第27話 早く芽が出ればいいわけじゃない
翌朝、森健司が最初に見たのはダンジョン農園の監視画面ではなく、鶏小屋だった。昨日入れた六個の有精卵を、一羽の鶏がじっと抱いている。その横ではモチまで巣箱を覗き込んでいた。
「お前は見るだけだぞ。つつくなよ」
ピィ。
「返事だけはいいな」
三週間ほど先の話だ。今日見たところで何も変わらない。それでも気になるものは気になる。健司は苦笑してから家の畑へ向かい、いつもの収穫と水やりを済ませた。
◇
一時間ほどして、ようやくスマートフォンを開く。
《旧試験農業区画・紅晶実経過記録》
発芽は通常水が十二本すべて、薄めた魔力水が十二本中十本、通常濃度の魔力水が十二本中六本まで進んだ。
発芽だけを見れば、普通の水が圧勝している。ところが写真を拡大した瞬間、健司の眉が寄った。
「やっぱり薄いな」
通常水区の苗は一番大きい。だが葉の色が淡く、何本かは茎まで細い。薄魔力水の苗は少し小さいものの緑が濃い。通常魔力水の苗は発芽自体が遅い代わりに、出てきたものは色が悪くなかった。
「早く出たから一番元気、ってわけじゃないのか」
母が朝食の支度をしながら、「人だって早く起きたから元気とは限らないよ」と言った。
「それはちょっと違う気がする」
「似たようなもんでしょう」
「母さん、今日は適当だな」
写真を長谷川へ送ると、すぐ返事が来た。
《こちらでも葉緑値の低下を確認しています。午前中に現地計測へ入ります。森さんは本日の立ち会い予定ではありませんので、こちらで対応可能です》
健司は画面を読んだまま止まった。
「行くの?」
「まだ何も言ってないよ」
「その顔は行く顔だねえ」
「どんな顔だよ」
「おにぎり二個でいい?」
少し迷ってから、「二個」と答えた。母が笑う。
「ほら、行くんじゃない」
「見に行くだけ」
「はいはい」
◇
ギルドへ着くと、しずくにも同じことを言われた。
「森おじさん、三日連続ですよ」
「今日は葉の色見るだけ」
「昨日も似たようなこと言ってました」
「明日は来ないよ」
「絶対?」
「……多分」
「弱い」
正式な作業日ではないので報酬はなし。それでも健司はドローンを借り、配信を始めた。
【ダンジョン農園】芽は出たけど葉の色が薄い
《今日も農業》
《毎日いるじゃん》
《ヒヨコどうなった》
「まだ卵だよ。三週間くらいかかる」
《孵化配信》
「鶏が嫌がるだろ。やるとしても遠くからだな」
《言った》
《予約》
「勝手に予約するな」
◇
旧試験農業区画へ入る。金網は無事。《土潜り鼠》の新しい侵入跡もほとんどない。奥には《大口陽花》の大きな気配があるが、今日は近づかない。調査隊が入るのは明後日だ。
「俺の仕事じゃないからな」
《戦わないの》
「植物の様子見に来て、何で戦うんだよ」
試験区画へ着くと、写真より差が分かりやすかった。通常水区は背丈だけなら一番伸びている。だが葉が薄く、一本は少し傾いている。薄魔力水区は十本。通常魔力水区は六本。こちらは小さいが、葉の色は濃い。
長谷川たちが土と排水を測る。数値を見た研究員が顔を上げた。
「通常水区だけ、根の周囲の魔力が昨日よりかなり下がっています」
「苗が吸った?」
「その可能性が高いです。十二本すべて発芽したことで、人工培土に残っていた魔力の消費が一気に進んだのかもしれません」
健司はしゃがんだまま三列を見比べた。
「じゃあ、芽を出す時は魔力が少ない方がいい。でも出たあとまで普通水だけだと、今度は足りなくなる?」
「現状では、その可能性があります」
《結局魔力水いるじゃん》
「いるか、いらないかの二択じゃないんだろ」
健司は畑の苗作りを思い出した。種や根が弱い時に肥料を濃くしすぎれば傷む。しかし育ち始めれば、必要な栄養も増える。
「最初は薄く。育ってきたら少し足す。魔力も同じかもしれんな」
長谷川が頷く。
「発芽に適した条件と、その後の生育に適した条件が違う可能性があります」
「早く芽が出れば勝ちじゃないってことか」
《農家の授業》
《タイトルにできそう》
「勝手に次のタイトル決めるなよ」
そこへ研究員が通常水区の一株をもう一度測った。数値を見て、空気が少し変わる。
「長谷川さん。これ、警戒ラインです」
「朝より下がっていますか?」
「はい」
健司も苗を見る。葉先がほんの少し黄色い。昨日まで一番早く伸びていた株だった。
「このまま放っといたら枯れる?」
「すぐとは限りません。ただ、試験を続けるなら注意が必要です」
研究としては、条件を途中で変えない方が比較しやすい。しかし、枯れるまで何もしないのは健司には納得できなかった。
「データ取るために十二本全部弱らせる必要はないだろ」
長谷川もすぐには答えなかった。研究員たちと相談し、端末に条件を書き出していく。
「では、通常水区十二株を六株ずつに分けましょう」
「半分だけ変える?」
「はい。六株は通常水を継続。残り六株には、ごく低濃度の魔力を補給します。現在の薄魔力水よりさらに半分、通常魔力水の約四分の一濃度です」
「それで色が戻れば、足りなかった可能性が高くなる」
「逆に変わらなければ、原因は別にある」
「残す六株がもっと悪くなったら?」
「警戒値を超えた時点で救済します。枯死まで放置はしません」
それなら健司も頷けた。
《六対六》
《実験っぽくなってきた》
《森おじさん、全部助けたそう》
「そりゃ育ててるんだから助けたいよ。でも違いが分からなきゃ、次も同じことで困るだろ」
そこが農家と研究の折り合いなのかもしれない。全部を思いつきで変えれば原因が分からなくなる。かといって、数字のために作物を駄目にする必要もない。
午前中のうちに、補給用の低濃度魔力水を作る準備が始まった。通常魔力水をそのまま流すのではなく、既存水路の水で薄める。研究員が濃度を測り、長谷川が記録する。健司はその横で配管と株の位置を確認した。
「こっち六本だけな。境目間違えたら全部分からなくなるぞ」
「印を付けています」
「ならいい」
《めっちゃ口出す》
「畑だからな」
《研究部の畑》
「今それ言う?」
◇
昼。安全区画で塩むすびを二個食べる。今日は長谷川の妻の弁当がどうこうという話でコメントが盛り上がったが、健司の目は何度も苗の方へ向いた。
「見に行っても急には変わりませんよ」
長谷川に言われる。
「分かってる」
「五分前にも見ました」
「分かってるって」
◇
午後になると、薄魔力水区は十一本目が発芽。通常魔力水区も七本目が出た。遅いだけで、こちらも失敗しているわけではない。健司は少し安心する。
「ほんと、早ければいいわけじゃないな」
「最後まで見ないと分かりませんね」
「農業と一緒だ」
◇
夕方前。通常水区のうち、葉色が落ちていた六株へ低濃度魔力水を入れる準備が整った。残り六株にはこれまで通り普通の水だけを与える。
長谷川が確認する。
「今夜の給水から切り替えます」
「一気に入れすぎないでくれよ」
「通常魔力水の四分の一です」
「それでも最初は少なめで」
「農家ですね」
「最初からそうだよ」
配信を切る直前、健司は二つに分けられた十二株を映した。
「明日の朝、こっち六本の色が戻れば、普通の水だけじゃ足りなかったってことになるかもしれない。戻らなかったら、また別の原因探しだな」
《明日も来る?》
「来ないよ。監視画面で分かるだろ」
《絶対見る》
「見るのは見る」
◇
ギルドを出る頃には、給水切り替えの時刻が設定されていた。健司は家へ戻り、ゴンの散歩をして、鶏小屋の卵を一度確認する。六個。もちろんまだ何も起きていない。
◇
夕食後。羊羹と茶。健司はスマートフォンを机へ置いていた。
「今日はもう見ない」
母が笑う。
「本当?」
「明日の朝でいいよ」
数分後、通知が一件入った。健司の手が反射的に伸びる。
「見てるじゃない」
「切り替え確認だけ」
研究部からだった。
《通常水区六株、低濃度魔力補給へ移行しました。残り六株は通常水継続。
◇
夜間計測を開始します》
添付された映像には、見た目ではまだ区別のつかない十二本の苗が並んでいる。違うのは、これから与えられるものだけだった。
健司は画面を閉じた。
「明日の朝だな」
多ければいいわけではない。少なければいいわけでもない。どのくらいがちょうどいいのか。その答えが、少しだけ見えるかもしれなかった。




