番外編――温泉くらい普通に入らせてくれ2
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男性風呂。
主人公の怒りが臨界点に達した。
「ふざけんな……! 温泉まで監視とはな!」
彼が湯船から勢いよく立ち上がる。
同時に、格闘特化も、腰振りスペシャリストも、拷問特化も、反射的に立ち上がった。
一般人の常識を遥かに超えた身体能力を持つ男たちが、一斉に動いたその衝撃だけで――
ドォォォォン!!
境界の仕切りが、木片と岩を飛ばして轟音とともに吹き飛んだ。
湯気が一気に混じり合い、男性風呂と女性風呂の境界が消失する。
「……あ」
主人公の顔が青ざめる。
格闘特化が硬直した。
「俺たち、ただ立っただけだぞ……?」
腰振りスペシャリストが呟く。
「……腰、入れてねえのに」
拷問特化が短く息を吐く。
「……事故、だな」
お兄さんが呆然とした。
「俺は普通に温まりたかっただけなんだが……」
仕切りの向こうには、一般の女性客も数名いた。
悲鳴が上がる。
「きゃあああっ!?」
「な、何が!?」
主人公は慌てて股間を隠した。
「ちょっと待て! これは事故だ! 全員、落ち着いてくれ!」
その瞬間。
魔導の視線が、主人公の股間へ向いた。
「あら……♡」
森羅万象も、紅茶を飲むときと変わらない穏やかな顔で、じっと見つめている。
「まあ。普段は衣服に隠れている部分が、こんな形で……♡」
科学は端末を構えた。
「想定外の観測機会ですわね。記録対象としての価値は極めて高いです♡」
薬学が真剣な顔で頷く。
「なるほど……。健康状態の観察という観点からも、貴重な機会ですわね♡」
「何の健康観察だ!!」
主人公が叫ぶ。
嫉妬は両手を合わせ、目を輝かせていた。
「わあ♡ 主人公様、隠さなくてもいいのに! わたしたち、みんな仲良しなんだから♡」
「仲良しでも見せる必要はないだろ!!」
監視は無言で視線を固定していた。
潜入特化は、いったん主人公の顔へ視線を戻す。
「……なるほど。目線を逸らしたと見せかけ、再確認するのも有効な手法なのですね」
「学習するな!!」
慈愛はにっこりと微笑んだ。
「大丈夫ですわ、ご主人様♡ 恥ずかしがらなくても、わたくしたちはどんなご主人様でも愛しておりますから♡」
「そういう問題じゃない!!」
そして、エンジェル。
彼女は顔を横に向け、片手で目元を覆っていた。
「……こ、これは職務上、直視すべきではありません! 一般客もいるのですから、わたしは記録係として冷静に……!」
カリカリカリカリカリ!!
バインダーの上を、ペンが猛烈な勢いで走る。
「記録! 主人公様、股間を隠す動作を確認! 防御姿勢への移行、迅速! 表情に動揺あり! 視線の動き、要再確認!」
「何を記録してるんだ、お前は!!」
「し、仕事です! これは職務ですから!」
エンジェルは目をそらした。
……三秒後、ちらっ。
カリカリカリカリ!
「追加記録! 遮蔽動作の変化を確認!」
「今、見ただろ!!」
「み、見ていません! 記録の正確性を確保するため、必要な範囲で状況を確認しただけです!」
……ちらっ。
カリカリカリカリカリ!!
「エンジェル!!」
「はいっ! 主人公様の抗議も記録しました!」
「そこじゃない!!」
魔導が扇子を閉じて、楽しそうに笑った。
「あらあら♡ 主人公様ったら、自ら貴重な観察機会を提供してくださるなんて。チャオ♡」
「提供してない!!」
科学が端末を操作する。
「データ上、一般客を巻き込んだ境界破壊は明確な規約違反です。お仕置きプロトコルを開始しますわ♡」
森羅万象が指を鳴らした。
「空間を、整え直しますわね♡」
「待て! まず全員、目をそらせ!!」
ヤンデレたちは、一斉に主人公の顔を見た。
……そのまま、ゆっくりと視線を下げた。
「そっちじゃない!!」
エンジェルのペンが、再び猛烈な勢いで動き出した。
「記録! 主人公様、二度目の抗議! 羞恥心の顕著な発露を確認! これは重要な資料です……!」
「その資料を今すぐ捨てろおおおおおっ!!」
湯気が異常に濃くなり、男たちの周囲の脱出経路が歪み始める。
格闘特化が叫ぶ。
「やばいぞ! 逃げる! 事故でも言い訳にならねえ!」
腰振りスペシャリストが衝撃波を溜める。
「俺の腰で道を作る!」
拷問特化が「……いい出来の脱出にする」と短く応じ、
お兄さんが「俺は店に帰りたいだけなんだがぁぁっ!」と叫びながら走る。
男たちは連携して湯船を飛び出した。
主人公が先頭に立つ。
「こっちだ! 裏の脱衣所から山道へ抜けられる!」
格闘特化が壁を殴り開き、通路を確保する。
「俺が先頭を切り開く! お前らは続け!」
腰振りスペシャリストが連続で衝撃波を放ち、迫る魔法の壁を打ち払う。
「通れるうちに走れ!」
拷問特化が落ちている手すりや岩を即座に拘束具代わりの障害物に変え、追跡を遅らせる。
「……いい出来の遅滞だ。行け!」
お兄さんが荷物を背負い、最短ルートを的確に指示する。
「左だ! 従業員用通路がある! 俺は店の裏口に詳しいんだよ!」
四人は息を合わせ、湯気と瓦礫の中を突き進んだ。
エンジェルのバインダー砲が後ろから迫る。
「記録に基づき、お仕置きを執行します! 一般女性を巻き込んだ回数分、追加しますね♡」
ドゴォォォン!!
衝撃波が男たちのすぐ後ろを掠めた。
魔導の魔法が通路を塞ぎかけ、科学の拘束フィールドが展開される。
森羅万象の空間操作で、先の景色が別の壁に変わろうとする。
だが、格闘特化が壁を粉砕し、腰振りが衝撃波でフィールドを乱し、拷問特化が足場を作り、お兄さんが「こっちが本物の出口だ!」と声を張り上げた。
「先に行け! 主人公は俺がカバーする!」
格闘特化の叫びとともに、四人は山道側の非常口を突破した。
夜気が一気に流れ込む。
「……逃げ切ったぞ!」
「店に帰れる……!」
「……いい出来の脱出だった」
「俺はもう、普通の営業に戻りたい……!」
四人は闇の中へ消え、追跡を振り切った。
一方、主人公だけが遅れた。
脱出口で待ち構えていた監視のカメラと、エンジェルのバインダー砲に捕まったのだ。
「記録完了。お仕置き対象、確保しました♡ ……他の皆さんには届きませんでしたが、主人公様だけで十分です」
「十分じゃない! 俺だけ捕まってどうするんだ! みんなも捕まえろ!」
主人公が叫ぶと、エンジェルはバインダーを胸に抱きしめた。
「まあ……♡ ご自分が捕まったというのに、仲間の皆さんまで心配なさるなんて……! そのお優しさも記録しておきますね♡」
「記録するな! 助けろ!」
「それは別の項目ですので♡」
「項目を増やすな!!」
魔導が扇子を広げながら、優雅に近づいてきた。
「一般の方々にもご迷惑をかけましたもの。しっかり償っていただきますわね♡」
「だから、あれは事故だって言ってるだろ!」
「あら。事故であれば責任を取らなくてもよろしいと?」
「そういう意味じゃない!」
「でしたら、異論はありませんわね♡」
「話を勝手にまとめるな!」
魔導は楽しそうに笑い、科学へ目を向けた。
「科学さん、拘束具の準備はよろしくて?」
「もちろんですわ。今回は脱出経路の分析結果も反映しています。逃走成功率は、限りなくゼロに近い数値です♡」
「ゼロじゃないのか!?」
「改善の余地があるということですわね。次回の研究課題にします♡」
「研究するな!!」
科学が拘束具を起動させる。
主人公の手足を拘束する装置が、音を立てて作動した。
「夜の生活管理権もありますし、今日は長めにしますわ♡」
「その権利を今ここで持ち出すな!」
「規則に記載されていますので♡」
「いつの間にそんな規則ができたんだ!?」
「先ほど追加しました」
「事後法じゃねえか!!」
森羅万象が、くすくすと笑いながら空間を封鎖した。
「まあまあ。ご主人様、そんなに怒らないでくださいませ♡ 逃げ道はきちんと整えておきましたわ」
「今、塞いだだろうが!」
「ええ。逃げられないように整えましたの♡」
「言葉の使い方がおかしい!」
「あら、わたくしの世界では正しい使い方ですわよ?」
魔導が扇子の陰で笑った。
「森羅万象さん、今のは少々意地悪ですわね♡」
「魔導さんほどではありませんわ♡」
「あら、光栄ですわ♡」
「褒め合ってる場合か!!」
エンジェルは、バインダーに追記しながら、ハイでとろけた声を出した。
「愛ですから♡ 回数も、破壊も、全部残してあります。主人公様の抗議も、逃走の努力も、すべてわたしの大切な記録です……♡」
「お前の記録、俺の人生を何だと思ってるんだ!」
「愛の歴史です♡」
「歴史にするな!!」
科学が端末を確認する。
「記録の保存先は三か所です。エンジェルさんのバインダー、わたくしの端末、それから森羅万象さんの保管空間」
「勝手にバックアップまで取るな!」
「大切な資料ですもの♡」
「消去する手段は!?」
森羅万象が、にっこりと微笑んだ。
「ございませんわ♡ 空間ごと封鎖しましたもの」
「最悪だあああああっ!!」
魔導は満足げに頷いた。
「さて。一般の方々へのお詫びも必要ですし、ご主人様には責任を果たしていただきませんと♡」
「だから俺だけに全部押しつけるな! あいつらも一緒に逃げてただろ!」
「ええ。ですから、ほかの皆さんも別途確保する予定ですわ」
「予定!?」
「はい♡ でも、ご主人様はもう確保済みですもの。先にお連れしても問題ありませんわね?」
「問題しかない!!」
森羅万象が主人公の肩に手を置いた。
「ご安心くださいませ。温泉で冷えた身体も、疲れも、わたくしたちが整えて差し上げますわ♡」
「温泉で温まりに来たんだ! こんなことになるなら家で風呂に入ればよかった!」
「まあ♡ 次はご自宅のお風呂ですのね?」
魔導の目が、きらりと光った。
「それも素敵な計画ですわ♡」
「次の計画にするな!!」
エンジェルは、うっとりとバインダーを抱きしめた。
「本日の記録、最後の一行……『主人公様、次回の温泉旅行を拒否。代替案として自宅入浴を提案』……♡」
「提案してない! もう二度と行かないって言ったんだ!!」
「拒否の意思も記録しました♡」
「だから何でも記録するなあああああっ!!」
男たちの命がけの脱出劇は、四人にとっては大成功に終わった。
一方、主人公だけは女性陣に囲まれ、温泉の「お詫び」と称した夜の生活へお持ち帰りされることになった。
「……普通に、温まりたかっただけなのに」
「はい♡ その願いも、次回の計画に反映しておきますわ」
「反映するなあああああっ!!」
その叫びは、熱い湯気に溶けるように、誰にも届かなかった。




