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14

 病院の外へ出ると、辺りは少しずつ暗くなっていた。明日からは補習も予定もない。先に悠李と約束していなくてよかったと思いながら、俺は歩道を歩いていた。このまま時間をおけば、夢を話す前に戻れるだろう。レンガで舗装された綺麗な道は、俺を正しい方向へと導いてくれている気がした。生ぬるい風が頬に当たる。騒がしかった蝉の声も次第に小さくなっていく。そんな静かな道で一人。これが、俺が選ぶべき道だったんだ。

 そう心を決めたのに――。

 街灯がつき始め、街をゆっくりと照らし出す。そして、近付く足音。

 まさか、嫌だ。来るな。今の俺を見ないでくれ。たぶん今、何よりも醜い。


「千景!」

「……悠李」

 聞き慣れた声は、やっぱり今一番聞きたくなかった声だ。薄汚れた気持ちがじわじわと汗となり、首を這い、腹へと落ちる。振り返ることさえ嫌だったが、このまま無視するわけにもいかない。下を向いたまま「なに」と答えると「行かないで」と引き留められる。


「な、なんだよ……央子さんはどうした? 今は何よりも見守らなきゃならない時期だろ」

 自分の声が想像以上に震えていた。情けない。これから何を言われるのか、考えるだけでもう失恋した気分だった。一歩、近付く足音。悠李が口を切る。

「……俺もそう思う」

「はぁ? なら病院で一緒に居てやれよ!」

 苛立ちが抑えきれない。中途半端に希望を持たせる悠李に、思わず声を荒げてしまった。八つ当たりしたいわけじゃない。覚悟を決めたはずなのに気持ちが抑えられない。自分の未熟さにも飽き飽きだ。利己的な心がいつもまでも目の前からどいてくれそうにない。情けない。握りしめた拳を今にもぶつけたくなる。込み上げた怒りを必死に抑え込み、平静を装う。

 十数秒の沈黙。何か言えって。

 臆しながら後ろを覗き見ると、口を開いた悠李がぼぞぼぞと話し出す。

「俺、央子に怒られちゃった」

 怒られた? そんなはずがない。彼女は目覚めたばかりだぞ。 

 悠李は力がこもり、僅かに震えた手で俺の手首を取った。

「……俺が千景のこと好きなの、見ればわかるってさ。それで、こんな所にいるなって」

 握った手首を胸まで上げられる。

 は……? 今、俺のことが好きって言ったか?

「ま、ま、待ってくれ、何その告白みたいな……」


 言葉を遮るように、悠李は俺を近くに寄せた。街灯に照らされた彼の顔は少し赤らんでいて、その表情の意味を悟った時、自分の顔が熱くなるのを感じた。心臓が揺れる。目を逸らして逃げる。なんなんだ、その顔。俺はそんな顔知らない。


「告白だよ」


 彼の額が自分の額に触れる。目を背けられない状況になると、もう何も考えられなくなった。

 告白――。勿論初めてだ。央子さんじゃなくて、俺なの? 嘘だ。都合のいい夢。また俺は夢を見始めたか? 固唾を飲んで悠李を見つめる。すると「やっとこっち見た」と不意に明るい笑顔をぶつけられて心臓が跳ね上がる。体中を流れる血が今にも沸騰しそうだ。

 

「千景。俺、千景が好きです」

 追い打ちをかけるように心臓に注がれる、甘い声。

「いつの間にか千景に……千景だけに恋してた。ただの親友として隣にいるんじゃなくて、俺を特別にしてくれないかな」

 

 悠李の手が首へと回され、するりと耳の裏を触られる。耳たぶと首筋を流れるように往復されるその行為と雰囲気があまりにも王子様で、心臓が鼓動を激しくアピールしてくる。

 うるさい。うるさい……触るな、静まれ――。

 何度願っても、悠李の熱っぽい視線に毒され、指先まで電流が走り抜ける。

 願ってもいなかった良い結末。受け入れていいのか。夏の暖かい夜の空気が肌に染み込んでいく。このまま悠李の熱に溶けてしまえたなら、どれだけ楽になれるのか。頭の中にじわじわと巡っていく欲を必死に抑えて目を瞑る。五時を知らせるチャイムが響き渡り、少しだけ正気になった頭を強く振った。


「……悠李はもう、俺の特別だよ。特別すぎて、俺だけのものにしたい。けど、央子さんも悠李の中の特別じゃん……だから、そんなのダメだろ……」

「ダメじゃないよ」


 そう言ってくれるのは、わかってる。でも、病院の廊下で思い描いた央子さんとの未来が脳に焼き付いて離れない。なんでこんなに頭の中を埋め尽くすんだ。口から俺も好きだ、と数文字言えば丸く収まる。それでもやっぱり、どこかで自分のせいで怪我をさせたという引け目がある。央子さんが怪我をしなければ、悠李は俺を眼中に入れることはなかっただろう。央子さんとの甘酸っぱい思い出を沢山作れたはずだ。――それなのに、俺が邪魔をした。

 もう嫌だ。考えれば考えるほど、自分が惨めに思えてたまらない。


「俺は悠李と家族になってあげられない。俺といても、未来はない。悠李の寂しさ怪我をさせた俺よりも、今まで一緒に入れなかった分、央子さんを選んだほうがいいに決まってる。結婚して、家族として世界から祝福されるのが普通だ。みんなそれを望んでる」

「――千景が言いたいのはそれだけ?」

「それだけって、大切なことだろ」

 嗄れた声で叫ぶ。

「俺はね、千景と一緒に生きていきたい」

 どうして、と言いかけた言葉を遮るように、

「そうするべきとか、普通とか、みんなが、とかどうでもいいよ。俺が苦しいとき、千景は一緒にいてくれたでしょ。しかも、央子を助けてくれたのも千景。俺も央子も、千景に生かされたんだよ」

「でも、俺が怪我をさせたせいで……」

「事故がなくても、きっと好きになってた。初めて目が合った時に、きっと大切な人になると思ったんだ。たまたま、夢が重なった。それすらも俺は運命だと思ったんだ。央子も俺の想いを悟って背中を押してくれた」

 でも――。

 目の前に広がる悠李の顔で、自分がキスされていることに気がついた。これまでとは違う、感情を理解したそれは、俺にとって初めてで、心が跳ねて、自分が彼を選ぶべきだと本能レベルで思わされた。


「こうしたいのも、千景にだけ。わかる?」

 だめだ。

「わ、わかんな……」

 い、と言う前に、彼の唇が再び重なる。

「わかって……」

 好きだ。俺も好きだ。

「っ……」

「まだ、足りない?」

「わかった、わかったから、ぁ、ちょっと離れてくれ……」

 頭の先まで痺れるほどドキドキが止まらない。少しばかり距離を取り、落ち着けと深呼吸をする。悠李はいつもふわふわしているのに、こんな時だけ男らしく強引に進めてしまう。その強引さに振り回された俺は、うるさく動く心臓を恨んだ。


「千景、俺と生きてくれますか」


 ――俺が言いたかった。俺が選びたかった未来を悠李が考えてくれている。

 顎に添えられた手が少しだけ震えている。緊張している。俺も、悠李も。本気の気持ちが真っすぐ心に沁みこんでいく。もう破裂しそうなほど与えられた愛から逃げられそうにない。

「それって――」

「プロポーズ」

 食い気味に飄々と言ってのける。知らなかった悠李が増えていく。耳に触れた唇がの熱が全身へ回り、眩暈がする。苦し紛れに「まだ、付き合ってもない」と言うと、

「今から付き合おう」

 真顔で言うもんだから困る。


「強引過ぎる……」

「千景、好きだよ」

「わ、わかった……」

「千景は、俺のこと好き?」

「……うん、でも、選ばれたらダメだと思ってたから、なんか、ぐちゃぐちゃ」

「でも、好きなんでしょ?」

「……すき、だよ。あんまり言わせんなって」

「やだ。いっぱい言ってほしい。これからも沢山伝えて」


 小さく頷くと、悠李は力の限り俺を抱きしめた。身長が少しだけ高い彼の肩に頭を乗せ、そっぽを向いて目を閉じる。彼の鼓動がダイレクトに伝わるこの時間は、むず痒い程恥ずかしく、千景の心も忙しなく動いていた。

 夕方が終わり、微かに見える星たちだけが彼らを見守っていた。



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