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主人公不在の結婚祝賀会

# 番外編――ヤンデレトーク3・主人公の避難場所


【王国・ゲイバー「オアシス」】


カラン、コロン。


店のドアが開いた。


「いらっしゃい――って、あれ?」


厨房で仕込みをしていたゲイバーのお兄さんが顔を上げた。


そこに立っていたのは、いつもの英雄たちではなかった。


「……主人公?」


「……こんばんは」


主人公は力なく手を上げた。


目の下には濃い隈ができ、肩は落ち、歩き方までどこか疲れ切っている。


お兄さんは思わず手を止めた。


「お前、どうしたんだよ。その顔。まるで世界を十回くらい救った後みたいになってるぞ」


「……それなら、まだよかった」


主人公はカウンター席に座り、深々とため息をついた。


「マスター。酒……いや、やっぱり水でいい」


「注文の段階で人生に疲れ切るなよ。ほら、水」


グラスを置くと、主人公は一気に飲み干した。


そして、しばらく黙り込んだ後、ぽつりと呟いた。


「……俺、どうすればいいんだろうな」


お兄さんの表情が変わった。


「何かあったのか?」


「最近、あいつらの様子がおかしいんだ」


「最近?」


「いや、前からおかしかったんだけど……最近、特にひどい」


「前からおかしかったことは認めるんだな」


主人公は頭を抱えた。


「この前なんか、エンジェルが弁当を持ってきたんだ」


「ああ……」


お兄さんの顔が引きつった。


嫌な予感しかしなかった。


「二段弁当だった。上段には料理の絵が描いてあって、下段には真っ黒な炭みたいなものが入ってた」


「……あの話か」


「知ってるのか?」


「いや、知らない。俺は何も知らない。世の中には知らない方が幸せなこともあるんだ」


お兄さんは即座に目を逸らした。


主人公は気にせず続けた。


「しかも、あいつら、全員自信満々なんだよ。魔導は火力を調整したとか、森羅万象は世界を整えたとか、科学は数値を最適化したとか……」


「うん」


「薬学は栄養バランスを考えたって」


「炭に栄養バランスを求めるなよ……」


「それで、俺が食べたら固くて噛めなくてさ」


「食べたのか!?」


お兄さんがカウンターから身を乗り出した。


「いや、だって……せっかく作ってくれたんだろ?」


「お前、優しさを発揮する場所が致命的に間違ってるぞ!」


主人公は困ったように笑った。


「でも、問題はその後なんだ」


「まだあるのかよ……」


「食べ終わった後、急にあいつらのことが愛おしくなって……」


「…………は?」


お兄さんの動きが止まった。


「なんか、普段は絶対言わないようなことまで口にしてたらしい。エンジェルに一生そばにいてくれとか、みんな大切だとか」


「待て。お前、何を食わされた?」


「後から聞いたんだけど、惚れ薬が入ってたらしい」


「料理に惚れ薬を仕込むなあああああ!!」


店内にお兄さんの絶叫が響いた。


奥のテーブルにいた一般客が、びくりと肩を震わせた。


「……すまん。つい声が出た」


お兄さんは額を押さえた。


「いや、ついじゃねえよ。完全に事件だろ、それ。本人の意思はどうなるんだよ」


「俺もそう思う」


「思うなら、なんで食べたんだよ!」


「炭だと思ってたら、惚れ薬まで入ってるとは思わないだろ……」


「そりゃそうだけどよ!」


お兄さんは深いため息をついた。


「それで? 今はもう大丈夫なのか?」


主人公は少し考えた。


「うん。薬の効果が切れたら、いつもの感覚に戻った」


「なら、ひとまずよかった……」


「でも、あいつらは違うんだ」


「……何が?」


主人公は遠い目をした。


「俺があんなことを言ったせいで、完全に本気にしちゃってさ」


「…………」


「エンジェルは婚姻届の準備を始めたし、魔導は結婚式場を波動砲で整地するとか言い出すし、森羅万象は世界の法則に俺たちの結婚を組み込もうとしてる」


「結婚式場を整地するな! 普通に予約しろ!」


「科学は結婚後の生活を統計モデルで予測してるし、薬学は夫婦の健康管理計画を作ってる」


「先に本人の同意を統計モデルに入れろ!!」


主人公は水の入ったグラスを見つめた。


「……俺、普通に暮らしたいだけなんだけどな」


その言葉に、お兄さんは一瞬だけ黙った。


「……そうだよな」


主人公は顔を上げた。


「え?」


「いや。お前は別に、世界を救ったからって、あいつら全員の人生を背負わなきゃいけないわけじゃないだろ」


「……」


「好きだの結婚だの言われても、お前が嫌なら断っていい。相手が英雄だろうが、天使だろうが、世界をどうこうできる連中だろうが、そこは変わらない」


主人公はしばらく黙っていた。


そして、少しだけ表情を緩めた。


「……ありがとう。そういうことを普通に言ってくれる人、なかなかいなくてさ」


「そりゃ、あいつらの前じゃ普通の会話も成立しねえからな……」


お兄さんは苦笑した。


「とりあえず、ここにいる間くらいはゆっくりしていけ。何か食べるか?」


主人公の顔が少し明るくなった。


「……普通の料理?」


「当たり前だろ!」


「試食してある?」


「飲食店に対する信用を失いすぎだろ、お前!!」


主人公は久しぶりに声を出して笑った。


「じゃあ、ナポリタンを一つ」


「はいよ。ちょっと待ってな」


お兄さんは厨房へ向かった。


フライパンから、ジュウッという音が響く。


ケチャップの香りが漂い、湯気が立ち上る。


主人公はそれを見て、ほっと息をついた。


「……こういうのでいいんだよ」


やがて、お兄さんがナポリタンをカウンターに置いた。


「お待ちどう。普通のナポリタンだ」


主人公はフォークを手に取り、一口食べた。


「……うまい」


その一言に、お兄さんは満足そうに頷いた。


「だろ? これが料理ってもんだ」


「うん……。食べられるって、幸せなんだな」


「お前、炭弁当で食の喜びを再発見するなよ……」


二人はしばらく、穏やかな時間を過ごした。


――その頃。


【王国・主人公の屋敷・上空】


屋敷を見下ろす木々の陰に、一人の少女が浮かんでいた。


リリムである。


「…………」


彼女は眼下の屋敷を眺めながら、無言で頬を引きつらせていた。


庭では、魔導が祝砲を放とうと魔力を高め、科学がミサイル発射の準備を進めている。その隣では、森羅万象が穏やかな笑みを浮かべていた。


「……嫌な予感しかしませんわ」


リリムは眉をひそめた。


もちろん、彼女自身も主人公への独占欲は強い。主人公を独り占めしたいという願望なら、誰にも負けるつもりはない。


しかし――。


「だからといって、結婚を祝うために国滅級の波動砲を撃とうとします? ミサイル百二十発? 世界の法則に結婚を組み込む? ……正気ですの?」


彼女は一つずつ指を折って数えた。


数え終わる前に、頭が痛くなった。


「わたくしだって主人公様にはそばにいてほしいですわ。でも、まずは本人の意思を確認するのが筋というものですわよね……?」


言いながら、リリムは自分の発言に少しだけ引っかかった。


自分も主人公を独占したい。できることなら、ずっとそばに置いておきたい。


それでも、目の前の騒動は自分の想像を軽々と超えていた。


(わたくし、あの方々と同じ分類に入れられているのですの……?)


そう考えた瞬間、リリムの背筋に冷たいものが走った。


(……それは、少々不本意ですわね)


その時、庭から魔導の声が響いた。


「主人公様が、私たちへの愛を改めて言葉にしてくださった……!」


エンジェルはバインダーを胸に抱き、感激に震えていた。


「しかも、あれほど情熱的な告白を……。これは歴史に残る慶事ですわ♡」


「ええ。ならば、歴史に残る規模で祝わなければなりませんわね♡」


魔導は両手を広げ、空を見上げた。


その背後に、巨大な魔法陣が幾重にも展開する。


「まずは王都の上空に、愛の文字を描きますわ。次に山脈を吹き飛ばして、地平線の向こうからでも見える巨大なハートを作りますの♡」


「山脈を吹き飛ばすな!!」


男陣が一斉に叫んだ。


「ご安心くださいませ。山脈の向こうにある国には、事前に避難勧告を出しておきますわ♡」


「安心できる要素が一つもねえよ!!」


「それに、山脈をハート型に削るには、出力を上げる必要がありますわね……」


魔導の魔力が、さらに膨れ上がった。


「国滅級から世界滅級へ。いえ、主人公様への愛を表現するなら、次元滅級くらいは必要かしら♡」


「祝賀のために次元を滅ぼそうとするな!!」


「だって、主人公様への愛は次元を超えていますもの♡」


「愛の規模を攻撃力で測るなあああああ!!」


魔導は不満そうに頬を膨らませた。


「もう……。皆さん、愛の深さを理解していませんのね。では、せめて国滅級の波動砲で、夜空に巨大なハートを描きますわ♡」


「結局、撃つんじゃねえか!!」


「それでは、盛大に祝砲を――!」


「待て、魔導! その波動砲は危険すぎる!」


腰振りスペシャリストが踏み込んだ。


彼は腰を低く落とし、全身に衝撃波を溜め込む。


「俺の衝撃波で相殺する! 本気の国滅級だぞ!」


「ええっ!? せっかくの祝砲ですのに!?」


魔導が不満そうに頬を膨らませた瞬間、腰振りスペシャリストが腰を回転させた。


ズオオオオオッ!!


巨大な衝撃波が波動エネルギーに直撃し、光の奔流を中空でねじ伏せる。


爆風が屋敷の庭を吹き荒れたが、直撃は免れた。


「……ふぅ。朝のコーヒーの後の運動としては、ちょうどいいな」


腰振りスペシャリストは渋い顔で肩を回した。


「ひどいですわ……。主人公様への愛を、力ずくで握り潰すなんて……」


「握り潰してねえよ! 波動砲を止めたんだよ!」


魔導は涙を浮かべながら、再び魔法陣を展開し始めた。


「分かりましたわ。次は防がれないように、全方位から同時に撃てば――」


「反省しろ!!」


その横で、科学が端末を操作していた。


「波動砲の発射は阻止された。原因は迎撃能力の高さね。ならば、単発攻撃に依存する設計を見直すべきだわ」


「お前も見直すところが違う!!」


「祝賀用ミサイル百二十発では、迎撃される可能性がある。そこで、発射数を六百発に増やし、軌道を五段階に分ける。第一陣で迎撃能力を測定し、第二陣で回避行動を誘発、第三陣で空中に祝賀文字を形成するの」


「戦争の作戦会議みたいに言うな!!」


「残りの三百発は予備よ」


「予備まであるのかよ!!」


科学は淡々と画面を切り替えた。


「もちろん、ただ増やすだけではないわ。爆発範囲を調整して、地上への被害を抑えつつ、夜空全体を祝賀演出に使う。着弾予測地点は王都周辺の三十七か所。視覚効果と音響効果の相関も計算済みよ」


「三十七か所に着弾させるな!! あと、音響効果って爆発音だろうが!!」


「安心して。王都の人口密度を考慮して、威力は最適化してあるわ」


「人口密度を考慮した爆撃計画を祝賀って呼ぶな!!」


科学は首を傾げた。


「では、名称を変更しましょう。『主人公様ご結婚記念・広域同時展開型花火システム』」


「名前を変えても中身はミサイルだ!!」


「なるほど。では、正式名称はそれにして、内部コードを『全域制圧型』に――」


「物騒な単語を足すな!!」


科学は端末を見つめたまま、真顔で告げた。


「発射」


「話を聞けえええええ!!」


次の瞬間、屋敷の地下からミサイル百二十発が一斉に打ち上がった。


ゴゴゴゴゴッ!!


夜空へ向かって伸びる無数の光跡。


「六百発じゃなかったのかよ!?」


「まずは百二十発で実証実験よ。残りは成果を確認してから」


「本番を実証実験にするなあああああ!!」


それを見た格闘特化が地面を蹴った。


「百二十発もいらねえだろうが!!」


彼は空中へ飛び上がり、迫り来るミサイルを次々と殴り砕いた。


ドガガガガガッ!!


爆発が連鎖し、夜空に花火のような閃光が散る。


科学は端末に記録された数値を見て、感心したように頷いた。


「なるほど。格闘特化の迎撃速度は想定以上ね。次回は発射間隔を短縮して、迎撃限界を測定しましょう」


「次回を計画するな!!」


「貴重なデータなのに……」


「ミサイル百二十発を貴重なデータで済ませるな!!」


その騒ぎの中心で、森羅万象は静かに微笑んでいた。


「お二人とも、少し落ち着いてくださいませ♡」


「お前が言うな!!」


森羅万象は気にした様子もなく、指先で空中に円を描いた。


「波動砲もミサイルも、物理的な攻撃に頼りすぎですわ。結婚というものは、もっと根源的なもの。世界そのものに祝福させればよいのです」


男陣の表情が凍りついた。


「……おい。森羅万象、お前は何をするつもりだ?」


「簡単ですわ♡ 世界の法則に、主人公様とわたくしたちの結婚を組み込みますの」


「やめろ!!」


「まず、重力は夫婦が寄り添う方向に働くように。空間は二人の距離を縮めるように。時間は二人が一緒にいる時だけ、ゆっくり流れるようにいたしましょう♡」


「世界の物理法則を夫婦向けに改造するな!!」


「それから、主人公様が『普通に暮らしたい』とおっしゃった場合、その言葉を『妻たちと永遠に暮らしたい』と世界が解釈するように――」


「本人の意思を世界規模で捏造するなあああああ!!」


「まあ。捏造ではありませんわ。世界の解釈を、愛に適した形へ整えるだけですもの♡」


「言い換えれば許されると思うな!!」


森羅万象は、どこまでも穏やかな笑みを浮かべていた。


「ご安心くださいませ。主人公様が逃げようとなさっても、道が自然に屋敷へ戻るようにいたします。扉を開ければ寝室へ、転移すれば食卓へ。どこへ行っても、最後にはわたくしたちのもとへ帰ってくる世界ですわ♡」


「それは祝福じゃなくて永久監禁だ!!」


「愛する方が迷子にならないよう、世界全体で道案内をするだけですわ」


「世界を案内係にするな!!」


森羅万象は少し考え込んだ。


「……いえ。いっそ、主人公様以外の男性が全員、主人公様の屋敷へ向かうように世界の法則を変えれば、主人公様の周囲は女性だけになりますわね♡」


「なんで男を排除する方向に進むんだよ!!」


「独占欲を世界法則に反映した結果ですわ♡」


「反映するな!!」


森羅万象が指先を動かした。


次の瞬間――。


ゴゴゴゴゴゴゴゴ……。


地面が揺れた。


屋敷の外で、地割れが走る。


遠くの山では土砂が崩れ、川の水位が急激に上昇した。


空には不自然な暗雲が渦巻き、雷鳴が轟いた。


「……おい」


男陣の一人が、震える声で呟いた。


「これ、災害じゃないか?」


「祝福ですわ♡ 世界が主人公様の結婚を祝って、物理法則を組み替えている最中ですの」


「世界が迷惑してるだろ!!」


「大丈夫ですわ。最終的には、すべて主人公様に都合のよい形に整いますから♡」


「その途中で国が滅ぶんだよ!!」


「国が滅んでも、主人公様とわたくしたちがいれば、新しい国を作れますわ♡」


「規模を小さくしろおおおおお!!」


森羅万象は首を傾げた。


「……では、まずは大陸一つから始めましょうか?」


「縮小案が大陸単位なのかよ!!」


ここで拷問特化が動いた。


彼は淡々と工具箱を開き、頑丈な拘束具と修復用の特殊機材を取り出す。


「……被害箇所を確認する。まずは地割れを固定し、水位を制御する。いい出来の拘束具で『整える』」


「拷問特化! 頼む!」


「分かっている。壊れないように、確実にな」


拷問特化は職人のような手つきで、地割れに巨大な拘束杭を打ち込み、川には水位制御用の特殊な拘束装置を設置した。


「……いい出来だ」


彼は満足げに呟き、次々と被害箇所を「整えて」いく。

噴き上がった噴水も、特殊拘束ネットで押さえ込まれた。


「ふぅ……とりあえず、これ以上被害が広がらない状態にはできた」


男陣はようやく息をついた。


リリムは、しばらく言葉を失っていた。


波動砲は衝撃波で相殺され、ミサイル百二十発は拳で破壊され、世界規模の異変は拘束具で食い止められた。


(……何を見せられているのですの?)


魔導は不満そうに頬を膨らませた。


「せっかく主人公様への愛を示そうと思いましたのに……」


科学も端末を見つめながら言った。


「ミサイルの残弾は格闘特化に破壊されたわ。データがもったいない」


森羅万象も、少し残念そうに首を傾げる。


「世界を整えるのは、なかなか難しいものですわね」


「お前らのせいで世界が乱れてるんだよ!!」


男陣の叫びが、夜の屋敷に響いた。


エンジェルは、報告書の最後に一文を書き加えた。


『本日の祝賀行事は、主人公様への愛情の深さを示すものとなりました。なお、男陣の献身的な制止により、被害は最小限に抑えられました♡ 愛ですから♡』


「最小限じゃねえし、愛で済ませるな!!」


男陣の絶叫が、今夜最後の花火の音にかき消された。


「……もう、主人公本人に止めてもらうしかないんじゃないか」


誰かが呟いた。


「その主人公が逃げてるんだよ……」


「……詰んだな」


男たちは、そろって空を見上げた。


そこには、まだ祝賀の残光がちらちらと瞬いていた。


リリムは、ゆっくりと額に手を当てた。


「……この人たち、いかれてますわ」


思わず本音が漏れた。


「本人の意思も確認せずに、世界を巻き込んで祝賀会を開くなんて……。わたくしでも、そこまではしませんわよ」


そう言ってから、リリムは少しだけ考え込んだ。


(……いえ、主人公様を独り占めしたいという気持ちは、わたくしにもありますけれど)


眼下では、魔導がまだ祝砲の再発射を企み、科学が破壊されたミサイルの残骸を惜しみ、森羅万象が地割れを整え直そうとしている。


(……まずは、この方々の正気を疑うところから始めるべきでしたわ)


彼女は咳払いを一つすると、空中に魔法陣を展開した。


「こうなったら、上に相談するしかありませんわ」


魔法陣が淡く光り、通信がつながる。


『……何だ、リリム』


最初に応答したのはアスタロトだった。


その声には、すでに面倒事を予感しているような響きがあった。


「アスタロト様! 大変ですわ!」


『大変なのはいつものことだろう。今度は何だ?』


「主人公様への祝賀という名目で、魔導が国滅級の波動砲を撃ち、科学がミサイルを百二十発も発射し、森羅万象が世界そのものを整えようとしましたの!」


通信の向こうで、少しの沈黙があった。


『……百二十発?』


「そこに驚くのですの!?」


『いや、そこは確認したくなるだろう』


今度はベリアルの声が割り込んだ。


『待て待て。波動砲は誰が止めた?』


「腰振りスペシャリストが衝撃波で相殺しましたわ。科学のミサイルは格闘特化が破壊。森羅万象の世界改変は拷問特化が拘束具で被害を抑えました」


『……情報量が多すぎる』


ベリアルの声が、心なしか遠くなった。


『なぜ世界改変を拘束具で止めているんだ?』


「わたくしに聞かないでくださいまし!!」


リリムは思わず叫んだ。


その声が夜空に響き、近くの鳥たちが一斉に飛び立った。


「そもそも、どうして祝賀が災害になるんですの!? 主人公様はただ普通に暮らしたいだけですのよ!?」


『それは……』


アスタロトが言葉を濁した。


『まあ、本人たちに悪気はないのだろう』


「悪気がなければ何をしてもいいわけではありませんわ!!」


『それはそうだが……』


『ルシファーに聞けばいい』


ベリアルが、あっさりと話を振った。


『あの方なら何か対処法をご存じだろう』


「最初からそうしてくださいまし!」


リリムは通信先を切り替えた。


魔法陣の光が深い紫色へ変わる。


数秒後、落ち着いた低い声が響いた。


『……リリムか。何の用だ?』


「ルシファー様! 緊急事態ですわ!」


『聞こえている。アスタロトとベリアルから大まかな話は聞いた』


「でしたら話は早いですわ! この人たち、どうすればいいんですの!? 止めなければ世界が壊れますし、止めても本人たちは愛情表現のつもりですし、説得しても聞く耳を持ちませんの!」


リリムは息継ぎも忘れて訴えた。


『……ああ』


「……ああ、ではありませんわ!」


『いつものことだ。放っておけ』


「…………は?」


リリムの思考が止まった。


夜風が頬を撫でる。


眼下では、男陣が被害の後始末を続け、森羅万象が穏やかに世界を整え直そうとしている。


リリムは、ゆっくりと通信魔法陣を見つめた。


「……今、何とおっしゃいました?」


『いつものことだと言った。放っておけ』


「世界が壊れかけておりますのよ!?」


『壊れ切る前に、あの男たちが何とかするだろう』


「何とかするだろう、で済ませる規模ではありませんわ!!」


『ならば、主人公が戻ってきた時にでも聞けばいい。あいつらの扱いには、あいつが一番慣れている』


「主人公様が慣れていること自体がおかしいのですわ!!」


リリムは頭を抱えた。


(魔界の頂点に立つお方が、これを日常扱い……?)


彼女は、これまで魔王たちの余裕を見てきた。どんな強敵にも動じず、世界の危機にも冷静に対処する。だからこそ、今回も何らかの策を授けてくれると思っていた。


それが、まさかの放置。


『リリム、聞いているか?』


「聞いておりますわ! 聞いておりますけれど、納得できませんの!」


『なら、納得するまで見ていればいい』


「そんな解決策がありますか!!」


通信の向こうで、ベリアルが小さく笑った。


『ルシファー様の言う通りだ。慣れるしかない』


「ベリアル様まで!?」


アスタロトも淡々と続けた。


『私たちも最初は驚いた。今では、被害範囲を確認する方が先になった』


「それは慣れてはいけないことですわ!!」


『そう言われてもな』


三人の声には、妙な落ち着きがあった。


まるで、夕食の献立について話し合っているかのようだった。


リリムはしばらく口を開けたまま固まっていた。


やがて、かすれた声で呟く。


「……これが、日常というのですの?」


『そうだ』


ルシファーは即答した。


「…………」


リリムは絶句した。


魔界で数々の異常事態を目にしてきた彼女でさえ、その一言には言葉を失った。


(わたくし、主人公様のことを独占したいと思っておりましたけれど……)


眼下では、魔導がまだ祝砲の再発射を企み、科学が破壊されたミサイルの残骸を惜しみ、森羅万象が地割れを整え直している。


(……まずは、この方々の正気を疑うところから始めるべきでしたわ)


『リリム』


「……何ですの?」


『巻き込まれるなよ』


「それは、わたくしが言いたい台詞ですわ!!」


通信が切れた。


リリムは、しばらく夜空に浮かんだまま動かなかった。


そして、深く、深くため息をついた。


「……主人公様。あなた、本当によく生きていられますわね……」


彼女の胸には、主人公への愛情と同じくらい、女ヤンデレ陣への恐怖が刻み込まれた。


「……今夜は、わたくしも絶対に近づかないことにいたしますわ」


そう呟いた直後、屋敷の庭で再び轟音が響いた。


「きゃあああああっ!? まだ何かやっておりますの!?」


リリムは反射的に空高く飛び上がった。


――彼女は決意した。


主人公を独占する計画は、明日以降に延期する。


少なくとも、今夜は。


――その頃。


【王国・ゲイバー「オアシス」】


主人公は、ナポリタンを食べ終えたところだった。


「……なんか、外が騒がしくないか?」


遠くから、轟音が響いてくる。


窓ガラスが小刻みに震えた。


お兄さんは、窓の外を一瞥した。


夜空に光が走り、遠くの地平線が一瞬だけ明るくなった。


「……気のせいだ」


「いや、絶対何か起きてるだろ」


「気のせいだ。お前は何も考えずにナポリタンを食え」


「でも、あれ……」


「食え!!」


主人公は驚いてフォークを握り直した。


お兄さんは、額に手を当てた。


――頼むから、今夜だけは炭を持ってくるな。


その願いに加えて、もう一つ祈ることが増えた。


――頼むから、今夜だけは世界を壊すな。


その夜、ゲイバーのお兄さんは、いつもより少しだけ戸締まりを念入りにした。

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