魔道VSドミニオンズ3
## 主天使ドミニオンズ戦――協定の履行と魔導の本性
ドミニオンズの笏から、光が完全に消えた。
神の統治を象徴する力が失われ、周囲を満たしていた威圧も薄れていく。
主天使の肩が、初めてわずかに落ちた。
「……まさか。自ら署名した協定で、能力を……」
「ええ。ちゃんと『効力を持つ文書』にサインしていただきましたもの♡」
魔導は扇子で口元を隠し、優雅に微笑んだ。
「表の文字はただのインク。裏に隠した魔法の契約が本当の中身ですわ。『ドミニオンズの能力を没収する』――あなたが認めた瞬間に発動しましたの」
嫉妬が、魔導の背後からそっと顔を出す。
「……魔導ちゃん、本当に成功したの?」
「ええ。大成功ですわ」
「よかったぁ……。私、笏を振るたびに魔導ちゃんが消されちゃうんじゃないかって、怖くて……」
嫉妬は胸を押さえ、安堵の息を吐いた。
魔導は彼女の頭を優しく撫でる。
「あら、あれほど大人しく降参してくださったのに、まだ心配していたんですの?」
「だって、魔導ちゃんが負けたら主人公様を守れなくなるし……」
「ふふっ♡ そこまで心配してくださるなんて、嬉しいですわ」
魔導はドミニオンズに視線を戻した。
「でも、もう大丈夫。ここからは、わたくしの時間ですもの」
ドミニオンズは笏を握りしめた。だが、何の力も生まれない。
「……卑劣だ。神の統治を、こんな小細工で……!」
「あら。あなたがサインなさったのですよ?」
魔導が一歩近づく。
「わたくしたちは『天使に一切逆らいません』と約束しました。能力を失ったあなたに、逆らう必要などありませんもの。これは反逆ではなく、契約の履行ですわ♡」
「契約の履行だと……!」
「ええ。あなたは階級と権限を盾に、わたくしたちに服従を迫りました。ですから、ご期待どおり従順に協定を結んで差し上げたのです。あなたが安心して署名できるよう、最後まで殊勝な態度で」
魔導は扇子を揺らした。
「絶望し、ついに折れてしまった哀れな魔導……。あの演技、なかなかよかったでしょう? あなたも、すっかり安心なさったようですもの♡」
ドミニオンズが後ずさった。
主天使が、初めて明確に退いた。
「くっ……! この私が、下位の策略に……!」
「下位、ですの?」
魔導の瞳が愉しげに細まる。
「今のあなたは、能力を失ったただの天使様。わたくしたちの『ご主人様を愛する』という秩序の前では、もう何もできませんのよ♡」
彼女が指を鳴らす。
足元の空間が歪み、ドミニオンズの動きを封じた。
「……動けない、だと?」
「ええ。わたくしの法則ですもの。あなたが秩序を押しつけたように、今度はわたくしが押しつけますわ♡」
魔導は彼の周囲をゆっくり歩いた。
「それにしても、先ほどまであれほど偉そうになさっていたのに、今は立つことすらままならないなんて」
「黙れ……!」
「おや。まだ命令できるおつもりですの? 残念ですが、今のあなたには、わたくしに従わせる力もございませんわ」
魔導は扇子で口元を隠して笑った。
「これまで、どれほど多くの天使があなたの命令に従ってきたのでしょうね。今のあなたをご覧になったら、何とおっしゃるのかしら?」
「貴様……!」
「お怒りにならないでくださいませ。ただの可能性ですわ♡」
嫉妬が手を叩いた。
「やったー! 主天使様、負けちゃったね♡」
そして、ふと思い出したように魔導を見る。
「……あ、魔導ちゃん。さっきまで本当に苦しそうだったよね? あれも演技だったの?」
「もちろんですわ」
「えっ?」
嫉妬の笑顔が固まった。
「ほ、本当に? 吹き飛ばされて、地面に押しつけられて……あれも全部?」
「痛みがまったくなかったわけではありませんわ。でも、戦闘を続けられないほどではありませんでしたの」
魔導は何でもないことのように答えた。
「ドミニオンズ様の能力は厄介でしたわ。攻撃を無効化し、法則を上書きし、相手の行動まで封じる。普通の相手なら、何もできずに敗北していたでしょうね」
「じゃあ、魔導ちゃんでも勝つのは難しかったんじゃ……?」
「いいえ?」
魔導はきっぱりと言い切った。
「最初から、殴り合いでも勝てましたわ」
「…………え?」
嫉妬が間の抜けた声を漏らした。
ドミニオンズも言葉を失う。
魔導は扇子を閉じ、指先で軽く叩いた。
「あなたの能力を分析して、すぐにわかりましたの。確かに、わたくしの魔法を無効化する力は厄介ですわ。でも、無効化するには、あなた自身が現象を認識し、統治権限で処理しなければなりません」
「何を……言っている……?」
「攻撃を重ねて処理能力を超えさせる。認識の隙を突く。権限が届かない形で攻撃する。やりようはいくらでもありましたわ」
魔導は楽しそうに微笑んだ。
「多少の手間はかかったでしょうけれど、勝てない相手ではありませんでした。戦いながら、あなたの力を破る方法はいくつも見つけていましたもの」
「では……なぜ、あそこまで追い詰められたふりを……?」
「決まっていますでしょう?」
魔導は不思議そうに首を傾げた。
「あなたに勝てることと、勝ったあとに望む結果を得られることは別問題ですわ」
彼女は協定書をひらひらと揺らした。
「力ずくで倒しても、統治権限が残っていれば、意識を取り戻したあなたに再び拘束されるかもしれません。あなたを倒すことと、権限を確実に奪うこと。その両方を達成するには、あなた自身に契約を承認させるのが最善でしたの」
「……最初から、この協定を……?」
「ええ。戦闘が始まったときから考えておりましたわ♡」
魔導は指を一本立てた。
「あなたが攻撃を無効化するたびに、能力を観察する。わたくしが追い詰められるほど、あなたは勝利を確信する。そして最後には、わたくしたちが心から降伏したと思い込む」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
「あなたが『もう勝った』と思った瞬間こそ、わたくしの勝ちだったのですわ。勝利を確信した相手ほど、契約書の細かい文字を疑わなくなるものですから♡」
ドミニオンズの顔から血の気が引いた。
自分の力で圧倒し、相手を屈服させたはずだった。
だが、追い詰めたことも、降参させたことも、すべて相手の計算だった。
「……私の権限を奪うためだけに、あそこまで……」
「あなたは強かったですわ。だからこそ、油断する状況を作る必要がありましたの」
魔導は扇子を開く。
「あなたが弱かったなら、こんな手間は不要でした。わたくしが本気で戦って、さっさと倒せばよかったのですもの」
「…………っ!」
「つまり、あなたの強さは本物ですわ。でも、その強さを過信したことが敗因です」
魔導の笑みが深くなった。
「主天使ともあろうお方が、敵の降参を鵜呑みにし、契約書の裏側すら確かめず、自分の権限を差し出してしまうなんて……。あまりにも簡単で、拍子抜けいたしましたわ♡」
「魔導ちゃん……」
嫉妬が呆れた目を向ける。
「本当に性格悪いよね……」
「褒め言葉として受け取っておきますわ♡」
「褒めてないよ! 私だって、途中まで本気で心配してたんだから! 魔導ちゃんが負けたらどうしようって、すごく怖かったんだからね!」
「まあまあ。結果的には、二人とも無事でしたでしょう?」
「そういう問題じゃないよぉ……」
嫉妬は頬を膨らませ、それからドミニオンズを見た。
「でも、もう魔導ちゃんには勝てないよ。だって、最初から勝つつもりだったんだもん。私たちが降参したのも、魔導ちゃんが追い詰められたのも、全部、主天使様に油断してもらうためだったんだよ」
「……わかっている」
ドミニオンズの声から、威厳が消えていた。
「わかっているとも……!」
彼は笏を握りしめた。だが、光は戻らない。
「……悔しい。紙切れ一枚で、私の権限が……。いや、それだけではない。私は戦いにおいても、最初から……」
「ええ。あなたは、わたくしに一度も勝っていませんわ」
魔導は容赦なく告げた。
「あなたが優勢だと思っていた時間も、わたくしが降参したと思っていた瞬間も、すべて計画の中。最後まで、ご自分が何をさせられているのか気づかなかったのですもの」
「やめろ……」
「おや、聞きたくありませんの?」
魔導は一歩近づき、彼の顔を覗き込んだ。
「ご安心くださいませ。あなたの敗北を隠すつもりはありませんわ。『自分の権限を過信した主天使が、敵の策略に気づかず、自ら能力を差し出した』……ふふっ、面白い報告書になりそうですわね♡」
「魔導ちゃん、それ、天使の記録係が聞いたら大喜びしそう……」
「でしたら、記録係の方にもぜひお伝えしなくては。わたくしが書けば、あなたの失態を一行も漏らしませんわ♡」
「……もういい。黙れ……!」
「はいはい。では、最後に一つだけ」
魔導は扇子を閉じ、ドミニオンズの目を見つめた。
「あなたは、わたくしたちを下位の存在だと侮りました。階級が低いから自分より弱い、自分の権限に逆らえるはずがない。そう思っていたのでしょう?」
ドミニオンズは答えなかった。
「階級は強さを保証するものではありませんわ。ましてや、勝利を保証するものでもありません」
魔導はにっこりと笑った。
「そして、わたくしはご主人様のためなら、どれほど卑怯な手でも使いますの♡」
「魔導ちゃん、それ、堂々と言うことじゃないと思う……」
「どうしてですの? ご主人様を愛するために必要なことですもの」
「うーん……やっぱり性格悪いよね」
「またですの、嫉妬ちゃん?」
「だって、本当のことだもん!」
二人のやり取りを前に、ドミニオンズは沈黙した。
魔導は敵の力を見極め、敗北を演じ、勝利を確信した相手の心理まで利用した。しかも、その計画を実行するため、危険な戦場で最後まで演技を続けたのだ。
「……お前たちヤンデレは、本当に……」
「ええ。本当に、ご主人様を愛していますの♡」
魔導は優雅に微笑んだ。
希望を与え、裏をかく。
勝利を確信させ、足元を崩す。
相手が最も誇りにしている力を、相手自身の手で差し出させる。
それが、魔導の戦い方だった。
「さあ、主天使様。協定に従い、大人しくしていてくださいませ。わたくしたちはもう、天使には逆らいませんもの」
彼女は扇子を開き、悪戯っぽく笑った。
「……あなたの能力がない今は、特にね。チャオ♡」
空間が狭まり、ドミニオンズの身体を確実に固定する。
嫉妬はようやく安心した様子で手を振った。
「お疲れさまー! これで終わりだね♡ 次は主人公様と一緒に、普通にご飯を食べようね! ……あ、主天使様も、もう暴れないでね。魔導ちゃん、怒らせると本当に怖いから」
「嫉妬ちゃん?」
「ひゃっ、ごめんなさい!」
嫉妬は慌てて魔導の後ろに隠れた。
魔導は満足そうに扇子をあおぐ。
主天使ドミニオンズの絶対的な統治は、自ら署名した一枚の協定書によって崩れ去った。
戦場に残ったのは、無力化された主天使と、優雅に微笑む魔導の姿だけだった。




