王城制圧1
# 番外編――王女の推し活、そして王城制圧
*
【王城・王女の私室】
夜。
王女の私室は、普通の王族の部屋ではなかった。
壁一面に飾られた肖像画。棚に整列する限定フィギュア。ベッドには等身大の抱き枕。机の上にはアクリルスタンドがびっしり並び、引き出しの中には未開封のグッズが積み重なっている。
その全てが、主人公のものだった。
先日、監視特化と潜入特化の協力によって手に入れたグッズも、すでに部屋の一角を占領していた。
限定フィギュアは専用のガラスケースへ。
トレーディングカードは傷がつかないよう、一枚ずつ保護ケースへ。
そして、主人公の声を使った特注の目覚まし時計は、枕元の特等席に置かれている。
「……ふふ。素晴らしいですわ」
王女は、ガラスケースの前で満足げに微笑んだ。
「まさか、主人公様のグッズをこれほど集められる日が来るなんて……」
そっと、フィギュアの前に手を合わせる。
「ご主人様。今日も素敵ですわ……」
彼女にとって、主人公のグッズを集めることは、単なる買い物ではなかった。
遠く離れていても、主人公の存在を身近に感じられる。
直接会えない時間も、彼の肖像や声に触れることで、心を満たすことができる。
もちろん、本当は本人に会いたい。
声を聞きたい。
できることなら、直接お話ししたい。
けれど、今はそれが叶わない。
だからこそ、手元にあるグッズを大切にすることが、彼女なりの推し活だった。
「……あとは、ご本人にお会いできれば完璧なのですけれど」
王女は、机の引き出しから一通の手紙を取り出した。
丁寧な封蝋が施された、主人公宛ての手紙だった。
「こちらは三日前に書いたものですわね。こちらは、その前に……」
机の端には、返事を待っている手紙が何通も積み重なっていた。
電話も、何度かけても取り次いでもらえない。
最初は、主人公が忙しいのだと思っていた。
彼の周囲には、数え切れないほどの女性たちがいる。
しかも、その女性たちは普通の恋愛感情では説明できないほど、主人公への愛情が深い。
そんな環境で、王女が簡単に会えるとは思っていなかった。
「ご主人様は、お忙しいのですね……」
彼女は抱き枕を優しく抱きしめ、頰をすり寄せた。
「それでも、わたくしの手紙を読んでいただければ……。少しくらい、お返事をいただけるかもしれませんわ」
そう言って、手紙を封筒に戻す。
彼女はまだ、疑っていなかった。
手紙が届いていないなどとは。
自分の想いを、誰かが勝手に握り潰しているなどとは。
表向きの王女は、気品と威厳を備え、国民から絶対的な支持を受ける存在だ。
王位継承の資格を持ち、戦場では国王の血を引く強さを発揮する。
だが、私室に入った瞬間、彼女はただの限界オタクだった。
「新作の公式イラスト……素敵ですわ。この表情、何度見ても飽きませんわね……」
指先でアクリルスタンドを撫でる。
その目には、甘い光と、どこか病んだ熱が同居していた。
「わたくしがお傍にいれば、もっと休んでいただけるのに。もっと、わたくしだけを見ていただけるのに……」
そこまで口にして、王女は小さく首を振った。
「いけませんわね。推しの幸せを願うのが、ファンの務めですもの」
彼女は主人公のフィギュアに向かって、優しく微笑んだ。
「ご主人様が幸せなら、今はそれで……」
その言葉は、本心だった。
ただし。
その本心の奥底には、まだ本人にも自覚できていない感情が眠っていた。
――それでも、いつかは自分を見てほしい。
――自分の気持ちを知ってほしい。
――できることなら、ほかの誰よりも近くにいたい。
その願いが叶わない時間が積み重なるほど、彼女の中で別の感情が育ち始めていた。
*
【翌朝・王女の私室】
朝。
王女は、主人公の声が録音された目覚まし時計によって目を覚ました。
『おはよう』
「……っ!」
一瞬で、王女の頰が赤く染まる。
「お、おはようございます、ご主人様……!」
思わず返事をしてしまい、彼女は慌てて周囲を見回した。
もちろん、そこに主人公はいない。
「……もう。録音だと分かっておりますのに」
そう言いながらも、目覚まし時計を両手で包み込む。
「それでも、朝一番にご主人様の声を聞けるなんて……。監視特化様と潜入特化様には、後ほど改めてお礼を申し上げなければなりませんわね」
彼女は上機嫌で身支度を整えた。
朝食を済ませ、政務の予定を確認し、侍女たちに微笑みかける。
その姿は、いつも通りの王女だった。
だが、朝食を終えた彼女は、ふと思い出したように侍女長を振り返った。
「そういえば、わたくしが昨日お渡しした手紙は、もう発送していただけましたか?」
侍女長の表情が、わずかに固まった。
「……殿下。その件につきましては、現在、確認を進めております」
「確認?」
王女は首を傾げた。
「昨日の時点では、すでに発送の手配を済ませたと聞いておりましたけれど」
「そ、それは……」
侍女長は言葉を濁した。
王女はしばらく、その顔を見つめていた。
「……まあ、よろしいですわ。ご主人様もお忙しいでしょうし、急かすつもりはありません」
そう言って、彼女は微笑んだ。
「ただ、きちんと届くようにお願いしますわね」
「かしこまりました、殿下」
侍女長は深々と頭を下げた。
王女はその場を離れた。
しかし、侍女長の顔に浮かんだ一瞬の動揺は、彼女の記憶に残っていた。
*
【王城・執務室】
その日の午後。
王女は、政務の合間に主人公の公式グッズを整理していた。
もちろん、政務を放り出しているわけではない。
必要な書類にはすべて目を通し、決裁も済ませている。
彼女にとって、推し活は仕事を怠る理由ではなかった。
むしろ、主人公の存在があるからこそ、日々の政務にも張り合いが生まれていた。
「さて……今日こそ、お電話がつながるとよろしいのですけれど」
彼女は侍女に電話を頼んだ。
しばらくして、侍女が戻ってくる。
「殿下。申し訳ございません。今回も、お取り次ぎできなかったとのことです」
「……そうですか」
王女は微笑んだまま頷いた。
「ご主人様は、お忙しいのでしょうね」
「はい……」
「では、明日、もう一度お願いしますわ」
「かしこまりました」
侍女が退出する。
王女はしばらく、手元の書類を見つめていた。
――また、つながらなかった。
最初のうちは、偶然だと思っていた。
主人公の屋敷には、多くの女性がいる。
その誰かが電話に出られなかったのかもしれない。
忙しい時間帯だったのかもしれない。
手紙も、まだ本人の手元に届いていないだけなのかもしれない。
だから、待った。
一日。
三日。
一週間。
それでも、何も変わらなかった。
返事はない。
電話もつながらない。
手紙を送っても、何の反応もない。
「……ご主人様」
王女は、机の引き出しから、これまでに書いた手紙を取り出した。
一通目。
二通目。
三通目。
数え切れないほどの手紙が、丁寧に保管されている。
「わたくし、何か失礼なことを書いてしまったのでしょうか……」
彼女の声が、少しだけ震えた。
「それとも……」
そこで、言葉が止まる。
頭の中に、最も考えたくない可能性が浮かんだ。
――嫌われたのだろうか。
主人公の周囲には、魅力的な女性たちがいる。
自分よりも彼のことを知っている女性。
彼と長い時間を過ごしている女性。
彼のすぐそばで、笑い合っている女性。
それに比べて、自分はどうだろう。
王女という立場がある。
国民からの支持もある。
戦場で戦える実力もある。
けれど、それらは主人公にとって、何の意味もないのかもしれない。
「……わたくしは、ただの遠い国の王女にすぎないのでしょうか」
王女は胸元を押さえた。
「ご主人様にとって、わたくしは……」
言葉が続かない。
彼女は慌てて首を振った。
「いけませんわ。勝手に悪い想像をしてはいけません」
そして、主人公のフィギュアを見つめた。
「ご主人様は、そんな方ではありませんもの」
そう信じたかった。
いや、信じなければ、今までの自分が崩れてしまう。
だからこそ、彼女は一つの結論にたどり着いた。
「……きっと、わたくしの手紙が届いていないのですわ」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥に小さな希望が生まれた。
嫌われたわけではない。
拒絶されたわけでもない。
ただ、届いていないだけ。
ならば、確かめればいい。
そう考えた王女は、侍女長を呼び出すことにした。
*
【王城・王女の私室】
翌朝。
王女は侍女長を呼び出した。
「わたくしがこれまで送ったお手紙と、お電話の件です」
「は、はい……」
「すべて、ご主人様に届いておりますか?」
侍女長の顔が、わずかに引きつる。
「……殿下、その件につきましては、国事の都合上……」
王女は微笑んだ。
「届いているのか、届いていないのか。それだけを伺っておりますの」
「そ、それは……」
「届いていない、ということですね」
静かな声だった。
だが、部屋の空気が一変した。
侍女長が膝をつく。
「も、申し訳ございません! 側近一同で判断いたしまして、殿下のご予定と外交上の配慮から、直接のご連絡は控えるよう……」
「控える?」
王女の笑みが消えた。
「わたくしが、ご主人様に会いたいと願う気持ちを、あなたたちが勝手に『控えた』のですか?」
「ひっ……!」
「わたくしの想いを、あなたたちが握り潰したのですか?」
侍女長は額を床に擦りつけた。
「殿下の安全と、王国の体面を第一に……!」
「安全?」
王女の声が、甘く、低く落ちた。
「ご主人様に会うことが、危険だと?」
「ち、違います! ただ、個人的な接触が公になると、外交上の問題に発展する可能性が……」
「個人的?」
王女は一歩近づいた。
「わたくしにとって、ご主人様は個人などではありません。わたくしの全てです。世界の中心です。あなたたちに、それを理解する資格などありません」
侍女長が震える。
「ですが、殿下。あちらには、すでに多くの女性が……」
「存じておりますわ」
王女の声が、鋭くなった。
「それが何か?」
「い、いえ……」
「わたくしは、あの方たちの存在を知ったうえで、正規の手段を選びました。勝手に屋敷へ押しかけることもせず、無理に面会を要求することもせず、手紙を書き、電話をかけ、返事を待ちました」
王女は、机の上に積まれた手紙を指さした。
「これだけの時間をかけて、わたくしが何をしていたと思います?」
侍女長は答えられなかった。
「ご主人様に、わたくしの気持ちを知っていただきたかったのです。わたくしが、どれほどあの方を大切に思っているか。それを、ご本人に伝えたかった」
王女の指先が震えた。
「なのに、あなたたちは……」
声が途切れた。
怒りよりも先に、悲しみが押し寄せていた。
自分が書いた手紙。
何度も勇気を出してかけた電話。
返事を待ちながら、期待していた時間。
そのすべてが、本人に届くことすらなかった。
「……ご主人様は、わたくしの手紙を一度も読んでいなかったのですね」
「殿下……」
「電話にも、出ようとしてくださらなかったわけではない。あなたたちが、最初から取り次いでいなかった」
王女はゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
だが、その奥では別の何かが、静かに燃え始めていた。
「……では、わたくしが嫌われたのかどうかも、分からないのですね」
侍女長は、何も答えられなかった。
「ご主人様が、わたくしに会いたくないと仰ったわけではない。お返事をしたくないと仰ったわけでもない」
王女は、一語一語を確かめるように呟いた。
「あなたたちが、勝手に決めたのです」
「殿下のためを思ってのことでございます!」
「わたくしのため?」
王女は笑った。
その笑みは、今までのどの笑みよりも冷たかった。
「わたくしのためだと仰るのなら、なぜ、わたくしが泣きながら手紙を書いていたことをご存知なのに、止めなかったのです?」
侍女長の顔から血の気が引いた。
「なぜ、電話がつながらないたびに、わたくしが自分を責めていたことをご存知なのに、何も仰らなかったのです?」
「それは……」
「なぜ、わたくしが主人公様のグッズを集めて、少しでもあの方を身近に感じようとしていたことをご存知なのに、その一方で、本人との接触だけを奪ったのです?」
王女は、机の上のフィギュアを見つめた。
あれほど嬉しかったグッズが、今は妙に遠く感じられた。
主人公の姿はある。
声もある。
だが、本人はいない。
そして、自分が本人に近づこうとする道を、身近な人間たちが塞いでいた。
「……わたくしは、もう待ちません」
侍女長が顔を上げる。
「殿下……?」
「これまで、あなたたちを信じておりました。わたくしの手紙を届けてくれると。電話をつないでくれると。わたくしの想いを、正しく伝えてくれると」
王女は静かに言った。
「ですが、もう信じられません」




