第22話 本鑑定
翌朝も、健司はいつも通り家の畑から始めた。トマトの脇芽を摘み、ナスとキュウリを収穫する。ダンジョン農園では水路や排水、魔力灯の整備が待っているが、こちらを疎かにするつもりはなかった。
九時半には作業を切り上げ、収穫籠を家へ運ぶ。《身体強化Ⅰ》のおかげで以前より楽だが、それを意識したところで昨日の連絡を思い出した。
今日は本鑑定の日だ。
母が塩むすびを二つ包んでくれたので、鞄へ入れてギルドへ向かった。会議室には上原たち五人がそろっている。以前のような仲の良さはなく、同じ部屋にいるだけでもどこか空気が硬かった。
本鑑定の部屋は簡易鑑定より広く、中央に大きな鑑定石と椅子が置かれていた。上原たちは別室からガラス越しに見ることになる。
光に包まれると、胸の奥がわずかに温かくなった。返済した時の感覚に似ているが、今度は何かを奪われるようなものではない。身体の中にあるものを、細い糸ごと一本ずつ確かめられているような妙な感覚だった。
数秒で熱は消えた。痛みはない。
結果が出るまで少し時間がかかった。全員が別室で待っていると、担当者が資料を持って戻ってきた。
《肩代わり》は、他人が負うべき負担や代償を健司が引き受けた時に反応する可能性が高い。ただし、対象は金銭だけとは限らず、責任や損失なども含む可能性があるという。条件の全てはまだ分からない。
◇
一方、健司が得た《剣術Ⅰ》《身体強化Ⅰ》《気配察知Ⅰ》《火炎魔法Ⅰ》は、通常の方法では元の持ち主へ戻せないらしい。
「じゃあ、俺が返す方法はない?」
「現時点では確認できません」
ただし元の持ち主が訓練し直し、技能を再取得することは可能だという。
担当者は、鑑定結果の補足として四つの技能を順番に示した。
《剣術Ⅰ》。最初の返済後に健司へ現れ、同じ時期に上原の剣術が一段下がった。
《身体強化Ⅰ》。岩崎の能力低下と一致。
《気配察知Ⅰ》と《火炎魔法Ⅰ》も、それぞれ元の持ち主の低下と時期が重なっている。
「コピーではないんですね?」
しずくが確認する。
「現状では、移動と考えるのが自然です。森さんが得た分だけ、元の保有者側から失われています」
健司は腕を組んだ。
「じゃあ俺が二人分持つとかじゃなくて、本当にこっちへ来てる」
「はい」
「嫌な能力だな」
上原がガラス越しに顔を伏せた。
担当者は続ける。《肩代わり》が反応したのは、単に健司が金を払ったからではない可能性が高い。本来負担すべき者が別にいて、その負担を健司が引き受けたこと。しかも、それが健司の意思に反して押しつけられたこと。この二つが重要らしい。
「向こうが自分で返した時は、何も起きませんでした」
「その記録もあります。つまり、責任を持つ側が先に果たせば《肩代わり》は動かない可能性が高い」
健司は少し安心した。
「だったら簡単だな。これからは自分の分は自分で払えばいい」
誰も反論しなかった。
ただし、金額と技能の対応は固定ではない。一回の十万円で必ず一つ、という能力ではなく、どの程度の負担を肩代わりしたと判定するかは状況次第だという。
「じゃあ十万円ずつ試すとかは?」
「やめてください」
しずくと担当者がほぼ同時に言った。
「冗談だよ」
「森おじさん、金の話だけは冗談に聞こえないんです」
「失礼だな」
それでも健司は笑った。
そこで健司が訓練費を出そうかと口にすると、担当者がすぐ止めた。
「それはやめた方がいいです」
本来は彼らが負担すべき訓練費を健司が肩代わりすれば、《肩代わり》が再び反応する可能性がある。最悪の場合、また別の技能が移動するかもしれない。
「じゃあ払わない」
健司が即答すると、部屋の空気が少しだけ軽くなった。
鑑定費三万八千円は上原たち五人で負担した。
◇
帰り際、上原が健司を呼び止める。
二人でギルド食堂へ入り、健司は母の塩むすびを食べた。上原はしばらく何も言わなかったが、やがて保証人の件をもう一度謝った。
健司はすぐに許すとは言わなかった。
「俺が一番腹立ったの、金だけじゃないんだよ」
畑を売ればいい。あの言葉が一番残っている。祖父が耕し、父が継ぎ、母と自分が守ってきた土地だ。上原も子供の頃には遊びに来て、収穫を手伝ったことさえある。
それを知っている人間が、簡単に売ればいいと思っていた。そのことが、健司には今も引っかかっていた。
上原は言い訳をしなかった。
「悪かった」
「うん」
それ以上、健司も追い詰めなかった。
鑑定の結果、技能は戻らない。ただし取り直すことはできる。上原たちのパーティーはしばらく活動を休み、今後について考えるらしい。大きな結果ではあるが、それを望んでいたわけではなかった。
食堂を出る前に、ほかの四人も短く頭を下げた。長い謝罪や言い訳はなかった。健司も一人ずつ説教するつもりはない。
「技能、取り直せるんだろ」
岩崎が頷く。
「時間はかかります」
「じゃあやればいいよ」
「森さんは……」
「俺が払うのは駄目なんだろ。なら自分でやるしかない」
それだけだった。
上原たちが以前と同じAランクパーティーへ戻れるかは分からない。技能を取り戻しても、壊れた信頼まで同じように戻るとは限らない。それは健司が決めることでもなかった。
◇
帰り道、郷田の店の前を通ったところで呼び止められた。
「本鑑定どうだった」
「返せないって」
「そうか」
郷田はそれだけ言い、健司の腰の剣を見る。
「じゃあ、それ使ってる間は手入れ怠るなよ」
「技能の話から剣になる?」
「使える力があるのに、気にして動き鈍くして怪我したら余計面倒だろ」
健司は少し考える。
「便利だから使うよ。でも誰のだったかは忘れない」
「それでいいんじゃねえの」
剣の鞘と柄を簡単に見てもらい、問題なしと言われて店を出た。結局寄り道になったが、五分もかからなかった。
◇
ギルドを出たあとは寄り道せず家へ戻った。
◇
午後は支柱を直し、コンテナを運び、直売所へ追加の野菜を届ける。《身体強化Ⅰ》はまだ便利に使える。それでも、誰から来た力なのかは忘れないようにした。
◇
家へ戻ったあと、母親にも鑑定結果を簡単に話した。
「戻せないんだって」
「何が?」
「俺に来たスキル」
「ああ」
母親は収穫したナスを籠から出しながら頷く。
「じゃあどうするの?」
「使うしかないかな」
「便利なんでしょ?」
「便利」
「なら怪我しないように使えばいいんじゃない」
あまりにも簡単な答えだった。
「元の人たちは取り直せるらしい」
「じゃあ良かったね」
「時間かかるみたいだけど」
「畑も一回荒れたら戻すの時間かかるよ」
「それと同じ?」
「知らないよ」
母親は笑った。
健司は少しだけ肩の力が抜けた。技能を得たことを喜べばいいのか、申し訳なく思えばいいのか、まだよく分からない。ただ、使わずに怪我をする方が馬鹿らしいことだけは分かる。
◇
午後の作業では、肥料袋を一つずつ運んだ。《身体強化Ⅰ》があれば二つ持てる気もしたが、腰を痛める理由はない。
「便利になったからって、倍持つ必要はないな」
母親が遠くから聞く。
「何の話?」
「こっちの話」
剣術も同じだ。上手くなったから強い魔物へ行く必要はない。気配察知も、火炎魔法も、使える場面で使えばいい。
本鑑定で分かったのは能力の仕組みだけではなかった。健司にとっては、できることが増えても、やることまで増やす必要はないという確認にもなっていた。
◇
夕方、ゴンの散歩へ出る時も、健司は技能のことを少し試した。《気配察知Ⅰ》を意識すると、曲がり角の向こうに人がいる気配がぼんやり分かる。近所の老人が犬を連れて出てきただけだった。
「便利だけど、これで何でも分かるわけじゃないな」
モチがゴンの背中で羽を揺らす。
《火炎魔法Ⅰ》も同じだ。小さな火を出せるからといって、畑を一気に乾かしたり、家を暖めたりできるほどではない。能力はある。ただし万能ではない。
健司には、そのくらいがちょうどよかった。
◇
帰宅すると母親が夕食を作っていた。借金を返し終え、本鑑定まで終わった。これで上原たちとの問題が全部消えたわけではないが、少なくとも明日から毎朝そのことを考える必要はない。
「明日は農園?」
「うん。種まくところまでやる」
「何の種?」
「紅晶実」
「赤いの?」
「実は赤い」
「甘い?」
「昨日食べたのは甘かった」
「できたら持ってきて」
「研究用だから勝手に持って帰れないよ」
「じゃあ買う」
「売るところまで行ったらな」
母親はもう収穫する気でいた。健司は笑いながら手を洗った。
食卓へ着く前、健司は本鑑定の紙を一度だけ畳み直した。四つの技能名と《肩代わり》の推定条件。分かったことは増えたが、全部解明されたわけではない。
「これ、しまっとくか」
以前の催促状や返済明細と同じ引き出しへ入れる。捨てる気にはならなかった。自分が何を背負い、何が起きたかの記録ではある。
母親が後ろから聞く。
「また借金の紙?」
「今度はスキルの紙」
「どっちも大事?」
「まあな」
「じゃあ無くさないようにね」
「母さんに言われるとは思わなかった」
「私、こういう紙は無くさないよ」
「眼鏡はよく無くすけど」
「眼鏡は紙じゃないからね」
妙に正しい。健司は笑いながら引き出しを閉めた。
ゴンの水を替え、鶏小屋を閉めてから家へ入る。鑑定の日でも、夕方にやることは普段と同じだった。その繰り返しがあるから、技能の話ばかり考えずに済む。
「明日から普通だな」
自分で呟き、健司は玄関で靴を脱いだ。
一つだけ決めた。上原たちが技能を取り直す途中で困ったとしても、金や装備を軽々しく肩代わりしないことだ。助けたい気持ちと、また《肩代わり》を動かすことは別だった。
「必要なら話は聞く。でも払うのは違うな」
それくらいの線引きはしておこうと思った。
◇
夜は肉野菜炒めと味噌汁、冷ややっこ。
◇
食後に羊羹を食べながらスマートフォンを見ると、農園配信へのコメントがまだ増えていた。
健司は《紅晶実》や魔力水、人工培土、それに《大口陽花》を思い出す。次は排水と魔力灯を整え、そのあと種まきだ。
借金の話には一つ区切りがついた。明日からは、また自分の仕事を進めればいい。




