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借金の保証人になった優しい田舎のおじさんのダンジョン配信  作者: 月瀬 リュカ


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12/19

第12話 簡易鑑定、三千円

森健司は、朝から何度も自分の手を見ていた。右手。左手。握る。開く。特に変わったところはない。指が一本増えたわけでもなければ、手のひらに文字が浮かんでいるわけでもない。

「……分からんな」

縁側で呟く。ゴンが隣で寝ている。その背中にはモチ。庭の向こうでは鶏が歩き回り、さらに奥ではいつもの亀が植木鉢の影をゆっくり通り過ぎていた。昨日。上原から電話があった。返済を止めろ。理由は言わない。そして電話の向こうから聞こえた。

『次やられたら俺かもしれねえだろ!』

小さな声。普通なら聞き取れなかったかもしれない。だが今の健司には聞こえた。最近、妙に耳がいい。それだけではない。最初の十万円を返したあと、剣が急に扱いやすくなった。二度目の十万円を返したあと、身体が軽くなった。三度目。耳というより、周囲の気配そのものが分かるようになった。そして。若い頃から持っていたギフト。

《肩代わり》。

「……やっぱ関係あるのかな」

ピィ。モチが顔を上げた。

「お前に聞いても分からんよな」

ピィ。

「返事だけはいいな」

健司は立ち上がった。考えていても答えは出ない。なら調べる。昨日、しずくが言っていた。簡易鑑定。数千円。そこだけが少し気に入らない。

「三千円あれば羊羹何本買えるんだろ」

家の中から母の声。

「健司」

「なに?」

「羊羹なら戸棚にあるよ」

「今の聞こえた?」

「聞こえたよ」

健司は少し笑った。

「いや、食べたいって話じゃない」

「そうなのかい?」

「鑑定に三千円かかるんだよ」

母が台所から顔を出す。

「何を見てもらうんだい?」

「俺」

母の表情が少し止まった。

「病院?」

「違う違う」

「どっか悪いのかい?」

「だから違うって」

健司は笑いながら説明した。昔から持っているギフト。最近、妙に剣が上手くなったこと。身体が軽くなったこと。耳がよくなったこと。母は途中まで聞いて、

「元気ならいいじゃない」

と言った。

「まあ、そうなんだけど」

「痛いところあるのかい?」

「ない」

「熱は?」

「ない」

「ご飯食べられる?」

「昨日、二杯食った」

「なら大丈夫だよ」

「母さんの基準だと大体大丈夫になるな」

「大丈夫じゃないのかい?」

「多分大丈夫」

結局。母へ話しても解決はしなかった。ただ、少し気が楽にはなった。朝の畑仕事。トマトの収穫。支柱の補修。肥料。雑草。一通り終える。今日はダンジョンへ行く前にギルド。簡易鑑定。それから決める。軽トラックへ。モチが飛んでくる。

「今日はお前も来る?」

ピィ。

「ギルドだけならいいか」

籠。モチは少し嫌そうな顔をした。

「運転中は籠」

ピィ。

「分かってるなら入れ」

少し迷ったあと。自分から入った。

「賢くなったな」

ピィ。ゴンは留守番。母にも声をかける。

「行ってくる」

「気をつけてね」

「はいよ」

ギルド。自動ドア。受付。しずく。

「森おじさん」

「おう」

そして。

「モチ!」

「やっぱり先にそっち見るんだな」

モチが籠から飛び出す。しずくの肩へ。

「今日はどうしたんです?」

「鑑定」

しずくの動きが止まった。

「え?」

「簡易鑑定」

「森おじさんが?」

「そんな驚く?」

「昨日まで数千円惜しんでた人が」

「三千円だろ」

「ちゃんと値段覚えてる」

「高いからな」

「高くないです」

「羊羹なら――」

「買えますね」

「ほら」

「比較がおかしいです」

いつものやり取り。だが、しずくは健司の顔を見て少し真面目になる。

「何かあったんです?」

「上原から電話来た話、昨日しただろ」

「はい」

「そのあとさ」

健司は声を少し落とした。

「電話の向こうで、誰かが『次やられたら俺かもしれない』って言ってた」

しずくの表情が変わる。

「……聞こえたんですか?」

「小さかったけど」

「それ、気配察知の影響かもしれませんよ」

「耳がよくなっただけかも」

「まだ言います?」

「まだ言う」

健司は受付台へ肘をつく。

「で、ちょっと考えた」

「何をです?」

「十万円返すたび、なんか俺変わってる気がする」

しずくは黙った。健司が続ける。

「最初、剣」

「はい」

「次、身体」

「はい」

「その次、耳」

「気配察知だと思います」

「まあ、それ」

「……三回返済して、三回?」

「多分」

しずくが端末を触る手を止めた。

「それ、かなり怪しいですよ」

「だよな」

「もっと早く気づいてください」

「普通、借金返して強くなると思わないだろ」

「それはそうですけど」

「だから鑑定」

しずくが頷く。

「分かりました」

簡易鑑定はギルド内でできる。大掛かりな設備は必要ない。専用の鑑定石。探索者証。簡単な魔力測定。ただし簡易なので、特殊なギフトの詳細までは分からない。一般的なスキル。身体能力系。魔力適性。その程度。

「三千円です」

「先払い?」

「先払い」

「逃げないぞ」

「そういう制度です」

財布。三千円。健司は少しだけ名残惜しそうに札を出した。しずくが笑う。

「そんな顔します?」

「三千円だぞ」

「昨日配信で二万円以上もらってたじゃないですか」

「それとこれとは別」

「借金生活、完全に染みついてますね」

案内された小部屋。中央。椅子。その前に直径三十センチほどの透明な石。

「手を置いてください」

「これ?」

「はい」

モチはしずくの肩。健司は椅子へ座る。右手を石へ。冷たい。

「何かする?」

「そのままで」

しずくが端末を操作。石が淡く光る。健司の手。腕。身体。何かが軽く引っ張られるような感覚。痛くはない。数秒。十秒。二十秒。光が消える。

「終わり?」

「終わりです」

「早いな」

「簡易ですから」

結果が端末へ表示される。しずくが画面を見る。そして。止まった。

「……森おじさん」

「なに?」

「これ」

画面をこちらへ。健司は読む。

――保有ギフト。

《肩代わり》

「これは知ってる」

「その下」

――確認された技能。

《剣術Ⅰ》

《身体強化Ⅰ》

《気配察知Ⅰ》

健司はしばらく黙った。もう一度見る。

「……三つあるな」

「ありますね」

「俺、昔これ持ってた?」

「過去データ確認します」

しずくが別画面。昔の探索者登録。二十年以上前。ギフト。

《肩代わり》。

技能。空欄。

「ないですね」

「本当に?」

「少なくともギルドの記録では」

「剣術も?」

「ないです」

「昔、剣使ってたぞ」

「技能として認定されるほどではなかったんじゃないですか」

健司は少し傷ついた。

「そんな下手だった?」

「私に聞かれても」

「郷田なら喜びそうだな」

しずくが画面を見る。

「でも……これ」

三つ。返済三回。健司も同じことを考えている。

「偶然かな」

「偶然にしては」

「だよな」

「《剣術Ⅰ》が増えた時期」

「最初の十万」

「《身体強化Ⅰ》」

「二回目」

「《気配察知Ⅰ》」

「三回目」

しずくが息を吐く。

「ほぼ確定じゃないですか」

「でも」

健司は少し考えた。

「なんで借金返してスキル増えるんだ?」

「《肩代わり》」

「名前はそれっぽいけど」

「今まで発動したことなかったんですよね?」

「多分」

「保証人になったことは?」

「今回が初めて」

「他人の借金を肩代わりしたことは?」

「ない」

「じゃあ、発動条件そのものが今まで成立しなかった可能性ありますよ」

健司は黙った。確かに。

《肩代わり》。

何を肩代わりするのか。若い頃。鑑定しても分からなかった。戦闘。怪我。疲労。病気。何も肩代わりしなかった。だから外れギフトだと思っていた。だが。借金。保証債務。本来、上原たちが返すべきもの。それを健司が払っている。

「……金?」

「可能性はあります」

「俺のギフト、金の話だったの?」

「分かりませんけど」

健司は少し複雑な顔。

「もっと早く分かってればな」

「どう使うんです?」

「知らん」

「ですよね」

二人で画面を見る。ただし。一つ。まだ分からないことがある。

「これ、どこから来たんだ?」

健司が言った。しずくも黙る。スキルが増えた。それは分かった。だが。自然に生えたのか。誰かから来たのか。

《肩代わり》が生成しているのか。

簡易鑑定ではそこまで分からない。

「上原さん側で何か起きてるんですよね」

「多分」

「電話の反応を見る限り」

「返済止めろって必死だったからな」

しずくは少し眉を寄せる。

「それなら、森おじさんがスキルを得る代わりに、向こうが失ってる可能性ありますよね」

健司の顔が少し変わった。そこ。一番気になっていた。

「やっぱそう思う?」

「思います」

「じゃあ、次返したら」

「誰かがまた弱くなるかもしれない」

健司は椅子に座ったまま黙った。三百万円。自分に押しつけられた。返済義務。契約上。自分が払う。それは悪いことではない。むしろ当然。だが。払うたびに、誰かの力が失われる。もし本当なら。

「……嫌だな」

しずくが少し驚いた。

「森おじさん?」

「いや」

健司は頭を掻く。

「借金押しつけられたのは腹立つよ」

「はい」

「電話無視されたのも」

「はい」

「でも、それで向こうの力取っていいかって言われると」

しずくはしばらく黙る。

「森おじさんが取ってるわけじゃないですよ」

「でも結果としてはな」

「返済しなかったら森おじさんが困ります」

「そうなんだよな」

それが難しい。返済しなければ。遅延。利息。自分の信用。家。畑。生活。全部に影響する可能性がある。返せる金があるのに、誰かが弱くなるから払わない。それも違う気がする。

「上原たちが払えばいいんだよ」

健司が言った。

「本来そうです」

「でも払わない」

「はい」

「じゃあ俺が払う」

「はい」

「そうすると向こうから何か来る」

「多分」

「……面倒だな」

しずくが少し笑った。

「そこに落ち着きます?」

「だって面倒だろ」

怒り。復讐。ざまあ。そういう気持ちより。面倒。それが一番近かった。

「本鑑定ならもっと分かる?」

「可能性はあります」

「いくら?」

しずくが金額を言う。健司は即座に立ち上がった。

「やめる」

「早い!」

「高い」

「だからって」

「何万円も払えるか」

「原因知りたくないんですか?」

「知りたいけど」

「けど?」

「借金ある」

「……ですよね」

しずくももう諦めた。

「じゃあ、簡易鑑定の結果だけ保存します」

「頼む」

紙にも出してもらう。健司は三つの技能を見る。

《剣術Ⅰ》

《身体強化Ⅰ》

《気配察知Ⅰ》

「本当に増えてるんだな」

「はい」

「これ、俺のもの?」

「現時点では森おじさんの技能として認識されてます」

「返したら戻るとか?」

「分かりません」

「面倒」

「今日三回目ですよ」

部屋を出る。受付。モチがしずくから健司の肩へ戻る。

「お前も見てた?」

ピィ。

「俺、スキル三つ持ってたぞ」

ピィ。

「興味ない?」

モチは健司の帽子へ移動した。

「そこ乗るなって」

受付。今日はダンジョンへ行くか。健司は少し迷った。鑑定だけで帰るのももったいない。ドローンもある。時間もある。ただ。

「今日は配信やめとくか」

しずくが少し驚く。

「珍しいですね」

「ちょっと考えたい」

「分かりました」

配信なし。第二階層。一人。久しぶりにカメラがない。静か。健司は剣を抜いた。歩く。足音。自分。遠く。牙犬。いる。

「……気配察知」

声に出す。今まで。耳。そう思っていた。だが鑑定結果。

《気配察知Ⅰ》

「本当にスキルなんだな」

姿を見る前に分かる。右。一体。健司は道を変えた。無理に戦わない。少し進む。ゴブリン。避けられない。剣。構える。身体。自然。

《剣術Ⅰ》

意識してみる。柄。足。重心。刃。今まで感覚でやっていたもの。

「これか」

一撃。ゴブリン。倒れる。腕。疲れない。

《身体強化Ⅰ》

「……これもか」

全部。本当にある。偶然。昔の感覚。農業。体調。そうやって説明してきた。でも違った。少なくとも一部は。スキル。どこかから来た。

「上原……」

少しだけ思う。あいつの剣。昔から上手かった。剣道も。探索者になってからも。

《剣術》。

もし。最初の十万円で。健司の中へ。

「……まさかな」

でも。もう完全には否定できない。素材を少し集める。魔力苔。牙犬一体。深追いしない。一時間。二時間。今日は早めに帰る。ギルド。査定。四万円少し。

「今日は少ないですね」

しずく。

「考えながら歩いてた」

「危ないですよ」

「戦闘中は考えてないよ」

「ならいいですけど」

「帰る」

「今日は返済?」

健司が止まる。財布。スマートフォン。金。返そうと思えば。十万円。払える。今月の農業経費。生活費。残しても大丈夫。だが。

「今日はやめとく」

「上原さんのこと?」

「うん」

しずくは何も言わなかった。帰宅。ゴン。モチ。母。畑。夕方。いつもの仕事。鶏の餌。水。ゴンの散歩。モチはその背中。健司は歩きながら考える。上原。十万円。スキル。

《肩代わり》。

もし本当に。返済するたび。向こうから一つ来る。なら。次。どうする。

「……でもなあ」

ゴンが止まる。匂いを嗅ぐ。健司も止まる。

「俺が返さない理由にはならんよな」

ゴンは聞いていない。

「借金は借金だし」

ピィ。モチが鳴く。

「本来あいつらが返すもんだけど」

歩く。

「俺が保証人になった」

歩く。

「向こうが払わない」

歩く。

「じゃあ俺が払う」

結局。そこへ戻る。誰かの力を奪いたいから払う。それは違う。誰かを弱くしたいから払う。それも違う。ただ。借金を返す。それだけ。もし。それで向こうから力が失われるなら。

「……上原に聞くしかないな」

帰宅。夜。夕食。母。煮物。味噌汁。冷ややっこ。羊羹。今日は一切れだけ。スマートフォン。上原。健司は自分から電話をかけた。呼び出し。一回。二回。三回。今回は出た。

『……健司』

「上原」

『何だ』

「聞きたいことある」

沈黙。

『返済の話か』

「それも」

健司は簡易鑑定の紙を見る。

《剣術Ⅰ》

《身体強化Ⅰ》

《気配察知Ⅰ》

「俺さ」

『……』

「最近、スキル三つ増えたんだ」

電話の向こう。何も聞こえなくなった。健司は続ける。

「十万円返すたびに、一つずつ」

まだ無言。

「上原」

『……何が言いたい』

「お前ら」

健司は少し迷った。だが聞く。

「何か減ってる?」

沈黙。長い。十秒。二十秒。

『……誰に聞いた』

「誰にも」

『じゃあなんで』

「鑑定した」

また沈黙。健司は確信に近づいた。

「減ってるんだな」

『……』

「上原」

『返すな』

声。低い。今までで一番真剣だった。

『次の十万、絶対に返すな』

健司は目を閉じた。

「理由、やっと分かった」

『分かったなら――』

「でもさ」

『何だ』

「俺が返さなかったら、誰が返す?」

電話の向こう。何もない。

「お前ら?」

『……』

「返してくれる?」

沈黙。

「いつ?」

沈黙。健司は小さく息を吐いた。

「俺、別にお前らから力取りたいわけじゃないよ」

『……』

「でも借金は返さないといけない」

『待て』

「だから」

健司は静かに言った。

「次の返済までに、お前らが払ってくれ」

『健司』

「それなら俺は払わない」

『……』

「本来、お前らの借金だろ」

長い付き合い。幼稚園。小学校。中学校。高校。昔。友達。だから保証人になった。その友達へ。初めて。はっきり。健司は言った。

「俺に返させたくないなら、自分で返してくれ」

電話。静か。そして。

『……分かった』

小さな声。本当か。分からない。でも健司は、

「じゃあ待ってる」

と答えた。通話終了。スマートフォン。机。母が向かいから見る。

「上原さん?」

「うん」

「どうだった?」

「自分で返してくれって言った」

「そうかい」

「ちょっと言いすぎたかな」

母は羊羹を一口。茶。

「自分で借りたお金なら、自分で返すんじゃないのかい?」

健司は少し笑った。

「そうだよな」

「うん」

それだけ。難しい話は。母の一言で。妙に簡単になった。健司は簡易鑑定の紙を折りたたむ。

《剣術Ⅰ》

《身体強化Ⅰ》

《気配察知Ⅰ》

三つ。次の十万円。まだ払わない。上原たちが返すと言った。なら。少しだけ待つ。ただし。いつまでもではない。借金は。待ってくれないのだから。


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