってくる。「チャオ♡」と手を振り、すぐに主人公の拘束状態を確認した。
「あら、また捕らえられていらっしゃいますのね。ご主人様、わたくし以外の視線が気になりますわ。……いえ、気にしませんわ。わたくしがすべて引き取りますもの♡」
「違う! 誰のせいだよ、この状況!」
「ご主人様のためですわ♡」
続けて森羅万象が静かに現れる。周囲の空気が、微かに整う。
「整えましたわ♡ この地下室、少し温度が不安定でしたので。……安全な空間ですわ」
「安全な崖みてぇな言い方すんな。普通の部屋にしろ」
「危険を避けるためです。ご安心を♡」
監視が淡々と記録端末を構え、潜入がすでに壁の影から現れていた。
「記録します。視線回数、前回比で上昇」
「すでに侵入済みです♡ 逃走経路は封鎖済みです」
「なんで毎回来るんだ。……俺の平和はどこ行った」
魔導が優雅に微笑む。
「愛ですわ♡ わたくしたちの、本気の愛ですわ」
主人公は諦めて頭を抱えた。拘束具が軋む。
「……もういい。好きにしろ。俺はもう、何も言わねえ」
しかし老騎士だけは、諦めていなかった。
彼は壁に寄りかかったまま、静かに主人公を見ている。目は、まだ真剣だった。
そして、誰にも聞こえないほどの小声で、もう一度だけ呟いた。
「……逃がしてやる。必ずな」
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