第5話 畑仕事まで配信するのか
畑の端に立ててある支柱へ紐を結びながら、森健司は少し離れた縁側へ目を向けた。ゴンが寝ている。その背中には、白い毛玉が乗っていた。
「そこ好きだな、お前」
名前を呼ばなくても、モチは健司の声に反応して顔を上げた。ピィ。
「ゴン重くないのか?」
ゴンは目を閉じたまま動かない。嫌なら自分でどかすだろう。そう思って、健司はトマトの支柱へ視線を戻した。昨日の夕方、ゴンとの散歩を配信した。ただ近所を歩いただけだ。魔物も出ない。戦いもない。宝箱もない。ゴンが道端の匂いを嗅ぎ、モチが背中に乗っていただけ。なのに、ダンジョン配信より人が集まった。健司にはまだ理由がよく分からない。
「まあ、見る方が楽しいならいいけどな」
伸びすぎた脇芽を摘む。隣の畝へ移動。キュウリを確認する。少し大きくなりすぎたものが一本あった。
「これは家用だな」
籠へ入れる。農作物は待ってくれない。一日見なかっただけで、キュウリなど驚くほど大きくなる。借金が三百万円あろうが、配信の視聴者が増えようが、畑には関係のない話だ。水をやる。草を抜く。収穫する。必要なら追肥する。やることは毎年変わらない。そこへ母がやってきた。帽子を被り、手には小さな籠を持っている。
「母さん、今日は暑くなるぞ」
「まだ朝じゃないか」
「だから今のうちに終わらせるんだよ」
「そこのピーマン採っとくよ」
「無理するなよ」
「健司より長く畑やってるんだから大丈夫だよ」
それを言われると弱い。健司が農業を覚えた相手は父と母だ。子供の頃から手伝わされてきた。本人は農業を継ぐつもりなどなかった時期もある。それでも結局、今こうして畑にいる。
「健司」
「ん?」
「白い鳥、またゴンに乗ってるよ」
「知ってる」
「仲いいねえ」
「昨日会ったばっかりなんだけどな」
母はしばらくモチを眺めていた。
「餅みたいだねえ」
「だからモチって名前になったんだろ」
「誰がつけたんだい?」
健司は少し黙った。
「母さん」
「あら、そうだったかい」
「そうだったよ」
母は笑いながらピーマンを採り始めた。健司も笑う。こういうことは最近珍しくない。忘れるものもあれば、昔のことを妙にはっきり覚えている日もある。本人が困っていないなら、いちいち訂正する必要もない。作業を続けていると、ポケットのスマートフォンが震えた。土のついた手をズボンで軽く払い、画面を見る。通知。配信アプリからだった。昨日の散歩配信。再生回数。12,846回健司は画面をしばらく見つめた。
「……一万?」
数字を押す。間違っていない。一万二千を超えている。さらにフォロワー。1,382人
「なんで?」
昨日の時点では、こんな数字ではなかった。ゴンが歩いていただけだ。モチが乗っていただけだ。コメント欄を見る。
《ずっと見ていられる》
《田舎の景色がいい》
《森おじさんの家、落ち着く》
《ゴンかわいい》
《モチかわいい》
《亀また出して》
《畑も見たい》
最後の一文で健司の指が止まる。
「畑?」
何が面白いのだろう。トマトが植わっているだけだ。キュウリもある。ナスもある。別の畑には枝豆やトウモロコシもある。珍しくもない。少なくとも健司にとっては、毎日見るものだった。別のコメント。
《収穫配信やってください》
《農家の朝見たい》
《森おじさん普段何してるの?》
「農業だよ」
思わず画面へ答えてから、今は配信中ではないことに気づいた。
「……俺、何してるんだ」
スマートフォンをポケットへ戻す。だが数分後。また取り出した。少し迷う。昨日借りたドローンはギルドへ返している。手元にあるのはスマートフォンだけ。固定すれば撮れる。
「これでいいのかな」
納屋から古い三脚を持ってくる。昔、妹が子供を連れて帰ってきたときに写真を撮るため買ったものだ。スマートフォンを固定。配信アプリを開く。タイトル。しばらく考えた。
【畑仕事】森おじさん、トマトを採る
「これでいいだろ」
配信開始。視聴者。七人。十二人。二十八人。一分もしないうちに五十人を超えた。
「おはよう」
《おはよう森おじさん》
《本当に畑配信きたw》
《ゴンは?》
《モチ!》
「俺の畑を見たいって書いてあったから始めたんだけど、最初から犬と鳥なの?」
《もちろん》
「いるよ。あそこ」
カメラを少し動かす。縁側。ゴン。背中のモチ。
《いたあああ》
《今日も乗ってるw》
《定位置になってる》
「昨日からずっとこんな感じだな」
《亀は?》
「知らんよ」
《探して》
「畑仕事するって言ってるだろ」
コメントが笑いで流れる。健司は三脚を戻した。
「じゃあトマト採るから」
《お願いします》
《農業配信初めて見る》
《こういうのでいい》
「本当にこれ面白いのか?」
返事を待たずに作業を再開する。赤く熟した実だけを選ぶ。まだ色の薄いものは残す。形の悪いもの。傷があるもの。出荷用と家用を分ける。コメントが流れる。
《全部赤いの採るわけじゃないんだ》
「採らないよ」
《基準ある?》
「あるけど、触れば大体分かる」
《職人》
「農家なら普通」
《またそれ》
「何?」
《森おじさんの普通は信用できない》
「失礼だな」
籠が一ついっぱいになる。健司は持ち上げ、納屋の前まで運ぶ。
《重そう》
「トマトだからそんな重くない」
《何キロくらい?》
「十何キロじゃない?」
《片手じゃん》
「もう一つ持つから」
反対の手に別の籠。
《両手w》
《農業フィジカル》
「これくらい普通だよ」
視聴者が二百人を超えていた。母が畑の向こうから歩いてくる。カメラに気づいていない。
「健司」
「なに?」
「このピーマン虫食ってるよ」
「家で食べよう」
「そうするかい」
母が籠へ入れる。コメント。
《お母さん?》
《こんにちは》
《森おじさんのお母さん》
健司が画面を見る。
「母さん、今配信してる」
「はいしん?」
「ネットのテレビみたいなやつ」
「あら」
母が三脚へ近づく。
「これかい?」
《こんにちはー》
《お母さんおはよう》
《野菜おいしそう》
母は画面の文字を見る。
「なんかいっぱい書いてあるねえ」
「知らない人が見てる」
「へえ」
それだけ言うと、母は畑へ戻った。
《強い》
《動じないw》
《田舎のお母さん好き》
「母さん、あんまりこういうの分からんからな」
配信を続ける。しばらくして、ゴンが畑へやってきた。当然、背中にはモチ。コメント欄が一気に速くなる。
《きた》
《主役》
《ゴン!!》
《モチ!!》
「主役って言われてるぞ」
ゴンはゆっくり歩き、健司の近くの日陰へ座った。モチが背中から降りる。ぴょん。まだ長く飛ぶことはできない。だが昨日より翼を動かしている。地面へ降りたモチは、トマトの下へ入り込んだ。
「食うなよ」
ピィ。
「トマト食うのかな」
《鳥なら食べるかも》
《少しなら?》
「勝手にやると、診てもらった人に怒られそうだからやめとく」
モチを持ち上げ、ゴンの横へ戻す。
「ブルーベリーあとでやるから」
ピィ。
《完全に飼ってる》
「治るまでだよ」
《まだ言ってる》
《絶対帰らない》
「仲間いるだろ」
《モチ「ここが家」》
健司は笑った。畑仕事の配信は一時間ほど続いた。戦闘も事件も起きなかった。それでも最大視聴者は四百人を超えた。終了時に表示された応援額。6,330円
「野菜採っただけなのに……」
配信を切ったあとも、健司はしばらく数字を見ていた。ダンジョンへ行けば命の危険がある。剣を振る。魔物を倒す。素材を背負って帰る。それで一日数万円。畑でトマトを採る。六千円。
「世の中、分からんなあ」
ゴンの頭を撫でる。モチがその横でブルーベリーを待っていた。昼前。健司は収穫物を片づけ、着替えた。今日はギルドへ行く。配信収入も増えてきた。昨日のダンジョン分。散歩配信。今日の畑配信。農業収入も合わせれば、もう少ししたらまた十万円を返せる。借金残高。二百九十万円。数字はまだ大きい。それでも、最初に三百万円と書かれた催促状を見たときより気分は軽かった。軽トラックでギルドへ向かう。建物へ入ると、しずくが受付から手を振った。
「森おじさん、畑配信見ましたよ」
「お前、仕事してる?」
「してます!」
「毎回見てるじゃん」
「ずっと見てるわけじゃないです」
「本当?」
「本当です」
しずくが少し顔を逸らした。怪しい。
「今日も潜るんですか?」
「そのつもり」
「第一階層?」
「もうちょっと稼げるところ行けない?」
しずくの顔が真面目になる。
「森おじさん、まだFですよ」
「知ってる」
「昔Dだったとはいえ、再登録したばかりですからね」
「無理する気はないよ」
「それなら――」
声が途中で止まった。受付の奥から一人の男が出てきた。五十代後半。短く刈った髪に白いものが混じっている。肩幅が広く、今でも身体を動かしていることが分かる体格。健司は顔を見て、
「お」
と声を出した。向こうも健司を見た。
「お前、本当に戻ってきたのか」
「久しぶり」
「久しぶりじゃねえよ。町内会で先月会っただろ」
「そうだっけ」
「将棋もしただろうが」
「したな」
ギルドマスターだった。だが健司にとっては、昔から知っている地元のおっちゃんでもある。若い頃、一緒にダンジョンへ入ったこともある。ギルドマスターが受付台へ肘をつく。
「聞いたぞ」
「何を?」
「三百万」
健司はしずくを見る。しずくが両手を振った。
「私じゃないですよ!」
「郷田だ」
「やっぱりあいつか」
「お前、上原の保証人になったんだって?」
「なった」
「馬鹿か」
「郷田にも言われた」
「二人に言われたら少しは反省しろ」
「してるよ」
「顔に出てねえ」
健司は笑う。ギルドマスターはため息をついた。
「それでダンジョン復帰か」
「農業だけじゃ返すの時間かかるからな」
「昔Dまでやってたお前なら、F階層で死ぬとは思わんが……」
ギルドマスターが健司を見る。
「配信も見た」
「みんな見てるな」
「お前、前より剣上手くなってないか?」
健司は眉を上げた。
「そう?」
「昔のお前はもっと雑だったぞ」
「農業やってたからじゃない?」
「なんで農業で剣術が上がるんだ」
「身体は動かしてる」
「そういう話じゃねえ」
郷田と似た反応だった。健司には違いがよく分からない。昔Dランクだった。何年も剣を使っていた。それを身体が思い出した。一番自然な説明だと思う。
「まあいい」
ギルドマスターが続ける。
「第二階層の手前までなら行っていい」
「いいの?」
「再登録者用の規定に、過去ランクと実績を考慮した例外がある」
しずくが頷く。
「あります。ただし第二階層への本格侵入は、今日のところはおすすめしません」
「入口見て帰るくらい?」
「それなら」
健司は考える。第一階層だけでも稼げる。しかし、少し強い魔物なら素材価格も上がる。
「無理そうなら帰るよ」
ギルドマスターが笑った。
「そこだけは昔から変わらんな」
「死んだら畑できないからな」
「借金も残るぞ」
「それも困る」
ドローンを借りる。今日のタイトル。
【借金返済】森おじさん、少し奥まで行ってみる
配信開始。百人を超えるまでほとんど時間がかからなかった。
《畑から来ました》
《モチいないの?》
《今度はちゃんとダンジョンだ》
「ちゃんとってなんだよ」
《午前中農家、午後探索者》
《働きすぎおじさん》
「農家はこんなもんだぞ」
第一階層へ入る。昨日よりさらに剣が自然だった。一体。二体。ゴブリンを倒す。迷いがない。自分でも分かる。
「やっぱり昔の感覚戻ってるな」
《戻りすぎ》
《数日で?》
《これ本当に昔D?》
「Dだよ」
《Bとかじゃなく?》
「D」
コメントを読みながら素材を回収する。奥へ進む。第一階層の中でも、入口付近とは雰囲気が変わってきた。照明の間隔が広くなる。岩場も増える。通路も複雑になる。健司は進む速度を落とした。
《急にゆっくりになった》
「知らない場所は急がない方がいい」
《慎重》
「迷子になったら恥ずかしいだろ」
《理由そこ?》
「帰れない方が困るけどな」
少し先。音がした。重い。ゴブリンとは違う。健司が足を止める。剣を抜く。岩の陰から現れたのは、体高一メートルほどの獣だった。犬に似ている。だが犬より胴が太い。口から二本の牙が突き出している。毛は灰色。
《牙犬》
《Fの奥にいるやつ》
《森おじさん大丈夫?》
健司も昔見たことがある。
「牙犬か」
ゴブリンより速い。噛まれれば怪我では済まないこともある。一体。健司は無理に前へ出ない。牙犬が低く唸る。身体を沈める。来る。健司は剣を構えた。牙犬が地面を蹴った。速い。だが――。
「……あれ?」
見える。昔よりよく見える気がした。相手の肩。前脚。頭の向き。どこへ飛び込んでくるのか。健司は身体を半歩だけずらした。牙が横を通る。剣を振る。一撃目。浅い。牙犬が着地し、すぐ振り返る。
「やっぱゴブリンより硬いな」
《冷静w》
《噛まれたらやばいぞ》
「分かってる」
二度目。今度は正面から来ない。回り込む。健司も向きを変える。牙犬が跳ぶ直前。その瞬間を狙う。踏み込む。斜め下から剣を振り上げた。刃が胸元へ入る。牙犬が地面へ落ちた。まだ動く。健司は近づきすぎない。少し待つ。完全に動かなくなってから剣を下ろした。
「ふう」
初めて少し息が上がった。
《やった》
《普通に倒した》
《元Dの経験ってでかいな》
《農家強い》
「これは農業関係ないだろ」
《森おじさんが否定した》
健司は笑った。牙犬の魔石を回収する。毛皮も一部使える。牙も素材になる。
「こいつ、いくらだろ」
《第一声それw》
「借金返すために来てるんだから重要だろ」
さらに奥へ。だが、そこで健司は引き返した。
《もう帰るの?》
「牙犬いたからな」
《倒したじゃん》
「一体とは限らんだろ」
《なるほど》
「二体三体来たら、今の俺じゃ分からん」
倒せるかもしれない。だが「かもしれない」で進む必要はない。今日は牙犬一体。十分だった。帰路でゴブリンを数体倒す。途中で塩むすびを食べる。
《今日も塩》
「安定してうまいぞ」
《羊羹は?》
健司の手が止まった。
「なんで羊羹好きなの知ってる?」
《昨日最後にちょっと映ってた》
《切り抜き》
「また切り抜かれてるの?」
《羊羹でお茶飲んでるだけの動画がある》
「誰が見るんだよ」
《見た》
《俺も》
《厚切りすぎて笑った》
「羊羹は厚い方がうまいだろ」
《名言》
「名言じゃないよ」
ギルドへ戻る。査定。牙犬の素材が思ったより高かった。ゴブリン分なども合わせ、63,700円健司は明細を見る。
「おお」
昨日よりかなり増えた。配信の応援額。12,480円合計で七万円を超える。
「もうちょっとで十万だな」
しずくが受付から言う。
「今日返すんですか?」
「農業の売上も入ってるから返せる」
「また十万円?」
「うん」
「生活費は残してくださいよ」
「それくらい分かってるよ」
「森おじさん、保証人になっちゃう人だからちょっと心配で」
「信用ないなあ」
「人を信用しすぎる人は、お金の面では信用できません」
「十八歳に言われた」
「十八歳でも分かります」
ぐうの音も出ない。ドローンを返却。家へ帰る。ゴンが待っている。モチは今日は縁側にいた。
「ただいま」
ピィ。
「飛んでない?」
母が台所から出てくる。
「ちょっと飛んでたよ」
「本当?」
「庭のそこからそこまで」
指された距離は二メートルほど。健司がモチを見る。
「だいぶ良くなったな」
ピィ。嬉しそうにも聞こえる。夕方。畑へ水をやる。ゴンを散歩へ連れていく。モチもゴンの背中。今日は配信しなかった。毎日何でも配信する必要はない。健司はそう思っている。田んぼの横を歩きながら、今日の収入を頭の中で計算する。ダンジョン。配信。農業。合わせれば、十万円を返しても今月の生活に問題はない。
「よし」
帰宅。風呂。夕食。母が焼いた鯖と、畑で採れたナスの味噌炒め。食後に羊羹。今日は昨日より少し薄く切った。コメントで厚いと言われたからではない。ただ、残りが少なかっただけだ。スマートフォンを開く。金融会社。返済。100,000円確認。実行。残高。2,800,000円
「二百八十万」
最初は三百万円。十万円。また十万円。少しずつだが減っている。
「この調子なら、なんとかなるな」
健司は満足して茶を飲んだ。その瞬間だった。胸の奥に、またあの感覚。じんわりとした熱。前にもあった。
「ん?」
今回は腕ではない。身体の中心。胸。背中。脚。一瞬だけ、全身を何かが巡ったような気がした。健司は腕を回す。
「……肩凝ってたかな」
痛くない。むしろ少し身体が軽い。だが一日畑仕事をして、ダンジョンまで行った。疲れているのだろう。風呂にもう一度入るほどでもない。
「寝れば治るか」
それ以上考えなかった。健司には見えない。通知もない。鑑定もしていない。だから知らない。二度目の返済によって、《肩代わり》が再び働いたことを。今回、徴収されたもの。
《身体強化Ⅰ》
それは上原ではなかった。上原と同じA級パーティー。上原と共に、最初から三百万円の借金を健司へ押しつける計画に加わっていた男。パーティーの前衛。大盾を使う探索者だった。都市部の攻略施設。巨大な盾を構えた男が、訓練用ゴーレムの突進を受け止める。いつもと同じ訓練。何百回もやった。受ける。耐える。押し返す。そのはずだった。ゴーレムが突進した。盾へ衝撃。次の瞬間。
「ぐっ!?」
男の足が大きく後ろへ滑った。一メートル。二メートル。最後には片膝をつく。訓練場が静かになった。
「……は?」
本人が一番驚いている。近くにいた上原も振り返った。
「おい。どうした」
「いや……」
男は自分の腕を見る。盾を見る。いつもなら止められる。もっと強い突進だって受けたことがある。
「もう一回」
位置へ戻る。構える。ゴーレム。突進。衝撃。また押される。
「なんだよ、これ……」
上原の顔から表情が消えた。自分の剣。そして今度は、仲間の身体能力。偶然。体調。疲労。そう考えたい。だが。
「お前もか?」
盾役の男が上原を見る。
「も、ってなんだよ」
「俺も……少し前から剣がおかしい」
二人は黙った。同じA級パーティー。同じ時期。理由の分からない弱体化。まだ二人は知らない。遠く離れた田舎で。畑を耕し。秋田犬を散歩させ。白い毛玉へブルーベリーを与え。食後に羊羹を食べている男が――。今日もまた。彼らに押しつけられた借金を、真面目に返しただけだということを。森健司は布団へ入る前、縁側を見た。ゴンが寝ている。その腹の近くにモチが丸まっている。庭のどこかには亀もいるだろう。母はもう寝た。
「あと二百八十万か」
まだ長い。それでも。
「ぼちぼち返せばいいな」
健司は電気を消した。自分が少しだけ強くなったことなど、やはり知らないまま。
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