第29話 花は畑を狙っていた
すみません。間違って違う小説投稿してました m(__)m
翌朝、健司がギルドへ着くと、《大口陽花》の移動についてすでに調査班が組まれていた。
昨日の監視記録を見ると、巨大な花は一晩でわずかに位置を変えている。速くはないが、農園側へ近づいているのは間違いない。
「畑を狙ってる?」
「まだ分かりません」
研究部の長谷川は設備図を机へ広げた。大口陽花が移動した方向と、旧農業区画の配管を重ねてみる。
健司はしばらく図面を見ていた。
「これ、水の管じゃない?」
「魔力水の供給管です」
大口陽花の移動経路は、昔の魔力水配管とほぼ重なっていた。
「畑じゃなくて、水を追ってるんじゃないか」
誰かがそう考えた記録はなかった。巨大植物が動いたため、これまでは人や作物を狙っている可能性ばかり警戒されていた。
現地班には、研究部、ギルド管理職員、設備担当が一人ずつ入った。健司は農園側から見た動きの確認役だ。大口陽花へ近づく必要はない。
床には赤いテープで立入線を作る。花が急に動いた場合は、全員が同じ通路から下がる。魔力水を置く台車も人が押さず、遠隔操作する。
「倒す準備は?」
《剣抜かないの》
「襲ってきたら考える。でも今日は何を追ってるか見る日だよ」
大口陽花は、遠くから見ても気味が悪い。人の背丈より大きい花弁。その中央に口。閉じている時はただの黒い裂け目に見えるが、時々ゆっくり開き、中の歯が見える。
モチを連れてこなくてよかったと健司は思った。好奇心で近づかれたら困る。
試験を始める前に、調査班は大口陽花の現在位置と周囲の床を細かく記録した。蔓の先端、根のような部分、農園までの距離。動いたかどうかを感覚だけで判断しないためだ。
「昨日より、こっちの蔓だけ長くない?」
長谷川が前日の写真を並べる。
「七センチほど伸びています。向きも配管側です」
《七センチ測るの細かい》
「植物がゆっくりなら、細かく見ないと分からんだろ」
設備担当は漏水箇所の近くへ目印を置き、退避用の通路には工具や台車が残っていないか確認した。
健司も一度だけ帰り道を振り返る。
「逃げる時に引っかかる物はなし」
「では、供給を止めて反応を見ます」
準備が整い、全員が立入線の外へ下がってから試験を始めた。
現地へ入り、安全な距離から確認することになった。
◇
農園では、大口陽花は昨日より手前にいる。巨大な黄色い花の中央には歯の並んだ口があり、二本の長い蔓が床を這っていた。
健司は戦う気はない。調査班も同じだ。
まず、近くを通る魔力水の供給を一時的に止めた。配管の弁を閉じ、漏れていた水もできるだけ拭き取る。
一時間ほど待っても、大口陽花は動かなかった。
そこで今度は、十分に離れた別方向へ少量の魔力水を置く。人が近づかなくても済むよう、遠隔操作の台車を使った。
最初は反応がない。
十分、二十分。
やがて花の向きが変わった。
「動いた」
蔓がゆっくり持ち上がり、根のような足が床を進む。大口陽花は農園ではなく、魔力水を置いた方向へ向かっていた。
「やっぱり水だな」
《畑じゃなかった》
《森おじさんまた戦わず解決してる》
「倒せるかどうかと、倒す必要があるかは別だろ」
二回目は右奥。三回目は左奥。どちらも人がいない空き区画を選ぶ。
大口陽花はすぐには動かない。最初に花の向きが変わり、次に蔓が滑り、最後に根のような足が少しずつ床を進む。十メートル移動するだけでもかなり時間がかかった。
「これなら逃げる時間はあるな」
「ただし刺激した場合の速度は分かりません」
「じゃあ近づかないのが一番」
《倒せそう?》
「分からん」
《火炎魔法》
「農園ごと燃やしたくないよ」
《植物に火は効きそう》
「効くかもしれないけど、効くから使うとは限らない」
花が三回とも魔力水へ向かったところで、調査班の意見はほぼ一致した。ただ、念のため普通の水も一度置いてみる。
今度は三十分待っても反応がない。
「魔力の方だな」
長谷川が記録へ追記する。
「少なくとも、現状では濃い魔力源への反応が最も強いと考えられます」
「じゃあ農園側の漏れがなくなれば、戻ってくる理由も減る」
大口陽花そのものを処分する話は一度保留になった。空き区画で管理できるなら、わざわざ危険な討伐をする必要はない。研究対象として残す価値もあるらしい。
健司はその判断に異論がなかった。
「食いに来てるんじゃないなら、畑と離して水やっとけばいい」
《家畜扱い》
「口あるけど植物だぞ」
《余計こわい》
調査班は数回位置を変えて試した。大口陽花は毎回、より濃い魔力水がある方向へゆっくり進んだ。
どうやら人間や作物を積極的に狙う魔物ではなく、魔力の濃い水源を求めて移動している可能性が高い。
問題は、旧配管の一部から今も魔力水が漏れていることだった。その漏れが農園側にあるため、大口陽花も少しずつ近づいてきたらしい。
「なら、漏れ直せばいい」
「簡単に言いますね」
「畑守るならそっちだろ」
専門班が漏れ箇所を調べている間、大口陽花は遠隔台車の魔力水から離れなかった。口を水面へ近づけるわけではない。根のような部分を床へ広げ、その周囲から少しずつ魔力を吸っているように見える。
「飲んでる感じじゃないな」
「植物ですから、根から吸収しているのかもしれません」
《じゃあ口は何用》
健司も花の中央を見る。
「それは俺も知りたい」
《怖い》
「近づかなきゃいいよ」
設備担当から、古い配管の継ぎ目に小さな亀裂があると報告が来た。五年前の設備で、劣化していた部分らしい。今日は応急的に供給を止め、後日部品を交換する。
「直るまで農園側の水止まる?」
「試験区画は別系統なので大丈夫です」
「なら苗は困らないな」
確認したいのはそこだった。
大口陽花を空き区画へ誘導したあとは、戻らないよう少量の魔力水を定期供給する案が出る。ただし常時流すと費用がかかるため、魔石の消費量も試算することになった。
「こっちも金かかるんだな」
「魔力水ですから」
「農園より高くついたら困るな」
《花の飼育費》
「飼ってないよ」
言いながら、少し飼育に近い気もした。
配管修理は専門班の仕事なので、健司は手を出さない。代わりに、大口陽花を安全な空き区画へ誘導し、そこへ専用の給水場所を作る案が出た。
戦わずに済むなら、その方がいい。
◇
帰り道、しずくが配信を見ながら笑った。
『森おじさん、最近ボスみたいな魔物に会っても全然倒しませんね』
「仕事じゃないからな」
『普通はちょっと戦いたくなりません?』
「怪我したくない」
『そこはずっと変わらないですね』
「変える必要ないだろ」
調査終了後、健司たちは農園側の通路へ戻り、念のため苗の被害も確認した。大口陽花が近づいたことで踏み荒らされた場所はなく、三十六株も無事だった。
「花がこっちまで来る前に気づいて良かったな」
「監視カメラを増やしたのが効きました」
「人がずっと見張らなくていいのは便利だな」
《森おじさんも監視カメラ買おう》
「家の畑?」
《ゴン用》
「ゴンは大体寝てるよ」
《それを見る》
「本当に?」
配信の視聴者が何を求めているのか、相変わらず分からない。
長谷川から、配管修理が終わるまでは大口陽花の位置を一日数回確認すると説明された。農園作業も危険がなければ通常通り再開する。
「じゃあ次、苗を見る日でいい?」
「はい。森さんが毎日来る必要はありません」
「助かる」
ここでも、全部を自分でやらないことが大事だった。
帰還前、遠隔台車をもう一度だけ移動させた。給水場所の位置を少し壁側へ寄せ、人の通路からさらに離すためだ。
大口陽花は十分ほど遅れて向きを変え、またゆっくり移動した。
「ちゃんとついてくるな」
《ペット》
「違う」
《名前つけよう》
「つけない」
《大ちゃん》
「絶対呼ばない」
研究員まで笑っている。
「愛称があると記録しやすいかもしれませんよ」
「正式名でいいだろ」
「森さん、モチには名前つけてますよね」
「あれは家にいるから」
大口陽花まで家に連れて帰る気はない。想像しただけで、母親に怒られる前に自分が困る。
最後に立入線を確認し、遠隔台車の電源を切る。今日はこれで終わり。戦闘は一度もなかった。
今日の調査で一番大きかったのは、「危険な花がいる」から「魔力水を追う植物らしい」へ理解が一段進んだことだった。名前や見た目が怖くても、行動の理由が分かれば対策は考えやすい。
健司は畑仕事でも同じだと思った。葉が枯れたから薬をまくのではなく、まず水なのか虫なのか病気なのかを見る。その順番を飛ばさないことが大事だった。
大口陽花への対策が決まったことで、農園の再開作業も再び進められることになった。
健司が気にしていた《紅晶実》も、薄い魔力を与えた株から順に葉色が戻り始めている。
農園を狙っていたと思った花は、実際には水を追っていただけだった。
畑仕事でもそうだが、相手が何をしているのか分からないまま対策を決めると、ろくなことにならない。
「まず見る、だな」
◇
家へ戻ったのは夕方だった。最初に畑へ回り、朝見たトマトとナスを確認する。ダンジョンの巨大な花を何時間も見たあとだと、普通の花や葉が妙に小さく見えた。
母親が水やり用のホースを片づけている。
「大きい花、どうだった?」
「畑じゃなくて魔力水追ってた」
「お腹空いてたの?」
「多分」
「ご飯あげた?」
「魔力水」
「じゃあ良かったね」
簡単にまとめられた。
◇
夕食後、監視映像を確認すると、大口陽花は新しい空き区画の給水地点から動いていない。農園側へ向いていた花も、今は魔力水の方を向いている。
紅晶実の苗も異常なし。
「これならしばらく大丈夫かな」
大口陽花を倒さず、畑も守る。結果だけ見れば、それで十分だった。
◇
ギルドへ戻った時、しずくにも結果だけ伝えた。
「大口陽花、倒さなくて済みそう」
「配信見てました。水を追ってたんですね」
「魔力水な」
「火炎魔法の出番なしでしたね」
「出番なくていいよ」
「普通は新しい魔法、使いたくなりません?」
「畑の近くで火出したくない」
しずくは納得したような、していないような顔で笑った。
倒さずに済んだことも、農園へ被害が出なかったことも、今日の仕事としては十分な成果だった。
健司はそう言って、家へ帰った。




