第21話 ダンジョン農園、試しに直してみる
朝の収穫を終えると、健司は野菜を軽トラックへ積んだ。家の畑を片づけてからでなければ、ダンジョン農園の話をしに行く気にはなれない。母にも念を押されているし、健司自身もその方が落ち着いた。
◇
直売所へ寄ると、昨日の職員が台車を用意して待っていた。トマトやナス、キュウリを下ろしながら、昨日の配信で映った《紅晶実》の話になる。
「本当に作る気なのか?」
「まだ話を聞くだけだよ」
「売れるならうちにも卸せ」
「気が早いって」
職員に笑われながら、健司はギルドへ向かった。
◇
会議室では、研究部の担当者がすでに資料を広げていた。《紅晶実》は五年前にも試験栽培されており、普通の水でも育つが、当時は魔力水を使った方が収量と品質が上がると考えられていたらしい。収穫した実には、ごく弱い魔力回復効果も確認されている。
ただし、採算が合わなかった。設備を維持するだけでも金がかかり、警備や魔物対策、研究員の人件費、搬送費まで加わる。地上で普通の野菜を作った方が安く、魔力回復効果もポーションほど強くない。研究が止まった理由は単純だった。
「それでも、五年放置して残ってたんだよな」
「そこを研究部も気にしています」
担当者は昨日の写真を示した。赤く大きな実が、淡い光を帯びている。確かに普通の作物ではない。
今回の提案は、農業区画を全面再開することではなかった。まずは《紅晶実》の自生区画より手前にある空いた栽培槽を一画だけ整備し、再生できるか試したいという。
水路の清掃、排水の確認、魔力灯の点検。《蔓絡み》を除去し、《歩根草》を安全な場所へ移す。培土を調べたうえで、保存されていた《紅晶実》の種をまく。期間は一か月で、健司が現地へ入るのは四回程度の予定だった。
「家の畑が優先です」
健司が先に言うと、担当者はすぐ頷いた。
「もちろんです。毎日来ていただくつもりはありません」
片道の時間、ダンジョン内での危険、家の農作業。それらを考えても、週一回程度なら無理はなさそうだ。報酬も出る。
「じゃあ、一か月だけ」
契約を済ませ、その日のうちに最初の整備へ入ることになった。
契約書には、試験期間は一か月、現地作業は週一回を目安に一回三時間ほどと書かれていた。栽培管理の協力費は一回一万五千円。今日のような初期清掃と軽い修繕には別に二万円がつく。危険な魔物の討伐や専門工事は契約外で、必要になればギルドや専門業者へ回す。
健司が一番長く確認したのは金額ではなく、その下にある一文だった。
《自宅農地の作業を優先し、日程は双方協議の上で調整する》
「ここ、ちゃんと入ってるな」
「森さんが最初に希望されましたから」
「なら大丈夫」
研究部の担当者が苦笑する。
「報酬のところより先に確認されるとは思いませんでした」
「家の畑を駄目にしてダンジョンの畑やってもしょうがないだろ」
配信についても、研究上の非公開情報や個人情報を映さない範囲なら続けてよいことになった。危険があれば配信より撤退を優先する。その辺りは健司に言われるまでもなかった。
ギルドで長柄鋏、厚手の手袋、防塵マスク、ゴーグルを受け取り、研究員二人と一緒に農業区画へ向かう。配信タイトルは迷った末、しずくが入力した。
【ダンジョン農園】まず一画だけ直します
開始直後からコメントが流れた。
《本当に農業始めた》
《ダンジョン攻略どこいった》
「今日は攻略じゃなくて掃除だよ」
《農家の本職》
「家の畑とはだいぶ違うけどな」
◇
農園へ着くと、健司はすぐ作業を始めず、対象区画を一周した。水路の高さ、土の湿り方、魔力灯の位置、床の割れ、作業中に逃げられる通路。昨日は珍しい作物ばかり見ていたが、今日は仕事として見る。
栽培槽の北側だけ、土の色が濃い。
「ここ、水溜まりやすくない?」
担当者が古い図面を確認する。
「排水口は向こうですが……確かにこちら側が低いですね」
「先に水路開けた方がいいな。濡れたまま踏み固めると余計悪くなる」
深い工事はできないので、今日は詰まりを取るだけにする。健司は長い棒で水路の中を探り、泥と枯れた蔓を少しずつ引き寄せた。五年間放置された泥は重く、引き上げるたびに黒い水が滴る。
《地味》
「農業なんてこういうの多いぞ」
《もっと魔法で一発》
「俺、そんな魔法持ってないよ」
《剣で切る》
「水路を?」
コメントが笑いで流れる。
一か所、古い木の支えが腐って倒れかけていた。健司は勝手に直さず、担当者へ確認する。
「これは触っていい?」
「仮固定までなら」
「じゃあ縄だけ」
近くの金属柱へ結び、作業通路へ倒れないようにする。何でも自分で直すより、どこまでが自分の仕事か分けておく方が安全だった。
◇
農園では、昨日見た《大口陽花》のいる奥までは行かない。手前の区画だけを対象にし、《蔓絡み》を長柄鋏で切り、水路の詰まりを少しずつ取っていく。
途中、《歩根草》が一体現れた。健司は防塵マスクとゴーグルを着け、長柄鋏で距離を保ちながら進路を変えた。袋の口を広げて誘導すると、驚いた《歩根草》が黄色い粉を撒き散らしたが、装備のおかげで問題はない。
「やっぱり近づかない方がいいな」
同じ方法でもう一体を確保し、研究部へ渡した。倒す必要はない。邪魔にならない場所へ移せれば、それで十分だった。
一時間半ほど作業すると、水路の流れは少し改善し、《蔓絡み》も作業範囲からほぼ取り除けた。汗はかいたが、魔物と戦うより畑仕事に近い疲れ方だった。
帰りは通常区画へ戻ってから昼にした。母が持たせてくれた塩むすびを三個食べると、ようやく腹が落ち着く。
その後、研究部から《紅晶実》の試食許可が出た。安全性が確認された小さな切れ端を口にすると、最初に酸味が来て、そのあと濃い甘さが広がった。トマトに似ているが、果肉はもっとしっかりしている。
「これ、普通にうまいぞ」
五年前とは市場も違う。探索者人口は増え、配信やSNSで珍しい食材が広まりやすくなった。研究部も、当時と同じ結論になるとは限らないと考えているらしい。
帰る前に、健司は今日触った場所をもう一度一周した。切った蔓の切り口、空いた水路、仮固定した支え。作業を始めた時より水の流れが少し速くなり、栽培槽の端に溜まっていた水も引き始めている。
「今日はここまででいいな」
《まだやれそう》
「三時間の契約だし、最初から全部やると次に見るところなくなるだろ」
《そういう問題?》
「疲れて雑になる方が嫌なんだよ」
研究部へ作業記録を渡し、次回までに排水口の内部と魔力灯の部品を確認してもらうことにした。
◇
家へ戻ると、母親は畑の端で収穫籠を片づけていた。
「ダンジョンの畑、どうだった?」
「今日は草と泥を取った」
「普通の畑と同じだね」
「魔物が歩く草だったけどな」
「歩くの?」
「歩く」
母親は少し考え、それから何でもないように言った。
「じゃあ逃げるなら追わなくていいね」
「俺もそうした」
◇
夕方の畑を一周する。朝に収穫したあとでも、支柱が傾いていないか、水が足りない場所はないかを見る。ダンジョンで一画直したからといって、家の畑が勝手に終わるわけではない。
ゴンの散歩を済ませると、ようやく今日の仕事が全部終わった気がした。農園の契約書は食卓の端へ置いた。借金返済の書類が置かれていた場所とほとんど同じだったが、今度は自分で選んで増やした仕事の紙だった。
◇
翌週の予定も、その場で大まかに決めた。次回は今日開けた水路の奥を確認し、交換が必要な魔力灯の部品を技師が持ち込む。健司は栽培槽の土がどれくらい乾いたかを見る役だ。
「次も今日くらいの時間で?」
「はい。三時間を超えそうなら一度相談します」
「それでいい」
作業時間が決まっている方が、家の予定も立てやすい。朝に家の畑を終え、直売所へ寄り、それからダンジョン。戻ったら夕方の畑を見る。無理に詰め込まなければ続けられる。
◇
ギルドへ戻ると、初回の清掃分として二万円、通常の協力費一万五千円が処理された。歩根草の扱いは研究部側の回収なので別計算になる。
「今日だけで三万五千?」
「はい」
「思ったより出るな」
しずくが笑う。
「危険区域の作業ですから」
「危険だからって欲張る気はないよ」
「そこは知ってます」
返済が終わった今、入った金をすぐどこかへ振り込む必要はない。健司は少し考え、今日の報酬は農業用口座とは別に残しておくことにした。ダンジョン用の装備や交通費、配信機材に使う金も必要になる。
「借金ないと、金の置き場所考えるんだな」
《普通です》
配信を切り忘れていたらしく、最後にそんなコメントが流れた。
「そうなの?」
しずくが額を押さえた。
「今までが借金中心すぎたんです」
「まあ、終わったからいいか」
ようやく配信を終了した。
◇
風呂へ入る前、健司は作業着についた泥を外で軽く落とした。家の畑の土とは色も匂いも違う。ダンジョンの人工培土は細かく、乾くと靴の溝へ入り込む。
「これ、毎回家まで持って帰るの嫌だな」
次からはギルドでブラシを借りるか、自分用を軽トラックへ積んでおこう。小さなことだが、続けるならこういう手間も考えた方がいい。
母親が洗濯籠を持ってくる。
「泥すごいね」
「五年分の水路掃除した」
「明日も?」
「明日は行かない」
「じゃあうちの畑だね」
「毎日うちの畑だよ」
「そうだった」
笑いながら作業着を渡した。
今日一日で農園が見違えるほど綺麗になったわけではない。それでも水は流れ、歩ける場所が少し広がり、次に種をまくための一歩にはなった。畑は一日で完成するものではない。そこは地上でもダンジョンでも同じだった。
◇
帰宅して夕食を終えたころ、上原から連絡が来た。
《本鑑定、受けてもらえないか》
健司は画面をしばらく見た。移ってきた技能が戻せるのか。それを確かめたいのだろう。
《費用そっち持ちならいいよ》
そう返してから、机の上の農園資料へ目を戻した。借金は終わったのに、今度はダンジョンの畑まで世話することになっている。我ながら、妙なことになったものだった。




