ケルビムVSエンジェル 最下級天使の逆襲3
## 智天使ケルビム戦 結末――百七十五回分の執行、その先へ
百七十五回分の衝撃波が、ようやく止んだ。
智天使ケルビムは片膝をついていた。
四つの顔には傷が刻まれ、全身の光も弱まっている。無数の瞳は解析を続けていたが、演算速度は明らかに低下していた。
対するエンジェルたちも、立っているのがやっとだった。
エンジェルは震える腕でバインダーを抱え、ケルビムを見据える。
「……まだ立ちますか。さすがは智天使様ですね」
「当然です……!」
ケルビムはゆっくりと立ち上がった。
「科学特化の妨害、監視特化の記録固定、潜入特化による光路封鎖。そして、エンジェル、お前のバインダーによる想定外の攻撃……見事な連携でした」
傷ついた身体を支えながら、薄く笑う。
「私の解析を妨害し、演算を乱し、これほどの損傷を与えた。その点は認めましょう」
「お褒めいただき光栄ですわ♡」
エンジェルはバインダーを握り直した。
「ですが――」
ケルビムの無数の瞳が、一斉に輝いた。
「それでも、私には及ばなかったようですね」
周囲に光輪が展開され、退路を塞ぐ。
「私の損傷は深刻です。全力で戦えば、こちらも危険でしょう。ですが、戦闘続行は可能です」
光が再び集まっていく。
「お前たちは消耗し、切り札も使い果たした。残された力だけでも、無力化するには十分です」
四つの顔が、冷徹な笑みを浮かべた。
「では、処理させてもらいましょう」
「……っ!」
エンジェルたちが身構えた、その瞬間。
「あらあら♡ 皆さん、ずいぶんお疲れですわね♡」
穏やかな声が戦場に響いた。
慈愛のヤンデレが、ゆっくりと姿を現す。
「慈愛……!」
エンジェルの顔が明るくなった。
「エンジェルさん、よく頑張りましたわね♡ 皆さんも、もう限界でしょう?」
慈愛は両手を広げた。
「それでは、元気になっていただきましょう♡」
「《フルヒール》♡」
柔らかな光が戦場を満たした。
傷が消え、疲労が抜け、失われた魔力が満ちていく。
科学特化、監視特化、潜入特化、そしてエンジェル。
四人は、戦闘開始前と変わらない状態まで回復した。
エンジェルは手を握ったり開いたりして、満足そうにうなずく。
「……すごい。完全に戻っています」
「うふふ♡ これで大丈夫ですわ。まだまだ頑張れますわね♡」
「はい♡ ありがとうございます、慈愛」
エンジェルはバインダーを握り直した。
一方、ケルビムは固まっていた。
無数の瞳が四人を走査する。
負傷なし。疲労なし。魔力残量、正常。
「……何ですか、これは」
「回復ですわ♡ 傷を治して、魔力を補充しましたの♡」
「そんなことは見れば分かります!」
ケルビムが声を荒らげた。
「私が聞いているのは、そういうことではありません!」
四つの顔が、自分の損傷した身体と、完全に回復した四人を見比べる。
「私は重傷を負いましたが、まだ戦えます。残された力でお前たちを無力化することも可能だった……!」
「ええ。ですから、今度は私たちが戦いますね♡」
エンジェルはバインダーを開いた。
「追加記録の準備もできていますよ♡」
「待ちなさい……!」
ケルビムの声に、明確な動揺が混じった。
「まさか、お前たちはこれを何度も繰り返すつもりなのですか?」
慈愛が首を傾げる。
「皆さんが疲れたら、また回復すればいいのではありませんか? 私、まだまだ魔力に余裕がありますわ♡」
「……っ!」
ケルビムの無数の瞳が見開かれた。
一度の戦闘なら、勝敗はまだ決していない。
自分は重傷だが、戦闘不能ではない。残された力で敵を倒せる可能性もある。
だが、相手には回復役がいる。
こちらが傷つき、演算能力と魔力を消耗する一方で、相手は何度でも万全の状態に戻る。
しかも、今回の戦闘記録は相手に残る。次は連携を改善してくるだろう。
その次も。
さらに、その次も。
「……馬鹿な」
ケルビムの声がかすれた。
「これを何度も繰り返されたら……」
神の叡智が戦況を解析する。
しかし、目の前の状況に、勝利への明確な道筋を見いだせない。
「私が消耗するまで、回復して、また攻撃してくるというのですか……?」
「はい♡」
エンジェルは笑顔で答えた。
「報告書は、まだまだ残っていますから♡」
「そんな理由で……!」
「ランチを百二十八回も逃した私の執念を、甘く見ないでくださいね♡」
「今それは関係ないでしょう!!」
ケルビムの叫びが戦場に響いた。
だが、エンジェルたちは誰も否定しなかった。
慈愛は嬉しそうに微笑み、エンジェルの肩に手を置く。
「ふふっ♡ 皆さん、仲がよろしいのですね。では、次も頑張りましょう♡」
「次も……?」
ケルビムの顔から、余裕が消えた。
そのとき、静かな、しかし絶対的な威圧が戦場を覆った。
「そこまでだ、ケルビム」
金色の光とともに、大天使ミカエルが降り立った。
天界の軍団を統べ、かつて主人公とも渡り合った大天使。
ケルビムの動きが止まる。
「……ミカエル様」
「お前の独断専行は、もう限界だ」
ミカエルの声は低く、静かだった。
「私が抑えた侵攻を再び煽り、下位の者たちを弄び、エンジェルに過剰な報告書を押し付けた。地上のバグを『興味深い』などと弄び続けた……いい加減にしろ」
ケルビムは顔を上げた。
「私は神の叡智に従ったまでです。主人公というバグの自由が遠のく可能性があるなら、観測し、秩序を正す。それが私の――」
「それがお前の『面白がって』だ」
ミカエルが遮った。
「解析結果を都合よく切り取り、虚偽に近い報告で上層を動かした。私の不在まで利用したな。今回は回収する。これ以上、地上で好き勝手は許さん」
エンジェルはバインダーを抱えたまま、二人を見つめていた。
「……ミカエル様」
ミカエルが振り向く。
「エンジェルか。お前も、よくここまで残ったな」
「はい。私は……もう、ただの報告係ではありません」
エンジェルはバインダーを抱きしめた。
「ご主人様の意思を執行する者です」
ケルビムが、痛みを含んだ冷たい笑いを漏らした。
「最下級が、よくもそこまで増長したものです。ミカエル様、あれをご覧ください。あのバインダーは異常です。主人公の下らない記録を神の叡智に上書きしようとしている。……あれこそが真のバグです」
「黙れ」
ミカエルの一言で、ケルビムの声が止まった。
「エンジェルの変化は、お前が引き起こした結果でもある。下位を使い潰し、怒りを溜めさせ、地上の愛に触れさせておいて、今さら『バグ』などと言うな」
エンジェルが、小さく息を吸った。
「ミカエル様。……私、天界に戻るつもりはありません」
ミカエルは静かに彼女を見つめる。
「報告書は、これからも書きます。でも、もう天界のためではありません。ご主人様の『普通に』を守るために、書きます」
ミカエルは何か言いたげな表情を浮かべたが、やがて首を振った。
「……お前の意思は分かった。強制はしない。ただし、天界がお前を完全に見放したわけではないことは覚えておけ」
そして、ケルビムへ向き直る。
「立て。帰るぞ」
ケルビムはゆっくりと身体を起こした。
深い傷を負い、演算能力も低下している。それでも、まだ自力で立つ力は残っていた。理論上は、戦闘を続けることもできる。
だが、目の前には回復を終えたエンジェルたちがいる。
慈愛の魔力にも余裕があり、ミカエルも退路を塞ぐように立っていた。
ケルビムは、初めて自分の解析結果を信じたくないと思った。
「……悔しいです」
無数の瞳が、エンジェルのバインダーを睨む。
「まさか、あんな下らない『チラ見回数』と『ランチ回数』が……ここまでの結果を生むとは」
「ケルビム」
ミカエルが告げる。
「お前が自ら招いた結果だ」
金色の光がケルビムを包み、回収の術式が起動する。
去り際、ケルビムはエンジェルを見た。
「……そのバインダーを、いつまでも振り回せると思わないことですね」
エンジェルはバインダーを抱き直した。
蕩けた瞳の奥に、確かな熱を宿して。
「ご心配なく。報告書は、これからも書き続けますから♡」
そして、にっこりと微笑んだ。
「もちろん、全部、愛ですから♡」
光が収束する。
ミカエルとケルビムの姿が、天界へと消えていった。
戦場に残されたのは、砕けた光の粒子と、バインダーを抱えた一人の元・報告係だった。
エンジェルはゆっくりと息を吐き、空を見上げる。
「……ふふっ。ランチ、今度こそ普通に食べたいな」
その声は、誰にも届かなかった。
けれど、彼女の病みは、確実に次の段階へと進んでいた。




