王女の推し活、西方大国攻略戦2
【西方大国・国境要塞付近・深夜】
月は薄雲に隠れ、国境一帯は深い闇に包まれていた。
西方大国の国境要塞には、交代で警備兵が配置されている。監視塔は複数の方向を見渡せるように建てられ、防衛術式は正常に稼働し、門には重い封印が施されていた。
その外側には、物資の集積所と騎兵の待機場所。さらに奥には、予備兵力が集まる軍営がある。
大国の国境にふさわしい、堅牢な防衛網だった。
だが、今夜の相手は、正面から大軍を率いて押し寄せてくる敵ではない。
「……配置、確認しましたわ」
監視特化の声が、全員の耳に届いた。
「第一監視塔、兵士六名。第二監視塔、八名。巡回班は二組。通信経路は三系統。異常を検知した場合、最初に北側の中継所へ連絡が入ります」
「では、最初にその連絡を止めましょう」
潜入特化が影の中で微笑んだ。
「警備兵を全員倒す必要はありません。通信と連絡経路を押さえれば、こちらの存在を知られるまでの時間を稼げます」
科学が小型装置を取り出した。
「通信妨害装置を設置します。広域通信を長時間遮断するのは難しいですが、短時間なら可能です」
「よし。行くぞ」
格闘特化が低い姿勢を取った。
次の瞬間、彼の姿が闇へ消えた。
塔の壁面を駆け上がり、窓枠を蹴って最上階へ飛び込む。
「誰だ――」
警備兵が声を上げるより早く、格闘特化の拳がその腕を打った。
剣を抜こうとしていた兵士の手が痺れ、武器が床に落ちる。続く一撃が腹部を捉え、兵士は声もなく膝をついた。
残る兵士たちが一斉に振り向く。
「侵入者だ!」
「騒ぐな」
格闘特化は、迫ってきた剣を紙一重でかわした。
手首を掴み、肘を押さえ、体勢を崩す。倒れた兵士を踏み越え、次の相手の足を払う。
剣を振るう者には間合いを詰め、槍を構える者には柄を押さえて懐へ入る。
一人ずつ、確実に無力化していく。
最後の兵士が壁に背中をつけた。
「ば、化け物……!」
「安心しろ。命までは取らねえ」
格闘特化は兵士の首筋に手刀を当て、意識を落とした。
「上は片付いた。下も頼む」
その頃、腰振りは国境要塞の門の前に立っていた。
巨大な門には、防衛術式を維持するための魔力回路が張り巡らされている。門の内側には複数の固定具があり、外側からの衝撃だけでは簡単に開かない構造になっていた。
正面から破壊すれば、門は開く。
だが、その音と衝撃で敵軍に存在を知らせることになる。
「壊すのは簡単だけど、今回はそういう話じゃないんだよな」
腰振りは腰を落とし、両手を広げた。
「――そこだけ、外れてな」
衝撃波が低く走った。
門全体を吹き飛ばすのではなく、蝶番と固定部、術式の要石だけを正確に打ち抜く。
鈍い音が響き、門を覆っていた光の膜がひび割れた。
重い門扉が、ゆっくりと内側へ開いていく。
「よし。通れるぞ」
「音量は想定内ですわ」
監視特化がすぐに応じた。
「ただし、門の異常を検知した警備兵が確認に向かう可能性があります。残り三十秒で次の区画へ進んでください」
「了解」
潜入特化は、すでに通信中継所へ入り込んでいた。
彼女の手が、壁に埋め込まれた魔導通信結晶に触れる。
光が一瞬だけ揺れた。
警報信号の送信先が変わり、緊急通信の一部が確認待ちの回線へ回される。
「第一報を遅らせました。異常は通常の設備点検として処理されます。二分程度は稼げるはずです」
「二分で十分ですわ」
科学が装置を起動した。
地面に置かれた小型装置から、細い光が広がる。
「広域通信の遮断を開始。三十秒だけです。その間に中継所を通過してください」
「敵の警報は、まだ届きません」
監視特化の声が続いた。
「進路上の兵士は八名。うち三名がこちらに背を向けています。残る五名のうち、二名は交代直前です」
魔導が扇子を開いた。
「では、見つかる前に通り抜けましょうか♡」
彼女が指先を軽く振る。
通路の奥に設置された防衛用の魔術回路が、音もなく停止した。
「……え?」
巡回兵が振り向いた瞬間、格闘特化が背後から接近し、手刀で意識を落とす。
残る兵士たちも、抵抗する間もなく武器を取り上げられた。
「こんなものか」
格闘特化が肩を回す。
「まだ入口ですわよ」
魔導は涼しい顔で答えた。
「それに、ここで油断しては困りますわ。相手は大国。奥へ行くほど、面倒な仕掛けが増えるでしょうから」
森羅万象が一歩前に出た。
「では、こちらも少しだけ整えましょう」
彼女が地面に手をかざす。
通路の石畳がわずかに変化した。
敵側の巡回経路には細かな段差が生まれ、こちらが進む経路は平坦になる。壁際に積まれていた荷物が自然に通路を塞ぎ、兵士たちの移動を妨げた。
「地形を大きく変える必要はありません。相手の動きを少しずつ遅らせるだけで十分ですわ」
「なるほどな」
主人公が頷いた。
「派手に壊すより、そういう方が助かる」
「ご主人様にお褒めいただけるとは、光栄ですわ」
森羅万象が微笑む。
その間にも、薬学は倒れた兵士たちの状態を確認していた。
「呼吸、脈拍ともに安定しています。拘束は必要最小限に。意識が戻った後も、無理に動かなければ問題ありませんわ」
「よし。先へ進むぞ」
主人公が歩き出す。
王女は、その背中を見つめていた。
(ご主人様が一緒にいてくださる……)
胸が高鳴る。
だが、すぐに首を振った。
(いけませんわ。今は国のために集中しなければ!)
彼女は一歩前へ出た。
「皆様、参りましょう。今夜の目的は、西方大国を滅ぼすことではありません。わが国が、もう従属的な条件を受け入れないと示すことです」
その言葉に、全員が頷いた。
一行は、闇の中を進んでいった。
*
【西方大国・第一防衛区画】
国境要塞を突破した一行が、最初の広場へ差しかかった時だった。
「止まれ!」
鋭い声が響いた。
広場の向こうから、盾を構えた兵士たちが現れた。
先頭には、重装備の守備隊長がいる。その後ろには槍兵が二列、さらに弓兵が壁際へ展開していた。
さすがに大国の防衛部隊だった。
こちらの侵入を完全に察知したわけではないが、異常を認めて迎撃態勢を整えている。
「侵入者は武器を捨てろ! 抵抗すれば容赦はしない!」
格闘特化が前へ出た。
「……ようやく相手が出てきたか」
「待て。殺すなよ」
主人公の声に、格闘特化が振り返った。
「分かってるって」
守備隊長が剣を振り下ろす。
「全員、突撃!」
盾の列が前進した。
槍が一斉に突き出され、背後から弓兵の矢が放たれる。
正面から受ければ、少数のこちら側が押し潰される布陣だった。
しかし、森羅万象が静かに手を上げた。
「その配置では、足元が疎かになりますわ」
地面が波打った。
大きく崩れるほどではない。
だが、盾兵が踏み出した足の下だけがわずかに沈み、槍兵の足元には小さな段差が生まれる。
前列の動きが乱れた。
「な、何だ!?」
「足元を見ろ!」
その一瞬を、格闘特化は逃さなかった。
盾の上縁を踏み、跳び上がる。
空中で身体を捻り、先頭の兵士の肩を踏み台にして、盾壁の内側へ着地した。
「悪いな。通らせてもらうぜ!」
肘が鎧の継ぎ目を打つ。
盾を持つ腕が下がり、兵士が膝をついた。続いて、二人目の武器を弾き飛ばし、三人目の足を払う。
盾壁の端が崩れた。
「今だ!」
腰振りの衝撃波が、崩れた隙間へ走る。
狙いは兵士の身体ではなく、盾同士を固定していた連結具だった。
金属音が連続して響き、盾の列がばらばらになる。
「盾壁が崩れたぞ!」
「立て直せ!」
だが、立て直す時間は与えられなかった。
魔導が扇子を閉じる。
「少々、失礼いたしますわ♡」
広場の左右に設置されていた防衛砲の魔術回路が、同時に光を失った。
砲門が沈黙し、増援を呼ぶ警報柱も停止する。
「防衛設備、無力化完了ですわ」
「いつの間に……!」
守備隊長が振り返る。
その視線を、嫉妬が見逃さなかった。
「あら、隊長さん。今、右側が気になったわね♡」
彼女は戦場を見渡しながら、次々と敵の動きを指摘していく。
「そこの槍兵、前の人が倒れて動揺してる。後ろの弓兵は指示が来なくて狙いが定まってない。あっちの副隊長さんは、隊長さんの顔色ばかり見てるわよ!」
「おい、実況してる場合か!」
主人公が突っ込む。
「重要な情報よ♡」
嫉妬が笑った。
「相手が何を怖がっているか、どこで迷っているか。それが分かれば、戦いはもっと簡単になるの!」
守備隊長が怒鳴った。
「黙れ! 全員、前へ出ろ!」
その命令に従おうとした兵士たちの足元が、再び揺れた。
森羅万象が微笑む。
「指揮を統一するのは大切ですわ。でも、全員が同じ方向へ動くなら、こちらも対処しやすくなります」
兵士たちが一斉に前進した結果、狭い通路で互いにぶつかり、隊列が乱れた。
その隙に、潜入特化が守備隊長の背後へ回る。
「失礼します」
膝裏を打たれた隊長が体勢を崩す。
振り返ろうとした腕を押さえられ、剣を奪われた。
「隊長!」
「動くな!」
格闘特化が隊長の首筋へ手刀を当て、意識を落とした。
戦闘開始から、わずかな時間だった。
盾壁は崩れ、防衛砲は沈黙し、指揮官も無力化された。
それでも、主人公は倒れた兵士たちを見回した。
「……薬学、確認を頼む」
「承知しましたわ」
薬学がすぐに駆け寄る。
「こちらの三名は打撲、二名は捻挫です。命に別状はありません。骨折の疑いがある者は固定します」
「よし。先へ進むぞ」
主人公は兵士たちの武器を遠ざけ、通路を確保した。
王女は、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
数では負けていた。
相手は訓練された兵士たちであり、守備隊としての役割を果たそうとしていた。
それでも、仲間たちは一人ひとりの力を発揮し、互いの弱点を補い合っていた。
「……すごい」
思わず漏れた言葉に、魔導が振り返った。
「何をおっしゃいますの、王女殿下。まだ始まったばかりですわ♡」
*
【西方大国・軍事指揮所】
第一防衛区画の警報が遅れて届いた頃、軍事指揮所では異変が広がり始めていた。
「国境要塞との通信が途絶えました!」
「第一防衛区画からの報告は?」
「確認中です! 通信中継所からも返答がありません!」
指揮官たちが地図の前に集まった。
大国の軍事施設には、複数の連絡経路と予備の指揮系統が用意されている。一つの拠点が沈黙した程度で、全体が崩れることはない。
そのうえ、この地域には予備部隊の駐屯地があり、異常が続けば騎兵伝令と別系統の通信網を使って増援を動かすこともできた。
だからこそ、指揮官たちは冷静に状況を把握しようとした。
「敵は何人だ?」
「不明です。ただ、国境門の防衛術式が停止しています」
「侵入者の規模を確認しろ。外部から軍が押し寄せている可能性もある」
「周辺の街道を封鎖しますか?」
「まだ判断するな。状況が分からないまま兵を動かせば、別の防衛区画に穴が開く。まずは正確な情報を集めろ」
その判断は、間違っていなかった。
大国の軍事指揮官として、彼らは状況を把握し、部隊を温存しようとしていた。
その瞬間、室内の灯りが揺れた。
科学が設置した装置によって、周辺の通信回路が短時間だけ遮断されたのだ。
「通信が落ちた!?」
「予備回線を使え!」
指揮官たちが慌ただしく動き始める。
しかし、彼らが予備回線を切り替えた時には、潜入特化がすでに別の通信経路へ入り込んでいた。
「こちら、潜入特化。指揮所の位置を確認しました。警備兵は十二名。奥に指揮官らしき人物が四名います」
監視特化が応じる。
「了解。外周の警備配置を共有します。南側の扉は三十秒後に巡回兵が通過。北側の廊下は現在、無人です」
「では、北側から入ります」
潜入特化は、扉の鍵を静かに解除した。
その先には、警備兵が二人立っていた。
「誰だ?」
彼女は返事をしなかった。
一歩で距離を詰め、最初の兵士の腕を押さえる。続く一撃で武器を落とさせ、もう一人が剣を抜く前に背後へ回った。
二人とも、声を上げる間もなく倒れた。
「通路確保。科学さん、装置をお願いします」
「了解ですわ」
科学が小型装置を設置する。
指揮所の通信回路が、外部への信号だけを遮断した。
内部の照明や生命維持設備には影響を与えない。
「これで、外部からの指揮命令は届きません。内部の記録装置も停止させていませんので、後で状況を確認できます」
「完璧ですわね」
魔導が微笑んだ。
「では、指揮官の皆様に、少しだけお話を聞いていただきましょうか♡」
扉が開いた。
「なっ……誰だ!」
指揮官たちが立ち上がる。
一人が剣を抜こうとしたが、その手首を格闘特化が押さえた。
「動くな」
別の指揮官が机の下へ手を伸ばす。
その瞬間、嫉妬が声を上げた。
「あっ、その人、警報用の魔石に手を伸ばしてるわ!」
「ちっ!」
魔導の指先から、小さな光が走った。
魔石の起動回路だけが消え、警報は鳴らなかった。
「……お前たちは、いったい何者だ!」
指揮官の一人が叫ぶ。
王女が前へ出た。
「わたくしは、南方の小国の王女です」
「王女だと……?」
「はい。今夜、皆様の国との従属的な関係を終わらせるため、ここへ参りました」
指揮官たちの顔色が変わった。
「馬鹿な! たったこれだけの人数で、我が国の軍事施設に侵入したというのか!」
「人数が少ないからこそ、ここまで来られたのですわ」
王女は静かに答えた。
「わたくしたちは、あなた方の兵士全員と戦うつもりはありません。必要な場所だけを押さえ、国王陛下との交渉を求めます」
「そんな要求が通ると思っているのか!」
「通るかどうかは、これから決まります」
王女の声に、迷いはなかった。
主人公が隣に並ぶ。
「余計な抵抗はするな。こちらも無駄に傷つけるつもりはない」
指揮官たちは、主人公の姿を見て息を呑んだ。
周囲には、倒れた警備兵がいる。
だが、血はほとんど流れていない。
それなのに、誰一人として立ち上がれない。
「……この程度の人数で、我が国を脅せると思うなよ」
指揮官の一人が、最後の虚勢を張った。
主人公は肩をすくめた。
「脅しに来たわけじゃない。交渉を成立させに来たんだ」
「何が違う!」
「それを今から説明する。だから、まずは座れ」
主人公の静かな声に、指揮官は言葉を失った。
*
【西方大国・王城下・第二防衛線】
軍事指揮所を押さえた一行は、そのまま王城へ向かった。
だが、王城下の大通りでは、重装騎士団がすでに迎撃態勢を整えていた。
「敵襲! 全員、陣形を組め!」
夜の道路を埋める盾兵。
その後ろには槍兵と魔術兵が並び、さらに後方では騎兵が待機している。
王城を守る精鋭部隊だ。
ここまでの防衛部隊とは、練度も装備も違った。
重装騎士たちは、単に強い武器を持っているだけではない。盾の列を維持する訓練を受け、後方の魔術兵と連携し、敵の突破を防ぐための戦術を身につけている。
さらに、王城の内側には第二の守備隊が待機している。ここを突破されても、すぐに全軍が崩れるわけではない。
「……さすがに、ここは固めてきましたわね」
監視特化が周囲を確認する。
「正面に重装騎士四十名以上。後方に魔術兵。左右の路地にも待機部隊がいます。迂回路を使う場合、到達までの時間は倍以上になります」
「正面突破でいいだろ」
格闘特化が拳を鳴らした。
主人公が即座に釘を刺す。
「暴れすぎるなよ」
「分かってるって」
騎士団長が剣を掲げた。
「小国の分際で、我が国の王城にまで攻め込むとは! 全員、押し潰せ!」
騎士たちが一斉に前進した。
盾が並び、槍が突き出される。
その後ろから、魔術兵の攻撃が放たれた。
火球と雷撃が夜空を走り、道路を埋め尽くす。
「正面から受ける必要はありませんわ」
森羅万象が手をかざした。
道路の石畳が隆起し、敵側の足元に低い壁が生まれる。
魔術兵の放った攻撃は、壁に遮られて軌道を乱した。
同時に、こちら側の足元だけが平坦に整えられる。
「ご主人様、道を作りましたわ」
「助かる」
主人公が短く答えた。
その瞬間、腰振りが前へ出た。
「じゃあ、壁の方は任せな!」
腰を深く落とし、地面を踏みしめる。
放たれた衝撃波が、騎士団の盾を横から叩いた。
狙いは、盾そのものではない。
盾を支える足場と、隊列を固定する金具。
衝撃が伝わると、前列の騎士たちの足が浮き、盾壁の一角が崩れた。
「隊列を維持しろ!」
騎士団長が叫ぶ。
だが、そこへ格闘特化が飛び込んだ。
「維持できるなら、やってみな!」
彼は盾を踏み台にして跳び上がり、前列の頭上を越える。
着地と同時に、先頭の騎士の剣を弾き飛ばした。
続く拳が鎧の胸部を打ち、騎士が後ろへよろめく。
別の騎士が横から斬りかかる。
格闘特化は身体を捻ってかわし、相手の腕を掴んで投げ飛ばした。
「一人ずつ相手してやる。まとめて来い!」
「挑発するな!」
主人公の声が飛ぶ。
「はいはい!」
格闘特化は笑いながら、迫ってきた三人の騎士を次々と無力化した。
その間に、魔導が敵の魔術兵へ視線を向けた。
「後ろから撃たれるのは、少々面倒ですわね♡」
扇子が開く。
彼女の前に、無数の光が集まった。
「波動砲、出力調整。――お静かに願いますわ」
放たれた光線は、魔術兵そのものではなく、彼らの後方にある魔力供給装置を正確に貫いた。
装置が停止し、周囲の魔術陣が次々と消えていく。
「魔術が使えない!?」
「供給が止まっただと!」
「騒がしいですわね。少し静かになさいませ♡」
魔導が扇子を閉じた。
騎士団の後方で混乱が広がる。
だが、騎士たちはすぐに隊列を立て直そうとした。
「魔術兵に頼るな! 盾壁を維持しろ! 後方の予備隊は側面を塞げ!」
騎士団長の指示は的確だった。
彼は混乱を抑え、数の優位を取り戻そうとしていた。
嫉妬は、その動きを見逃さなかった。
「あらあら、団長さん。今、後ろを気にしすぎよ♡」
騎士団長の視線が、一瞬だけ魔術兵へ向いた。
「その隙、いただきますわ!」
嫉妬は味方の動きを観察しながら、敵の迷いを次々と指摘していく。
「左の騎士、仲間を助けようとしてる! 右の騎士は隊列を守ろうとして動けない! 後ろの副隊長さんは、団長の命令を待ってるわ!」
その情報を受け、潜入特化が側面へ回った。
騎士団長の死角を抜け、指揮用の魔導具を奪い取る。
「指揮通信、遮断しました」
「なっ……!」
団長が振り返る。
その瞬間、主人公が前へ出た。
騎士団長の剣が振り下ろされる。
主人公は半歩だけ横へずれ、剣の軌道を外した。
続く突きを手で受け流し、相手の懐へ入る。
一撃。
騎士団長の腕から力が抜けた。
二撃目で足を払われ、重い鎧が石畳に膝をつく。
「ぐっ……!」
主人公は剣を奪い、団長の背中へ回った。
「終わりだ。部下を止めろ」
「……馬鹿な。これほどの人数がいて……!」
「人数がいることと、その人数を使いこなせることは別だ」
主人公は淡々と答えた。
「今、お前たちは連絡を失い、魔術を失い、隊列も崩れた。ここから先は、戦うほど負傷者が増えるだけだ」
騎士団長は歯を食いしばった。
だが、周囲を見れば、すでに勝敗は明らかだった。
盾壁は崩れ、魔術兵は機能を失い、指揮官は拘束されている。
それでも主人公は、倒れた騎士たちを見回した。
「薬学、負傷者の確認を」
「承知しましたわ」
薬学が駆け寄り、次々と状態を確認する。
「こちらは打撲。こちらは腕の骨折です。固定すれば問題ありません。意識を失っている方も、呼吸は安定していますわ」
「よし」
慈愛が、武器を手放して立ち尽くしている騎士へ近づいた。
「もう十分です。あなた方がここで戦い続けても、守りたいものを守れるとは限りません」
騎士は唇を噛んだ。
「だが、我々は王城を守る騎士だ……」
「ええ。だからこそ、ここで無意味に命を捨てる必要はありません」
慈愛は穏やかな声で続けた。
「あなたが守るべきものは、城壁だけではないはずです」
騎士はしばらく黙っていた。
やがて、手にしていた剣をゆっくりと地面へ置いた。
その様子を見て、他の騎士たちも次々と武器を下ろした。
「……投降します」
その言葉を聞いた主人公は、ようやく息を吐いた。
「よし。これ以上の戦闘は必要ない」
王女は、目の前に広がる光景を見つめていた。
誰も死んでいない。
敵の精鋭部隊を相手にしても、仲間たちはそれぞれの力を発揮し、必要以上の被害を出さずに勝利していた。
(お父様……。わたくし、ここまで来ましたわ)
王女は拳を握った。
だが、まだ終わりではない。
本当の目的は、この先にある。
「皆様、参りましょう」
王女は王城を見上げた。
「今夜の決着を、つけに行きますわ」
*
【大陸西方の大国・王城/謁見の間】
謁見の間には、重苦しい沈黙が満ちていた。
玉座の前には、王女と主人公たちが立っている。
周囲を取り囲む近衛兵たちは、武器を構えたまま動けずにいた。
王女たちがここへ到達するまでに、王城を守る精鋭部隊はことごとく制圧されていた。
だが、それは大国の軍事力そのものが失われたことを意味しない。
広大な領土に駐屯する常備軍。国境を守る複数の要塞。各地に配備された騎兵団と魔導部隊。そして、王都へ向かう命令を待つ予備兵力。
この国には、一度の敗北で崩壊するほど脆弱な軍隊しかないわけではなかった。
王は、それを知っている。
そして、目の前の王女たちもまた、知っているはずだった。
「……余の王城にまで踏み込み、何を要求する」
王の声には、怒りと屈辱が滲んでいた。
王女は一歩前へ出る。
「不平等条約の改定ですわ」
「認めん」
返答は即座だった。
「貴国は我が国との条約によって保護され、交易の恩恵を受けてきた。貢納も駐留軍も関税も、すべて両国の秩序を維持するための取り決めだ。それを今さら不平等だと?」
「保護、ですか」
王女は静かに問い返した。
「わたくしの国からの輸出品には高い関税を課しながら、貴国の商品には低い関税しか課さない。こちらが別の交易路を開こうとすれば、通商上の圧力をかける。関税率も貴国の判断ひとつで変更できる。さらに、貢納と駐留軍まで受け入れなければならない」
王女は、相手の目をまっすぐに見つめた。
「それを保護と呼ぶのでしたら、わたくしたちは、いつまで自分たちの国の未来を他国に委ねればよろしいのでしょうか」
「貴様……!」
近衛兵たちがざわめいた。
しかし、王女は一歩も退かなかった。
「わたくしたちは、貴国の領土を要求しているのではありません。貴国の民を従属させたいわけでもありません。ただ、自分たちの国のことを、自分たちで決めたいのです」
「ならば、軍を持って要求を通そうというのか!」
「いいえ」
王女は首を横に振った。
「本日、わたくしたちがここへ来たのは、貴国を滅ぼすためではありません。話し合いの席につく必要があると、理解していただくためです」
「そのために、余の軍を打ち破ったというのか」
「そうですわ」
王女は、言葉を濁さなかった。
「ですが、わたくしたちが貴国の軍を制圧できたからといって、貴国の民に犠牲を強いてよい理由にはなりません。わたくしたちは、この国を占領するつもりも、国王陛下を廃位するつもりもありません」
王は歯を食いしばった。
軍事的には、目の前の相手を侮れない。
しかし、一度の奇襲で王城を制圧されたからといって、広大な領土と膨大な兵力を持つ大国が、ただちに要求を受け入れるわけにはいかなかった。
ここで譲れば、他国に弱腰と見なされる。
各地の総督や軍司令官が、王の判断に疑念を抱く可能性もある。
何より、一度認めた譲歩は、今後の外交交渉において前例となる。
「認めん、と言ったはずだ」
王は玉座の肘掛けを強く握った。
「余は、武力を背景に押しつけられた要求を受け入れるつもりはない。貴国が本当に対等な関係を望むのなら、正規の外交手続きを踏め。余の国には、余の国の法と面子がある」
王女は、しばらく王を見つめていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「承知いたしましたわ」
「……何?」
「本日の場で、条約の改定を認めていただけるとは思っておりませんでした。ですが、協議そのものを拒絶なさるのでしたら、わたくしたちも、今後の対応を考えなければなりません」
王女の声は、最後まで穏やかだった。
「わたくしは、正式な協議の場を設けることを要求いたします。貢納、駐留軍、関税、通商上の制限。これらを一つずつ議題にし、双方の代表が交渉するのです」
「交渉したところで、貴国の要求が通るとは限らんぞ」
「もちろんですわ」
王女は微笑んだ。
「交渉とは、そういうものでしょう?」
その言葉に、王は一瞬だけ口を閉ざした。
王女は、さらに続ける。
「わたくしたちは、貴国のすべての要求を拒絶するつもりはありません。互いに必要な取り決めがあるのなら、話し合えばよいのです。ただし、一方だけが利益を得て、もう一方だけが負担を背負う仕組みは、改めていただきます」
「……貴国が、今後二度と我が国に逆らわぬという保証はあるのか」
「ありませんわ」
王女は即答した。
「わたくしたちの国が自らの意思で決断する以上、その結果まで、他国に保証していただく必要はありません。貴国が貴国の国益を守るように、わたくしたちも、自分たちの国益を守ります」
「ならば、貴国が再び軍備を整え、我が国へ攻め込む可能性もあるということだな」
「貴国がわたくしたちの国を従属させようとするなら、自国を守るために備えることになるでしょう。ですが、こちらから貴国を支配するつもりはありません」
王女は、玉座の前から動かなかった。
「わたくしたちが求めているのは、立場の逆転ではありません。対等な関係です」
王は、長い沈黙の末に口を開いた。
「……正式な協議を開くことは認めよう」
王女の表情が、わずかに和らぐ。
「ありがとうございます」
「ただし、今日ここで示された要求を、そのまま受け入れると約束したわけではない。条約の改定については、各省と軍の意見も聞いたうえで判断する。関税の変更ひとつ取っても、我が国の商人や財務に影響が出る。貢納を廃止すれば、これまでの財政計画も見直さねばならん」
「承知しておりますわ。だからこそ、正式な協議が必要なのです」
「交渉が決裂した場合は?」
「そのときは、そのときですわ」
王女は、はっきりと答えた。
「わたくしたちは、わたくしたちの国を守るために行動します。ですが、話し合いを続ける意思がある限り、こちらから交渉の席を捨てるつもりはありません」
王は、目の前の王女を見据えた。
小国の王女。
本来なら、大国の王城に乗り込み、これほどの要求を突きつけることなど許されない立場だ。
だが、彼女はここまで来た。
軍事力を背景に要求を通すことはできる。少なくとも、今日この場では。
それでも、彼女は条約の即時破棄を一方的に宣言するのではなく、交渉の継続を求めている。
王は、それを弱さと見るべきか、あるいは別の強さと見るべきか、判断できずにいた。
「……よかろう。後日、双方の代表による協議を開く。それまで、貴国の要求に対する回答は保留とする」
「ありがとうございますわ」
「勘違いするな。余は、まだ何も認めておらん」
「ええ。ですから、これから話し合うのですわ」
王女は一礼した。
その横で、主人公が小さく息を吐く。
「……とりあえず、今日のところはここまでか」
「そうですわね」
「じゃあ、帰るぞ。俺は一晩中、兵士たちを相手にしていたんだ。これ以上、王様の面子のために立ち続けるのは勘弁してくれ」
「ご主人様、最後まで締まりませんわね♡」
「お前の推し活のせいだろ!」
謁見の間に、場違いな声が響いた。
王は、そのやり取りを見ながら、深々とため息をついた。
この王女は、厄介だ。
そして、その隣にいる男たちは、もっと厄介だった。
*
【大陸西方の大国・王城の外】
夜明け前。
王城の外では、負傷者の手当てが続いていた。
主人公たちは、敵兵を殺すことなく制圧し、捕虜となった兵士たちにも必要な治療を受けさせていた。
大国側の兵士たちは、まだ困惑している。
自分たちの王城が制圧された。
それほどの戦力を持つ相手が、占領も略奪も要求せず、負傷者の治療を済ませると撤退しようとしている。
理解できないのも無理はなかった。
「……本当に、これで帰るのか」
王女が尋ねると、主人公は頷いた。
「王様は正式協議を認めた。今はそれで十分だ。ここで居座れば、相手に余計な反発材料を与えるだけだからな」
「ですが、条約の改定はまだ決まっておりませんわ」
「分かってる。今日の勝利と、交渉の成立は別の話だ」
主人公は、城門の向こうに広がる街を見た。
「この国には、まだ軍隊がある。遠方の要塞にも兵士がいるし、王都の敗北を知れば、各地の軍が動くかもしれない。ここで戦いを長引かせたら、相手も本気で国全体を動かさざるを得なくなる」
「……ええ」
「俺たちができるのは、交渉の席を用意させるところまでだ。その先は、王女と王女の国が決めることだろ」
王女は、ゆっくりと頷いた。
「分かっておりますわ。わたくしたちが本当に手に入れなければならないのは、この国の王城ではありませんもの」
「そういうことだ」
王女は、振り返って王城を見つめた。
ここで条約の改定が決まったわけではない。
大国が要求を受け入れたわけでもない。
これから先、長い交渉が待っている。
相手の国内には、貢納や関税によって利益を得てきた者たちがいる。駐留軍の撤退に反対する軍人もいるだろう。交易条件が変われば、商人たちの利害も揺らぐ。
簡単に決着する問題ではない。
それでも。
「……ようやく、話し合いの席に立てましたわ」
王女は、朝焼けの空を見上げた。
「ここからは、わたくしたちの仕事です」




