【夏】 ―主人公編⑥―
「ツキ……なのか……?」
くっそ……面倒なことになった。岩場の陰で鎧を脱ぎ、さあひとっ風呂浴びようかというところで、まさかアルベールに見つかってしまうなんて。いまごろは公務中のはずではなかったのか。
こんなのまるで、ギャルゲーのラッキーイベントじゃないか。しかも、なんで〈主人公〉の私がこっち側なんだ。
「はい……」
私は返事をして、湯けむりの向こうのアルベールの顔をうかがった。
アルベールは目を丸くして固まったまま、湯の中にひざまずく私を凝視している。――そんなに見ないでよ。まあ、この世界の私は引き締まったたいへんナイスなバディをしているので、現実世界よりは恥ずかしくない。
アルベールははっと我に返ったようにびくりとして、くるりとまたうしろを向いた。肩に提げている大きな革製の鞄をおろし、後ろ手に私のほうに放ってよこす。
「と、とりあえずその中に水着が入っているから、それを着けなさい」
「は……」
私は湯の中に着水してぷかぷか浮いている鞄を取った。
気まずい。いったいこれからどうしよう。任務をさぼっていたのみならず、身分を偽っていたことがばれてしまった。言い訳をすると、別に自分から男だと申告したことはない。都合がいいから、まわりの勘違いに任せていただけなのだけれど。
鞄を開けると、水着――というかただの布のようなものが入っていたので、バスタオル代わりに体に巻きつけた。
「身に着けました」
私が言うと、アルベールはちらとこちらを確認し、はあっと息を吐き出して言った。
「まったく、おまえは何度、私の度肝を抜けば気が済むのだ……」
アルベールはこちらを向いて膝に手をつき、がっくりと頭を垂れた。
よくよくアルベールを見てみると、仕立ての良いズボンのあちこちに草や葉っぱが突き刺さり、全身汗だくだ。いつもさらさらの前髪は、べっとりと汗で額に張りついている。侍ゲームで忍のスキルを習得済みの私にとってはなんてことのない道のりだったが、王太子殿下には相当堪えたらしい。
「殿下は、こんなところまでなにをしに……?」
護衛もつけずに、こんなに大きな鞄を提げて。
「それは……その……」
アルベールはいつになく言葉を詰まらせる。顔がゆでダコのように真っ赤だ。
「ツキ、おまえを……喜ばせたくて……」
まだ息があがっているようだし。その若さにしては体力がなさすぎやしないか。
「おまえの故郷には、たくさんの温泉があると言っていただろう」
――たしか、最初の面談の時に話したことだ。覚えていてくれたんだ。
「まさか先回りされるとは思っていなかったけどな」
アルベールはそう言ってから、ふっと自嘲気味に笑った。
「……ありがたき幸せにござります」
私が無類の温泉好きであることは間違いない。私は口の開いた大きな鞄に目をやった。たしかもう一枚、同じ布が入っていたから――
鞄を引き寄せて布を取り出すと、その下になにか嵩張るものが入っている。大輪の薔薇の花束だ。ざっと五十本ほどはあろうかという大きさの真っ赤な花束は、この清らかな渓流にはなんともそぐわない。こんなものを持ってくるために、この馬鹿でかい鞄を提げてきたのか――?
「殿下、この薔薇の花は……?」
私が訊くと、アルベールはうつむいて、
「そ、それは……温泉に浮かべれば、おまえが喜ぶかと……」
と、また口ごもりながら言った。
そんな、いまどきスーパー銭湯のレディースデーでもやらないようなベタな企画を、一国の王太子が――?
「ふ、あははっ――」
私は思わず吹き出した。駄目だ、笑いが止まらない。目に涙がにじんできた。
「な、なにがおかしいっ」
アルベールが拳を握りしめて憤慨している。私は必死で笑いをこらえて言った。
「お、王太子殿下も、けっこう俗っぽいところがあるんですね」
「俗っぽいとはなんだ、俗っぽいとは――」
アルベールは笑い声をあげ続ける私に眉をひそめると、手でまぶたのあたりをごしごしとこすった。綺麗な顔が汗でぐちゃぐちゃになって、台無しだ。
私はもう一枚の布をアルベールに差し出した。
「殿下、一緒に入りませんか? 汗をかいたあとの温泉は気持ちがいいですよ」
温泉は川の浅瀬を掘って岩でぐるりと囲ってあるだけのもので、四、五人が入ればいっぱいになってしまうほどのこぢんまりとした大きさだった。それでも湯量は膝ほどの高さまであるから、座れば胸のあたりまで浸かることができる。割と熱めの、好みの温度の湯だった。
アルベールは水着を腰に巻きつけ、私と対角線上の、いちばん離れたところにためらいがちに浸かって、はあ、と大きくひとつ息をついた。
「屋外で入浴するのは、はじめてだが……なかなかに気持ちがいいな」
「私の故郷では、普通ですよ。まあ、男女が一緒に入浴するところは、あまりありませんが……」
アルベールは一切私のほうを見ずに、遠くの山々に目をやっている。私に気をつかっているのか、単に恥ずかしいのか。基本的には紳士で真面目な性格だから、その両方かもしれない。
「……ツキ。おまえは女の身で、なぜ兵士になど志願したのだ」
急に訊かれてどきりとする。
「それは……」
ゲームの〈主人公〉といえば勇者か漁師の息子、そうでなければ新入りの兵士と相場が決まっているだろうが。それに――
〈あの人〉が、鎧を着た私を好きだと言ったから。
――おまえは鎧を着けていると、男の子みたいだな。これを脱がせる時が、いちばん……
「や、やだ――もうっ」
久しぶりに思い出して恥ずかしくなってしまう。私は勢いよく両手で顔を覆った。ばしゃっと水しぶきがあがって、
「うわっ」
そのしぶきをアルベールがもろにかぶった。
「あ……し、失礼いたし……」
「……まあ、話せない事情があるなら、無理には訊くまい」
頭からびしょ濡れになりながらも、アルベールは懐の広さをみせた。
「して、この温泉のことは、どこで知ったのだ? 私はまだ、話していなかったと思ったが……」
「あ……馬車を降りてからの道中で、ザンギエフから聞きました」
いつもは私に突っかかるばかりで話しかけてなどこないザンギエフが、めずらしく話題を振ってきたのだった。
この世界に温泉があるなんて思ってもみなかったから、どうしても入ってみたい気持ちを抑えきれずに、腹が痛いと嘘をついて任務を抜け出した。自分はなんて欲望に忠実な人間なのだろうと、情けなくならなくもない。でも――
最後にやりたいことはやっておきたかった。もうすぐ待望の箱庭ゲームが発売される。こちらの時間でいうと、あとひと月ほどだろうか。そうなれば私はそちらに缶詰めだ。次の季節が巡る頃にはもう、私はこの世界にいない。
『どうせもう辞めるから、繁忙期だけど有給取って温泉行っちゃお♪』といった、ゆるふわOLのような気持ちがあったことは否定しない。
「そうだったか……皆に、口止めをしておけば……よかっ……」
ばしゃん、とさきほどよりも派手な水音をたてて、アルベールが顔面から湯の中に倒れこんだ。
「で、殿下⁉︎」
私は急いでアルベールを抱え起こした。顔がさきほどよりも真っ赤にゆであがっている。のぼせてしまったらしい。
「殿下! しっかりしてください……!」
私は岩肌に注意しながらアルベールを湯の中から引きずりだして岩の上に寝かせ、少し上流から冷たい川の水を汲んできて、体を冷やした。
「ツキ……」
アルベールは朦朧としながらも、すぐに意識を取り戻してくれた。
「ツキ……いるか……」
弱々しく手を空に伸ばしている。私はその手に、冷たい水が入った革袋を握らせた。
「……私はここに、おりますよ。さあ、これを飲んで」
水を飲ませて休ませてから、なるべく大事なところを見ないようにして服を着せ、肩を支えて下流まで戻った。ぐったりとしたアルベールの姿を認めた護衛たちの慌てぶりは相当なものだった。
日が傾いてきた渓流の涼しさも助けになり、馬車までたどり着いた時には、アルベールの足取りはだいぶしっかりとしたものになっていた。アルベールの肩を支え続けていた私は、温泉に入った甲斐もないほど全身汗だくになった。ずっと待ちぼうけを喰らっていたらしいザンギエフが、私を睨みつけていた。
「……ツキ、すまなかったな。迷惑をかけた」
帰りの馬車の中で、アルベールがぼそりと言った。全開にした窓から夕暮れ時の涼しい風が通り抜け、ふわりと汗のにおいが香った。
「いえ、任務ですから。それに、私のほうこそ……その、いままで騙していて、申し訳ありません」
別に女であることを隠していたつもりはなかったけれど、いまは率直に謝りたいと思った。図らずも裸の付き合いをしたおかげで、素直になれているのかも。
「……それは、もういい」
窓の外を見つめるアルベールの横顔は、夕陽に照らされて紅く染まっている。
「怒っていないのですか?」
私が訊くと、
「事情があったのだろう? 私はそこまで狭量な人間ではない」
と、少し語気を強めた。
アルベールは懐が深い。この国の民は、幸せだ――
私はアルベールのむすっとした横顔を見つめて言った。
「私の故郷なら、詰腹を切らされます」
「『つめばらを切る』とはなんだ?」
アルベールはやっと私のほうに視線を向けた。
「剣で腹を切って、自決することです」
私は腹を切る身振りをしてみせた。
「……おまえの故郷は、おそろしい国なのだな」
アルベールはさあっと顔を青ざめて言った。
その様子がおかしくて私はまた吹き出してしまい、笑い声をあげる私を見て、アルベールも嬉しそうに笑った。
「王宮に着く頃には、もう夜になりますね」
私が言うと、アルベールは朗らかな顔を少し曇らせ、うん、とだけ返事をした。
一羽のカラスがカアカアと鳴いて、夕暮れの空を飛び去っていった。
〈主人公〉視点のまま、次話へ続きます。




