酒場の噂話――世界を救う英雄と、救われない主人公
## 酒場の噂話 ―― 世界を救う英雄と、救われない主人公
夜の酒場。
仕事を終えた男たちが、酒を片手に談笑していた。
「聞いたか? 主人公様が、またヤンデレ様たちの童話ごっこに付き合わされたらしいぞ」
「またか……。今度は何の童話だ?」
「マッチ売りの少女だそうだ」
「……主人公様が?」
「ああ。マッチを全部売り切れば成功、失敗すれば罰ゲームという話だったらしい」
男たちは顔を見合わせた。
「まあ、マッチ売りなら普通の商売だろう?」
「俺も最初はそう思ったんだがな……」
情報通らしい男が、声を潜めた。
「ヤンデレ様たち、主人公様にマッチを売らせながら、機関銃で銃撃していたそうだ」
「…………は?」
「さらにロケットランチャーまで使ったらしい」
「なんでマッチ売りにそんな武器が必要なんだよ!?」
「回避能力を鍛えるためだそうだ」
「鍛える方向がおかしいだろ!」
酒場に笑いと困惑が広がった。
「それで、マッチは売れたのか?」
「いや。爆撃のせいで、荷物ごと全部誘爆したそうだ」
「…………」
「その結果、主人公様は失敗扱いになった」
「原因を作ったのはヤンデレ様たちだろうが!」
「ああ。だが、ルールはルールだそうだ」
男の一人が、頭を抱えた。
「世界最強の男が、マッチを売れなかったという理由で罰ゲームか……」
「しかも、そこからが本番だったらしいぞ」
「まだあるのか!?」
「極寒地獄、灼熱地獄、砂漠地獄。次々と試練を受けさせられたそうだ」
「童話はどこへ行った!?」
「さあな……」
情報通の男は、酒を一口飲んだ。
「ちなみに、主人公様が倒れるたびに慈愛のヤンデレ様が完全回復させて、そのあと全員でディープキスをしていたそうだ」
「…………」
酒場が静まり返った。
「……それは、回復措置なのか?」
「ヤンデレ様たちの認識では、そうらしい」
「そうか……」
誰も、それ以上は追及しなかった。
しばらくして、別の男が口を開いた。
「そういえば、赤ずきんごっこの話も聞いたか?」
「今度は赤ずきんか。主人公様は何の役だったんだ?」
「主人公様自身が赤ずきん役だそうだ」
「それは普通だな」
「ただし、ヤンデレ様たちは主人公様に、自分たちの胎内からもう一度生まれ直してほしかったらしい」
「……何?」
「それで、オオカミを百体用意した」
「待て待て待て! どうしてそうなる!?」
「百体すべてを制限時間内に倒せば、体内回帰ごっこはなし。失敗すれば実行という条件だったそうだ」
男たちは一斉に額を押さえた。
「赤ずきんって、そんな話だったか……?」
「俺の知っている赤ずきんとは違うな」
「俺の知っている赤ずきんにも、胎内回帰はなかったぞ」
情報通の男は、さらに続けた。
「主人公様は次々とオオカミを倒したらしい。だが、魔導のヤンデレ様が、倒したオオカミの腹に大量の石を詰めて復活させたそうだ」
「復活!?」
「しかもゴーレムになったらしい」
「石を詰めるって、そういう意味じゃないだろ!」
「さらに、ヤンデレ様たちはオオカミを食べてパワーアップしたそうだ」
「どうして食べるんだよ!?」
「おばあさん役だから、オオカミを食べるのが童話の再現だそうだ」
「解釈が無茶苦茶すぎるだろ!」
男たちは、もはや笑っていいのか分からなくなっていた。
「それで、主人公様はどうなったんだ?」
「時間切れだ」
「……そうか」
「最後は森羅万象のヤンデレ様が現れて、オオカミもゴーレムもまとめて片付けたそうだ」
「おお! それなら主人公様も助かったんだな!」
男の一人が、ほっと息をついた。
しかし、情報通の男は首を横に振った。
「いや。オオカミを片付けたあと、予定どおり体内回帰ごっこが始まったそうだ」
「…………」
「最初から、それが目的だったらしい」
酒場に、重い沈黙が落ちた。
やがて、隅の席に座っていた老人が、ぽつりとつぶやいた。
「……主人公様は、世界最強の男じゃったな」
「ああ。ルシファーを倒し、ミカエルとも戦った英雄だ」
「それなのに、童話ごっこではマッチを売れず、オオカミ百体を倒せず、最後には望まぬ生まれ直しまでさせられるのか……」
老人は、深いため息をついた。
「世界を救う力があっても、自分の人生を救うのは難しいものじゃな」
誰も反論できなかった。
そのとき、入口近くに座っていた男が、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、最近は人魚姫ごっこまでやったらしいぞ」
「……人魚姫?」
「今度はどんな目に遭わされたんだ?」
「まず、主人公様の両足に巨大な重りを取り付けて、海へ放り込んだそうだ」
「人魚姫の始まりからおかしいだろ!」
「ところが主人公様、海底でも平然としていたらしい」
「なぜだ?」
「過酷な訓練の結果、魚を食べて酸素を得る能力を身につけていたそうだ」
「そんな能力を身につける訓練って何だよ……」
「だが、重りがあるから海底から動けない。そこでヤンデレ様たちは、巨大な碇を投げ込んで主人公様を引き上げたらしい」
「碇で人を引き上げるな!」
「そして海面に上がった主人公様を、王子役のヤンデレ様が抱きかかえた」
「おお、ようやく普通の救出劇か?」
「そのまま口と鼻に同時にキスをしたそうだ」
「…………」
「主人公様は呼吸困難になって意識を失ったが、慈愛のヤンデレ様が回復させた。そのあと、また同じことを繰り返したらしい」
「回復させた意味がねえだろうが!」
男たちは頭を抱えた。
「しかも、人魚姫が陸へ上がる場面では、尾びれを人間の足に変えたあと、左右合わせて一トンの重りを取り付けたそうだ」
「何のために足を手に入れたんだよ!?」
「さらに声を失う原作に忠実だと言って、口にボールギャグを装着。海から現れたのだから服も不要だと、全裸にされたらしい」
「原作に忠実という言葉を辞書で引き直せ!」
情報通の男は、淡々と続けた。
「その状態で、一日以内に城まで来いと言われたそうだ」
「一トンの重りをつけて!?」
「ああ。主人公様は激痛に耐えながら、必死に城を目指したらしい」
「……それで、王子は待っていてくれたのか?」
「城でお茶会に夢中になっていたそうだ」
「待つ気がねえじゃねえか!」
「結局、時間ぎりぎりになって、森羅万象のヤンデレ様が主人公様を城へ転送したらしい」
「だったら最初から転送してやれよ!」
「そのあと結婚式を挙げて、結婚パーティーを開いたそうだ」
「おお! ようやく幸せな結末か!」
情報通の男は、ゆっくり首を横に振った。
「余興として、巨大なドラゴンが現れた」
「どうしてだよ!」
「主人公様は短剣一本でドラゴンを倒したそうだ。しかも、一トンの重りをつけたままでな」
「世界最強は伊達じゃないな……」
「だが、ドラゴンを倒して帰ろうとしたところ、最後の場面だと言って海へ放り投げられたらしい」
「結婚式までやったのに!?」
「ヤンデレ様たちの評価では、大成功だったそうだ」
「主人公様の人生、どうなってるんだ……」
酒場の男たちは、しばらく言葉を失った。
やがて、老人がぽつりとつぶやいた。
「……人魚姫は泡になって消える話じゃったな」
「ああ」
「主人公様の場合、泡になる前に何度も回復させられて、何度も海底へ沈められておるわけか」
「やめろ。想像したくない」
誰かが、そっと酒を飲んだ。
しかし、主人公の受難はまだ終わっていなかった。
「……実はな」
情報通の男が、さらに声を潜めた。
「主人公様、とうとう月へ逃げたらしい」
「月!?」
「地上に逃げ場がないから、瞬間移動の能力を使って月へ行ったそうだ」
「それなら、さすがのヤンデレ様たちも追ってこられないんじゃないか?」
男たちの顔に、わずかな希望が浮かんだ。
「月には怪物が出たらしいが、主人公様が次々と撃退したそうだ。月の住人たちから英雄として称えられ、月のお姫様たちに求婚までされたらしい」
「おお……!」
「ようやく、主人公様にも平穏が訪れたのか……」
男たちは、久しぶりに明るい表情を浮かべた。
だが、情報通の男は首を横に振った。
「森羅万象のヤンデレ様が、主人公様の居場所を察知したそうだ」
「……あ」
「しかも、主人公様が月のお姫様たちと仲良くしていることまで把握していたらしい」
「……ああ」
「十人のヤンデレ様たちは、月全体に重力の異常を発生させて、主人公様を地球へ引き戻したそうだ」
「月にまで干渉できるのかよ!?」
「主人公様が抗議したところ、魔導のヤンデレ様が笑顔で答えたらしい」
情報通の男は、そこで一度言葉を切った。
「『愛の力ですわ!』とな」
「そんな力、あってたまるか!」
酒場に、悲鳴に近い声が響いた。
「そして始まったのが、かぐや姫ごっこだったそうだ」
「……今度はかぐや姫か」
「主人公様を巨大な竹の中に押し込み、竹取の翁役のヤンデレ様が斧で切り始めたらしい」
「主人公様は中にいるんだろ!?」
「ああ。斧が振り下ろされるたびに瞬間移動で避けていたそうだ」
「それはもう、竹取物語じゃなくて殺人未遂だろ!」
「そのあと魔法で主人公様の体を大きくして、竹を突き破らせたらしい」
「ようやく外に出られたのか……」
「ところが、次はビリーズブートキャンプが始まった」
「どうしてだよ!?」
「急激に成長した体には鍛錬が必要だそうだ」
男たちは額を押さえた。
「スクワット、腹筋、腕立て伏せ。休憩を申し出ても重力を操作され、姿勢を維持させられたらしい」
「それは鍛錬じゃなくて拷問だろ!」
「その結果、主人公様の筋肉は見違えるほど鍛え上げられたそうだ」
「……まあ、鍛え上がったのなら、まだいいのか?」
「そのまま月例ボディービルダーコンテストに出場させられ、優勝したらしい」
「かぐや姫はどこへ行った!?」
「主人公様も、そう叫んだそうだ」
男たちは、思わず吹き出した。
しかし、笑いは長く続かなかった。
「そのあと、十人のヤンデレ様が主人公様に求婚したらしい」
「十人全員が!?」
「原作は五人だったはずだが……」
「細かいことは気にしないでくださいませ、ということだったそうだ」
「細かくねえよ!」
情報通の男は、指を折りながら続けた。
「最初は主人公様自身の等身大の像を十体作る試練。次はヤンデレ様たちの等身大の像を十体作る試練」
「それ、求婚の試練なのか?」
「その次は火鼠の皮衣。火に耐える訓練だと言って、主人公様をファラリスの雄牛に押し込んで火をつけたそうだ」
「火鼠の皮衣を手に入れるために、なぜ人間を焼く!?」
「さらに、阿修羅との格闘。主人公様は武器も魔法も使わずに戦ったが、結局、召喚魔法が切れるまで一方的に打ちのめされたらしい」
「勝ってないじゃないか!」
「ヤンデレ様たちは、素晴らしい格闘訓練だったと喜んでいたそうだ」
「評価基準が壊れてる!」
「最後は八岐大蛇との戦い。主人公様は十日間も戦い続けたが、十一日目に森羅万象のヤンデレ様が手を振っただけで、八岐大蛇は消し飛んだらしい」
「十日間の苦労は何だったんだよ!」
「主人公様も、同じことを叫んだそうだ」
酒場の男たちは、もはや笑う気力すら失いかけていた。
「……それで、かぐや姫ごっこは終わったのか?」
「いや。最後の試練が残っていた」
「まだあるのか……」
「大陸全土の人々を相手に戦い、誰一人殺さずに勝てという試練だったそうだ」
「それは難しいな……」
「ただし、失敗すればヤンデレ様たちとの結婚生活は終わりだと言われたらしい」
男たちが顔を上げた。
「……結婚生活が終わる?」
「ああ」
「それなら、主人公様にとっては願ってもない話じゃないか!」
「そうだ。主人公様も、ようやく希望を見いだしたらしい」
情報通の男は、静かに頷いた。
「主人公様は、わざと攻撃を受けて気絶したふりをしたそうだ。これで試練は失敗。ようやく自由になれると思ったんだろうな」
「うむ……」
「ところが、慈愛のヤンデレ様に見破られた」
「まあ、そこまでは想像できるが……」
「魔導のヤンデレ様が、巨大なモビルスーツを召喚したそうだ」
「……モビルスーツ?」
「キュベレイだ」
「童話はどこへ行ったあああああ!」
酒場の男たちが一斉に叫んだ。
「主人公様は、ファンネルのビームを避けながら、鍛え上げた肉体と瞬間移動でキュベレイに立ち向かったらしい」
「素手でか!?」
「ああ。装甲を拳でへこませ、最後には必殺技でキュベレイを破壊したそうだ」
男たちは、思わず息を呑んだ。
「……さすがは主人公様だ」
「世界最強の名に恥じないな……」
「それで、ようやく自由になれたのか?」
情報通の男は、首を横に振った。
「ヤンデレ様たちは、主人公様がそこまでして結婚生活を続けたかったのだと感動したらしい」
「どうしてそうなるんだよ!?」
「主人公様は否定したそうだが、誰も聞いていなかったそうだ」
老人は、両手で顔を覆った。
「……主人公様は、世界を救う英雄じゃった」
「ああ」
「魔王を倒し、天使と戦い、月の怪物を退治し、阿修羅や八岐大蛇とも戦った」
「ああ……」
「その果てに、最後はキュベレイを股間で破壊したのか……」
「言い方を考えろ!」
だが、情報通の男はさらに続けた。
「しかも、ヤンデレ様たちは主人公様の肉体を見て、長年の鍛錬が実を結んだと喜んでいたらしい」
「何のための鍛錬だったんだ?」
「最高の股間を作るためだったそうだ」
「…………」
酒場が、完全に静まり返った。
しばらくして、若い男がぽつりと言った。
「……主人公様は、いったい何と戦っているんだ?」
老人は、深いため息をついた。
「世界を滅ぼす魔王ではない」
「では、何じゃ?」
老人は、遠くを見るような目で答えた。
「愛じゃよ」
誰も笑わなかった。
ヤンデレ様たちは、世界を守ってくださっている。
魔王軍が侵攻すれば撃退し、世界を滅ぼす怪物が現れれば討伐し、次元が崩壊しかければ修復してくださる。
おかげで国民たちは、今日も安心して働き、食べ、眠ることができる。
「ありがたいことだよな」
「ああ。ヤンデレ様たちがいなければ、俺たちはとっくに死んでいたかもしれん」
「本当に、世界の守護者だ」
男たちは、心からそう思っていた。
だが、一人が小さな声で言った。
「……せめて、主人公様だけでも休ませてあげられないものかね」
全員が黙り込んだ。
助けて差し上げたい気持ちはある。
しかし、相手は世界を守る十人の英雄だ。
そのうえ、主人公様への愛情は、魔王軍など比較にならないほど強烈だという。
下手に口を出せば、自分たちまで童話ごっこに招待されるかもしれない。
「……やめておこう」
「そうだな」
「俺たちにできるのは、主人公様の無事を祈ることくらいだ」
男たちは、静かに酒を飲んだ。
そのとき、酒場の入口から若い兵士が駆け込んできた。
「大変です! ヤンデレ様たちが、次の童話ごっこについて話し合っているそうです!」
「……次もあるのか」
「はい! 主人公様が主役になることは、すでに決定しているとか!」
男たちは、そろって天井を仰いだ。
「……主人公様」
老人が、両手を合わせた。
「どうか、ご無事で」
その場にいた全員が、黙って頷いた。
そして翌朝も、彼らは何事もなかったかのように畑を耕し、店を開き、仕事へ向かう。
世界は平和だった。
ヤンデレたちのおかげで。
そして今日も、世界最強の主人公だけが、平和とは程遠い一日を迎えようとしていた。




