第二十一話 扉の向こう
二一話 扉の向こう
三人が連絡通路へ入ると、マスターはそのまま向かい側の扉へ向かった。
アリアとセバスチャンは腕にはめていたリングユニットを外し、通路脇の埋め込み棚へ戻していく。
それらが格納されるのに合わせるように、通路の照明は元の明るさへ戻り、重力も通常の状態へ復帰した。
二人もすぐにその後を追い、向かい側の扉の前で三人が揃う。
扉が滑らかに開くと、その先にはいつものCUTBE内部らしい、装飾のない通路が続いていた。
壁際には目的地を導くようにライン状の光が伸び、整然とした床と壁のあいだを先へと誘っている。
海洋ラボ側の壁面は透明な隔離壁となっており、その向こう側を見渡せるようになっていた。
ここに来るまでの深海層の静けさとは異なり、水中は光に照らされ、小魚の群れが行き交い、その間を中型ほどの魚たちがゆったりと横切っていく。そこに広がっていたのは、穏やかで開けた海だった。
三人はその光景を横目に、ラインに沿って通路を進んでいく。
やがて隔離壁は途切れ、視界は再び装飾のない通路へ戻った。
それからしばらく進むと、この階層へ直接出入りするためのポッド室へ繋がる扉が見えてくる。
その前まで辿り着くと、ちょうど正面には、他よりもゆとりを持たせた通路が伸びている。
その先にあったのは、先ほどまでの通路とはわずかに雰囲気の異なる扉だった。
構造そのものはCUTBEの他区画と変わらない。
ただ、その表面には格子を思わせる意匠が施されている。
「……ここへ来るのも、本当に久しぶりね」
扉を前に、アリアが小さくそう漏らす。
「ここを使う機会が、あまりにも少なかったからな」
マスターは淡々と返した。
二人の短いやり取りのあいだ、セバスチャンは目の前の扉に施された格子状の意匠へ視線を向けていた。
立ち止まるのに合わせるように、扉は他の区画よりわずかにゆるやかな動きで開いていく。
その駆動音にも、いつもの無機質な響きに混じって、木材が擦れるような柔らかな音がわずかに含まれていた。
三人が扉を抜けると、その先には石畳で整えられた町並みが広がっていた。
道沿いの石灯籠が辺りを柔らかく照らし、その灯りの中を、夜風に乗った淡紅樹の花びらが舞っている。
低い木造建築が道の両側に立ち並び、町並みは緩やかに曲がりながら奥へ続いている。
建物や石灯籠、石畳には風雨によるわずかな劣化が残っており、ここにも一定の環境変化があることが見て取れた。
その屋根並みのさらに奥では、白い湯けむりが夜風に流されるまま、淡くほどけていた。
町に人影はない。
だが、通りの所々では給仕システムが稼働しており、この町を歩きながら楽しむ程度のものなら、いまも受け取れるようになっていた。
ほどなく三人は、茶屋の脇に設けられた給仕システムでそれぞれ三本の串団子を受け取り、すぐそばの床几台で一度腰を落ち着けた。
傍らでは小ぶりな淡紅樹が花をつけ、夜風に揺れる枝先から、薄紅の花びらがこぼれていた。
しばらくして、風に流されてきた花びらをアリアが指先で受け止め、ゆっくりと目を細めた。
「……ほんとう、ここの作りは凝り過ぎよね」
花びらを見つめたまま、アリアは続ける。
「いったいどれだけ情報を集めて、ここまで再現したのかしら。淡紅樹だってそうよ。絶滅したと言われていたのに、いったいどこから復活のきっかけを持ち込んだのやら……気づけば、いつの間にかまた根づいていたんだから」
「……まあ、この再現された文化圏の気質なんでしょうけど。こうして実際に歩いてみると、その気持ちも少し分からないでもないわ」
「ええ」
セバスチャンは小さく頷いた。
「植物だけでなく、この町全体の文化そのものを残したかったのでしょう」
セバスチャンは串を片手に続ける。
「花を口実に人が集い、その場そのものを楽しむ文化があったようです」
その傍らで、マスターの普段は一文字に閉じられている口元がわずかに円く開く。
串に刺さったままの団子は、その虚空めいた内側へ吸い込まれるように回収されていった。
「ただ、集まると食の方が優先だったようだ」
わずかな間を置いて、マスターは続ける。
「集う理由がほしかったらしい」
その言葉に、団子を手にしたアリアの動きがふと止まる。
そして、ゆっくりと淡紅樹を見上げた。
やがて三人は再び腰を上げ、石畳の道を先へ歩き出した。
静かな町並みをしばらく進むうち、先ほど遠くに見えていた湯けむりは次第に濃くなり、夜気にもわずかな湿り気が混じり始める。
そうしてほどなく、道の突き当たりに目的の屋敷が見えてきた。
そこは純白の土塀に囲まれた屋敷で、正面には棟門が据えられていた。
門扉はなく、奥には落ち着いた葉色に包まれた庭が見えている。
三人はそのまま棟門をくぐった。
門の内側へ入ると、頭上には木組みの棚が渡されていた。
そこには水縹葛の蔓が重なり、ところどころに若い葉を広げている。
いまはまだ花の時期ではないのか、垂れ下がる花房は見当たらない。
それでも、棚を這う枝と葉の影が夜の灯りを受けて揺れる様子だけで、季節が巡ればここもまた別の景に変わるのだと知れた。
水縹葛の棚の下を抜けると、ほどなく屋敷の玄関へ辿り着いた。
引き戸の向こうへ入ると、左手には本来の受付だったのだろう帳場があり、その奥の壁沿いには、木札で施錠する下足箱が整然と並んでいた。
帳場の脇には、履物を有しない生命体のための、低い洗浄台も設けられている。
外の石畳と土の気配を引きずった空気は、そこでふっと途切れる。
磨かれた木の匂いと、建物の奥から流れてくる湯の気配だけが、静かに満ちていた。
アリアとセバスチャンはそこで履物を脱ぎ、マスターは洗浄台で足元の塵を落としていった。
それぞれの手順を済ませると、三人は上がり框を越えて中へ入った。
正面には、四人ほどが横に並んでも余裕のある幅広の階段がゆるやかに伸びている。
階段の脇からは奥へ通り抜けられる通路が続き、右手にも別の廊下が分かれていた。
華美ではない。
それでも、かつて多くの来客を迎えていたであろう造りが、そのまま静かに残されていた。
三人は正面の階段を上がる。
二階へ辿り着くと、そこも一階と同じく左右へ廊下が伸び、その中央正面には襖が据えられていた。
セバスチャンがそれを開けると、その先には落ち着きのある広間が広がっていた。
畳の匂いはほとんど薄れていたが、整えられた室内には、いまも人を迎え入れるための気配が残っている。
広間の正面には、壁一面を覆うように障子戸が並んでいた。
紙越しに滲む向こう側の光は、庭先の灯りというにはあまりにも白く、冷たく、夜の室内へ淡く差し込んでいる。
セバスチャンがその一枚へ手をかけると、障子戸は連動するように左右へ滑り、壁面の奥へ少しずつ収まっていった。
紙越しに滲んでいた白い光は、開いた隙間から輪郭を取り戻していく。
やがて、透明な隔離壁の向こうに現れたのは、暗い宇宙を背にした真っ白な天体だった。




