薬学VSスローンズ1
# 座天使スローンズ戦 序盤――防壁と手数と衝撃波の時間稼ぎ
神羅万象が用意した、第三の疑似フィールド。
上下の感覚が曖昧な、無限に続く灰色の空間。地面には巨大な円環が幾重にも刻まれ、遠方には天を支える柱のような光の構造物がそびえていた。
ケルビム戦とも、ドミニオンズ戦とも異なる戦場。
ここならば、周囲への被害を気にせず、上位天使の力を引き出せる。
だが、四人は足を踏み入れた瞬間に理解した。
この場所では、逃げることすら容易ではない。
灰色の空間の中央に、座天使スローンズが姿を現した。
無数の目を持つ、燃え盛る車輪。幾重にも重なった円環が異なる方向へ回転し、その表面に並ぶ目が空間の歪み、魔力の流れ、肉体の動き、精神の揺らぎを同時に捉えている。
天使の九階級において第三位。上位三隊の一員。
神の玉座を支え、その正義と権威を体現する存在。意思と行動を支配し、宇宙の均衡を乱す変化を排除する者。
その存在そのものが、世界に対する判決だった。
「……神の正義に反する者よ」
感情を排した声が、戦場に響く。
「お前たちの執着は、神の定めた秩序を乱す。神の玉座を預かるこの私が、ここに固定する。動くことすら、許さん」
無数の目が一斉に四人を向いた。
次の瞬間、灰色の空間が凍りついた。
地面の円環が発光し、見えない圧力が四人を襲う。格闘特化が踏み込もうとした瞬間、その足が地面に縫いつけられた。
「っ……! なんだ、これ……!」
肉体が動かないのではない。
動こうとする意思そのものが、世界から拒絶されている。
「意思も、肉体も、行動も。私の前では、あるべき位置に留まれ」
スローンズが告げた。
「……いい出来の防壁が、必要だな。薬学、準備は任せた」
拷問特化が拘束具を展開する。
金属の杭を地面に打ち込み、格子状の防壁を構築。さらに複数の装甲板を連結し、衝撃を分散させる可動式の盾を配置した。
薬学の作業場には半球状の防護壁を設け、その外側にも湾曲した装甲を追加する。二重の壁の間には空間を残し、外部からの圧力が調合に影響しないよう工夫した。
「薬学、必要な遮蔽を言え。俺が作る」
「ありがとう♡ 右後方にもう一枚、厚めにお願い。内側に空間も残してね。圧力が変化すると、薬の反応まで狂っちゃうから」
「了解だ」
拷問特化は即座に構造を組み替えた。
「うん、いい感じ♡ 拷問くんって、こういうところは本当に器用ね」
「……作業に集中しろ」
その間にも、格闘特化はスローンズを睨みつけていた。
「俺も行くぜ! 薬学が準備できるまで、手数で稼ぐ!」
地面を蹴る。
その瞬間、スローンズの目が光った。
「不許可」
格闘特化の踏み込みが途切れた。
「なっ……!」
それでも腕を動かせるわずかな隙を探り、拳を繰り出す。
「おおおおっ!」
音速の正拳。
しかし、その拳はスローンズに届かなかった。
距離が離れているわけでも、速度が足りないわけでもない。
拳が相手に到達するという結果そのものが、成立しないのだ。
「なんだよ、これ! 全然届かねえぞ!」
「攻撃が弱いのではない。私との接触を許されていないのだ」
スローンズは微動だにしない。
格闘特化は角度を変え、上段、下段、左右から連打を浴びせた。蹴りも混ぜ、足場を変え、攻撃の起点をずらす。
だが、すべてが届かない。
「無意味だ。お前の技量を否定しているのではない。お前の意思が、私の裁定を超えられない。それだけのことだ」
「……くそったれ!」
格闘特化は、それでも攻撃を止めなかった。
相手を傷つけるためではない。注意を引きつけ、仲間の時間を稼ぐためだ。
「拷問! 俺があいつの注意を引きつける! 防壁を頼むぜ!」
「わかっている。無理に近づくな!」
「言われなくても!」
そのとき、腰振りスペシャリストが前に出た。
「拳が届かないなら、空間ごと揺らせばいい。俺の衝撃波は、国を一発で消せる。……精度は、まだ粗いがな」
「腰振り、味方の壁まで飛ばすな」
「……なるべく、だ」
腰を振る。
ブンッ。
国滅級の衝撃波が灰色の空間を駆け抜け、地面の円環にひびを入れた。遠方の光の柱が傾き、凝固していた空気が激しく揺れる。
「……不許可」
衝撃波はスローンズの直前で威力を失った。
直撃は成立しない。
だが、戦場には変化が残った。
円環の光が乱れ、固定されていた圧力が一瞬だけ薄れる。スローンズは乱れた空間を正すため、権能を再適用しなければならなかった。
「……なるほど。接触を狙わず、戦場そのものを乱すか」
「同じじゃねえよ」
腰振りは再び腰を沈めた。
「俺が空間を揺らせば、お前は毎回、その揺れを正さなきゃならねえ。その間に、あいつらは動ける」
二発目の衝撃波が斜めに走る。
狙いは粗い。地面がめくれ、補助の杭が飛び、拷問特化の防壁の残骸が宙を舞った。
「……っ、俺の部材が!」
「ごめん。なるべくだ」
「なるべくの基準を疑う」
拷問特化は飛んだ残骸を回収し、即座に組み直した。
その間に、格闘特化の腕が半歩分だけ動く。
「おらあああっ!」
やはり拳は届かない。
だが、先ほどより半拍だけ長く動作が続いた。
「拷問! 今だ!」
「わかっている」
拷問特化は杭型の防壁を捨て、装甲板を重ねた湾曲壁へ切り替えた。破壊された部材も無駄にはしない。折れた杭を地面に打ち直し、装甲板を分割して薬学の防護壁を支える。
壊された壁を、次の壁の材料に変える。
それが拷問特化の戦い方だった。
「……いい出来の壁は、壊れた後も仕事をする」
しかし、スローンズの光が走ると、湾曲壁も押し曲げられた。
「神の座は、不動なり」
四層目が砕け、五層目が地面に押しつけられる。
拷問特化の腕に、深い傷が走った。
それでも彼は手を止めず、飛び散った部材を薬学の防護壁へ回した。
「薬学、そっちの遮蔽は維持できているか」
「ええ♡ まだ大丈夫よ。腰振りくんの衝撃波でフィールドが揺れてるけど……データとしては面白いもの」
「揺れてるだけにしろ。薬まで飛ばすな」
「なるべく、だ」
腰振りは三発目を放った。
今度はスローンズの足元の円環を狙う。わずかに軌道がずれ、横の空間を大きく抉ったが、それでも円環の光は乱れた。
スローンズの圧力が一瞬途切れる。
「こっちを見ろよ、座天使様!」
「そして俺の腰もな!」
格闘特化が前に出る。拷問特化が壁を組み直す。
しかし、スローンズはすぐに対策した。
無数の目が一斉に輝く。
格闘特化の身体が、ぴたりと止まった。腰振りの次の一振りも、途中で固定される。
「……お前たちは、手数と乱れで時間を稼ごうとした。ならば、その両方を止めればよい」
淡々とした宣告。
「これで、時間稼ぎも終わりだ」
だが、拷問特化が二人の周囲へ拘束具を打ち込んだ。
連結された装置が、固定されようとする身体を機械的に支える。権能そのものを打ち消すことはできない。それでも、動ける余地をわずかに作り出した。
「……まだ終わっていない」
「拷問……!」
「お前たちが止まると、薬学の時間が足りなくなる」
接合部が悲鳴を上げ、拷問特化の腕に新たな傷が刻まれる。
それでも彼は、残された部材を組み直した。
正面を破壊されれば、斜めに受け流す。壁を押し潰されれば、小型の障壁に分割する。地面ごと圧迫されれば、天井から拘束具を吊り下げて防護層を作る。
だが、スローンズの圧力は容赦なく防壁を破壊していった。
「……一発、本気でいく」
腰振りが告げる。
「味方を巻き込むな」
「わかってる。……なるべく、山の方へ」
国滅級の衝撃波が斜め上へ放たれた。
スローンズの直前で威力はそがれ、本体には届かない。
だが、疑似フィールドの遠方が大きくえぐれ、円環の光が一斉に乱れた。戦場全体へかけられていた圧力が、再構成を強いられる。
その数秒を、拷問特化は逃さなかった。
「……もらった」
七層目の防壁が潰れる直前、八層目の骨格を薬学側へ移す。
「薬学! あとどれだけだ!」
「もう少し♡ 最後の安定剤を入れるわ。あと十秒だけ持たせて!」
「……了解だ。いい出来の十秒を作る」
拷問特化は、自身の拘束具を一部解体した。
腕を守る装甲を外し、背中の固定具を切り離す。自分を守るための部品を、すべて薬学の周囲へ回した。
残った拘束具を組み合わせ、作業場を覆う歪な多面体の防壁を構築する。
正面、上方、左右、床下。あらゆる方向からの圧力を受け止めるための、最後の壁だった。
見栄えも効率も悪い。一度壊れれば、もう作り直せない。
それでも、十秒を稼ぐためだけに設計された壁だった。
「……これで持たせる」
格闘特化は残された自由を振り絞り、前へ出た。腰振りも、小さく短い衝撃波を連打して円環の再点灯を妨げる。
「こっちを見ろよ、座天使様!」
「そして、俺の腰もだ!」
拳は届かない。衝撃波も本体には届かない。
それでも二人は、スローンズの目が向くたびに動こうとした。
攻撃を当てるためではない。
薬学に時間を与えるためだ。
「……無意味だと、まだ理解できぬか」
「理解してるさ! でもな、俺が諦めたら、あいつの時間がなくなるんだよ!」
「俺もだ。合理性より、ご主人様だ」
二人が吠える背後で、最後の防壁が軋んだ。
拷問特化の腕から血が滴り、拘束具の接合部が次々と破断する。
「……あと五秒!」
薬学の声が飛んだ。
拷問特化は返事をせず、崩れかけた支柱を固定する。壊れた装甲板を隙間へ押し込み、最後の崩落を食い止めた。
腰振りの短い衝撃波が、その瞬間を半拍だけ遅らせる。
「四、三……二、一……」
最後の部材が壁の一角へ滑り込んだ。
「……できたわ♡」
薬学が小瓶を手に顔を上げた。
淡い色の液体。その内部では複数の反応が重なり、互いに干渉しながら安定を保っていた。
「ふふっ……♡ 座天使様の『不動』。神の正義によって、意思と行動を固定する力……。本当に、興味深いわ」
薬学は小瓶を軽く振った。
「肉体を拘束する薬だけでは、あなたには通用しないでしょうね。動きを止めるという結果そのものが、あなたの権能に支配されているのだから」
彼女はスローンズを見つめ、楽しそうに微笑んだ。
「だから、今回は少し違うものを用意したの。あなたの意思を直接上書きするんじゃない。あなたが『不動』を成立させるために必要な条件に、薬学的な変化を起こすのよ」
その瞳には、純粋な好奇心が宿っていた。
「あなたの体がどんな反応を示すのか、どこまで固定を維持できるのか……。実際に試してみないと、わからないことがたくさんあるもの♡」
「薬学……! 準備はできたか」
拷問特化が尋ねる。
「ええ♡ 三人とも、ありがとう。おかげで、十分なデータが取れたわ」
「データ……? まさか、準備しながらずっと観察してたのか?」
格闘特化が振り返る。
「もちろんよ♡ スローンズ様が圧力を強めるタイミング、防壁を破壊する方法、格闘特化くんの行動を固定する条件、腰振りくんの衝撃波の処理方法。全部、見ていたわ」
薬学は小瓶を掲げた。
「あなたたちが時間を稼いでくれたおかげで、薬を作れただけじゃない。相手の能力を理解する時間まで手に入ったの。三人とも、本当に優秀ね♡」
「……それならいい」
拷問特化が息を吐く。
「よし……! じゃあ、ここからは薬学の番だな!」
「ええ。あとは任せて♡」
薬学は小瓶を片手に、ゆっくりと前へ出た。
スローンズの無数の目が、彼女を捉える。
「……準備が整ったか。ならば、まとめて固定するまで」
車輪が回転し、灰色の空間に再び圧力が満ちた。
だが、薬学は怯まない。
「ふふっ……♡ 座天使様。あなたの『不動』がどれほど素晴らしい力なのか、これからじっくり確かめさせていただくわね」
スローンズは答えない。
神の正義をもって、彼女の行動を封じようとする。
拷問特化が防壁で時間を作り、格闘特化が届かぬ拳で注意を引きつけ、腰振りが国滅級の衝撃波で戦場を揺らす。
そして薬学は、その時間を分析と準備に変えた。
四人の連携によって、座天使スローンズの絶対的な「不動」に、初めて反撃の糸口が生まれようとしていた。




