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15


 カーテンを開けっ放しで寝たおかげで、朝の日差しを浴びて目を覚ます。九月一日、午前六時十分。学校が始まる、憎たらしい朝。

 全てが終わったあの日から全く夢を見なくなった。もう自分に出来ることはないと思うと寂しい気持ちもあるが、央子さんが元気になっている印だと考えると清々しい気持ちになる。

 今日からまた学校か……。

 夏休みが終わり、普段の生活が戻ってくる。

 央子さんのリハビリも無事に進んでいるらしく、来年から俺たちの高校に入学するらしい。入院していた期間の遅れを取り戻すため、俺たちより一つ下の学年というのは少し残念だが、それでも元気に登校が出来る未来が描けるほど回復したのは奇跡に近い。後で挨拶をしにいかないとな。俺と悠李のことも、ちゃんと伝えたい。


 ベッドから降り、六時半にセットされたアラームを解除してクローゼットへと向かう。途中で落ちている教科書に足をぶつけた。課題間に合ってよかった。

 今カバンに入れなきゃ忘れる、と教科書を拾い、チャックを閉める。いつもなら課題は余裕を持って終わらせるが、流石に最近は忙しく、珍しく時間がなかったのだ。夢のことと悠李とのことで限界になった頭を叩き起こすまでに予想以上に時間がかかった。悠李がいなかったら、終わらなかったんだろうな。悠李のことをふと思い出すと、もどかしい気持ちになる。誰かと付き合ったこともない。学校の同級生と付き合うなんてそんな経験、あるわけがないのだから。

 ……考えてたら遅刻する。

 ワイシャツを羽織ってネクタイを手に取り、慣れた手つきで締める。パリッとアイロンがかかったシャツは、これからの生活を綺麗に飾ってくれるようだった。

 朝食を食べ、いつも通りの時刻に家を出る。


「いってきます」

「いってらっしゃい」

 ドアが閉まると同時に、母の元気な声が聞こえた。この声を聞くのも一週間ぶりだろうか。頭の隅でそんなことを考えて自転車を用意すると、家の門のあたりから声が聞こえた。


「千景、おはよ」

「え、あぁ……おはよう」


 目の前に悠李が立っていた。年中輝かしいオーラを醸し出している彼だが、新たな関係になってからは以前にも増して眩しく見えていた。こんなにかっこよかったっけ……。

 あの日から悠李も忙しかったようで、課題をやるために数回しか顔を合わせなかったことも原因だと思うが、夏の終わりに見る悠李はその端麗な顔立ちがより妖艶に感じられる。俺だけ、意識しすぎか……。

 焦って目線を合わせて何気ない言葉を交わす。


「ま、まだ暑いな」

「そうだねー……汗かいちゃいそう」

 ワイシャツの襟を持ち、服の中に風を送る悠李。緩くなった首元に、何故か目のやり場に困る自分がいる。

 ダメだ。女子たちが言っていた色気ってこれか。今まで気付かなかったのもなんか、俺が悪いみたいだ。


「家の前にいるって連絡してくれれば、もっと早く出てきたのに」

「なんか照れ臭くて……」

「照れくさいことなんかあるか?」

「あるよ」

 悠李がそろりと俺に近づき、耳元で静かに囁いた。

「……千景と付き合ってるってこと。まだ慣れていないから……」

「は! ま、まて、家の前で言うな……」

 気が抜けたタイミングの千景呼び、やば。急に心臓動きすぎ。

 思わず顔を避けると、悠李は寂しそうな表情を覗かせた。


「事実、だよね? 俺が都合よくそう思ってるだけ?」

「……どうかな」

「やだ」

 口をとんがらせて俺の腕を掴む悠李。倒れそうになった自転車を足で咄嗟に支える。

「千景と俺は付き合ってるよね?」

「…………付き合ってる」

「ふふ。よかった」

 そんなに喜んでくれるなら、意固地になるんじゃなかった。てか、こんなに押しが強いタイプだっけ。

「千景。好きだよ」

 気を抜いた途端、悠李の愛が直撃する。

「な、何回も言うなって……」

「伝えられるのに伝えないなんて勿体ないでしょ」

「あのなあ……そんなずるいこと言うなよ」

 鼓動がどんどん早くなる。掴まれた腕が汗ばむ。言葉に込められた深みは理解できるが、冷静になろうと思えば思うほど、好きだと言われたその言葉を頭の中で反芻してしまう。

 悠李は俺のこと、やっぱり好きなんだ――。

 誰からも好かれて、カッコよくて、優しい色男が俺のこと好きって……そんなことある? 俺、これ、このまま付き合ってたらどうなんの。今勝手にキスされてるけど、もっとやばいこととかされんの? それ以上って何が……ああああ。考えちゃダメだ。悠李に振り回されちゃダメだ。

 ドキドキしているうちに手が痺れてきた。体の表面に熱が溜まり、夏の暑さのせいに出来ないほど顔が赤くなっている。


「かお、赤いね。かわいい……俺のこと好きになった千景って、こんなにかわいい顔をするの?」

「いちいち言うな……」

「どうしよう。俺千景のこともっと好きになっちゃいそう」

 甘く蕩けたセリフを吐き出す悠李。掴まれた腕が解放され、腕の上を滑りながら肩、首、耳となぞられていく。それを受けてもっと赤くなる自分の顔が憎い。誰かに見られたら終わる。動悸がが止まらない、と思う隙に悠李が額にキスをする。リップ音を聞くと変な気分になる。

「ま、待て、ここ家の前」

「ねえ、もっと意識して。俺だけ見て」

 そんなセリフどこで覚えてくるんだ。

「無理だよ」

「なんで?」

「他の人も嫌でも目に入るだろ」

「もう、そういうことじゃない。俺だけを好きになって」

「悠李しか好きじゃないって……」

 反射的に答えてしまう。恥ずかしすぎること言ってないか。俺。


「ありがと。俺、絶対後悔させないし、千景に釣り合う男になるから」

 釣り合う? 年中女子に囲まれている男が言う言葉には思えない。

「……こっちのセリフ。悠李に釣り合う男に俺がならなきゃ、だろ」

 誰が見たって優良物件は悠李のほうだ。

「ううん。千景はね、俺の生きがいなの。俺は千景がいないとダメなの」

「そんなことないだろ。たまたま俺が夢を見て、色々やっていただけで……今好きだって言ってくれるのも、その、勘違いしてるだけなんじゃないかって……」

 吊り橋効果とか、そんな話をテレビで見たことがある。

「あのね、俺千景が事故に関係あるってわかる前から好きだったんだよ」

「それ、昨日も言ってたけどそんなことないだろ」

「俺を引っ張ってくれる優しいところも、分け隔てなく誰とも接していけるところも、その笑顔も、責任感が強いところも、いつもいいなって思ってた。夢の件があってから、恋愛対象として一層好きになっただけ」

「マジ?」

「……もう自覚してからは顔を合わせるたび、キスしたいって思ってた」

「え、ぁ……そう、なんだ」

 少女漫画でしか聞いたことないセリフに熱が上がる。ストレートに伝えられる想いがむず痒い。唇を親指で触れられてドキと心臓が跳ねる。右から左へゆっくりと動く指の跡に、全神経が集中する。目の前の形のいい唇が少し開いて、舌が同じように動いているのが見える。まるで獲物を捕らえたかのような表情の悠李。高揚して赤らんだ耳。俺のこと意識してるのが見えると、破壊力が、その。

「していい?」

「だから、ここ外だって。てか、さっき勝手にしたじゃん」

「口に、キスしていい?」

「余計ダメだって」

 額を合わせられて至近距離に悠李の顔が映る。背中に冷たい塀の感触。

「ちょ」

「……千景。大好き」

「ん……ッ!」

 顎を上げられ、斜めから食べられるようなキス。何度も繰り返されて体の内が熱くなる。耳に響く水音が興奮が誘われる。驚きのあまり自転車が手から離れ、カシャンと倒れる微かな音。激しい。普段は穏やかで凪いだ海なのに、感情が大きくなると海面が立ち騒ぎ、俺のすべてを飲み込もうとしてくる。

 自由になった手までも縫い取られ、簡単な抵抗すらできない。下唇を噛まれ、思わず口を開けると舌同士が当たる。

 これ、また、深いやつ――。

 口内に押し込められた悠李の舌が俺の舌を丁寧になぞる。

「舌当たって震えてるの、かわいい……」

 溶けた声で言うな、馬鹿。耳を擦られるのと一緒に絡められた舌の濡れた音が脳に響く。蠢く舌を意識した途端、目が合った。その目はもう、俺を離さないと言っている。絡められた視線が俺をもっと熱くさせる。悠李に見られている。あの美しい目が、俺だけを見ている。

 俺だけ見てって、そういうこと……。

 熱をはらんだ目がゆっくりと閉じられ、口の中に唾液を混ぜられて、その愛に溺れそうになる。息ができない。もう、やばい……頭が、おかしくなる。

 パンクしそうな頭を振り、顎を必死に引いて呼吸を整える。

「ん、ッはぁ、ぁ……」

「ちかげ、鼻で吸って?」

 くちづけの合間に紡がれる、得意げな言葉。悠李から漏れた吐息が酷く煽情的で、胸の内から快感が溢れそうになる。すき。すき。悠李が小さく呟くたびにクラクラする。俺も同じと伝えたいけど、この愛の重さを前にすると何も言えなくなる。深く繋がれた手がきつく握られた瞬間、再び視線が重なった。

「鼻で、とか、そんなの……しらな……ッ」

 知らないよ、と言いかけた口を塞ぐ、啄むようなキス。繰り返されるキスの数に比例して、限界まで体温が上がるのがわかる。力の入らない指先から腕にかけてピリピリと痺れが伝わっていく。

「ねえ、キスって、俺が初めて?」

 絡んだ瞳はそのままに、ストレートな質問をぶつけられる。

「あたりまえ、だろ」

「……ふふ。そっか。じゃあ続きはまた、今度ね」

 額がぶつかり、解放される手。倒れた自転車を戻して砂を払う。

「そ、の余裕……むかつく」

 イケメン様はご経験が豊富ですか。呼吸を整えつつ「顔が良いからって調子乗んな」と冷たい視線をぶつけると意外にも、

「俺も、千景がはじめて」

「えっ」

「キスも、誰かと付き合うのも、千景が最初で最後だよ」

 それでそんなにキスが上手いなんて嘘だ、とまくし立てると、

「へえ、俺、キス上手だったんだ」

 また調子に乗らせてしまった。

「ずっとこうしたいって思ってたからかな」

「……見かけによらずスケベだな」

「もっとすごいことも、考えてるよ」

 例えば、と腰を抱き抱えられる。

「ぉ、い、変な想像させるな……!」

 悠李を振り払い、自転車に跨る。「先行かないで」と後ろから叫ばれたが無視した。顔が熱い。残暑のせいだ。そういうことにしておいてくれ。漕ぎ足したペダルに嫌気がさした時、悠李の自転車が横に並んだ。駅までもう少し。隣に並ぶ君の姿を、俺は一生忘れないだろう。


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