王女 勉強会
**番外編――王女の推し活、「夜の生活指導」第一回講習**
*
【王城・王女の特別応接室】
「――それでは、これより『夜の生活指導』第一回講習を開始いたしますわ♡」
魔導の声が、静まり返った応接室に響いた。
部屋の中央には長机が置かれ、その上にはノート、筆記用具、赤ペン、そして分厚い『夜の生活指導本』が美しく整列している。
受講者である王女は、背筋をピンと伸ばし、一言一句聞き逃すまいと真剣そのものの表情でペンを構えていた。
(……始まりましたわ。わたくしがご主人様にふさわしい存在になるための、最初の一歩。この講習で得た知識を、すべて血肉にしなければ)
「はいっ! よろしくお願いいたしますわ、魔導先生、エンジェル先生!」
講師役の魔導は優雅に扇子を閉じ、隣に控えるエンジェルはバインダーをしっかりと抱えている。
「素晴らしい意欲ですわね。その調子で、まずは基本概念から叩き込んでさしあげますわ♡」
魔導はホワイトボードに、流麗な文字で『第一章:心構えと事前準備』と書き記した。
「夜の生活とは、ただ闇雲に情熱をぶつければよいというものではありません。そこには秩序があり、配慮があり、何よりご主人様に対する絶対的な敬意が必要ですわ」
「な……るほど……!」
王女は猛烈な勢いでノートにペンを走らせる。
(ただ愛を叫ぶだけでは足りない。……わたくしがこれまでやってきたことが、いかに未熟だったか。ご主人様に手を握っていただいたあの瞬間を無駄にはしませんわ)
「ただ愛を叫ぶだけでは、愛の重さに耐えかねてご主人様が逃げ出してしまいます。ですから、段階を踏むことが肝心なのです」
「逃げ出さないための段階……!」
王女の目が爛々と輝く。
「例えば、接近時の距離感。いきなり距離を詰めるのではなく、まずは視線によるプレッシャー、そして香りや気配による存在の刷り込み……これらを完璧にこなして初めて、次のステップに進む資格が得られますわ♡」
「奥深い……! なんと奥深い学問なのでしょう!」
王女は感動のあまり、ペンを握る手に力を込めた。
一国の王女として戦場を駆け抜け、政治を動かしてきた彼女にとって、この「推しを愛するための極限のロジック」は、かつてないほど知的好奇心を刺激する最高峰の教科書だった。
(国家試験より、一級建築士の試験より、わたくしにとってはこれが最重要科目……!)
横で聞いていたエンジェルが、淡々と手を挙げて補足する。
「記録と分析の観点からも補足します。これまでの事例において、事前準備を怠った場合の失敗確率は九四・五%に達しています」
「き、九四・五%……!? なんと恐ろしい数字ですの……!」
「ですがご安心ください。本日の講習内容をマスターすれば、その失敗確率は最小限に抑えられます」
エンジェルが示した資料には、緻密なグラフと確率計算が記載されていた。
王女はその資料を凝視し、さらに真剣な表情を強める。
「わたくし、絶対にマスターしてみせますわ! この日のために王城を制圧してきたと言っても過言ではありませんもの!」
「王城の制圧は別の理由の気がしますけれど、モチベーションの高さは評価いたしますわ♡」
魔導は満足そうに微笑むと、ふと思い出したように扇子を開いた。
「ああ、そういえば。本日の講習では、特別なご褒美を用意しておりますの」
「ご褒美……ですか?」
「ええ。問題に正解するたび、わたくしが企画段階で没にした『主人公様グッズの非売品』を差し上げますわ♡ 市場には一切出回っていない、幻の逸品ですのよ」
王女の動きが、ピタリと止まった。
「……非売品、ですの?」
「はい。例えば、試作段階で破棄された限定フィギュアの原型や、採用されなかったトレーディングカードの特殊仕様など。……ご興味はおありですの?」
王女の瞳が、一瞬で別次元の光を帯びた。
(非売品……! ご主人様の、世に出ることのなかったお姿……! それを、正解するたびにいただける……!?)
「興味など、あるに決まっておりますわッ!!」
王女は机をドン、と叩いて立ち上がりかけた。
「わたくし、全問正解してみせますわ! ご主人様の非売品を、すべてわたくしの手元に……!」
魔導は扇子で口元を隠し、小さく笑った。
(ふふ……。これで王女のやる気は最大限に引き出せましたわね。正解するほどにグッズを与え、依存度を高め、時間を管理する。……包囲網は、着実に完成しつつありますわ♡)
「では、実践的なシミュレーションを行います。もし、ご主人様が突然あなたを拒絶し、『今日は疲れているから一人にしてくれ』とおっしゃった場合、あなたならどう対応しますか?」
王女の動きがピタリと止まった。
室内の空気が引き締まる。
彼女は目を閉じ、数秒間、脳内で極限のシミュレーションを行った。
――愛するご主人様が疲れている。
――しかし、会いたい。触れ合いたい。
――だが、負担をかけてはならない。
――そして、非売品がかかっている。
王女の額に、うっすらと汗が滲む。
「……ふっ」
彼女はゆっくりと目を開け、力強く宣言した。
「『お疲れ様です、ご主人様! では、わたくしが極上のハーブティーを淹れ、全身の疲労物質を乳酸レベルから分解するマッサージを施しつつ、決して視線は逸らさずに愛の言葉を三時間ささやき続けますわね♡』……と答えます!」
魔導は扇子で口元を隠し、目を細めた。
「……おしいですわね」
「はっ……! どこがいけなかったのですの!?」
「拒絶された時点で、相手の意思を尊重するフリをしつつ、実質的な包囲網を敷くのが正解ですわ。逃げ場をなくしつつ、優しさで絡め取る。これが上級者の手口ですのよ♡」
「な、なんと……! 優しさによる完全包囲……!」
王女は目から鱗が落ちたといった表情で、ノートの隅に赤ペンで大きく『優しさによる完全包囲』と書き込んだ。
(次は正解して、非売品を……!)
エンジェルがバインダーにペンを走らせる。
「記録。王女殿下、第一回講習における応用問題に対し、積極的かつ執着的な回答を提示。理解度は極めて良好」
「ありがとうございます! 先生方のおかげで、わたくしの愛の精度が一段階上がりましたわ!」
王女はすっかり満面の笑みを取り戻していた。
*
【講習終了後・課題の提示】
「本日の講習はここまでとなりますわ。お疲れさまでした♡」
「ありがとうございました!」
王女は深く一礼した。
魔導は優雅に立ち上がり、最後に小さな封筒ではなく、厳重に封をされた黒表紙の冊子を差し出した。
「最後に、本日の復習として『宿題』を出させていただきますね♡」
「宿題……ですか!?」
王女の目が期待と緊張で大きく見開かれる。
魔導が差し出したのは、三万字の小論文などではなかった。
『実践・夜の濃厚接触マニュアル:上級者向け応用編(※自主規制版)』
「なっ……!?」
王女の顔が一気に朱に染まった。
それは、本屋のコーナーごと消失し、王城の兵士たちが誰も買ってこれなかったという、伝説の「裏・夜の生活指導本」そのものだった。
「こ、これは……!」
「はい。ただの知識ではなく、実践における『技術』と『心構え』が記された極秘の教科書ですわ。文字通り、一言一句漏らさず脳に焼き付けてくださいませ♡ 明日、抜き打ちテストを実施いたします。正解すれば……もちろん、非売品をお渡ししますわよ?」
隣でエンジェルがバインダーを開き、淡々と記録を始める。
「記録。王女殿下に対し、極秘裏の参考資料『実践・夜の濃厚接触マニュアル』を宿題として配付。翌日の抜き打ちテストへ移行。正解時の報酬として非売品主人公グッズを提示」
王女は冊子を両手でしっかりと抱え込み、潤んだ瞳で強く頷いた。
「承知いたしましたわ……! わたくし、寝る間を惜しんで、このページの隅々まで……! 一滴の例外もなく、頭脳と肉体に叩き込んでみせますわ……! 非売品も、必ず……!」
「素晴らしい返事ですわね。では、明日のテストを楽しみにしていますわ♡」
魔導とエンジェルが優雅に部屋を退出していくと、王女はすぐさま机の灯りを一番明るくし、ページをめくった。
(ご主人様……。わたくしは、もっとふさわしくなりますわ。この本に書かれたすべてを吸収して、次に手を握っていただいたときには、もっと自然に、もっと深く……)
「ふふふ……これぞ、推しを愛する者のための最高峰の試験……。一級建築士の試験よりも、国家試験よりも、わたくしにとっては重要ですわ……! そして非売品も……!」
王城の一室で、未来のヤンデレ最高峰を目指す王女の、あまりにも刺激的で夜を徹した「猛読書(予習)」が始まったのだった。
一方、廊下を歩きながら魔導は扇子で口元を隠して微笑んでいた。
(正解するたびに非売品を与え、依存を深め、時間を管理する。……王女様、あなたはますますこちらのペースに嵌っていくのですわ。勝った♡)




