第15話 一週間は待つ
岩崎と話した翌日。雨は上がっていた。森健司は、まだ水気の残る畑の端にしゃがみ込んでいた。土を指でつまむ。湿っている。柔らかい。
「今日は入らない方がいいな」
長靴の裏には泥。無理に機械を入れれば、土を踏み固める。晴れたからといって、すぐ作業できるわけではない。健司は立ち上がり、畑を見回した。雲の切れ目。少し青空。昨日の雨で葉についた水滴が光っている。ゴンは畑の外。日当たりのいいところに伏せていた。その背中。白い丸。モチ。
「お前ら、朝から気持ちよさそうだな」
ピィ。ゴンは顔すら上げない。
「俺だけ仕事してるみたいじゃないか」
返事なし。健司は笑った。今日は大きな農作業はできない。やることはある。畑の確認。排水。倒れた支柱。雨で傷んだ葉。収穫できる野菜。一つずつ。最近。こういう作業を配信してほしいと言われることが増えた。最初は意味が分からなかった。ダンジョン配信。魔物。剣。危険。そういうものを見るから配信なのだと思っていた。ところが実際は。ゴンが歩くだけ。モチがトマトをつつくだけ。母が塩むすびを作るだけ。健司が畑で草を抜くだけ。そんな映像にも人が集まる。
「今日もやってみるか」
家へ戻る。借りているドローン。しずくに確認したところ、ダンジョン外でも使っていいらしい。ただし破損させれば当然修理代。そこだけ何度も言われた。
「畑で壊れるかな」
ドローンを持って玄関へ。母。
「今日も撮るの?」
「少し」
「畑?」
「うん」
「私、映らない?」
「映りたくない?」
「髪直してないから」
健司は母を見る。
「いつもと同じだぞ」
「そういう問題じゃないよ」
「分かったよ」
母は家へ戻る。その前に。
「お昼、おにぎりでいい?」
「いいよ」
「塩で?」
「うん」
「二個?」
「三個」
母が振り返った。
「三個食べるの?」
「最近腹減る」
「身体動かしてるからねえ」
《身体強化Ⅰ》。
関係あるのかもしれない。消費量が増えているのか。単純にダンジョンへ行くようになって食欲が戻ったのか。分からない。
「三個お願い」
「はいはい」
ドローン。起動。配信タイトル。
【雨上がり】畑を見回るだけ
開始。数字。百。三百。七百。健司が畑へ着く前に千を超える。
「早いな」
コメント。
《おはよう森おじさん》
《畑だ》
《ゴンいる?》
《モチは?》
《今日はダンジョンなし?》
「今日は畑」
《借金返済配信どこいった》
「畑も金になるぞ」
《現実的》
《残りいくら?》
健司。少し迷う。借金残高。二百八万円。岩崎の五十二万円。その経緯。全部話す必要はない。
「今、二百八万」
コメントが一気に増えた。
《え?》
《昨日260万じゃなかった?》
《52万減ってる》
《森おじさん払った?》
「俺じゃないよ」
《相手?》
「そう」
《めっちゃ減ってるじゃん》
《やっと本気出した?》
《完済見えてきた》
「見えてきたかな」
まだ。二百八万円。大金。でも。三百万円だった。最初の催促状を見たとき。減るところなど想像できなかった。今は。九十二万円減っている。
「一週間待つって約束したから」
《何を?》
「向こうが残り払うか」
《一週間?》
《払わなかったら?》
健司。
「俺が返す」
コメント。
《それでいい》
《保証人だもんな》
《いや本来相手が払え》
《森おじさん優しすぎる》
「優しいっていうか」
健司は畑へ入りながら言う。
「払わないと困るの俺だからな」
それだけ。信用。生活。将来。放っておけない。
「向こうが返してくれるなら待つ。でもずっとは待てない」
《正論》
《期限決めたの偉い》
《前ならずっと待ってそう》
健司。
「そんなことないだろ」
《ありそう》
《ありそう》
《ありそう》
「なんでだよ」
畑。まず排水。昨日詰まりかけた場所。土。葉。枝。長靴。しゃがむ。
「ここ」
ドローン。近づく。
「昨日、水が流れにくかったから」
手で泥を除く。溝。水。ゆっくり。
《農業配信始まった》
《こういうの見る機会ない》
《地味だけど好き》
《森おじさん腰平気?》
「平気」
以前より。明らかに平気。昔なら。しゃがむ。立つ。運ぶ。積む。一日終われば腰。膝。肩。重い。今。かなり違う。四十六歳。それでも身体が軽い。岩崎の《身体強化》。健司は一瞬だけ手を止める。昨日。本人が来た。自分たち全員で騙した。畑を売れば何とかなると思っていた。その言葉。まだ残っている。怒っている。本当に。でも。畑に立つと少し落ち着く。
「……よし」
排水。終了。次。トマト。雨の後。割れ。傷み。確認。モチ。飛んでくる。一つの支柱。止まる。
「食うなよ」
ピィ。
《モチきた》
《本編》
《トマト泥棒》
「まだ盗ってない」
モチ。トマトを見る。首を傾げる。
「見るな」
ピィ。一歩。近づく。
「駄目」
止まる。
《言うこと聞いた》
《賢い》
《かわいい》
健司。収穫。少し割れたもの。出荷には向かない。
「これは家用」
籠。モチ。見る。
「これはいいぞ」
小さく切る。掌。モチがつつく。
《甘やかした》
《結局あげる》
《モチ勝利》
「売れないやつだから」
ゴン。遠く。顔を上げる。
「お前も欲しい?」
ゆっくり。来る。
《ゴンまで》
《農園カフェ》
「犬にトマトやる時は量気をつけないとな」
小さく。完熟した赤い部分。ゴン。食べる。
《ゴン食べた》
《かわいい》
健司。
「俺の分なくなったな」
《自分で育ててるだろw》
「そうだった」
作業。一時間。視聴者。二千を超えていた。健司。数字を見る。
「ダンジョンより多くない?」
《気のせい》
《畑が本編》
《戦闘はおまけ》
「剣買った意味ある?」
《郷田さん泣くぞ》
《昨日手入れしただろ》
「そうだった」
昨日。郷田の店。配信。そして。岩崎。そこは話さない。ただ。配信後。少し変化があった。直売所。通販。健司の野菜。注文増加。今日も直売所から連絡。追加で出せるものはないか。
「そういえば」
配信。
「昨日、直売所の人に言われたんだけど」
《何?》
「配信見て野菜買った人いるらしい」
コメント。一気。
《買った》
《俺かも》
《リンクどこ》
《直売所通販あるの?》
「あるけど」
健司。少し困る。
「ここで出していいのかな」
《出して》
《買いたい》
《モチが食べてたトマト欲しい》
「同じ畑ではある」
《それでいい》
《ゴン印》
「勝手に印つけるな」
リンク。出す。直売所の通販。健司個人ではない。地域の農家。野菜。米。加工品。
「俺のだけじゃないからな。他の人のも買ってくれ」
《了解》
《森おじさん商売うまくなった》
「俺に全部入るわけじゃないぞ」
《地域貢献》
「そっちの方がいい」
本当に。近所。高齢の農家。売り先。少しでも増えるなら。悪くない。ドローン。畑。空。雨上がり。映像。健司は作業。雑草。支柱。収穫。途中。
《後ろ》
コメント。
「何?」
振り返る。母。遠く。こちらへ歩いてくる。手。籠。
「母さん」
「あんた、お昼」
「もうそんな時間?」
「十二時過ぎてるよ」
《お母さんきた》
《塩むすび》
《本編の本編》
母。ドローンに気づく。一瞬。髪。触る。
「映ってる?」
「多分」
「言ってよ」
「今来たの母さんだろ」
「そうだけど」
コメント。
《かわいいw》
《髪気にしてる》
《お母さんこんにちは》
健司。
「みんな挨拶してる」
母。ドローンへ軽く頭。
「こんにちは」
コメント。加速。
《こんにちは!》
《お母さん!》
《いつも塩むすびありがとうございます》
《森おじさんをよろしく》
母。
「何て?」
「塩むすびありがとうって」
「あら」
籠。包み。三個。麦茶。漬物。
「三個作ったよ」
「ありがとう」
母。ゴンを見る。
「ゴン、帰る?」
ゴン。動かない。
「帰らないって」
「そう」
モチ。母の肩。移る。
「モチは?」
ピィ。
「帰る?」
モチ。そのまま。
「帰るって」
健司。
「本当か?」
母。
「そう言ってるよ」
「分かるの?」
「何となく」
母。モチ。家へ。ゴン。残る。
「ゴンだけ俺か」
ゴン。伏せる。
《消去法》
《ゴン眠いだけ》
「お前らひどいな」
昼。畑の端。塩むすび。三個。一つ目。
《きた》
《本編》
「ただの昼飯だって」
海苔なし。塩。米。具なし。
「うまい」
《中身なし?》
「塩だけ」
《潔い》
《お母さんの塩むすび食べたい》
「俺のだぞ」
二つ。三つ。全部。食べた。自分でも少し驚く。
「本当に三個食えたな」
《身体使ってるから》
《健康》
《四個いける》
「増やすな」
食後。麦茶。休憩。スマートフォン。通知。直売所。電話。
「あれ」
配信中。出るか迷う。相手。いつもの職員。
「ちょっと電話」
音声。切る。
『健司ちゃん』
「はい」
『何した?』
「何が?」
『注文入ってんだけど』
「え?」
『急に』
健司。配信を見る。視聴者。二千三百。リンク。
「……配信で通販の話した」
電話の向こう。沈黙。
『先に言え!』
「駄目だった?」
『駄目じゃないけど在庫が!』
「そんな?」
『トマトと米と味噌が動いてる』
「味噌、俺関係ないだろ」
『一緒に買ってんだよ!』
「よかったじゃん」
『発送するこっちが大変なんだよ!』
「頑張って」
『お前も持ってこい!』
「何を?」
『出せる野菜!』
「今日?」
『今日!』
「畑ぬかるんでる」
『出せる分でいい!』
「分かった」
電話終了。配信音声。戻す。
《何だった?》
「直売所」
《怒られた?》
「注文増えたって」
コメント。
《草》
《買った》
《私も》
《地域経済動かしてて草》
「お前らか」
《森おじさん効果》
《ゴンのトマト》
「ゴンは作ってない」
午後。急遽。収穫。畑に入れる場所だけ。トマト。キュウリ。ナス。少量。泥を落とす。箱。軽トラック。ゴン。助手席ではない。荷台は危ない。家で留守番。モチも母と家。配信。一旦終了。応援。27,860円
「畑でこんなに……」
ダンジョン。危険。魔物。剣。今日は。草。トマト。塩むすび。それで二万七千円。
「世の中分からんな」
直売所。箱。運ぶ。以前なら。一箱ずつ。今。二つ。いや。三つ。
「健司ちゃん」
「何?」
「また力強くなってない?」
「スキルだった」
「は?」
「気にしないで」
「気になるわ!」
運ぶ。棚。注文。伝票。普段より忙しい。別の農家。
「健司、お前何したんだ」
「配信」
「うちの米も売れてるぞ」
「よかったじゃん」
「何喋った?」
「他の人のも買ってって」
「それだけ?」
「それだけ」
「もっと言え」
「何を?」
「米うまいって」
「食ったことある?」
「あるだろ!」
「じゃあ今度」
笑い。少し騒がしい。地域。直売所。普段は静か。今日は。発送箱。人。電話。注文。健司は少し嬉しかった。自分の借金。そのために始めた配信。それが。関係ない人の米。味噌。野菜。売る。こういうのなら。続けてもいい。午後三時。ギルド。しずく。健司が入る。
「森おじさん!」
「おう」
「何したんです?」
「今日そればっか聞かれるな」
「SNSで流れてますよ」
「何が?」
しずく。画面。切り抜き。健司。畑。母。塩むすび。タイトル。
『借金三百万のおじさん、視聴者に地元野菜を売りつける』
健司。
「売りつけてないぞ」
「コメント欄もそう言ってます」
「じゃあタイトル変えろよ」
「切り抜きってそういうものです」
再生数。五万。
「もう?」
「伸びてます」
「ダンジョンじゃないじゃん」
「森おじさん」
「何」
「たぶん今、配信者として一番強いのダンジョンじゃないです」
「農業?」
「ゴンとモチとお母さん」
健司。
「俺は?」
しずく。少し考える。
「必要です」
「間があったぞ」
「司会」
「司会なの?」
「飼育員?」
「俺の家だぞ」
しずく笑う。健司は受付へ。
「今日は潜らない」
「珍しい」
「午前中畑、午後直売所。疲れた」
《身体強化Ⅰ》。
肉体的にはまだ余裕。ただ。今日はもういい。
「ドローン返しに来た」
「はい」
しずく。受け取る。
「借金は?」
「二百八万のまま」
「追加なしですか」
「うん」
「あと何日?」
「六日」
しずくの表情。少し真面目。
「本当に一週間で返すんです?」
「向こうが払わなかったらな」
「十万円?」
「うん」
「……誰かからまたスキル来る可能性ありますよ」
「あるな」
「怖くないです?」
健司。考える。
「怖いっていうより」
「はい」
「嫌だな」
「やっぱり?」
「誰の何か分からんし」
「そうですよね」
「でも」
金融会社。残高。二百八万円。
「払えるのに払わないってのも違うだろ」
しずく。
「森おじさん、今いくらくらい余裕あるんです?」
「全部は言わんぞ」
「聞きません」
「十万なら問題ない」
最近。農業。ダンジョン。配信。直売所。収入。少しずつ。増えている。もちろん。農業経費。装備。生活。税金。残す。それでも。最初より明らかに余裕がある。
「一週間待つって岩崎さんに言った」
「なら一週間ですね」
「うん」
しずく。
「それまでは普通に?」
「普通に」
「明日は?」
「畑次第」
「ダンジョンは?」
「畑次第」
「全部畑基準ですね」
「本業だから」
夕方。家。ゴン。門。モチ。屋根の下から飛んでくる。肩。
「ただいま」
ピィ。母。台所。
「野菜売れた?」
「売れた」
「よかったね」
「母さんの塩むすびも人気だった」
「あら」
「食べたいって」
母。少し困る。
「送る?」
「送らない」
「そう?」
「食中毒怖いから」
「じゃあ仕方ないね」
現実的。夕飯。今日。肉じゃが。味噌汁。トマト。少し割れた家用。
「これモチが食べてたやつ?」
母。
「同じ畑」
「そう」
母は普通に食べる。健司。スマートフォン。通販。売り切れ。いくつか。驚く。
「本当に売れてる」
「よかったねえ」
「俺のトマトも売り切れ」
「じゃあ明日いっぱい採らないと」
「畑乾けばな」
「晴れるって」
「なら朝から忙しいな」
借金。配信。ギフト。A級探索者。考えること。いっぱい。でも。結局。晴れれば。収穫。それが先。食後。羊羹。一切れ。茶。スマートフォン。金融会社。2,080,000円変化なし。
「今日はないか」
岩崎からも連絡なし。上原からも。一週間。残り六日。健司は画面を閉じる。ゴン。寝る。モチ。ゴンの背。母。テレビ。天気予報。明日。晴れ。
「よし」
明日は収穫。それでいい。
――同じ頃。
A級パーティー。治癒役の女。一人。自宅。スマートフォン。金融会社の支払いページ。数字。520,000円指。止まる。五十二万円。安くない。今月。装備修理。家賃。生活費。それでも。払える。岩崎。払った。上原。まだ。榊。まだ。魔法使い。拒否。
「……馬鹿みたい」
呟く。自分たち。A級。一回の遠征。もっと稼ぐこともある。なのに。五十二万円が惜しくて。三百万円を。田舎の農家へ押しつけた。その結果。上原。剣術低下。岩崎。身体強化低下。榊。気配察知低下。自分。まだ。何もない。だから。待てばいい。森が十万円払っても。自分から取られるとは限らない。そう思える。でも。もし。治癒。自分の武器。A級パーティーで。一番大事な能力。
《治癒術Ⅲ》。
一段落ちたら。五十二万円どころではない。女は画面を見る。森健司の配信。切り抜き。塩むすび。畑。白い鳥。老犬。笑うコメント。
「……何してるのよ」
能力。奪っている男。そう聞けば。もっと。欲深い。危険な。何かを想像する。実際。画面の中。
「ゴン、トマト食う?」
そんなことを言っている。自分たちが。騙した男。女は目を閉じる。岩崎の言葉。
『一週間後、まだ借金が残ってたら、森さんはまた十万円払う』
六日。
「……五十二万」
指。振込。確認画面。まだ。押せない。五十二万円。大きい。だが。治癒術。もっと大きい。罪悪感。それも。少し。ある。だが。正直に言えば。恐怖の方が大きかった。
「……もう」
指。押す。支払いを受け付けました。女は椅子へ背中を預けた。五十二万円。消えた。でも。少しだけ。胸が軽くなった。
――健司はまだ知らない。
眠る前。金融会社の残高が。もう一度。動いていた。1,560,000円残り。百五十六万円。一週間を待つ必要は。少しずつ。なくなり始めていた。
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