王女 祝賀会
# 番外編――王女の推し活、最終試験合格パーティー
*
【ゲイバー「オアシス」・夜】
ネオンが薄く灯るカウンターに、今夜はいつも以上に多くの女性が集まっていた。
魔導、森羅万象、嫉妬、慈愛、科学、薬学、監視特化、潜入特化。
さらにエンジェルとリリム、そして主役の王女まで加わっている。
カウンターの向こうでグラスを磨いていたお兄さんは、顔ぶれを見渡し、深々とため息をついた。
「……また来たのか。しかも今夜は合格パーティーだと? ずいぶん大所帯じゃねえか」
その声に、常連客たちがそっと顔を見合わせた。
「おい……今日はいつにも増して近寄らないほうがよさそうだぞ」
「そりゃそうだろ。あの方々が勢揃いしてるんだ。下手に目が合っただけで、何の話に巻き込まれるかわからん」
「でも、王女殿下もいらっしゃるぞ。いったい何の集まりなんだ?」
隣の客が、声を潜めて答えた。
「夜の生活指導の最終試験に合格したらしい。主人公様を捕獲する試験だったとか」
「……捕獲?」
男は思わず聞き返し、すぐに口を閉じた。
「いや、いい。詳しく聞くのはやめておこう」
「賢明だな。知らなければ、巻き込まれる理由もない」
別の常連客は、グラスを持ったまま、女性陣からさりげなく距離を取った。
(国を救った方々だ。もちろん敬意は払う。だが、あの方々の私生活にまで付き合う義理はない)
その隣では、別の男が注文しようと片手を上げかけ、女性陣の視線がこちらを向いた瞬間、何事もなかったように手を下ろしていた。
(……酒なら、あとで頼めばいい。今は目立たないのが最優先だ)
さらに奥の席では、若い常連客が小声で呟いた。
「主人公様、また大変なことになってるんだろうな……」
「同情はするが、助けに行くのはやめておけ。俺たちにできるのは、無事を祈ることだけだ」
「……だな」
誰も表立って口出しはしない。
国を救った英雄たちには敬意を払う。だが、彼女たちの騒動に巻き込まれるのは、また別の話だった。
ここは「オアシス」。常連たちの間では、彼女たちが集まった夜には余計な質問をせず、適度な距離を保つのが暗黙の了解となっていた。
*
カウンターの中央で、魔導が扇子を軽く開いた。
手にはマイク――ではなく、どう見てもただのマドラーが握られている。
「――それでは、これより『夜の生活指導・最終試験合格パーティー』を開催いたしますわ♡ 司会はわたくし、魔導が務めます」
森羅万象が優雅に紅茶を置き、微笑んだ。
「主催はわたくしですわ。皆様が気兼ねなく楽しめるよう、場を整えておきました。今夜は王女殿下の合格を、心ゆくまでお祝いしましょう」
嫉妬が勢いよく両手を挙げた。
「はーい! 盛り上げ担当の嫉妬です♡ 王女様、合格おめでとうございます! 頑張ったわね、本当に頑張ったわ!」
王女が恥ずかしそうに顔を伏せると、嫉妬はさらに身を乗り出した。
「もう、そんな顔しないの! 今日は反省会じゃなくて、お祝いの日なんだから! 失敗したところばっかり思い出さないで、できたことを数えましょう? ねっ、ねっ♡」
「嫉妬、まだ何も話しておりませんわ」
「だって、王女様が今にも泣きそうなんだもの! こういうときは先に褒めておくのが大事なのよ! ほら、拍手! みんな、もっと拍手して!」
嫉妬に促され、カウンター周辺に小さな拍手が広がった。
王女はテキーラ・サンライズのグラスを両手で包み、頰を赤く染めながら頭を下げた。
「皆様……本当に、ありがとうございますわ」
魔導が満足げに頷く。
「王女殿下は、単独でご主人様を捕獲するという難関を突破なさいました。夜の生活までは至りませんでしたが、捕獲段階での完成度は極めて高かったですわ♡」
「そ、そのように改めて言われますと……!」
王女の顔が、さらに赤くなった。
エンジェルがバインダーを開く。
「記録。最終試験、合格。王女殿下の戦術判断および精神的成長を高く評価。なお、捕獲後に発生した硬直については、今後の課題として記録します」
「そこは記録しなくてもよろしいのではありませんこと!?」
「重要な観察結果です」
「エンジェルまで……!」
リリムが腕を組み、珍しく柔らかな表情を見せた。
「まあ、あそこまで頑張っておいて、ご主人様を目の前にした途端に固まってしまうのも、ある意味では健全ですわね」
「リリム様までおっしゃらないでくださいまし……」
「褒めているのですわよ。たぶん」
「たぶん!?」
笑いが起こる。
*
カクテルが進むにつれ、王女の頰はますます赤くなっていった。
テキーラ・サンライズを三杯目まで空けた頃、彼女はカウンターに額をつけ、小さく呟いた。
「……本当は」
「はい? どうなさいました、王女殿下?」
魔導がすかさず身を乗り出す。
王女は顔を上げないまま、酒の勢いに任せて本音を漏らした。
「……本当は、ちゃんと最後まで行きたかったのですわ……」
それまで賑やかだった一角が、すっと静まり返った。
「捕獲までは……頑張れました。ご主人様を抱きしめたときも、嬉しくて……。でも、その先を考えた瞬間に……頭が真っ白になって……動けなくなって……」
王女の声が震え始める。
「わたくし……勉強もしましたし、実技も頑張りましたのに……。いざご主人様を前にすると、恥ずかしくて何もできなくなって……。こんなんじゃ、ご主人様にふさわしくないのではないかと……」
ぽろり、と涙が落ちた。
「うぅ……。本当は、もっと……ご主人様と……!」
とうとう王女は、両手で顔を覆って泣き出してしまった。
嫉妬は慌てて隣に座り、王女の背中をさすった。
「王女様、泣かないで! ねっ、お願いだから顔を上げて? 頑張ったのはみんな知ってるわ。ご主人様を前にして緊張しちゃったんでしょう? 好きな人が相手なら、うまくできなくたって当たり前よ!」
王女は涙目のまま、かすかに顔を上げた。
「で、でも……わたくし、あんなに練習しましたのに……」
「うん、知ってる! だからこそ、悔しいのよね。でもね、練習どおりにできなかったからって、今まで頑張ったことまでなくなるわけじゃないわ! 次にどうするかは、これから考えればいいの。今日はちゃんと合格した自分を褒めてあげなさい♡」
「嫉妬様……」
「それに、王女様は一人で全部できなきゃいけないわけじゃないもの。困ったら、私たちを頼っていいのよ。遠慮なんていらないんだから!」
慈愛も優しく微笑んだ。
「心の準備と知識は別物ですもの。無理に急ぐ必要はありませんわ。相手を大切に思うからこそ、緊張することもあります」
森羅万象が静かに紅茶を一口啜る。
「焦らず、場を整える時間も必要ですわね。何事も、準備だけで完成するものではありませんから」
科学が眼鏡を直した。
「初回の実践では、事前の想定どおりに行動できないことも珍しくありません。今回の経験を次に活かせばよろしいのですわ」
「科学様……」
「なお、失敗の原因を分析することは有効ですが、今すぐ反省会を始める必要はありません。今日は祝賀会ですから」
「珍しくまともなことをおっしゃいましたわね……」
薬学が小瓶をカチリと鳴らす。
「羞恥心は自然な反応ですわ。無理に抑え込もうとするより、自分の気持ちを受け入れることが先決です。お酒で無理に乗り越えようとするのも、お勧めしませんけれど」
「うっ……」
王女は、手元の空になったグラスを見つめた。
監視特化が端末を覗き込みながら、少しだけ声を柔らかくした。
「映像でも、捕獲後に固まってしまった様子ははっきり記録されていますわ。でも、それ以前の判断と動きは見事でした。そこまで自分を責める必要はありません♡」
「映像は消してくださいまし……!」
「検討します♡」
「今すぐですわ!」
潜入特化も、影から小さく頷いた。
「相手の反応を見て、先回りしすぎずに動く。あの判断は良かったですわ。次も、ご主人様の様子をよく見て行動すればいいと思います」
「皆様……」
王女は涙を拭ったものの、まだ不安そうな表情を浮かべていた。
その様子を見た魔導が、扇子を閉じ、いつになく真剣な口調で告げる。
「大丈夫ですわ、王女殿下。今回の試験は、あくまで単独での挑戦でしたから」
「単独での……挑戦?」
「ええ。ですが、実際にご主人様と向き合う際まで、一人で抱え込む必要はございません」
魔導は周囲の面々を見渡し、優雅に微笑んだ。
「わたくしたちが、きちんと連携して支援いたしますわ♡」
「ええ」
森羅万象が静かに同意した。
「一人で抱え込まず、皆で知恵を出し合えばよろしいのですわ」
嫉妬が勢いよく拳を握った。
「そうよ! 王女様、次は私たちも一緒に考えるからね! 一人で悩んで、こっそり落ち込むのは禁止! 嬉しいことも、困ったことも、ちゃんとみんなに話すのよ♡」
慈愛が微笑む。
「もちろん、王女殿下ご自身の気持ちを大切にしながら、ですわね」
リリムが肩をすくめた。
「まあ、放っておけば魔導が妙な計画を立てかねませんし。私たちが見ていたほうが安全ですわ」
「リリム様、それはどういう意味ですの?」
「そのままの意味ですわ」
エンジェルがバインダーに追記する。
「記録。次回実践時は、複数名による支援体制を検討。王女殿下の精神的負担軽減を優先。なお、支援者による暴走の可能性についても監視を継続♡」
「最後の一文は余計ですわ!」
王女の声に、ようやくいつもの張りが戻った。
その場の面々が、ほっとしたように笑う。
一人で抱え込まなくてもいい。自分の失敗を笑わず、真剣に受け止めてくれる仲間がいる。
その事実が、王女の胸にじんわりと染み込んでいった。
「……皆様」
王女は涙を拭い、深く頭を下げた。
「ありがとうございますわ。わたくし、一人で何とかしなければいけないと思い込んでおりました。でも……皆様に頼ってもよろしいのですね」
「もちろんよ!」
嫉妬が即座に答えた。
「むしろ、もっと頼ってちょうだい! 王女様が頑張ってるのに、私たちが黙って見てるだけなんてできないもの!」
「嫉妬、少し落ち着きなさいませ」
魔導が苦笑する。
「ですが、言っていることは間違っておりませんわ。王女殿下、わたくしたちは仲間ですもの。遠慮は無用です」
「……はい。これからも、どうかよろしくお願いしますわ」
「こちらこそ♡」
「よろしくですわ」
「いつでも相談してくださいね」
カウンターを囲む面々が、次々と頷いた。
こうして、王女とヤンデレたちの間には、新たな絆が静かに育っていった。
――もっとも、その絆が主人公にとって何を意味するのかは、また別の話である。
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その様子を、少し離れた席から眺めていた常連客たちは、複雑な表情で酒を口に運んでいた。
「……おい。なんだか、前より結束が強くなってないか?」
「見なかったことにしろ。俺たちには関係ない」
「いや、主人公様の苦労が増えるのは間違いないだろう」
「それは気の毒だと思うさ。だが、だからといって俺たちが介入していい理由にはならん」
年配の常連客が、静かにグラスを置いた。
「国を救ってくださった方々だ。感謝も敬意もある。だが、あの方々の計画に巻き込まれて無事に帰れる保証はないからな」
若い客が、真剣な顔で頷く。
「俺、さっき目が合っただけで背筋が凍りましたよ……」
「なら、覚えておけ。あの方々が集まっている夜は、注文以外のことを話さない。質問もしない。意見も求められない限り言わない。いいな?」
「……はい。肝に銘じます」
別の男は、女性陣の楽しそうな笑い声を聞きながら、心の中で呟いた。
(主人公様には本当に同情する。だが、俺が助けに入ったところで、問題が一つ増えるだけだ。ここは静かに酒を飲んで帰ろう)
彼はそっとグラスを空け、帰り支度を始めた。
その隣の客も、会計を済ませるタイミングを慎重に見計らっていた。
(今なら目立たずに出られる……。よし、今だ)
誰も声には出さない。
主人公の平穏を願う気持ちは本物だった。だが、自分の平穏を危険にさらしてまで関わるつもりは、もっとなかった。
敬意と距離感。それが、この店の常連たちが身につけた生存術だった。
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店の奥で洗い物をしていたお兄さんは、そんな客たちの様子を横目に見ながら、小さく息を吐いた。
「……また、主人公の苦労が増えるな」
グラスを棚に戻し、カウンターの賑わいに目を向ける。
「あいつは世界を救った英雄だ。だが、本当に守りたいのは、普通に飯を食って、普通に寝られる日常なんだろうに」
お兄さんは首を振った。
「合格パーティーの次は、連携して捕まえに行く計画か。……本人の意向は、ちゃんと確認するんだろうな?」
もちろん、返事はない。
「……聞いちゃいねえか」
彼は諦めたように肩をすくめ、再びグラスを磨き始めた。
ここはオアシス。
どんなに外が騒がしくても、少なくともこの店の中では、誰もが普通に酒を飲み、静かに帰れる場所でありたい。
お兄さんは、そんな願いを込めて、いつものように客へ笑顔を向けた。
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パーティーは夜遅くまで続いた。
ひとしきり泣いた王女は、今度は明るい笑顔で皆にグラスを向けた。
「皆様のおかげで、わたくしは一歩前に進めましたわ。次は……次こそ、ご主人様ときちんと向き合えるようになります!」
嫉妬がすかさず声を張り上げる。
「その意気よ、王女様! でも、焦りすぎちゃ駄目だからね? ご主人様のことも、王女様自身のことも、どっちも大切にするのよ♡ 私たちも全力で応援するから!」
「ありがとうございますわ、嫉妬様!」
「うんうん、その笑顔! やっぱり王女様には笑っていてほしいもの! さあ、せっかくのお祝いなんだから、もう一度乾杯しましょう!」
「ええ、喜んで!」
グラスが軽やかに触れ合う。
魔導は扇子で口元を隠して微笑んだ。
「その意気ですわ、王女殿下。わたくしたちも、きちんと『管理』させていただきますもの♡」
「管理って言わないでくださいまし!」
「おや。皆様の連携を取るためには、管理も必要ですわよ?」
「そういう意味ではありませんわ!」
再び笑いが起こる。
森羅万象が静かに場を整え、嫉妬がさらに盛り上げ、他の面々もそれぞれのやり方で王女を祝福した。
一方、常連客たちは笑い声が大きくなるたびに、少しずつ椅子をカウンターの反対側へ移動させていた。
「……おい、そろそろ帰るか」
「賛成だ。明日も仕事がある」
「お前、さっきからずっと同じことを言ってないか?」
「気のせいだ。とにかく帰るぞ」
彼らは静かに会計を済ませ、女性陣に余計な挨拶をすることもなく店を後にした。
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店を出る頃には、王女の瞳には新たな決意が宿っていた。
(ご主人様……。次は、皆様と一緒に……。今度こそ、もっと上手に向き合えるように……!)
その決意が、主人公の平穏をさらに遠ざけることになるとは、この時点ではまだ誰も本気で想像していなかった。
――いや、少なくとも王女だけは、まったく想像していなかった。
オアシスのネオンが、今夜も静かに夜の街を照らしていた。
そして、その明かりの下を歩く常連客たちは、そろって同じことを考えていた。
(……主人公様。どうか、ご無事で)




