エンジェル コンビニで本を買う
# 番外編――婚姻届攻略作戦会議
【王国・コンビニ】
「……なるほど。そういう本もあるのですね♡」
雑誌コーナーの前で、エンジェルは真剣な顔をしていた。
きっかけは、以前読んだ一冊の本だった。
夜の生活について詳しく書かれた本を手に取って以来、エンジェルはすっかり読書にハマっていた。
もっとも、その読書傾向はかなり偏っていた。
恋愛指南書、夫婦生活の解説書、男女関係の心理学、結婚に関する実用書。
見つけては購入し、屋敷に持ち帰って読み込む。
その結果、エンジェルの知識は日々増えていた。
方向性が正しいかどうかは、別問題だったが。
そして今日、彼女は雑誌コーナーで一冊の雑誌に目を留めた。
「結婚情報誌……。結婚式場の選び方から新生活の準備まで、いろいろ載っているのですね」
表紙をめくり、内容を確認する。
すると、付録の案内が目に入った。
「……婚姻届?」
エンジェルの手が止まった。
「まあ♡ こんな雑誌に、婚姻届が付いているのですか?」
彼女は周囲を見回した。
結婚情報誌の付録として、婚姻届が用意されている。
つまり、これを買えば婚姻届を手に入れられるということだ。
「これは……重要な情報です♡」
エンジェルは雑誌を抱きしめた。
「主人公様との将来を考えるうえで、ぜひとも確認しておかなければなりませんね♡」
誰にとって重要なのかは、ひとまず置いておこう。
エンジェルは雑誌を持ってレジへ向かった。
「これください♡」
店員は雑誌を受け取り、レジを操作した。
「千八百円になります」
「はい♡」
エンジェルは代金を支払い、雑誌を受け取った。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございます♡」
店を出たエンジェルは、雑誌を大事そうに抱え直した。
「ふふふ……。まさか、こんな身近な場所で婚姻届が手に入るとは思いませんでしたわ♡」
彼女は屋敷へと歩き出した。
「これを使えば、皆様もきっと喜んでくださいますね♡」
その笑顔は、何かを企んでいるときのものだった。
*
【王国・主人公の屋敷・地下作戦室】
「皆様、少々よろしいでしょうか♡」
エンジェルが地下作戦室に入ってきた。
魔導、薬学、科学、潜入特化の四人が、机を囲んでいた。
「どうしたの、エンジェル?」
科学が尋ねた。
「実は、こちらを購入してまいりました♡」
エンジェルは、持っていた雑誌を机の上に置いた。
「……結婚情報誌?」
魔導が表紙を見つめた。
「ええ♡ 結婚式や新生活について、さまざまな情報が載っているのです。そして……付録に、これがあります」
エンジェルは雑誌から付録を取り出した。
机の上に、一枚の紙が置かれる。
そこには、婚姻届と書かれていた。
「…………え?」
四人の視線が、一斉に紙へ集まった。
「こ、これが……婚姻届……!」
薬学が息を呑んだ。
魔導はゆっくりと立ち上がり、両手で婚姻届を持ち上げた。
「まあ……♡ これに主人公様のお名前を書いていただければ……毎朝おはようのキスをして、おいしいお料理を食べて、夜は一緒のお布団で――」
「具体的な妄想は後にして!」
潜入特化が冷静に遮った。
エンジェルはバインダーを開き、主導権を握るように説明を始めた。
「皆様。昨日、主人公様が『俺は今は結婚するつもりはない』とおっしゃっていたのを、覚えていらっしゃいますか?」
「……ええ」
薬学の顔が少し青ざめた。
「主人公様は、結婚そのものを望んでいらっしゃらない可能性があります。このまま何もしなければ、何年経っても答えはわからないかもしれません」
エンジェルは婚姻届に目を落とした。
「私は、主人公様のお気持ちを知りたいのです。たとえ、私たちが望む答えではなかったとしても……」
科学が腕を組んだ。
「気持ちを知りたいこと自体はわかるわ。けれど、無理やり署名させるのは論外よ」
「もちろんです♡ ですから、ご本人の発言を記録する方法を考えてみました」
「……方法?」
潜入特化が眉をひそめた。
「睡眠中の発言を録音するのです♡ 主人公様が何とお答えになるか、そのまま記録できます」
沈黙。
「睡眠中の発言で結婚の意思を確認するのは、かなり無理があると思うけれど……」
薬学が不安そうに言った。
「それに、本人の許可なく寝室に入って録音するのは問題よ」
潜入特化も釘を刺した。
そこで、魔導が扇子で口元を隠して微笑んだ。
「あら♡ でも、面白いではありませんか」
「魔導?」
「主人公様の声を、そのまま記録するだけですもの。改変もしない。ただ、眠っている間の『うん』をいただくだけですわ♡」
彼女は楽しそうに続ける。
「それに、皆様も知りたいのでしょう? 主人公様が本当はどう思っていらっしゃるのかを」
科学が黙り込む。
薬学も視線を落とした。
潜入特化が額に手を当てる。
「……嫌な予感しかしないけれど」
魔導はさらに声を弾ませた。
「待っているだけでは何も変わりませんわ。エンジェルさんの案は、少なくとも『確認』にはなりますもの。成功すれば、次の手も考えられる。失敗しても、データが残るだけですわ♡」
「データって……」
科学が小さく息を吐いた。
「……確かに、音声を改変しないなら、事実確認としては成立するわね」
「そうよ。少なくとも『何も知らないまま』よりはマシかもしれないわ」
薬学が弱々しく頷く。
潜入特化は長いため息をついた。
「……みんな、本当にやるの?」
魔導がにこやかに答える。
「愛ですから♡」
エンジェルもいつもの笑顔で続けた。
「では、役割を決めましょう♡ 科学さんは録音機材の準備。潜入特化さんは寝室への侵入。薬学さんは万が一に備えて待機。私は記録係です」
「いつの間に作戦会議になったの……?」
薬学が呆然とつぶやいたが、すでに流れは止まらなかった。
四人が顔を見合わせ、やがて全員が小さく頷いた。
「……わかりましたわ。エンジェルさんの案を採用しましょう」
魔導の宣言で、会議は可決された。
*
【王国・主人公の屋敷・地下作戦室】
その夜。
科学は、小型の録音機を机の上に置いた。
「録音機材の準備は完了したわ。音声はそのまま保存されるから、改変の必要はない」
「つまり、本人の声をそのまま使うということですね♡」
魔導が楽しそうに確認した。
「そういうこと。ただし、録音したからといって、本人の意思を確認できたことにはならないわよ」
「わかっていますわ♡」
魔導は満面の笑みで答えた。
その顔を見て、科学は小さくため息をついた。
「……本当にわかっているのかしら」
潜入特化が録音機を受け取った。
「では、私が寝室へ向かうわ」
「待ってください。それ、普通に問題があるのでは?」
薬学が一応の疑問を口にした。
「今さら?」
科学が冷静に返した。
「……そうでしたね」
「では、作戦を開始しますわ♡」
魔導の合図で、五人は静かにうなずいた。
*
【王国・主人公の屋敷・寝室】
潜入特化は、主人公の寝室へと向かった。
扉を音もなく開け、眠っている主人公の様子を確認する。
「……よく眠っているわね」
彼女は録音機のスイッチを入れた。
しばらく待つ。
主人公は寝返りを打った。
そして、小さくつぶやいた。
「……うん」
潜入特化の手が止まった。
録音機の表示を確認する。
録音時間、数秒。
音声、正常。
「……成功ね」
彼女は録音機を回収し、音を立てないように寝室を後にした。
*
【王国・主人公の屋敷・洗面所】
翌朝。
主人公は、いつもどおり歯を磨いていた。
寝ぼけ眼で歯ブラシを動かし、口をゆすごうとした、そのとき。
「主人公様♡」
背後から、聞き慣れた声がした。
振り返ると、魔導、薬学、科学、エンジェル、潜入特化の五人がぴっちりと並んでいた。
そして、魔導の手には一枚の書類が握られている。
「……何してんだ、お前ら。朝から勢揃いで」
「主人公様。こちらに署名をしてくださいませ♡」
魔導は、満面の笑みで婚姻届を差し出した。
主人公は書類を見た。
そして、魔導の顔を見た。
「……何でだよ」
「もちろん、婚姻届ですわ♡」
「それは見ればわかる! 何で俺が署名することになってんだよ!」
エンジェルが一歩前に出た。
「昨日、許可してくださったじゃないですか♡」
「……は?」
「主人公様ご自身のお声で、はっきりと♡」
「してねえよ。いつの話だよ」
潜入特化が、静かに録音機を取り出した。
「では、こちらをお聞きください」
彼女が再生ボタンを押す。
『……うん』
洗面所に、主人公の寝言が響いた。
沈黙。
主人公は、録音機を見つめた。
それから、ゆっくりと五人の顔を見た。
「……怖えよ」
「ですが、主人公様のお声に間違いはありません♡」
エンジェルが堂々と告げた。
「寝てるときの返事だろうが! それを結婚の許可にするな!」
「なるほど。睡眠中の肯定反応と、婚姻に対する意思表示は区別する必要があるのね」
科学が真剣に分析を始めた。
「最初からそうしろ!」
「では、改めてお尋ねしますわ♡」
魔導は婚姻届を両手で持ち直した。
「主人公様。私たちとの結婚を――」
「断る!」
「即答ですか!?」
薬学が驚いた。
「当然だろ! 寝てる間に録音までして、何をやってんだお前ら!」
潜入特化は、少しだけ視線をそらした。
「……作戦としては成功したと思ったのだけれど」
「何が成功だよ! 成功の基準がおかしい!」
エンジェルはバインダーを開き、さらさらと記録を書き始めた。
「記録しますね♡ 『主人公様、録音された自身の肯定音声を確認。婚姻届への署名は拒否』」
「その記録に『勝手に録音した』も追加しろ!」
「承知しました♡」
「素直に記録するな! まず反省しろ!」
魔導は、婚姻届を胸元に抱きしめた。
「残念ですわ……。せっかく主人公様のお声まで用意したのに……」
「用意したって言うな! 俺の声だろうが!」
科学は腕を組み、真剣な表情で結論を述べた。
「今回の作戦から得られた教訓は明確ね。睡眠中の発言だけでは、本人の結婚意思を確認できない」
「当たり前だ!」
「次回は、起きているときに確認しましょう」
「次回を企画するな!」
薬学が小さく手を挙げた。
「……起きているときに聞いても、どうせ即答で断られると思うのですが」
「そこをどうにかするのが作戦よ」
科学が即答した。
「作戦をやめろ!」
そのときだった。
洗面所の入口から、聞き覚えのある声が響いた。
「ちょっと、あなたたち! 何をやっていますの!?」
全員が一斉に振り返った。
そこに立っていたのは、リリムだった。
彼女は五人と婚姻届、そして録音機を順番に見つめた。
「……婚姻届? 録音機? まさか、主人公様の寝室に忍び込んで、寝言を録音したのですか!?」
「ええ♡ 主人公様のお気持ちを確認しようと思いまして」
エンジェルが、いつもの笑顔で答えた。
「お気持ちの確認!? 寝言で!?」
リリムは目を見開いた。
そして、勢いよく五人を指さした。
「あんたたち、私がこの前、主人公様の添い寝を邪魔したくせに何やってんの!?」
「……あのときのことを、まだ根に持っていたのか」
主人公が思わず呟いた。
「当然ですわ! せっかく主人公様と親密な時間を過ごそうとしていたのに、邪魔されたのですもの!」
リリムは憤然と胸を張った。
「それなのに、今度は自分たちだけで婚姻届を用意して、寝言まで録音するなんて! 抜け駆けにもほどがありますわ!」
主人公は大きく頷いた。
「もっと言ってやれ!」
「ええ、もちろんですわ!」
リリムは五人に向かって、さらに一歩踏み出した。
「主人公様の意思を無視して、勝手に話を進めるなんて言語道断ですわ! 結婚というものは、双方の合意があってこそ成立するもの! 寝言の『うん』で許可を得た気になるなんて、あまりにも強引ですわ!」
「……リリムがまともなことを言っている」
薬学が呆然と呟いた。
科学も少し驚いた様子だった。
「珍しいわね。今回は正論だわ」
潜入特化は、気まずそうに目をそらした。
「……反論できないわね」
エンジェルはバインダーを開いた。
「記録します。リリム様、婚姻届攻略作戦に対して抗議。主人公様の意思確認の必要性を指摘」
「そこは記録しなくていいですわ!」
リリムは即座に言い返した。
そして、ふと婚姻届へ視線を落とした。
「…………」
彼女はしばらく黙り込んだ。
それから、何かを思いついたように顔を上げた。
「……待ちなさい」
主人公は嫌な予感を覚えた。
「おい。その顔はやめろ」
リリムは満面の笑みを浮かべた。
「つまり、そういうことをするなら……私も混ぜなさい!」
「お前もそっちかよ!!」
主人公の絶叫が洗面所に響き渡った。
「だって、皆様だけで主人公様との結婚を進めるなんて不公平ですわ♡ 私だって主人公様と結婚したいのですもの!」
「そういう問題じゃねえ! そもそも結婚する気がないって言ってるだろ!」
「ええ♡ ですから、これからじっくり考えていただきますわ!」
「お前も反省する側だろうが!」
魔導が扇子で口元を隠し、楽しそうに微笑んだ。
「あらあら♡ リリムさんも、すっかりこちら側ですわね」
「最初からこちら側ですわ! ただ、あなたたちの作戦が気に入らなかっただけです!」
「そこは堂々と言うな!」
科学は腕を組み、真剣な顔で頷いた。
「なるほど。今回の件で、新たな参加者が増えたわけね」
「作戦参加者みたいに言うな!」
薬学は頭を抱えた。
「……どうして正論を言っていた人まで、最後には同じ方向へ行ってしまうのよ」
潜入特化が小さく息を吐いた。
「この屋敷では、主人公への執着がすべてを上回るのね……」
エンジェルは、満足げにバインダーへ記録を書き加えた。
「追記します♡ 『リリム様、婚姻届攻略作戦への参加を希望。主人公様、強く拒否』」
「参加希望なんて記録するなぁぁぁ!!」
「承知しました♡ では、『参加希望を表明したが、主人公様は拒否』と記録しますね♡」
「そういう問題じゃねえ!」
リリムは婚姻届を覗き込み、楽しそうに微笑んだ。
「ふふふ……。皆様、作戦を練り直しましょう♡ 今度こそ主人公様に認めていただくのですわ!」
「練り直すな!」
魔導、薬学、科学、潜入特化、エンジェル、そしてリリム。
六人は顔を見合わせた。
そして、なぜか同時に頷いた。
「「「「「「計画を練り直しましょう!」」」」」」
「反省しろおおおおおっ!!」
主人公の叫び声が、屋敷中に響き渡った。
歯磨き粉の泡を口に含んだまま叫ぶ主人公を前に、六人はすでに次の会議の日時を決め始めていた。
そしてリリムは、婚姻届を見つめながら満面の笑みを浮かべていた。
「……次は、私も最初から参加しますわ♡」
「だから参加するなぁぁぁ!!」




