第9話 森おじさん、Eランクになる
朝の収穫を終えた森健司は、軽トラックの荷台に野菜の入ったコンテナを積んでいた。トマト。キュウリ。ナス。ピーマン。今日は直売所へ持っていく分が多い。
「よいしょ」
最後のコンテナを持ち上げる。以前なら両手で抱えていた。今日は片手でも持てた。健司は荷台へ置いてから、自分の手を見る。
「……やっぱり軽いな」
最近ずっとそうだった。肥料袋。野菜のコンテナ。米袋。何を持っても、以前より少し軽く感じる。実際に重量が減っているわけではない。自分の身体の方が変わっている。そこまでは健司も分かり始めていた。ただし、理由については相変わらず深く考えていない。
「ダンジョンで身体動かしてるからかな」
畑仕事だけとは違う筋肉を使う。走る。避ける。剣を振る。それで昔の身体に戻ってきたのだろう。そう思っている。
「健司」
母が玄関から出てきた。手には小さな袋。
「これ持っていきな」
「何?」
「おにぎり」
「今日はまだダンジョン行くって言ってないぞ」
「行くんだろ?」
健司は少し笑った。
「今日はギルドに呼ばれてる」
「じゃあ持っていきな」
「まあ、もらうけど」
中を見る。いつもの塩むすびが二つ。最近は、健司が軽トラックで出かけるだけで母がおにぎりを作るようになっていた。
「母さん、俺が町内会行くだけでも作りそうだな」
「腹減るだろ」
「減るけど」
受け取る。縁側ではゴンが寝ている。その背中にモチ。すっかり定位置になった。翼が治ってからは好きなところへ飛べるはずなのに、最終的にはなぜかゴンの上へ戻る。
「モチ」
ピィ。
「今日は留守番な」
ピィ。飛ぶ。健司の肩へ。
「いや、今日は連れてかないぞ」
ピィ。
「ギルド行くだけだから」
肩から降ろす。ゴンの背中へ戻す。モチがまた飛ぶ。健司の頭。
「……聞いてないな」
母が笑っている。
「連れていけばいいじゃない」
「ダンジョン行くかもしれないから駄目」
「そうかい」
結局、モチを縁側へ置いて家を出た。軽トラックを走らせ、まず直売所へ。野菜を納品。顔見知りの職員に伝票を渡す。
「健司ちゃん」
「なに?」
「配信見たぞ」
「ここでも?」
「孫が見せてきた」
「俺より若い人が見るものじゃないの?」
「ゴンがかわいいってよ」
「やっぱ俺じゃないんだな」
職員が笑う。
「今度、ここも映せ」
「勝手に配信したら怒られるだろ」
「店長に聞いとく」
「本当にやるの?」
「宣伝になるならいいだろ」
健司は少し困った。最近、町のあちこちで似たようなことを言われる。配信を始めた頃は二十三人だった。今はダンジョンへ潜れば数千人が見る。散歩や畑仕事でも、人が集まる。地元の人間からすると、健司が急にテレビに出るようになった感覚らしい。本人にはまだよく分からない。直売所を出てギルドへ向かった。今日はしずくから呼ばれている。理由は聞いていない。ただ、
『来られる時間に来てください』
と言われただけだ。自動ドアを抜ける。
「森おじさん!」
しずくがすぐ気づいた。
「おう」
しずくが健司の肩を見る。
「モチは?」
「家」
露骨にがっかりした。
「なんだよその顔」
「いえ」
「俺を呼んだんじゃないの?」
「森おじさんも大事ですよ」
「も?」
「言葉の綾です」
怪しい。受付で探索者証を出す。
「それで何?」
しずくは端末を操作した。
「昇格の話です」
「昇格?」
「はい」
健司が再登録してから、まだそれほど日数は経っていない。現在Fランク。昔はDランクだったとはいえ、資格が失効しているため最下位からの再スタートだった。
「もう?」
「普通なら早いです」
「だよな」
「ただ、森おじさんの場合は再登録者ですから」
ギルドマスターが奥から出てきた。
「昨日までの記録見た」
「また?」
「俺の仕事だ」
「町内会よりちゃんと働いてるんだな」
「お前、町内会長じゃない俺に何求めてんだ」
ギルドマスターは受付台へ書類を置いた。
「過去Dランク。再登録後の死亡事故なし。負傷なし。ゴブリン、牙犬、オーク討伐。第二階層での行動記録も問題なし」
「配信見てるの?」
「審査資料にできるからな」
「便利だな」
「むしろ、お前の場合は映像がありすぎる」
しずくが笑っている。ギルドマスターが続けた。
「本来のFからEへの昇格条件は、一定数の討伐実績と安全講習、それから簡単な実技査定だ」
「俺、足りてる?」
「討伐数は足りてる」
「じゃあ実技?」
「そうだ」
健司は少し考える。
「今日やるの?」
「嫌なら後日でもいい」
「今日でいいよ」
「軽いな」
「畑、午前中終わらせてきたから」
「基準そこか」
「夕方は水やりあるけど」
ギルドマスターはため息をついた。
「お前、本当に探索者が副業なんだな」
「農家だからな」
健司としては当然だった。三百万円の借金返済のために探索者へ戻った。だが本業は変わっていない。畑。それが森健司の仕事だった。
「査定って何する?」
「第二階層で指定された魔物を一体討伐。査定官が同行する」
「配信していい?」
しずくとギルドマスターが顔を見合わせた。
「規定上は禁止されてないです」
しずくが答える。
「査定官の顔とか映さなければ」
「じゃあやるか」
「完全に配信者ですね」
「金になるからな」
「そこはぶれませんね」
今日もドローンを借りる。タイトル。しずくが入力した。
【昇格試験】借金280万円の森おじさん、Fランクを卒業できるか
健司は画面を見る。
「卒業式みたいだな」
「分かりやすいです」
配信開始。視聴者がすぐに増える。二百。四百。八百。
《昇格試験!?》
《森おじさんもうEになるの》
《早くない?》
《元Dだからな》
「俺も早いと思ってる」
《本人w》
《モチは?》
「家」
《解散》
「だから帰るなって」
ダンジョン入口。査定官が待っていた。四十代くらいの男性。顔出しは望まないとのことで、ドローンは健司を中心に追尾する。簡単な説明を受ける。目的地。第二階層。指定討伐対象。
《岩皮猪》。
健司は名前を聞いて少し懐かしくなった。
「まだいるんだ」
査定官が首を傾げる。
「戦ったことがありますか?」
「昔ね」
岩皮猪。名前の通り、岩のように硬い皮膚を持つ猪型魔物。牙犬より遅い。ただし正面からの突進は強烈。防御力も高い。昔の健司は、あまり好きな相手ではなかった。
「普通に正面から斬ると剣傷むんだよな」
《経験者》
《元D感ある》
査定官が言った。
「討伐方法は自由です。ただし私からの助言は原則ありません。危険と判断した場合は査定を中止します」
「分かりました」
「それと、勝つことだけが評価ではありません」
健司が頷く。
「危なかったら逃げてもいい?」
「むしろ、それも判断力として評価します」
「じゃあ安心だ」
《森おじさんらしい》
《最初から逃げる気あるの草》
「死ぬよりいいだろ」
第一階層。もう慣れた道。ゴブリン一体。査定対象ではないので、避けられるなら避ける。だが向こうから襲ってきた。健司は剣を抜いた。一撃。倒す。査定官が少しだけ眉を動かした。何も言わない。進む。牙犬。二体。通路の先にいる。健司は止まった。
《戦う?》
「行かない」
迂回路を選ぶ。
《倒せるのに?》
「試験は岩皮猪だろ」
《確かに》
「余計な戦闘で怪我したら馬鹿みたいだからな」
査定官が後ろで小さく頷いていた。第二階層。昨日まで来ていた場所を抜ける。今日はさらに少し奥。健司の記憶にもある地形だ。ただし昔と完全に同じではない。分岐。健司が止まる。右。左。
「昔は右だった気がする」
査定官は何も言わない。答えを教えるつもりはないらしい。健司は地面を見る。足跡。大きい。蹄。
「こっちだな」
右。
《分かるの?》
「足跡ある」
《見えない》
「カメラだと分かりにくいか」
進む。少し湿った土。蹄跡が続いている。一か所、壁に泥がついている。
「身体擦った跡かな」
昔の感覚。そして農業や山仕事で身についた目。魔物を追跡する専門家ではない。だが、動物が通った跡くらいは分かる。
「この先いるかもしれんな」
剣を抜く。広い通路。曲がり角。低い音。ブフゥッ。
「いた」
岩皮猪。大きい。体長一・五メートルほど。背中から側面へかけて灰色の硬い皮膚。頭部も硬い。正面から剣で斬る相手ではない。
《でか》
《猪っていうか戦車》
《森おじさん大丈夫?》
「昔より小さく見えるな」
《強者発言》
「いや、俺が年取ったからかな」
《どういうことw》
岩皮猪が健司へ顔を向けた。鼻息。前脚で地面を掻く。
「来るな」
健司は横へ動く。正面には立たない。猪が身体を低くする。
「来るなあ」
突進。速い。牙犬とは速度の種類が違う。一直線。重い。健司は早めに避けた。すぐ横を巨体が通る。風。
「相変わらず怖いな」
岩皮猪は少し先で止まり、振り返る。
《攻撃しないの?》
「まだ」
硬い背中。硬い頭。狙う場所ではない。昔は脚の付け根。腹。首の下。柔らかい場所を狙った。だが無理に近づけば危険。二回目。突進。健司が避ける。今回は少し近い。すれ違いざま。剣。脇腹。浅い。
「硬いな」
《当たったのに》
《ほぼ効いてない?》
「場所が悪かった」
岩皮猪。三度目の構え。健司は周囲を見る。広い。何もない。
「面倒だな」
《どうする》
「昔は壁にぶつけたりしたんだけど」
壁を見る。距離。角度。健司が少しずつ移動する。査定官も距離を取る。岩皮猪の正面。その後ろに岩壁。
「こっち来い」
《挑発してる?》
「いや、場所変えてる」
猪が突っ込む。健司はギリギリまで待たない。安全に横へ。岩皮猪。曲がれない。そのまま――。ドンッ!頭から壁へ衝突。岩が小さく落ちた。猪の動きが止まる。
「今だな」
健司が走る。だが正面には行かない。横。前脚の後ろ。剣を突き入れる。一撃。深い。岩皮猪が暴れる。健司はすぐ剣を抜き、離れる。
「危ない」
振り回された牙が空を切る。
《うま》
《慎重》
《もっと追撃しないの?》
「暴れてるとき近寄る方が怖いよ」
岩皮猪が再び健司を向く。出血。まだ動ける。健司は構える。
「一発じゃ無理か」
二度目。今度は突進が少し遅い。壁へ誘導。だが猪も馬鹿ではない。直前で少し方向を変えた。
「お」
健司も動く。猪が横を通る。無理に攻撃しない。
《避けただけ》
「いいんだよ」
三度。四度。焦らない。相手が弱るまで待つ。査定官が見ている。配信の視聴者も見ている。それでも健司は、格好よく倒そうとは思わなかった。勝てればいい。それ以上に、生きて帰ればいい。五度目。岩皮猪が走る。速度が落ちている。健司は横へ。今回は剣を出す。前脚の付け根。切る。猪の脚が崩れた。身体が地面へ倒れる。
「まだ」
近づかない。起きる。やはりまだ動く。
《慎重すぎるw》
「猪は倒れてても来るぞ」
実際の猪でもそうだ。死んだと思って不用意に近づくのは危険。魔物ならなおさら。岩皮猪が立とうとする。前脚が上手く動かない。そこで健司が動いた。横から近づく。首の下。剣を深く入れる。すぐ離れる。数十秒。岩皮猪の動きが止まった。さらに待つ。一分。
「もういいかな」
査定官を見る。初めて相手が口を開いた。
「討伐確認します」
近づき、確認。
「討伐完了です」
コメント欄が一気に流れる。
《合格?》
《森おじさんおめ》
《戦い方渋すぎ》
《全然派手じゃないのに安心して見られる》
《ベテラン感すごい》
健司は剣についた汚れを払う。
「これで終わり?」
査定官が少し笑った。
「まだ帰還までが査定です」
「そうだった」
《遠足w》
「家に帰るまでがってやつだな」
帰路。健司は岩皮猪の素材を一部回収する。全部持つと重い。価値の高い部分だけ。そして途中。安全な場所で休む。鞄。母の塩むすび。
《出た》
《昇格試験でも塩むすび》
「母さんが持ってけって」
《ブレない》
一個食べる。麦茶。査定官は少し離れたところで休憩している。
「食べます?」
健司がもう一個を見せる。
「いえ、大丈夫です」
「そう?」
《査定官に塩むすび分けようとするなw》
「腹減るだろ」
《優しい》
《お母さんの分なくなる》
「俺用だぞ」
第二階層から第一階層。そして地上。無事帰還。ギルドへ戻った。配信を一度終了する。最大視聴者。4,862人応援。31,540円
「試験見て金もらえるんだな」
《合格祝い》
《装備代に》
《借金返済に使って》
「ありがとう」
配信終了。受付前。査定官が書類を提出する。しばらく待つ。その間に岩皮猪の素材も査定。94,300円
「結構高い」
「状態いいですからね」
しずくが言う。そこへギルドマスターが出てきた。
「健司」
「はい」
「合格」
短かった。
「それだけ?」
「何が欲しいんだ」
「もうちょっと何かあるかと思った」
「おめでとうございます、森健司さん。あなたは本日付でEランク探索者へ昇格しました」
しずくが横から丁寧に言った。
「おお」
「満足ですか?」
「ちょっと」
新しい探索者証。ランク欄。E健司は眺める。昔はD。まだ一つ下。だが十年以上離れていた人間としては十分だろう。
「Eか」
「次はDですね」
「急がないよ」
ギルドマスターが頷く。
「それでいい」
「また畑忙しくなるし」
「そっちかよ」
「秋は秋でやることあるからな」
「ダンジョン中心に生きてる奴には絶対出ない台詞だな」
健司は笑った。その日はダンジョンへもう一度入らず、家へ帰った。途中。郷田の店へ。
「Eになった」
「知ってる」
「早いな」
「配信見てた」
「店暇なの?」
「お前、最近そればっか言うな」
郷田が探索者証を見る。
「まあ、おめでとう」
「ありがとう」
「岩皮猪、ちゃんと戦えてたな」
「壁使っただけだよ」
「それでいいんだよ」
郷田が少し笑う。
「昔からそうだったな、お前」
「何が?」
「格好つけない」
「格好つけて怪我したくないだろ」
「だからDまで生き残ったんだろうな」
少しだけ昔のことを思い出す。若かった。仲間もいた。無茶をする奴もいた。強くなりたくて奥へ行く奴もいた。健司はいつも、帰ろうと言う側だった。その結果、派手な成果は少なかった。でも生きている。
「じゃあ帰るよ」
「待て」
郷田が奥から小さな袋を持ってくる。
「何?」
「E昇格祝い」
「ただ?」
「ただ」
開ける。簡単な剣の手入れ道具。油。布。砥石。
「これ高い?」
「返せ」
「冗談だよ」
「ちゃんと手入れしろ」
「分かった」
「今のお前、剣だけは毎日使ってんだからな」
「鍬も毎日使ってる」
「それと一緒にするな」
「手入れはどっちも大事だぞ」
「そこは否定しねえ」
家へ。門。ゴン。そして今日は、ゴンより先に白い影が飛んできた。
「おっと」
モチが健司の肩へ。
「ただいま」
ピィ。ゴンもゆっくり近づいてくる。頭を撫でる。
「Eになったぞ」
ゴンは尻尾を振る。
「分かってないな」
母が玄関から出てくる。
「おかえり」
「ただいま。試験受かったよ」
「何の?」
「探索者」
「そうかい」
少しして。
「今日どこ行ってたんだい?」
健司は笑った。
「仕事」
「そうかい。ご飯もうすぐだよ」
「はいよ」
鶏へ餌。水。畑。夕方の作業。昇格した日でも、やることは変わらない。ただ、今日は少し収入が多かった。岩皮猪。配信。そして直売所へ出した野菜の入金も確認できた。食後。健司は机で計算した。生活費。農業経費。燃料。飼料。防具代はすでに払った。手元には十分残る。
「……なら、返していいな」
スマートフォン。金融会社。返済画面。三度目。100,000円確認。実行。残る保証債務。2,700,000円
「二百七十万」
三百万。二百九十万。二百八十万。そして二百七十万。ようやく三十万円減った。まだ十分の一。それでも、確実に数字は小さくなっている。
「いい感じだな」
羊羹を一切れ。茶。そして。胸の奥。熱。
「あ」
今回は健司も覚えていた。前にもあった。十万円返したとき。最初。二度目。そして今日。
「……またか」
一瞬。ほんの一瞬だけ。頭の奥が冴えたような感覚。音が近くなる。家の外。鶏小屋。羽音。縁側。ゴンが身体を動かす音。庭。小さな何かが草を擦る音。
「ん?」
健司は顔を上げた。今まで気づかなかった音。いや。聞こえてはいたのかもしれない。ただ、意識に入ってこなかった。
「亀かな」
庭を見る。暗い。当然見えない。数秒すると、その妙に鋭い感覚は少し落ち着いた。
「疲れてるのかな」
結局、それだった。健司は羊羹を食べる。今日、昇格試験を受けた。ダンジョンへ行った。農作業もした。疲れていないつもりでも、身体は疲れているのだろう。
「今日は早く寝るか」
健司は知らない。三度目の返済。
《肩代わり》。
今回、徴収されたもの。
《気配察知Ⅰ》
遠く離れた都市。A級パーティー。薄暗い高難度ダンジョンの通路を、一人の男が先頭で歩いていた。上原たちと共謀し、健司へ借金を押しつけたA級パーティーの斥候役。索敵を担当する探索者。戦闘能力だけなら上原や盾役より低い。だが彼がいるから、パーティーは不意打ちを避けられる。曲がり角。天井。隠れている魔物。罠。長年の経験に加え、気配を察知する技能。それが彼の強みだった。
「止まれ」
斥候の男が手を上げた。上原たちが止まる。
「何かいるか?」
「……いや」
男は暗闇を見る。何か。いる気がする。だが分からない。
「どうした」
「ちょっと待て」
集中。音。匂い。魔力。いつもなら分かる。いる。いない。その境目が。今日は曖昧だった。
「おかしいな」
一歩。もう一歩。その瞬間。天井から黒い影が落ちた。
「上!」
遅い。魔物が斥候役へ飛びかかる。上原が剣を振った。ぎりぎり。魔物を弾く。
「何してんだ!」
「……分からなかった」
「は?」
斥候役が自分の手を見る。
「気配が……」
盾役の男の表情が変わった。上原も黙る。剣術。身体能力。そして今度は斥候の感覚。同じパーティー。一人ずつ。何かが失われている。
「おい」
盾役が低い声で言った。
「これ、絶対偶然じゃねえぞ」
誰も否定できなかった。上原の顔色が悪くなる。何か。共通点。最近。何があった。何をした。誰と関わった。頭の中で考える。だが。まだ。森健司の名前には辿り着かなかった。三百万円。自分たちが保証人へ押しつけた金。そんなものはもう、上原たちにとって終わった話だったからだ。同じ頃。健司は布団へ入る前に縁側を見ていた。ゴンが寝ている。モチはその腹のそば。母ももう寝た。庭から虫の音。そして。少し遠く。草の擦れる音。健司がそちらを見る。暗闇の中。庭石の近く。
「やっぱ亀か」
ぼんやりとした影が動いていた。
「こんな時間まで歩いてるのか」
それだけ言って戸を閉める。自分の耳が、昨日までなら気づかなかったほど小さな音を拾っていたことにも。やはり、気づいていなかった。




