第9話 ダウンロード数1、それは私だった
高齢化社会は解決できなかった。
世界も救えなかった。
せめて、私だけは救いたい。
いや。
守護りたい。
私は椅子にもたれて考えた。そして、ひとつの結論にたどり着いた。
——大きく考えすぎた。
私はずっと、大きいものを追いかけていた。
似ているアプリで市場を取る。
独自性で無双する。
社会課題で世界を救う。
全部デカかった。
デカすぎて、一人の手には余った。
では、小さくすればいい。
私はようやく、それに気づいた。
成長である。
九話目にして、ようやくの成長である。
では、何を作るか。
私は自分の生活を見つめ直した。
私が困っていること。それを解消すればいい。
すぐに思いついた。
本である。
いや、正確には漫画である。
ビジネス書は積むだけだが、漫画は二度買う。それも、やたら長いやつを。
『ワンピース』である。
百巻以上ある。
もう、何巻まで持っているかわからない。
本屋で、私は毎回迷う。
この巻は持っていたか。持っていなかったか。
わからない。
わからないので、買う。
そして家に帰ると、同じ巻があった。
『ワンピース』の87巻が、二冊。
これは私の問題である。
私だけの問題かもしれない。
だが、私が困っている。理由は、それで十分である。
念のため、App Storeを検索した。
本の感想を書ける管理アプリは、たくさんあった。
読書記録。
感想。
評価。
本棚。
だが、重複だけを防ぐアプリは、見当たらなかった。
私は作ることにした。
持っている本を登録する。
本屋で開く。
「持ってる」か「持ってない」かわかる。
それだけのアプリである。
世界は救えない。
だが、私の二度買いは救える。
私はAI Agentに頼んだ。今度の指示は短かった。
「本を登録して、持ってるか確認できるアプリ」
それだけである。
機能はひとつ。
画面も少ない。
世界を救う必要がないと、こんなにも作るのは楽だった。
数日でできた。
git にも入れた。commit も push もした。
私はもう、何も失わない。
私は審査に出した。そして、身構えた。
スパム。
また、スパムと言われる。
「似たアプリがあります」
そう来るはずだった。
私は覚悟を決めた。
——だが、来なかった。
数日後。
メールが来た。
私はおそるおそる開いた。
そこには、こう書いてあった。
承認。
審査、通過。
私は画面を二度見た。
通っていた。
スパムではなかった。
なぜか。
考えて、すぐわかった。
こんなにしょぼいアプリ、誰も作っていなかったからである。
独自性。
ついに手に入れた。
小さくしたら、誰とも似ていなかった。
世界を救おうとして、似ていると言われた男が。二度買いを救おうとして、独自性を得た。
皮肉である。
だが、勝ちは勝ちである。
私のアプリが、App Storeに並んだ。
世界中のiPhoneからダウンロードできる。
私は震えた。
ついに来た。
リリースである。
さて、何人が使うだろう。
私は計算を始めた。
ビジネス書を読んだ男である。正確には、要約を読んだ男である。
だが、マーケターである。
まず、市場を見る。
日本の人口。
1億2000万人。
そのうち、iPhoneユーザー。
だいたい6割。
7200万人。
そのうち、本を二度買いする人。
控えめに見て、10パーセント。
720万人。
720万人が、私のアプリを必要としている。
私は震えた。
720万。
そのうち、10パーセントがダウンロードすれば。
72万。
72万ダウンロード、である。
私は電卓を置いた。
もう、見えた。
未来が見えた。
72万人が、本屋で私のアプリを開く。
72万件の二度買いが消える。
私は社会を変えていた。
高齢化社会は無理だった。
だが、二度買い社会なら変えられる。
私はまた、自分を褒めた。
そして、App Store Connectを開いた。
ダウンロード数。
0。
まだ0である。
出したばかりである。当然である。
私は5分後、また開いた。
0。
10分後。
0。
私は更新のやり方を覚えた。画面を下に引っ張る。すると、数字が更新される。
私は引っ張った。
0。
引っ張った。
0。
人生で一番、見つめている数字だった。
72万は、どこへ行ったのか。
そして、2日ほど経った夜。
私はまた、引っ張った。
——1。
1である。
ダウンロード数が、1になっていた。
私は声を上げた。
1。
ついに、1。
0ではない。
1である。
無から有になった。
天地創造である。
そして、私は思い出した。
本に書いてあった。
0から1は、1から100より難しい。
スタートアップの世界の常識である。
一番難しいのは、0を1にすること。
そして、私はいま、それを成し遂げた。
0を、1にした。
つまり、一番難しいところは、もう終わったのである。
あとは、1から100。
簡単なほうである。
72万も、もう見えたようなものである。
私は、ほぼ成功者である。
私は椅子から立ち上がった。
部屋を歩き回った。
落ち着け。
いや、落ち着くな。
1である。
誰かが。世界のどこかで。私のアプリをダウンロードした。
私は想像した。
どんな人だろう。
地域別のデータを見た。
日本。
日本からだ。
同じ国の、誰かである。
社会人だろうか。
私と同じように、本を二度買いする人。
わかる。その苦しみが、わかる。
いや。
学生かもしれない。
いや、子どもかもしれない。
いや。
——可愛い女の子かもしれない。
本をたくさん買う、可愛い女の子。
二度買いに困っている。
そこへ、私のアプリが現れた。
「このアプリ、助かる」
そう思ってくれたかもしれない。
私はにやけた。
会ったこともない人に、感謝された気がした。
これが個人開発か。
これが、誰かの役に立つということか。
私は、目頭が熱くなった。
たった、1。
されど、1。
私の作ったものが、誰かに届いた。
私はしばらく、その余韻にひたった。
そして、ふと。
自分のスマホを見た。
私のiPhone。
ホーム画面。
そこに、あった。
私のアプリが。
インストールされていた。
……これ、いつ入れたんだっけ。
そうだ。
App Storeに公開された、あの日。
私はうれしくて、ついダウンロードしたのだ。
記念に。
自分のアプリを、自分で。
App Storeから、本番のやつを。
私は固まった。
ダウンロード数、1。
日本から。
社会人。
可愛い、女の子。
——全部、私だった。
可愛い女の子は、いなかった。
いたのは、本を二度買いする、スパムまみれで、作ったアプリを全消しした男だけだった。
72万人は来なかった。
来たのは、私、一人だった。
私は、App Store Connectを閉じた。
ダウンロード数、1。
それは、私だった。




