新聞の押し売りは結構ですわ2
# 番外編――魔王城の傍観者と、新たな犠牲者
【魔界・魔王城・玉座の間】
「ご主人様の安全を考えた結果ですわ♡」
『安全の定義を説明しろおおおおお!!』
地上から響く主人公の絶叫。
魔王城の玉座の間では、大魔王ルシファーがコーヒーを飲んでいた。
「……今日も平和だな」
「どこがですか」
ベリアルが即座に突っ込んだ。
「画面の中で人類最強が、自分の身体を取り戻そうと必死になっていますが」
「本人が叫べるうちは平和だ」
「その判断基準、魔王としてどうなんですか」
ルシファーは答えず、コーヒーをすすった。
隣では大公爵アスタロトが、地上の映像を見ながら書類に何かを書き込んでいる。
「記録しておきましょう。『本日も主人公、身体の返還を要求』」
「やめろ! 公文書みたいに記録するな!」
ベリアルが叫んだ。
「後世の悪魔たちが誤解するだろうが!」
「事実ですが?」
「事実だから問題なんだ!」
その頃、地上の主人公の屋敷では――。
【地上・主人公の屋敷・実験室】
主人公は、自分の身体を見下ろしていた。
いや、正確には、自分の身体だったものを見下ろしていた。
現在、主人公の身体を動かしているのは魔導。
一方、魔導の身体に入っている主人公は、慣れない感覚に顔をしかめていた。
その隣では、科学と薬学もそれぞれ身体を入れ替え、興味深そうに自分たちの新しい身体を確かめている。
「まあ♡ ご主人様の身体、普段とは感覚が違いますわね」
主人公の身体に入った魔導が、楽しそうに手を動かした。
「筋力の制御も、反射速度も、実際に体験するとよく分かりますわ♡」
「魔導! 俺の身体で遊ぶな!」
「遊んでいるわけではありませんわ。貴重な体験を楽しんでいるだけです♡」
「それを遊んでるって言うんだよ!」
科学も、自分の身体に入った主人公を観察しながら口を開いた。
「身体が変わると、知覚や運動制御にも差が出る。これは興味深いデータが取れそうだ」
「科学! お前もか!」
「安心して。観察と記録が目的よ」
「その言い方が一番信用できねえ!」
薬学は、自分の身体に入った主人公の様子を見ながら、にこにこと笑っていた。
「私も、薬の作用とは別の観点から身体の感覚を確認していますの♡」
「薬学まで何やってんだ!」
主人公は三人を順番に見た。
「いいか! 俺の身体を遊び道具にするな! あと、股間は絶対に改造したり遊んだりするな!」
魔導、科学、薬学の三人は、そろってきょとんとした。
「そんなことしませんわ」
「ええ。そこまで非常識なことはしないわ」
「ご主人様、私たちを何だと思っていますの?」
三人は顔を見合わせ、それから主人公に向かって微笑んだ。
「ご主人様も、私たちの身体を楽しめばいいでしょう?」
「そういう問題じゃねえ!」
主人公は即座に叫んだ。
「俺の体返せえええええ!!」
三人は楽しそうに顔を見合わせた。
「もう少しだけですわ♡」
「貴重な機会だから、データを取っておきたいわね」
「ええ。せっかくですから、もう少し楽しみましょう♡」
『俺の話を聞けえええええ!!』
ルシファーは地上の映像を消した。
「……コーヒーがまずくなる」
「魔王様!?」
ベリアルが声を上げた。
「なぜ消すのです!?」
「見ているだけで疲れる」
ベリアルは深々と頷いた。
「リリム。あそこには近づくな」
「……はい?」
「忠告はしたぞ」
「相手は人間でしょう?」
「そうだな」
「ならば、私が誘惑して陥落させれば済む話ではありませんか」
「やめておけ」
ルシファーはそれだけ言って、再びコーヒーを口に運んだ。
リリムは目を細めた。
「……お二方とも、ずいぶん弱気なのですね」
「弱気ではない」
ベリアルが即答した。
「経験に基づいた判断だ」
「私にはそうは思えませんわ。相手が人間なら、夢魔である私の敵ではありませんもの♡」
アスタロトが書類から顔を上げた。
「リリム。忠告を聞かなかった場合、何が起きても自己責任ですよ」
「もちろんですわ♡」
「では、止めません」
「最初からそうおっしゃればよろしいのです」
リリムは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「すぐに主人公を陥落させ、皆様の目を覚まさせて差し上げますわ♡」
黒い霧が彼女を包む。
消える直前、アスタロトが書類に一行付け加えた。
「……記録。リリム、忠告を無視して出撃」
「いつから私まで記録対象になった!?」
ベリアルが叫んだ。
「最初からです」
「お前もかよ!」
ルシファーはコーヒーカップを置いた。
「賭けるか?」
「何をです?」
「主人公の顔を見る前に追い返されるかどうか」
「……私は、玄関で魔導に処理される方に賭けます」
アスタロトが即答した。
「記録係として、結果も残しておきましょう」
「お前、記録係を楽しんでないか!?」
ベリアルの叫びが玉座の間に響いた。
*
【地上・王都郊外・主人公の屋敷前】
「ふふふ……」
リリムは屋敷の前で、不敵に笑った。
人間への変装は完璧。
角も翼も隠した。服装も地上の町娘に合わせた。
誘惑の準備も万端。
(待っていなさい、主人公。あなたの心を奪い、私なしでは生きられない精神にして差し上げますわ♡)
彼女は一度、咳払いした。
(落ち着きなさい。最初は自然な会話。相手の警戒を解き、少しずつ距離を縮めるのです)
コン、コン。
玄関の扉が開いた。
「……お待たせしました」
現れたのは、長身の青年だった。
整った顔立ちに、すっと通った鼻筋。落ち着いた眼差しと、余裕を感じさせる微笑み。
立っているだけで絵になるような、隙のない美青年。
「…………」
リリムは一瞬、言葉を失った。
(……え?)
目の前にいるのは、間違いなく主人公の顔だった。
しかし、いつもの主人公とは雰囲気が違う。
どこか気だるげで、それでいて人を惹きつけるような余裕がある。相手の反応を楽しむような視線には、妙な色気まで漂っていた。
(主人公……? いえ、確かにご本人ですわよね? でも、こんなに格好よかったかしら……?)
その青年――主人公の身体に入った魔導は、内心で小さく息を吐いた。
(なるほど……ご主人様のお顔で、こういう表情をすると……)
魔導は自分の手を軽く持ち上げ、指先を眺めた。
普段、自分が見慣れている主人公の身体。
それを今、自分の意思で動かしている。
視線の向け方も、口元の動きも、声の出し方も自由自在。
(これは……なかなか楽しいですわね♡)
もちろん、身体そのものは主人公のものだ。けれど、表情や仕草を少し変えるだけで、相手に与える印象は驚くほど変わる。
(ご主人様は普段、こういう魅力を無自覚に振りまいているのですね……。困った方ですわ♡)
魔導は口元に笑みを浮かべた。
その笑みが、リリムには自信に満ちた男の微笑みに見えた。
「それで?」
魔導は穏やかな声で尋ねた。
「僕に何かご用ですか?」
(僕……!?)
リリムは目を見開いた。
主人公が普段使わない一人称。
しかも、妙に自然だ。
(な、何ですの、この余裕……! 人間のくせに、夢魔である私を前にしてまったく動じていませんわ……!)
リリムは慌てて笑顔を取り繕った。
「突然の訪問、失礼いたします。実は、こちらに住んでいらっしゃる主人公様に、少しお話がありまして……」
「僕に?」
魔導はわずかに首を傾けた。
「ええ。あなたに、ですわ♡」
「それは光栄ですね」
魔導は涼しい顔で微笑んだ。
「ですが、初対面の女性を玄関先に立たせたまま、話を聞く趣味はないんです。用件を伺ってから判断させていただきます」
(な……!)
リリムの頬がわずかに熱くなった。
(何ですの、この対応……! 丁寧なのに、こちらのペースにまったく乗ってこない……!)
普段の主人公なら、もう少し困惑したり、強引に話を進めようとするリリムに振り回されたりするかもしれない。
だが、目の前の青年は違った。
落ち着いた態度で、リリムの出方を待っている。
まるで、彼女の誘惑など最初から通用しないと分かっているかのようだった。
(いけませんわ……! このままでは、私が調子を崩されてしまいます!)
「それは……ご本人に直接お伝えしたい、大切なお話でして」
「なるほど」
魔導は納得したように頷いた。
そして、にこりと笑った。
「新聞の押し売りは結構です」
バタン。
「…………」
リリムは固まった。
「……は?」
閉じた扉を見つめる。
数秒前までの、あの格好よく余裕のある青年はどこへ消えたのか。
「ちょっとお待ちなさい!!」
ドンドンドン!
「私は新聞など売っていませんわ!!」
扉が再び開いた。
先ほどと同じ青年が、涼しい顔で立っていた。
「おや。新聞ではありませんでしたか」
「最初からそう言っていますでしょう!?」
「では、何の押し売りですか?」
「押し売りでもありません!!」
魔導は少し考えるように目を伏せた。
(ふむ……この身体、真顔で言うと妙に説得力がありますわね)
そして、再びリリムに視線を戻す。
「失礼。僕の勘違いだったようですね」
一瞬、リリムはほっとした。
しかし――。
「では、お引き取りください」
バタン。
「二度も閉めるなあああああ!!」
リリムは扉を叩いた。
「私は夢魔ですわ! 誘惑を司る、由緒正しき悪魔ですのよ!!」
扉の向こうから、魔導の感心したような声が響いた。
「まあ。悪魔の訪問販売でしたか」
「訪問販売から離れなさい!!」
「悪魔関連の商品は間に合っています」
「商品じゃありませんわ!!」
「そうですか。では、失礼します」
「まだ帰っていませんわよ!!」
「おや。そうでしたか」
魔導は扉を開けずに、穏やかに続けた。
「ですが、用件も分からないままお通しするわけにはいきません。ご理解ください」
その声には、妙な落ち着きがあった。
怒鳴り返すわけでもなく、相手を侮辱するわけでもない。
ただ、笑顔のまま一歩も譲らない。
(くっ……! 何ですの、この余裕……! こちらが声を荒らげるほど、向こうが格好よく見えるのが腹立たしいですわ!!)
魔導は扉の内側で、こっそり笑みを深めた。
(ご主人様の身体、思っていた以上に便利ですわね♡)
自分が普段使っている身体では、こうした振る舞いをしても、いつもの自分らしさが前面に出てしまう。
しかし今は違う。
主人公の顔と声、そして長身の身体を使えば、少しの仕草だけで相手の印象を変えられる。
(もう少し、この姿で遊んでいたいところですが……)
魔導は、扉の向こうで騒ぐリリムの声を聞いた。
「開けなさい!!」
「お断りします」
「あなた、絶対わざとやっていますわね!?」
「何のことでしょう?」
「このおおおお!!」
魔導は満足そうに頷いた。
(うまくいきましたわ♡)
その頃、屋敷の外では――。
リリムが玄関前で頭を抱えていた。
「……あの」
背後から声がした。
振り返ると、バインダーを抱えたエンジェルが立っていた。
「何ですの!?」
エンジェルは閉じた扉を一瞥し、淡々と告げた。
「この家では、女性は一度『新聞の押し売り』という形式で追い返されるしきたりがあります」
「……は?」
「現に、私も二度追い返されています」
エンジェルはバインダーから書類を取り出した。
「報告書、見ます?」
「見るか!!」
リリムは即座に叫んだ。
「何ですの、そのしきたり!? 誰が決めたのですか!?」
「魔導さんです」
「納得できてしまうのが腹立たしいですわ!!」
「ちなみに、二度目も新聞の押し売り扱いでした」
「そこは改善しなさいよ!!」
「私に言われましても……」
エンジェルは報告書をバインダーに戻した。
「では、記録しておきます。新規来訪者リリムさん、新聞の押し売り扱いにより面会を拒否される」
「その記録を今すぐ破棄しなさい!!」
「できません。報告義務がありますので」
「あなたも十分おかしいですわ!!」
エンジェルは小さく首を傾げた。
「そうでしょうか。私は、しきたりに従っているだけですが」
「そのしきたりがおかしいと言っているのですわ!!」
そのとき、扉の向こうから魔導の声がした。
「玄関前で騒ぐ方は、警備担当に引き渡しますわよ♡」
「あなたが原因でしょうがあああああ!!」
エンジェルはバインダーに一行書き加えた。
「追記。来訪者、魔導さんに抗議」
「記録するなあああああ!!」
エンジェルは静かにバインダーを閉じた。
「……報告書が、また一枚増えました」
エンジェルはバインダーの表紙を指でなぞった。
その顔に、ふと笑みが浮かぶ。
「……ということは」
彼女は報告書を開き、楽しそうにページをめくった。
「主人公様に、お仕置きができますね♡」
「……は?」
リリムが思わず聞き返した。
エンジェルは顔を上げた。先ほどまでの事務的な表情とは違い、どこか弾んだ声だった。
「報告書が増えましたから。主人公様には、管理責任を取っていただかないと」
「何で主人公が責任を取るのです!?」
「このお屋敷のご主人様ですから」
「理屈がめちゃくちゃですわ!!」
エンジェルは真剣に考え込むように、バインダーを胸に抱えた。
「さて……今日はどうしよっかな♡」
指先で頬をつつきながら、楽しそうに首を傾げる。
「反省文を追加するのもいいですし、報告書を読み上げながら説教するのも……。あ、前のお仕置きの続きも、まだ終わっていませんでしたね♡」
「あなた、報告書を口実にお仕置きしたいだけでしょう!?」
「いえいえ。これは正当な管理業務です」
エンジェルはにっこり笑って、バインダーに新しい見出しを書き加えた。
「『主人公様への本日のお仕置き案』……と」
「新しい書類まで作るなあああああ!!」
エンジェルは満足そうにバインダーを閉じた。
「ふふっ。今日は忙しくなりそうです♡」
「あなたも十分おかしいですわあああああ!!」
*
【魔界・魔王城・玉座の間】
地上の映像が再び映し出された。
ルシファーは黙ってコーヒーを飲んでいた。
ベリアルは映像を見つめ、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……なるほど。リリムを追い返したのは、主人公本人ではなかったわけですね」
「そういうことだ」
ルシファーは淡々と答えた。
「主人公の身体を使って、魔導が遊んでいた」
「しかも、わざわざ格好をつけて、リリムの反応まで楽しんでいましたね」
ベリアルは額に手を当てた。
「忠告を無視したリリムも悪いですが……あの女、主人公の顔と声を使って、あそこまで人を翻弄するとは」
「身体の使い方を心得ているようだな」
ルシファーはコーヒーをすすった。
「自分の身体ではなく、主人公の身体でやるところが実に魔導らしい」
アスタロトは書類に目を落とし、淡々と記入した。
「記録。リリム、主人公との面会に失敗。原因、魔導による迎撃。主人公の身体を利用した心理的翻弄。玄関突破ならず」
ルシファーが書類を覗き込む。
「長いな。もっと短くできないか?」
「では、『リリム、魔導に弄ばれ門前払い』で」
「簡潔でよろしい」
アスタロトは記録を書き直した。
ベリアルは二人を見て、静かに息を吐いた。
「……他人事だと思っていませんか?」
「実際、他人事だ」
ルシファーはコーヒーを置いた。
「それに、魔導が主人公の身体を使いこなしているのは、今に始まったことではない」
「問題は、リリムがそれを知らずに真正面から挑んだことですね」
アスタロトは新しい欄を作った。
「続報欄に記載しておきましょう。リリムが帰還した際には、忠告を無視した理由も確認する必要があります」
「本人が戻ってくればな」
ルシファーは再びコーヒーを口に運んだ。
ベリアルは画面を見つめたまま、ぼそりと呟いた。
「……主人公も気の毒に。自分の身体を使って、勝手に夢魔を撃退されているとは」
「本人は今ごろ、身体を返せと騒いでいるだろうな」
「その状況で、魔導はリリムを追い返して楽しんでいる……」
ベリアルは深々とため息をついた。
「……やはり、あそこには近づかない方がよさそうですね」
「最初からそう言っている」
ルシファーは平然と答えた。
アスタロトは書類を閉じた。
三人はそれ以上騒ぐことなく、地上の映像を眺めていた。
地上では、リリムがまだ玄関の前で怒っていた。
主人公は、自分の身体が何をしでかしたのか、まだ知らない。
そして今日も、彼の平穏な日常は、本人の知らないところで勝手に危機を迎えていた。




