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借金の保証人になった優しい田舎のおじさんのダンジョン配信  作者: 月瀬 リュカ


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第26話 魔力水、いらないんじゃないか

森健司が鶏小屋の戸を開けると、待っていた鶏たちが一斉に足元へ集まってきた。餌を撒き、水を替えてから畑へ回る。トマト、ナス、キュウリ、ピーマン。昨日見つけた虫食いも増えていない。いつもの朝仕事を一通り終えてから、健司はようやく胸ポケットのスマートフォンを取り出した。

《旧試験農業区画・紅晶実発芽記録》

発芽数を比べると、通常水は十二本すべて。薄めた魔力水は七本で、通常濃度の魔力水は三本にとどまっていた。

「……また差が広がったな」

普通の水を与えた列は、もう十二粒すべてが発芽している。


◇


一方で、魔力水を与えた二列はまだ途中だった。《土潜り鼠》に食われて播き直した種が混じっているので単純比較はできない。それでも、魔力が濃いほど発芽が遅い傾向ははっきりしてきた。

「普通の水が一番ってことか?」

「昨日もそうだったでしょう?」

後ろから母が籠を持ってやってきた。健司が画面を見せると、母は難しい顔もせず、「だったら普通のお水で育てればいいんじゃないの」と言った。

「研究だと、そう簡単には決められないらしい。芽が早く出ても、そのあと育たないかもしれんし」

「面倒だねえ」

「俺もそう思う」

母は少し曲がったキュウリを籠へ入れながら、「昔の畑が高くついて失敗したなら、今度は安く育てればいいのにね」と続けた。健司は手を止めた。

「母さん、たまに核心みたいなこと言うな」

「何が?」

本人は分かっていないらしい。健司は苦笑し、スマートフォンをしまった。ダンジョンの畑が気になっても、家の畑を先に終わらせる。そこだけは変えない。


◇


朝食後、母に塩むすびを二個握ってもらい、健司はギルドへ向かった。入口では白花しずくが待っていたような顔でこちらを見る。

「森おじさん、今日も来た」

「今日は用事あるよ。長谷川さんが五年前の資料を持ってくるって」

「週一の契約だったはずなのに、もうほぼ毎日いますよね」

「芽が出たら気になるだろ」

「完全に農園の持ち主の反応です」

「研究部の畑だよ」

そこへ研究部の長谷川が厚いファイルを抱えて現れた。健司が「全部読むの?」と聞くと、「必要なところはこちらで抜いてあります」と返され、少し安心する。

会議室で最初に見せられたのは、五年前の《紅晶実旧栽培試験・給水条件》だった。紅晶実は魔力吸収型の作物。だから当時の研究チームは、魔力を多く与えるほど安定して育つと考えていたらしい。

「普通の考え方だな」

「当時としては、そうです」

ところが資料をめくっていくと、健司は妙なことに気づいた。当時の“薄い魔力水”ですら、今の試験で使っている通常魔力水の半分ほどの濃さがある。普通の水だけで育てた比較区画は一度だけ。その時は魔力灯の故障と排水不良が重なり、まともな結果が取れないまま終わっていた。

「じゃあ、普通の水が駄目って確認したわけじゃないのか」

「正確には評価不能です」

「もう一回やらなかったの?」

長谷川が少し言いにくそうに資料を指した。研究目的そのものが“魔力水設備を利用した高付加価値農業”だったため、魔力を使わない方法は優先されなかったらしい。

健司は腕を組んだ。

「でも土にも魔力あるんだろ?」

「人工培土には魔力保持性があります」

「ダンジョンの中にも魔力がある。魔力灯からも少し出る。その上で魔力水まで飲ませてた?」

「はい」

「朝飯食わせて、昼飯食わせて、間におにぎり三個食わせて、夕飯と夜食まで出してるみたいなもんじゃないか」

しずくが吹き出した。

「また食べ物で例えるんですか」

「分かりやすいだろ。多すぎた可能性ない?」

長谷川は笑わなかった。むしろ真剣な顔で資料を見直した。

「……あります。少なくとも再検討する価値はあります」

「頑張りすぎたのかもしれんな」

「昨日、お母さんもそんなこと言ってませんでした?」

「野菜は構いすぎても駄目になるってな」

資料だけでは結論は出ない。なら実物を見る。健司はドローンを借り、配信を始めた。

【ダンジョン農園】五年前の失敗を調べます

《農業研究チャンネル》

《今日は戦わない?》

《ゴンは》

《モチは》

「二匹とも留守番。今日は畑を見る」


◇


旧試験農業区画へ入ると、昨日補強した金網は無事だった。《土潜り鼠》が掘った跡は外側にあるが、中へは入れていない。健司は一度そこを確認してから、三列の紅晶実の前へしゃがんだ。

通常水は十二本すべて発芽。薄魔力水は八本目が土を押し上げている。通常魔力水は三本。ここまでは朝の記録どおりだった。

「やっぱり濃い方が遅いな」

《魔力水いらなくね》

「まだ決めるなよ。芽が出る速さしか見てないんだから」

その横で、長谷川たちが三列の排水を採取した。普通の水を入れた三列目の数値を見て、長谷川の手が止まる。

「森さん。これ、魔力が出ています」

「普通の水なのに?」

「給水時はほぼゼロです。土を通った後に増えています」

健司は三列目の土を見た。

「土からもらってるのか」

「人工培土に残っている魔力を水が拾っている可能性が高いです。つまり通常水区も、根の周りが完全な無魔力ではありません」

「じゃあ“普通の水で育ってる”というより、“少ない魔力で育ってる”のかもしれない?」

「現時点では、その表現が近いと思います」

コメントが一気に流れた。

《それ大事じゃん》

《低魔力が正解?》

《五年前は与えすぎ?》

「まだ仮説だぞ」

健司は念を押した。だが、その仮説が正しい場合、話は大きく変わる。長谷川が簡単な試算をすると、魔力水生成機を常時動かす必要がなくなり、補充用魔石や特殊配管の維持費も減る。給水関連だけなら、旧方式の三分の一以下まで落とせる可能性があるという。

「三分の一?」

『森おじさん、今いちばんいい顔してますよね』

通信越しのしずくに言われ、健司は「農家ならするだろ」と返した。

「作物は育っても、金が残らなきゃ続かないからな。五年前と同じことやっても意味ない」

ただし、安くなるだけでは足りない。実が何個つくのか。味はどうか。病気に弱くないか。保存できるか。そして売れるか。そこまで分かって、ようやく“育てられる”と言える。


◇


昼休憩。健司はいつもの塩むすびを食べながら、五年前の成長記録をもう一度眺めた。数字は苦手だが、写真とグラフなら何となく分かる。

「長谷川さん。濃い魔力水の区画、最初は伸びてるのに途中から止まってない?」

長谷川も覗き込む。初期成長は速い。しかし途中から葉が変色し、根だけが不自然に太くなり、果実は小さくなる。当時はいくつもの原因が疑われたものの、“魔力が多すぎる”という仮説はほとんど検討されていなかった。

長谷川が別の魔力植物の症例を開いた。

「過剰魔力障害に似ています」

「そんなのあるんだ」

「他種では確認されています。根が肥大して吸収が悪くなり、生育が止まることがあります」

「酒好きでも飲ませすぎたら倒れるもんな」

『今度は酒ですか』

「分かりやすいだろ」

笑いは起きたが、長谷川はすぐ研究部へ再検討を送った。五年前の失敗原因が、ほんの少しだけ見えた気がした。

「今日はもう十分だな」

健司は長居をせず帰った。正式な作業日ではないので追加報酬もない。代わりに、朝回収された大型《土潜り鼠》の生体買い取り二万円だけ受け取る。

「二万円はちゃんともらうんですね」

「売ったんだから当たり前だろ」


◇


帰宅すると、母が鶏小屋の前で小さな段ボール箱を抱えていた。

「何それ」

「近所からもらった卵」

「卵ならうちにもあるだろ」

「有精卵。六個」

健司は巣箱を見る。最近、卵を抱きたがっていた一羽がじっと座っている。

「孵ったら六羽増えるかもしれないぞ」

「全部孵るとは限らないよ」

「世話増えるな」

「かわいいよ」

「そこなんだよなあ」

結局、六個だけ入れることになった。モチが興味津々で近づくので、「お前は絶対触るなよ」と念を押す。三週間ほど先。すぐに何かが起きるわけではない。それでも、鶏が卵を抱き直す姿を見ると少し気になった。


◇


夕食後。羊羹と茶を前に、健司は研究部から届いたメッセージを読んだ。

《旧栽培試験について、過剰魔力障害の可能性を再検討します》

「やっぱり頑張りすぎだったのかもしれんな」

「ほら」

母が得意そうに言う。

「まだ決まってないよ」

「でも普通のお水で元気なんでしょう?」

健司は監視画面を開いた。そして、返事をしないまま画面へ顔を近づけた。

通常水区。十二本。発芽は一番早かった。だが朝よりも、何本かの葉が明らかに淡い。一本は茎まで少し頼りなく見える。

「……あれ?」

別のカメラへ切り替えても同じだった。薄魔力水の苗は小さいが色が濃い。通常魔力水の苗はさらに遅いが、出ている三本はしっかりしている。

そこへ長谷川から通知が入った。

《通常水区、葉緑値が低下しています。明朝、追加計測します》

健司はしばらく画面を見た。

「普通の水だけでいい、ってわけでもないのか?」

母が横から覗く。

「畑って、そんな簡単じゃないでしょう」

「……そうだな」

五年前は魔力を与えすぎたのかもしれない。だが、だからといってゼロにすればいいとも限らない。十二本の赤い芽を見ながら、健司は明日の数字が少し怖くなった。


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― 新着の感想 ―
まぁ、トマトは元々アンデス山脈の高原地帯が原産で雨や水分が少ない所で育っているから水分上げ過ぎなのではと思います。 美味しんぼの「大地の赤」の回でも言ってますね。
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