ポケットサイズの地獄 三つの返事に明日はない
# 番外編――寝不足と三つの返事
寝不足で記憶が所々飛んでるがみんなにまだ語ってなかったな。
俺はこの物語の主人公だ。
前回の「一日」を生き延びた翌日の話をする。
前夜はいつものように森羅万象に「整え」られて夜の生活へ強制参加させられた。
睡眠時間は、正直二時間あるかどうかだ。
頭が回らない。
判断力が死んでいる。
そんな状態で、慈愛のヤンデレと遭遇した。
これが、俺の最大のミスだった。
*
自室のドアを開けた瞬間、彼女が立っていた。
「ご主人様♡ おはようございますわ。今日はご主人様に、素敵なご提案がありますの♡」
慈愛は聖母のような笑顔で、スケッチブックを差し出した。
そこには、手書きのデザイン画が描かれている。
小さな人形のキーホルダー。
よく見ると、慈愛のヤンデレ本人をモチーフにしたものだ。
「ご主人様がお好きそうだと思いまして、心を込めてデザインしましたの♡ わたくしの分身みたいなキーホルダーを、これから作ろうかと思いまして……」
俺は寝ぼけた頭でそれを眺めた。
(キーホルダー……? かわいいけど……なんで俺に? まだ作ってないのか)
頭が働かない。
適当に返事をすれば、この場を乗り切れるはずだ。
俺は昔から知っている。
どんな会話でも、この三つの返事さえあれば成立する、という伝説の法則を。
「はい」
「そうですね」
「なるほど」
この三つだけを繰り返せば、相手は勝手に話を進めてくれる。
俺は口を開いた。
「なるほど」
慈愛の目が輝いた。
「まあ♡ 気に入っていただけましたのね♡」
「そうですね」
「では、実際に作って、毎日お持ちいただいてもよろしいですわね♡」
「はい」
「いつでも身につけていただけるように、ベルトにも、ポケットにも、固定できますの♡」
「なるほど」
「では、今後はご主人様の標準装備ということで……♡」
「そうですね」
ここで、ようやく俺の意識が少し戻った。
……待て。
俺、今、何に同意した?
「待て」
声に出した瞬間には、すでに遅かった。
慈愛は嬉しそうに両手を合わせている。
「ご主人様が承諾してくださいましたわ♡ わたくし、すぐに作り始めますね」
俺は慌てて質問した。
「……作るのに、何分かかるんだ?」
「十五分ですわ♡」
「短か!!」
俺は思わず叫んだ。
十五分で一個作れるのかよ。
それじゃあ量産されてもおかしくない。
「傷まないように予備を……それに、もっと種類を増やして……」
俺は冷や汗をかいた。
寝不足の頭で、三つの返事だけで乗り切ろうとした結果、慈愛ヤンデレキーホルダーの常時着用がほぼ義務化されかけている。
ミサイルを回避するより厄介だ。
相手に悪意がない。
ただ俺を喜ばせたいだけなのだ。
「いや、待ってくれ。毎日持ち歩くと傷むだろ。大切なものだからこそ、必要なときに使うべきだ」
「大切なもの……♡」
慈愛の頬がさらに緩む。
「ご主人様は、このキーホルダーを大切にしてくださるのですね♡」
「そうですね」
反射的にまた出してしまった。
「では、傷まないように、わたくしが毎日新しいものを作って差し上げますわ♡」
「はい……って、違う!」
俺は必死に頭を回転させた。
このままでは、毎日新しいキーホルダーを受け取ることになる。
ここで逆転の発想をした。
「……だったら、もっと作れ」
「え?」
「お前一人分じゃ足りねえ。ヤンデレ全員分だ。十一人分、全部作れ」
慈愛は目を丸くした。
「十一人分……ですの?」
「そうだ。全員分。十五分で一個作れるんだろ。なら全員分作れ」
俺は賭けに出た。
数が増えれば、さすがの彼女も「それは大変ですわ」と引くはずだ。
しかし、慈愛は静かに微笑んだ。
「わかりましたわ♡」
「……は?」
「ご主人様がそう仰るなら、十一人分、すべて心を込めて作りますわ♡ 皆様の分身を、ご主人様にお持ちいただけるなんて……素敵ですわね」
(ご主人様がわたくしたち全員を身につけてくださる……! これ以上の幸せはありませんわ♡ すぐに取り掛かります)
「待て、本気か?」
「はい♡ 十五分で一つ作れますもの。十一人分でも三時間弱で完成しますわ」
俺は絶句した。
適当な返事でキーホルダー着用を承諾し、さらに「全員分作れ」と投げつけた結果、本当に作られることになった。
慈愛はすでに布と糸を取り出し始めている。
「ご主人様♡ 完成したら、どれからお持ちになりますか? わたくしの分から順番に、それとも全員一斉に……?」
「なるほど……」
また出してしまった。
「では、全員分を一度にお渡ししますわね♡」
「そうですね……って、違う!!」
俺は頭を抱えた。
このままじゃ終わる。
十一人分のキーホルダーが、俺のポケットを埋め尽くす未来が見える。
三時間後。
慈愛が戻ってきた。
手には、十一個のキーホルダーが丁寧に並べられた箱。
森羅万象、魔導、科学、薬学、監視、潜入、慈愛、嫉妬、それに男三人の分まで、すべて揃っている。
「ご主人様♡ 完成しましたわ。皆様の分身です。どうぞ、お持ちくださいませ♡」
俺は逃げる気力すら残っていなかった。
慈愛は優しく、俺のベルトやポケット、鞄のチャックに、一つ残らず取り付けていった。
「これで、いつでもわたくしたちがそばにいますわ♡」
十一個のキーホルダーが、カチャカチャと音を立てる。
重い。
目立つ。
そして、絶対に外しにくい。
部屋の隅で、魔導が扇子で口元を隠し、嬉しそうに観察していた。
「ふふっ……ご主人様が十一人分を全部身につけてくださるなんて♡ 素敵ですわね」
隣では監視特化が、カメラを回しながら満足げに頷いている。
「記録完了ですわ♡ ご主人様の標準装備が更新されました。永久保存です」
(魔導。ご主人様がわたくしたち全員を身につけている姿……最高ですわ。逃げ道はありませんわね♡)
(監視。この映像、何度見返しても足りませんわ♡ ご主人様のポケットがわたくしたちで溢れている……)
俺は天井を見上げた。
この屋敷では、曖昧な返事ひとつで新しい生活習慣が制定される。
そして俺は、十一人分のキーホルダーを、実際に身につけることになってしまった。
……なかなかハードだろ。
生き残るだけで、俺は毎日限界を超えてる。
普通に飯を食って、普通に寝たい。
キーホルダーなしで、だ。
だが、今日から俺のポケットは、十一人の分身で埋め尽くされている。
ハードボイルドな俺の一日は、まだまだ続きそうだ。
読んでいただきありがとうございます。
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