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借金の保証人になった優しい田舎のおじさんのダンジョン配信  作者: 月瀬 リュカ


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2/21

第2話 配信って金になるのか

空が白み始める頃には、森健司はもう畑に出ていた。夏の朝は早い。日が高くなってからでは暑すぎるため、収穫や水やりはなるべく涼しいうちに済ませる。

「よし」

熟れたトマトを籠へ入れ、隣の畝へ移る。キュウリ。ナス。ピーマン。形が悪くて出荷できないものは別の籠へ。多少曲がっていようが、家で食べる分には何の問題もない。少し離れた鶏小屋では、すでに鶏たちが騒いでいる。

「分かった、分かった。今行くよ」

健司が声をかけると、さらに鳴き声が大きくなった。餌を入れ、水を確認する。卵を拾って籠へ入れた。七個。

「今日は多いな」

足元を何かが横切る。振り向くと、ゴンだった。年を取って昔ほど走らなくなった秋田犬は、健司の近くまで来ると、その場にゆっくり腰を下ろした。

「昨日は悪かったな」

頭を撫でる。ゴンは目を細めた。ダンジョンへ行くときについて来ようとしたが、さすがに連れて行くわけにはいかなかった。普通の犬を魔物のいる場所へ連れて行くつもりはない。

「今日はどうするかな」

昨日、初めて十万円を返した。残り二百九十万円。まだ先は長い。農業を続けながらダンジョンへ潜れば、少しずつ返せるとは思う。ただ、昨日一日でダンジョンから得た金は二万円少々。毎日潜るわけにもいかない。畑もある。鶏もいる。母もいる。農業を放り出して探索者へ戻るつもりはなかった。

「もうちょっと稼げる方法があればいいんだけどな」

ゴンに言う。もちろん返事はない。代わりに庭の端で、例の亀が歩いていた。

「お前は毎日楽しそうだな」

亀も答えなかった。健司は収穫籠を持ち上げ、家へ向かった。玄関の前まで来たところで、不意に右腕が気になった。昨日、郷田からもらった剣。剣を振った感触を思い出す。最初は妙に扱いにくかった。長く探索者を離れていたのだから当然だ。ところが、最後の方になると少しだけ感覚が戻っていた。

「久しぶりにやったからかな」

身体が思い出したのかもしれない。昔はDランクまで行った。剣も何年か使っていた。十年以上離れていたとはいえ、完全に忘れるものでもないのだろう。そう考えて、健司は気にしなかった。家へ入ると、母が台所に立っていた。

「健司、卵あった?」

「七個」

「じゃあ三つ置いといて」

「残りは?」

「持っていくよ」

近所へ分けるらしい。この辺りでは珍しくない。野菜が余れば隣へ持っていき、別の日には米や漬物が返ってくる。金を介さないやり取りも多い。

「母さん、今日は俺、ギルド寄ってくるから」

「あら、どこ行くんだい?」

「ギルド」

「そうかい」

母は頷いた。少しして、

「健司、今日はどこ行くんだい?」

「ギルドだよ」

「そうだったね」

健司は笑って、採れたてのトマトを一つ水で洗った。そのまま齧る。

「甘いな」

「それ、売り物じゃないのかい?」

「一個くらいいいだろ」

朝飯を済ませてから、健司は軽トラックへ乗った。荷台には出荷予定の野菜が少し。それを農産物の集荷所へ持っていき、その足で町の探索者ギルドへ向かう。探索者ギルドといっても、都会にあるような巨大な施設ではない。二階建ての少し古い建物。駐車場も広くない。入口脇には魔物素材の搬入口があり、裏には査定用の倉庫がある。健司が若い頃から場所もほとんど変わっていなかった。自動ドアが開く。中へ入ると、受付にいた若い女性が顔を上げた。

「あ」

目が合った。

「あれ? 森おじさん?」

「おう」

白花しずく。十八歳。地元の友人の娘だ。小さい頃から知っている。昔は健司の家にも何度か遊びに来たことがある。それが今ではギルドの制服を着て受付に座っている。

「本当に森おじさんじゃん」

「本当にってなんだよ」

「だって、昨日再登録したって聞いたから」

「情報早いな」

「田舎ですよ?」

「それ言われると何も言えんな」

しずくが笑う。この町では、大抵のことが翌日までには誰かに伝わる。場合によっては本人より先に知っている人間もいる。健司が三百万円の借金を背負った件も、そのうち広がるだろう。というより、郷田が知った時点でもう時間の問題だ。

「昨日潜ったんですよね?」

「潜ったよ」

「どうでした?」

「ゴブリンと兎がいた」

「感想それだけですか?」

「昔とそんな変わってなかったからな」

しずくは端末を操作した。

「森おじさん、昔Dランクだったんですよね」

「そうらしいな」

「自分のことでしょ」

「もう十年以上前だからなあ」

「記録残ってますよ。Dランクまで上がって、更新なしで失効。それで今回Fから再登録」

「そうそう」

「もったいない」

「農業の方が忙しかったんだよ」

健司は受付前の椅子へ座った。今日はダンジョンへ入る前に、少し聞いておきたいことがあった。

「しずく」

「はい?」

「ダンジョンって今、何が一番金になる?」

しずくが健司を見る。

「急ですね」

「金がいるんだ」

「いくらです?」

「二百九十万」

「……二百九十万?」

「昨日十万返したから」

「何の話ですか?」

「借金」

しずくの動きが止まった。

「森おじさん、借金あるんですか?」

「できた」

「何したんですか?」

「保証人」

「あー……」

なぜか一言で納得された。

「その反応なんだよ」

「森おじさんならやりそうだなって」

「俺、そんなに信用ない?」

「逆です。人を信用しすぎる方」

郷田にも同じようなことを言われた。

「上原さんですか?」

健司が目を向ける。

「なんで分かった」

「だって最近、上原さんのパーティーが攻略用の大型ローン組んだって話、探索者の間でちょっと出てましたから」

「有名なの?」

「A級ですからね」

「そうなのか」

健司はあまり探索者関係の情報を追っていない。上原がA級で有名なのは知っている。だが、どこのダンジョンへ潜ったとか、どんな装備を使っているとか、そういうことには興味がなかった。

「三百万が森おじさんに来たんですか?」

「来た」

「上原さんには?」

「電話したけど出ない」

しずくの表情が少し曇った。

「それ……」

「まあ、なんとかなるさ」

「軽いですね」

「重く考えても減らんからな」

しずくは何か言いたそうだったが、結局ため息をついた。

「それで、稼ぐ方法ですね」

「うん」

「普通に素材集めるなら、今の森おじさんだとFランク区域で魔石集めですね。でも二百九十万となると、かなり時間かかります」

「だよな」

「ランク上げて深いところへ行けば収入は増えますけど」

「すぐには無理だろ」

「そうですね。再登録したばかりですし」

しずくが少し考える。やがて、

「あ」

と声を出した。

「配信すればいいじゃないですか」

健司は首を傾げた。

「何を?」

「ダンジョン配信です」

「俺が?」

「森おじさんが」

「誰が見るんだよ」

「それはやってみないと分からないですけど」

「俺がゴブリン倒すの見て面白い?」

「今、探索配信って結構人気ですよ」

健司も存在くらいは知っている。若い探索者がダンジョンへ潜りながら映像を配信し、視聴者から金をもらう。テレビで紹介されているのを見たことがあった。ただ、自分がやるものだとは思ったことがない。

「俺、撮影しながら戦えないぞ」

「今はドローンですよ」

「ドローン?」

「探索用の自動追尾カメラです。ギルドでレンタルできます」

「そんなものまで貸してるのか」

「時代止まってますね、森おじさん」

「畑にドローンはいらんからな」

「今は農業用もありますよ」

「うちは俺が歩いた方が早い」

「そういうところですよ」

しずくが受付の下からパンフレットを取り出した。探索者向け配信支援サービス。登録方法。配信プラットフォーム。広告収益。投げ銭。素材販売ページへの連携。いろいろ書いてある。健司はしばらく読んだ。

「これ、本当に金入るの?」

「人気出れば」

「人気出なかったら?」

「ほぼゼロです」

「駄目じゃん」

「最初から何万人も見ると思ってたんですか?」

「いや、誰も見ないと思ってる」

「じゃあいいじゃないですか」

よく分からない理屈だった。しずくが続ける。

「森おじさんの場合、元Dランクで今Fランクっていうのも珍しいですし」

「そう?」

「四十六歳で再スタートっていうのも」

「おじさんだから?」

「おじさんだから」

「そこははっきり言うんだな」

「それに農家ですよね」

「農家だよ」

「普通の探索者とちょっと違うから、見てくれる人いるかもしれません」

健司はパンフレットを見る。金になる可能性がある。それだけで十分だった。

「やってみるか」

「軽いですね」

「駄目ならやめればいいだろ」

「その考え方、ちょっと羨ましいです」

手続きを始める。配信者名。健司はそこで止まった。

「名前って何にすればいい?」

「好きなので」

「森健司じゃ駄目?」

「別にいいですよ」

「じゃあそれで」

「本名そのまま?」

「地元じゃみんな知ってるだろ」

「まあ……そうですね」

匿名にする意味がほとんどない。住所まで出すつもりはないが、この辺で森健司と言えば知っている人は多い。ましてギルドへ来れば大抵顔見知りだ。

「配信タイトルは?」

「タイトル?」

「今日の配信につける名前です」

「ダンジョンに行く」

「もうちょっと何かありません?」

「借金返済?」

しずくの指が止まる。

「それ、いいかも」

「いいの?」

「分かりやすいです」

しずくが入力した。

【借金返済】Fランクの森おじさん、ダンジョンへ行く

健司は画面を見る。

「森おじさんって入ってるぞ」

「いいじゃないですか。普段呼ばれてるし」

「まあいいけど」

ドローンカメラのレンタルも申し込んだ。受付の奥から持ってこられたのは、手のひらより少し大きい黒い球体だった。四方に小さな羽根が収納されている。

「これが飛ぶの?」

「飛びます」

「ぶつからない?」

「自動で避けます」

「落としたら?」

「弁償です」

「いくら?」

金額を聞いた。健司の顔が少し真剣になる。

「絶対落としたくないな」

「自分の怪我よりカメラ心配してません?」

「借金増えたら困るだろ」

操作自体は簡単だった。起動。追尾対象を健司に設定。配信開始ボタンを押すだけ。コメントはスマートフォンでも確認できるし、ドローンが音声で読み上げる設定もあるらしい。

「全部読み上げられたらうるさくない?」

「人が増えたらそうなりますね」

「増えないだろ」

「最初はそうかもしれません」

しずくがカメラを健司の横へ飛ばした。球体がふわりと浮く。健司が右へ動く。ついてくる。左へ動く。またついてくる。

「おお」

「子供みたいな反応ですね」

「すごいな、これ」

「森おじさん、昔の人みたい」

「昔の人だよ」

「まだ四十六でしょ」

そんな話をしながら、ダンジョン入口まで向かった。配信開始。視聴者。0人

「誰もいないぞ」

「始めたばっかりですから」

「やっぱり駄目なんじゃない?」

「五分くらい待ってください」

「待つのも暇だな。潜っていい?」

「いいですよ」

健司はそのまま入口へ向かった。しずくが後ろから声をかける。

「森おじさん!」

「ん?」

「コメント来たら、余裕あるとき返事してくださいね!」

「分かった」

「戦闘中は無理しなくていいですから!」

「それは当たり前だろ」

健司はダンジョンへ入った。ドローンがついてくる。少し気になる。何度か振り返る。ちゃんといる。

「本当に勝手についてくるな」

機械へ話しかける。返事はない。少し歩いたところでスマートフォンが音を鳴らした。画面を見る。視聴者。1人

「お」

コメントが一つ。

《こんにちは》

健司は立ち止まった。

「こんにちは」

また歩く。コメント。

《初配信ですか?》

「そうです」

少ししてもう一つ。

《何歳?》

「四十六」

《本当におじさんだった》

「タイトルに書いてあるだろ」

自分でも少し笑った。視聴者が二人になる。三人。一人減る。二人になる。

「増えたり減ったりするんだな」

《当たり前w》

「そうなの?」

《配信慣れてなさすぎ》

「今日始めたからな」

曲がり角へ近づく。健司の足が自然に止まった。壁際へ寄る。少しだけ耳を澄ます。足音。一つ。健司は剣へ手をかけた。

《急に止まった》

《なんかいる?》

「いるな」

岩陰からゴブリンが飛び出した。健司は剣を抜いた。ゴブリンが走ってくる。昨日と同じ。錆びた短刀。低い姿勢。健司は構えた。そして少しだけ違和感を覚えた。

「……ん?」

剣が軽い。実際に重量が減ったわけではない。握り方。足の位置。刃の向き。昨日より自然だった。考えるより先に身体が動く。ゴブリンが短刀を突き出した。健司は斜めに身体をずらす。同時に一歩踏み込んだ。剣を横へ振る。刃がゴブリンの首元へ入った。一撃。ゴブリンが地面へ倒れた。健司は自分の剣を見る。

「昨日より使いやすいな」

コメントが流れる。

《え》

《今のFランク?》

《おっさん普通にうまくね》

「昔Dだったんだよ」

《元Dか》

《なるほど》

「十年以上やってないけどな」

《それで今の動き?》

「昨日一日振ったから、ちょっと思い出したんじゃない?」

健司自身は本気でそう思っていた。長く使っていなかった身体が、感覚を取り戻した。それだけ。自分の中に昨日まで存在しなかった《剣術Ⅰ》が宿っているなど、考えもしない。魔石を回収する。コメントが増えた。

《素材拾うの慣れてる》

《ほんとに昔やってたんだな》

《なんで復帰したの?》

「借金」

《草》

「笑うところ?」

《いくら?》

「二百九十万」

数秒、コメントが止まった。

《え》

《ガチじゃん》

《タイトル釣りじゃなかった》

「昨日まで三百万だった」

《10万返してるw》

《返済早くない?》

「貯金から出したからな」

《何で借金したの?》

健司は少し考えた。配信でどこまで話していいのか分からない。上原の名前を出す必要はないだろう。

「知り合いの保証人になった」

《あっ》

《一番ダメなやつ》

《おじさん……》

「俺も催促状見て、ちょっと困った」

《ちょっとなの?》

「まあ、なんとかなるだろ」

コメントが少し増えた。視聴者。7人健司は歩き続ける。その後もゴブリンを数体倒した。昨日より明らかに剣を扱いやすい。踏み込みも自然。一撃で仕留める回数も増えた。だが健司にとっては、

「感覚戻ってきたな」

で終わる話だった。むしろ気になったのはコメントだった。

《森おじさん強くね?》

《Fランクってもっと初心者じゃないの》

《農家だからパワーあるな》

「農業は力使うよ」

《普段何キロ持つの?》

「肥料なら二十キロ二袋くらい」

《40キロ!?》

「一袋ずつだと二回行かないといけないだろ」

《その発想で強くなるな》

《効率の問題じゃねえw》

視聴者が十人を超えた。たった十人。人気配信者なら誤差のような数字だろう。それでも健司には、十人もの知らない人間が自分の探索を見ている方が不思議だった。安全な場所で休憩する。鞄から包みを出す。今日も母が入れてくれた塩むすび。

「昼にするか」

《飯タイム》

《何食うの》

健司が包みを開く。

《おにぎり》

《シンプル》

《具は?》

「ないよ」

《塩むすびだけ?》

「うまいぞ」

一口食べる。水筒から麦茶。

《遠足のおじさん》

「ダンジョンだよ」

《回復薬は?》

「持ってる」

郷田に持たされた小型の回復薬を鞄から見せる。

《ちゃんとしてた》

「郷田が持ってけって」

《誰》

「友達」

《装備屋?》

「そう」

コメントを読みながら食べる。意外と悪くない。一人で食べるより少し賑やかだった。食べ終わる頃には視聴者が十五人になっていた。

「十五人もいるのか」

《少なすぎて喜ぶの草》

「十五人集めるって大変だぞ」

《田舎の集会なら大人数》

「そうそう」

《基準が田舎w》

休憩を終えた。もう少し進む。途中で角兎を二体。ゴブリンを三体。昨日より探索速度が上がっている。剣を振るたび、身体が少しずつ昔を思い出しているような感覚があった。健司はそれを疑わなかった。予定していた時間が近づく。まだ先へ行ける。疲れてもいない。だが健司は引き返した。

《もう帰るの?》

「帰るよ」

《まだいけそうじゃん》

「畑あるから」

《ダンジョンより畑w》

「仕事だからな」

《借金返済は?》

「それも仕事」

《忙しいなおじさん》

「ゴンの散歩もあるし」

《ゴン?》

「犬」

コメントが急に増えた。

《犬いるの!?》

《見たい》

《何犬?》

「秋田犬」

《絶対見たい》

《配信して》

「犬の散歩を?」

《お願いします》

健司は眉を寄せた。

「犬が歩いてるところ見て面白い?」

《面白い》

《見たい》

《ダンジョンより見たい》

「なんでだよ」

よく分からなかった。ダンジョンから出る。配信を止めようとしたところで、スマートフォンに表示が出た。本日の視聴者最大数。23人受け取った応援。1,840円健司は画面を見た。

「金入ってる」

コメント。

《初投げ銭おめ》

《借金返済にどうぞ》

「これ、もらっていいの?」

《そのための投げ銭》

「ありがとう」

健司は素直に頭を下げた。

「千八百四十円か」

《生々しいw》

「二百九十万から引いたら……」

計算する。

《今計算すんなw》

「あと二百八十九万八千百六十円」

《遠い》

《頑張れ森おじさん》

「ぼちぼちやるよ」

配信を終了した。受付へ戻る。しずくがすでに笑っていた。

「見てただろ」

「見てました」

「仕事は?」

「受付しながらです」

「いいのか?」

「暇な時間だったので」

ドローンを返す。しずくが機体を確認した。

「無傷ですね」

「落としたら借金増えるからな」

「そこだけ慎重すぎません?」

「金は大事だぞ」

「戦い方も慎重でしたよ」

「昔からだよ」

「最大二十三人かあ」

「結構いたぞ」

しずくが一瞬黙る。

「森おじさん、その感覚のままでいてください」

「なんで」

「その方が面白そうだから」

「よく分からんな」

査定へ素材を出した。昨日より少し多い。三万円を超えた。そこへ配信の応援分も加わる。大金ではない。それでも、昨日より確実に収入が増えた。健司は明細を見る。

「これなら続けてもいいな」

「配信ですか?」

「うん。カメラ借りる金を引いても少し残るだろ」

「そこなんですね」

「借金あるからな」

しずくは笑った。

「また借りるなら言ってください。森おじさん用に取っときます」

「そんなに余ってるの?」

「平日は余ってます」

「じゃあ頼む」

ギルドを出た。帰りに郷田の店へ寄る。

「今日も行ったのか」

「行った」

「どうだった」

「剣、昨日より使いやすかった」

郷田が健司を見る。

「もう感覚戻ったのか?」

「多分」

「昔からそんな器用だったか?」

「知らん」

健司は剣を抜かず、鞘ごと軽く持ち上げる。

「昨日は持ち方から違和感あったんだけどな。今日は妙にしっくりした」

郷田は少し不思議そうだった。

「まあ、元Dなら身体が覚えてたのかもな」

「俺もそう思う」

《肩代わり》の話は二人とも思い出さなかった。

二十年以上何の役にも立たなかったギフトだ。健司にとっては、もう昔の話だった。

「そういや配信始めた」

「お前が?」

郷田が笑う。

「何がおかしい」

「いや、お前がカメラに向かって喋ってるところ想像できなくてな」

「勝手についてくるカメラだった」

「ドローンだろ」

「そう。それ」

「で、何人見た」

「二十三人」

「少なっ」

「多いだろ」

「まあ最初ならそんなもんか」

「千八百四十円もらったぞ」

「妙に細かく覚えてんな」

「金だからな」

郷田が笑った。

「三百万背負うと変わるな」

「あと二百九十万だ」

「変わらんだろ」

家へ戻る。門を開ける前からゴンが待っていた。

「ただいま」

ゴンの頭を撫でる。

「散歩行くか」

尻尾が大きく動いた。

「お前、今日配信で人気だったぞ」

ゴンには何のことか分からない。それでも嬉しそうについてくる。田んぼの脇の細い道を歩く。夕方の風が吹いている。遠くで草刈り機の音。近所の家から夕飯の匂い。すれ違った老人が手を上げた。

「健司、ダンジョンまた始めたんだって?」

「もう知ってるの?」

「郷田から聞いた」

「早いなあ」

「借金もあるんだって?」

「そこまで言ったのかよ」

老人は笑いながら歩いていった。健司はため息をつく。

「やっぱ田舎だな」

ゴンだけが隣を歩いている。家へ戻れば母が飯を作っている。鶏もいる。庭には亀もいる。三百万円の借金ができたところで、生活そのものが急に変わったわけではない。ただ、少しだけ違うものが増えた。剣。ダンジョン。そして配信。

「まあ、これも悪くないか」

ゴンがこちらを見る。

「お前の散歩も配信してくれって言われたぞ」

尻尾が揺れる。

「分かってないだろ」

健司は笑った。その頃。上原は訓練場で、昨日から続く違和感に苛立っていた。何度剣を振っても戻らない。調子の問題ではなかった。休んでも変わらない。身体の動きそのものが、ほんの少し劣化している。

「おかしい……」

パーティーメンバーの一人が声をかけた。

「まだ気にしてんのか?」

「気にするだろ」

上原は剣を握り直す。

「俺の剣、明らかに落ちてる」

「歳じゃないの?」

「一日で落ちるか」

苛立ちながら剣を振る。またわずかにずれる。上原は舌打ちした。自分たちが森健司へ押しつけた三百万円。そのうち十万円が、すでに返済されている。その事実を、上原はまだ知らない。そして――。田舎の道を秋田犬と歩いている幼馴染が、自分から失われた剣術を何の疑問もなく使い始めていることも。もちろん知るはずがなかった。森健司自身ですら。まだ、何も知らないのだから。


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