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借金の保証人になった優しい田舎のおじさんのダンジョン配信  作者: 月瀬 リュカ


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32/38

第32話 今回は俺が決めた

朝のニュースで、昨日の崩落が取り上げられていた。

『昨夜から続いた大雨の影響により、市内ダンジョン第二階層の《旧試験農業区画》付近で管理通路の一部が崩落しました。現在、立ち入り規制が行われており――』

大型モニターに、黄色い規制テープと崩れた通路が映っている。その映像を見ていた男が、手にしていたコーヒーカップをわずかに止めた。

「ん?」

五十歳前後。短く刈った髪に、がっしりとした体格。スーツ姿でも、肩や腕の太さは隠しきれていない。ダンジョン設備工事会社《黒崎ダンジョン開発》の社長、黒崎剛造。会社経営者であると同時に、現在も探索者登録を維持している現役Aランクだった。社長室の壁には、若いころに大型魔物を討伐した写真や、Aランク探索者証の複製が飾られている。

黒崎はモニターを見ながら、隣の机で書類を確認していた社員へ声をかけた。

「ここ、うちが工事したところじゃないか?」

社員がニュース画面を見る。

「旧試験農業区画ですか?」

「そう」

「少々お待ちください」

端末を操作する。数秒後、古い施工記録が表示された。

「はい。五年前ですね。弊社が管理通路の補強、排水設備の改修、魔力水配管の更新を受注しています」

「ああ。やっぱりな」

黒崎はコーヒーを一口飲んだ。

「まだ使ってたのか、あそこ」

「最近、再稼働試験が始まったようです」

「再稼働?」

黒崎が眉を上げる。

『農業区画では現在、魔法作物《紅晶実》三十六株の試験栽培が行われています。幸い、農園そのものへの直接的な被害は確認されていませんが――』

「三十六株?」

黒崎が笑った。

「たったそれだけか」

「まだ試験段階のようですね」

「しかし、よくあんなところで農園なんか再開したな」

黒崎は画面に映る崩落箇所を眺めた。

「地下水の通り道だぞ、あそこ」

社員が顔を上げる。

「ご存じだったんですか?」

「工事したからな」

黒崎は当然のように答えた。

「雨が続けば水が集まりやすい。地盤だって良くない」

「では今回の崩落も……」

「知らんよ。五年前の話だ」

黒崎は軽く手を振った。

「土砂崩れしそうな場所に農園を作る馬鹿がいるなら、もう少しちゃんと見てから始めればいい」

社員は何も言わなかった。当時の資料を少しスクロールする。

「ただ、施工記録では地盤補強まで完了になっていますね」

「なってるだろ」

「はい」

「じゃあ終わった話だ」

黒崎は平然としている。五年前。黒崎ダンジョン開発は、旧農業区画の補修工事を請け負った。見積書には高耐久の補強材。排水管の全面交換。魔力水主管の更新。地盤の追加補強。必要な作業は一通り計上した。請求もした。だが、実際にすべてをその通り施工したわけではない。見えない部分の補強は減らした。

まだ使える排水管は交換したことにして、そのまま残した。一部の部材も、見積書に記載したものより安価な製品へ変更した。閉鎖が決まっていた区画だ。長期間使われる可能性は低い。黒崎はそう判断していた。工事後の検査も通った。五年間、問題も表面化しなかった。黒崎にとっては、それで十分だった。

「でも、再稼働するなら連絡くらい欲しかったな」

社員が尋ねる。

「なぜですか?」

「そりゃ、ちゃんと見たさ」

「再点検ですか?」

「追加工事だよ」

黒崎は笑う。

「使うなら使うで金になるだろ」

ニュースでは、復旧に時間がかかる可能性があると説明している。

『なお、保険会社による現地調査には日数を要する見込みで、農業区画の早期再開については――』

「復旧工事、どこが取るんだ?」

「まだ発注前ではないでしょうか」

「だったら営業に言っとけ」

「弊社から見積もりを?」

「当然だろ。昔やった場所なら図面もある」

「はい」

社員は淡々とメモを取る。黒崎の会社では、この程度の話は珍しくなかった。ダンジョン工事には定価がない。場所によって危険度が違う。資材の搬入難度も違う。魔力濃度や魔物対策も必要になる。だからこそ、見積もりには幅がある。その幅を、黒崎はよく知っていた。

「緊急工事なら高く取れるな」

「通常より割増になりますね」

「三百万くらいか?」

「現場を見ないと何とも」

「最初は高めに出しとけ。削られたら下げればいい」

「分かりました」

社員が答える。黒崎は再びコーヒーを飲んだ。画面の向こうでは、昨日まで普通に使われていた通路が崩れている。

「五年持ったなら上出来だろ」

小さく呟いたあと、黒崎はニュースへの興味を失ったように別の資料を開いた。自分の会社が昔どんな工事をしたのか。その工事と今回の崩落にどれほど関係があるのか。黒崎にとっては、もう終わった仕事の話だった。


◇


そのころ、森健司は自宅の畑にいた。

「こっちは大丈夫だな」

昨日までの雨で土はかなり湿っている。水やりはいらない。代わりに畝の状態を見て、排水溝に詰まっていた葉を一枚拾う。ダンジョン農園の管理通路が崩れた翌日でも、家の畑には特に変わったことはなかった。トマトはトマト。ナスはナス。キュウリも普通に蔓を伸ばしている。健司にとってはありがたいことだった。

「全部一緒に壊れたら困るしな」

後ろをゴンがゆっくり歩いている。昨日の雨で庭はまだ柔らかい。十八歳の秋田犬は、ぬかるみを避けながら歩いていた。その背中にはモチが乗っている。

「お前は楽でいいな」

「ピィ」

「ゴンに運んでもらって」

ゴンは気にしていない。モチも降りる気はなさそうだった。

「ゴン、嫌なら言えよ」

ゴンが一度だけ健司を見る。

「言わないか」

鶏小屋にも寄る。六つの有精卵。親鶏は今日も変わらず抱いている。

「そろそろだな」

モチがゴンの背中から飛び降りた。鶏小屋の前まで来る。

「お前、本当に好きだな」

「ピィ」

「生まれたら追いかけるなよ」

「ピィ」

「分かってる?」

モチは首を傾げた。

「分かってないな」


◇


朝の仕事を終えて家に戻ると、母親が味噌汁をよそっていた。

「今日もダンジョン?」

「行くよ」

「畑直った?」

「昨日崩れたばっかりだぞ」

「そうだったね」

「今日は復旧の話するって」

「三百万の?」

「うん」

母親は味噌汁を置く。

「借りるの?」

「まだ決めてない」

「そう」

それ以上は聞かなかった。健司も、ご飯を食べながら考える。三百万円。前にも見た数字だ。違うのは、今回は自分に請求されたわけではないこと。何もしなければ、自分が借金を背負う必要はない。保険会社が調査する。研究部が予算を申請する。それを待てばいい。ただし、その間に紅晶実がどうなるかは分からない。

「健司」

「何?」

「おにぎり何入れる?」

「今日は聞くんだ」

「何がいい?」

「何ある?」

「梅。鮭。おかか」

健司は少し迷った。

「鮭」

「珍しいね」

「三択なら鮭かな」

「じゃあ鮭」

「豪華だな」

母親が振り返った。

「鮭で?」

「塩よりは」

「昨日は塩昆布でも豪華って言ってたよ」

「具があると豪華なんだよ」

「安くて助かるね」

「そうだな」

モチが足元へ来ていた。

「お前は鮭食わないぞ」

「ピィ」

「ブルーベリー」

その言葉で目つきが変わったように見える。

「やっぱり分かってるだろ」

健司はモチを少し離れた椅子の背へ乗せた。

「おいで」

モチがすぐ飛んでくる。健司の腕へ着地。

「おお」

ブルーベリー一粒。

「もう一回」

今度は縁側。

「おいで」

飛ぶ。また腕へ。ブルーベリー。

「これもう覚えたな」

母親が台所から言う。

「芸できるようになったね」

「芸ってほどじゃないだろ」

「じゃあ次、回れってやってみたら?」

「鳥に回れってどうやるんだよ」

「くるっと」

「説明になってない」

健司は笑いながら立ち上がった。今日はモチを連れていかない。崩落した通路がある。安全確認が終わっていない場所へ、小さな魔物をわざわざ連れていく理由もない。

「留守番な」

「ピィ」

「ゴンの背中使いすぎるなよ」

ゴンはすでに縁側で寝ていた。


◇


ギルドへ着くと、しずくが待っていた。

「森おじさん、おはようございます」

「おはよう」

「昨日の夜、ちゃんと考えました?」

「考えたよ」

「三百万円のことですよ」

「分かってる」

「本当に?」

「昨日から三百万しか言われてないだろ」

「それくらい大事なんです」

健司は受付前の椅子に座る。

「今日はどうなった?」

「応急電源は入りました。農園区画の照明は最低限確保できています」

「水は?」

「主管はまだ駄目です。今日も手運び」

「じゃあ先に水やるか」

「会議が十時からです」

「今九時過ぎだろ」

「……やっぱり行くんですね」

「水待ってるからな」

「植物は待ってくれませんもんね」

「そういうこと」

健司は自分で買った配信用ドローンを取り出した。一万九千八百円。昨日も使った。今日も傷はない。しずくがそれを見る。

「まだ値段覚えてます?」

「一万九千八百円」

「即答」

「そりゃ覚えてるよ」

「三百万円見たあとだと安く見えません?」

健司はドローンを見る。

「いや、高い」

「そこは変わらないんだ」

配信を始める。タイトルは、

【ダンジョン農園】崩れた畑に水を運びます

すぐにコメントが流れ始めた。

《おは森》

《300万おじさん》

「朝から嫌な呼び方するな」

《借りた?》

「まだ」

《耐えた》

《昨日絶対借りると思った》

「なんで俺が借りる前提なんだよ」

《タイトル》

《人生二周目の300万》

「縁起悪いな」

《ゴンは?》

「家」

《モチ》

「家」

《今日は森おじさんしかいない》

「俺の配信だって何回言わせるんだ」

《解散》

「帰るな」

昨日と同じ保守用通路から農園へ入る。崩落箇所は規制されたままだった。三十六株の紅晶実は、まだ元気だった。

「よし」

健司はしゃがんで葉を見る。少しずつ大きくなっている。ここまで育った。昨日一日で急に弱ることはなかったが、この状態を何週間も続けるのは難しい。

《生きてる》

《よかった》

《昨日より元気?》

「そんなに変わらんと思う」

長谷川が計測値を見る。

「状態は安定しています」

「今日も普通の水でいい?」

「はい。根圏の魔力濃度も十分残っています」

「じゃあ運ぶか」

二十リットルの小型タンクを左右に一個ずつ持つ。

《また40kg》

《こいつ毎回二つ持つな》

「一個ずつだと二往復だろ」

《その思想で46歳まで来た男》

「何がおかしいんだ」

《腰》

「腰は大事にしてるよ」

《説得力ない》

給水が終わるころには十時前になっていた。

「じゃあ会議行ってくる」

《300万会議》

「復旧会議だよ」

《同じでは》

「違う」

配信はいったん止めた。打ち合わせには、長谷川、施設管理の担当者、研究部の責任者、しずく、それに健司が参加した。昨日より詳しい資料が出ている。

「まず、保険会社から回答がありました」

施設管理担当者が口を開いた。

「現地調査は最短で十一日後です」

「十一日」

「はい。そこから原因判定と契約確認に入ります」

「お金出るまで?」

「さらに時間が必要です」

「じゃあ苗には間に合わないな」

「その可能性が高いです」

研究部側も似た状況だった。

「追加予算については、緊急申請を行いました。ただし三百万円規模になるため、複数部署の承認が必要です」

「何日?」

「最短でも二週間前後です」

「長いな」

「申し訳ありません」

「謝らなくていいよ。制度なら仕方ない」

健司は資料を見る。応急対応だけなら、今のまま続けられる。人力で水を運ぶ。仮設照明を使う。必要最低限の設備だけ動かす。ただし、毎日誰かが来る必要がある。それに、崩落箇所がさらに広がれば保守通路まで使えなくなる可能性もある。

「本復旧なら?」

「資金さえ確保できれば、工事業者は最短明日から入れます」

「何日くらい?」

「四日から一週間程度です」

「全然違うな」

しずくが健司を見る。

「森おじさん」

「まだ何も言ってないよ」

「今、絶対考えてますよね」

「考えるだろ」

「だめです」

「まだ何も決めてないって」

「顔で分かります」

「どんな顔してる?」

「畑の支柱どう直そうかなって考えてるときと同じ顔」

「よく見てるな」

「昔から知ってますから」

健司は資料を一枚めくる。昨日説明された制度。

《契約事業者向け緊急復旧融資》

最大三百万円。今回のように、契約中の施設が災害などで使用困難になった場合、事業継続のために使える。

「これ使ったら、明日から工事できる?」

「はい」

「全額?」

「復旧見積もりの範囲内であれば」

「返済は?」

「月々でも、繰り上げでも可能です」

「保険が後から出たら?」

「返済へ充当可能です」

「研究予算が通ったら?」

研究部の責任者が答える。

「制度上の調整が必要ですが、復旧費として精算できる可能性はあります。ただし、そこは確約できません」

「最悪の場合は?」

しずくが先に答えた。

「森おじさんが三百万円全部返します」

「そうなるよな」

「だからやめてください」

「まだ借りるって言ってないだろ」

「言う前に止めてます」

健司はしばらく資料を見る。前の三百万円。あれは嫌だった。自分で使った金ではない。自分が買ったものでもない。突然、他人の借金を返すことになった。今回とは違う。とはいえ三百万円は三百万円だ。軽い額ではない。

「今の農園、やめる選択もある?」

研究部の責任者が少し驚いた。

「もちろんです」

「契約途中だけど?」

「この状況です。森さん側に違約はありません」

「三十六株は?」

「可能な限り研究部で維持します。ただ、最悪の場合は試験中止になる可能性があります」

「また最初から?」

「復旧後に」

「何か月後か分からない?」

「はい」

健司は腕を組んだ。旧農業区画に最初に入った日のことを思い出す。荒れていた。使えるかも分からなかった。片づけた、設備を調べた、種を播いた、魔力水を使った。普通の水も試した。鼠に種を食われた。播き直した。ようやく三十六株そろった。ここで終われば、それまで。別に世界が困るわけではない。

健司自身も困らない。でも。

「もったいないな」

口から出た。しずくが聞く。

「何がですか?」

「今やめるの」

「三百万円より?」

「比較すると難しいな」

「三百万ですよ?」

「分かってる」

「本当に?」

「昨日から何回確認するんだよ」

長谷川が苦笑する。

「森さんとしては、農園を続けたいんですね」

「続けられるなら」

「理由は?」

「面白いから」

「……面白い?」

「普通の畑で紅晶実育てたことないからな」

「普通の畑では育てません」

「だから面白いんだろ」

健司は笑った。

「あと、種の部屋まだ開けてないし」

しずくが額に手を当てる。

「種子保管庫のために三百万借りないでください」

「それだけじゃないよ」

「分かってますけど」

健司は立ち上がった。

「今日決めなくてもいい?」

「もちろんです」

しずくがすぐ答える。

「できれば一週間くらい考えてください」

「一週間考えたら一週間工事遅れるだろ」

「そういう計算しないでください!」

健司は笑った。

「とりあえず昼食べる」

「それがいいです」


◇


配信を再開したのは昼休みからだった。

「会議終わった」

《300万借りた?》

「まだ」

《偉い》

「何が偉いんだ」

《耐えてる》

「俺を借金中毒みたいに言うな」

包みを開く。

「今日は鮭」

《SSR》

「なんで鮭がSSRなんだよ」

《塩N》

《梅R》

《塩昆布SR》

《鮭SSR》

「勝手に値段上げるな」

《母ちゃんガチャ豪華回》

「ガチャでもない」

一口。

「うまい」

《終わり?》

「何が?」

《食レポ》

「鮭おにぎりだぞ」

《皮入ってる?》

健司は中を見る。

「ちょっと入ってる」

《当たり》

「皮うまいだろ」

《分かる》

《森おじさん派》

《皮苦手》

「喧嘩するなよ」

そこへ一件、視聴者から質問が流れる。

《農園どうなるの?》

健司は少し考えてから答えた。

「分からん」

《終わる可能性ある?》

「ある」

コメント欄の流れが少し遅くなる。

「直す金がすぐ出ないんだよ。保険も時間かかる。予算も時間かかる」

《じゃあ待つしかない?》

「普通なら」

《普通なら?》

「変なところ拾うな」

《森おじさん何かする顔》

「顔見えないだろ」

《ドローン映してる》

「ああ、そうだった」

健司は笑う。

《まさか自腹?》

「まだ何も決めてないよ」

《やめとけ》

《300万は重い》

《でもせっかく育てたもんな》

《クラファン》

「しない」

《配信で集めよう》

「それもしない」

《なんで》

「自分で決める話だから」

健司は残りのおにぎりを食べた。

「人から金集めて直すなら、俺が借りるのと変わらんだろ」

《全然違う》

《違うぞw》

「そう?」

《そう》

「まあ、そのへんはあとで考える」


◇


午後は危険区域へ近づかず、紅晶実の状態をもう一度確認して帰った。


◇


夕方。家へ戻った健司は、まず長靴のまま畑へ向かった。朝見た場所をもう一度確認する。雨水はかなり引いているを確認したが、問題はない。それから鶏小屋。六つの卵を確認したが、問題はない。ゴンは寝ているを確認したが、問題はない。モチはなぜかゴンの尻尾をつついている。

「それはやめろ」

「ピィ」

ゴンは怒らない。

「ゴンが優しいからって調子乗るなよ」

モチが健司を見る。

「おいで」

すぐ飛んでくる。

「本当に覚えたな」

ブルーベリー一粒。

「次は何覚える?」

「ピィ」

「回れは難しそうだな」

健司が指をくるっと回してみる。

「回れ」

モチは健司の指を見る。

「回れ」

ブルーベリーを見る。

「いや、先にやらないと出ないぞ」

モチが飛び立った。健司の頭の周りを一周。元の場所へ戻る。健司は固まった。

「……今の回れ?」

「ピィ!」

ブルーベリーを出す。

「偶然だよな?」

モチが食べる。もう一度。

「回れ」

今度は動かない。

「やっぱり偶然か」

ゴンが顔だけ上げている。

「お前、笑った?」

もちろんゴンは答えなかった。家へ入る。母親は台所でナスを切っていた。

「母さん」

「おかえり」

「ちょっと聞いていい?」

「何?」

「三百万借りたらどう思う?」

母親の手が止まる。

「また?」

「また」

「保証人?」

「違う」

「誰のお金?」

「俺が借りる」

「何に使うの?」

「ダンジョンの畑直す」

「健司の畑?」

「違う」

「じゃあなんで健司が?」

「今日それ、しずくにも言われた」

「しずくちゃん正しいね」

「そうなんだよ」

自分でも分かっている。

「でも借りたら、すぐ直せる」

「借りなかったら?」

「何週間か待つ」

「畑は?」

「今育ってるのは駄目になるかもしれない」

「そう」

母親は少し考えてから、ナスを切る作業へ戻った。

「健司はどうしたいの?」

「続けたい」

「じゃあ借りれば?」

「軽いな」

「返せるの?」

「時間かければ」

「家売る?」

「売らない」

「うちの畑売る?」

「絶対売らない」

「ご飯食べられなくなる?」

「ならない」

「じゃあいいんじゃない」

母親はナスを水へ入れる。

「自分で決めたんでしょ?」

その言葉で、健司は少し黙った。前は違った。三百万円の請求書が突然届いた。自分は使っていない。自分は何も買っていない。返すしかないから返した。今回は。まだ断れる。今なら一円も借金はない。その上で、自分で選べる。

「そうだな」

「何?」

「今回は俺が決めるんだな」

「自分のお金なんだから、自分で決めなさい」

「借りる金だけどな」

「じゃあ自分で返しなさい」

「はい」

母親が笑った。

「でも、うちの畑を先にね」

「そこは変えない」

健司はスマートフォンを取り出した。しずくへ電話する。数回鳴ってつながった。

『はい。白花です』

「しずく」

『森おじさん?』

「決めた」

少し沈黙。

『嫌な予感しかしません』

「三百万借りる」

『やっぱり!』

思った以上に大きな声だった。

「耳痛いよ」

『だって! まだ一日しか考えてないじゃないですか!』

「昨日からなら二日」

『そういう問題じゃありません!』

「ちゃんと考えたよ」

『本当に?』

「家も畑も売らない」

『当然です』

「生活費にも手をつけない」

『はい』

「返済はダンジョンと農園と配信の収入から」

『それでも三百万円ですよ』

「前も返した」

『前の三百万を終わらせたばっかりなのに!』

「俺もそこはどうかと思う」

『だったらやめましょうよ!』

健司は少し笑った。

「でも、前の三百万とは違うよ」

しずくが黙る。

「前は、俺が決めた金じゃなかった」

『……はい』

「今回は違う」

庭を見る。ゴンが縁側で寝ている。モチがその横を歩く。さらに向こうには、家の畑。

「今回は俺が決めた」

『本当にいいんですか?』

「いい」

『後から嫌になっても知りませんよ』

「嫌にはなると思う」

『なるんですか!?』

「三百万だぞ。返すときは嫌になるだろ」

『森おじさん……』

「でも借りる」

電話の向こうで、しずくが長くため息をついた。

『分かりました。書類を用意します』

「今日いける?」

『今日来るんですか?』

「決めたから」

『今何時だと思ってるんですか』

「まだ五時前」

『来れますね……』

「じゃあ行く」

『本当に行動だけ早い……』


◇


夕方、健司は再びギルドにいた。受付の奥にある小さな相談室。机の上には融資契約書。

《契約事業者向け緊急復旧融資》

《借入額 3,000,000円》

健司は一行ずつ読む。

「ここ、農地担保なし?」

「なしです」

「家も?」

「なし」

「返済遅れたら?」

「そこに書いてあります」

「繰り上げ返済?」

「できます」

「全額?」

「できます」

しずくが頬杖をつきそうになるのを我慢している。

「森おじさん、前より借金に詳しくなってません?」

「経験したからな」

「嫌な経験値ですね」

「俺もいらなかったよ」

最後のページ。

「本当にいいんですね?」

「うん」

「では、ここに署名してください」

健司は書類に名前を書いて印を押した。しずくがそれを受け取り、端末へ内容を入力していく。

「最終確認です」

「はい」

「借入額、三百万円」

「はい」

「森おじさん本人の債務です」

「はい」

「保証人ではありません」

「はい」

「自分で返します」

「はい」

「逃げないでくださいね」

「どこに?」

「知りませんよ」

「家と畑あるから逃げないよ」

手続きが進む。数十秒。端末の画面が切り替わった。

《契約成立》

《借入残高 3,000,000円》

健司は数字を見る。

「……戻ったな」

「何がですか」

「三百万」

「戻ってません。新しく増えたんです」

「そうか」

「そうです」

健司は胸に手を当てた。少し待つ。何もない。以前、保証債務を返済したときのような妙な感覚もない。

「やっぱり何もないな」

「《肩代わり》ですか?」

「うん」

「今回は森おじさんが自分で決めた借金ですからね」

「そうだよな」

「誰かの負担を肩代わりしたわけじゃありません」

「普通の借金か」

「三百万を普通って呼ばないでください」

健司は笑った。

「明日から工事?」

「資金確保が確認でき次第、業者選定と発注です。最短なら明日から動きます」

「よかった」

「本当にそれでいいんですか?」

「農園直るんだろ?」

「はい」

「じゃあいいよ」

健司は契約書の控えを鞄に入れた。帰り際、しずくが言う。

「森おじさん」

「何?」

「今度は誰かに勝手に押しつけられた三百万じゃありませんからね」

「分かってる」

「自分で選んだんですよ」

「うん」

「ちゃんと覚えててください」

健司は少しだけ笑った。

「それは忘れないよ」


◇


その日の夜。健司の借入残高は、再び三百万円になった。

《肩代わり》は何の反応も示さない。

健司も、それで当然だと思っていた。遠く離れた黒崎ダンジョン開発の社長室では、黒崎剛造が翌日のAランクダンジョン探索予定を確認していた。壁に並ぶ技能証明。

《土魔法Ⅳ》

《地形把握Ⅲ》

《修繕Ⅲ》

《魔力操作Ⅲ》

《身体強化Ⅲ》

長年かけて手に入れた能力だった。黒崎はそれらを失う可能性など、一度も考えたことがない。もちろん健司も知らない。今はまだ、何も起こっていなかった。


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― 新着の感想 ―
手抜き工事とかでも取れるのはいいね。作為があれば発動するってことかしらね。また返済時にスキル吸うんだろうか。社長がAランクで良かったね。
これ相手がスキル持ち以外だと何を取るのか興味ある
借金を作る要因になった人から取り立てるのね… これすごいわ
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