第5話 ある朝、アプリはスパムになっていた
サイトを作った。
サポートURLも用意した。
プライバシーポリシーURLも用意した。
私はアプリを出したかっただけなのに、気づけばWeb担当者になっていた。
だが、もういい。
あるのだ。
URLが。
Appleが求めたURLが、二つともある。
サポート。
プライバシーポリシー。
横文字だらけである。
だが、私は勝った。
ついに入力欄が埋まった。
説明文も書いた。
スクリーンショットも入れた。
アイコンも入れた。
年齢レーティングも答えた。
プライバシーにも向き合った。
審査情報も書いた。
私はもう、ただの開発者ではなかった。
アプリ提出者である。
強い。
提出者。
この言葉には、社会性がある。
作っただけではない。
出すのだ。
世に。
App Storeに。
ジョニーに。
私は最後のボタンを見つめた。
審査へ提出。
ついに来た。
世界への扉。
ここを押せば、私のアプリはAppleへ渡る。
Appleが見る。
Appleが判断する。
Appleがうなずく。
そして世界が使う。
私は深呼吸した。
押した。
提出された。
画面に、審査待ちのような表示が出た。
私は椅子にもたれた。
勝った。
完全に勝った。
なぜなら、もう提出したからである。
提出したということは、半分リリースされたようなものである。
いや、9割くらいリリースされたと言ってもよい。
私の中では、もうApp Storeに並んでいた。
ランキングにも入っていた。
レビューもついていた。
「朝の服装選びが楽になりました」
「ジョニーが半袖で凍えずに済みました」
「開発者の思想を感じます」
そういうレビューが、見える。
見える気がする。
私はスマホを置いた。
今日はもう、勝利の日である。
審査中。
なんと甘美な言葉だろう。
何もしていないのに、仕事が進んでいる。
自動化である。
DXである。
私は寝た。
私は寝た。
そして、そこから三日間。
私は勝った。
完全に勝った。
審査中。
この言葉は、ほぼ祝福である。
Appleが私のアプリを見ている。
おそらく今ごろ、Appleのどこかの会議室で話題になっている。
「これは何だ」
「個人開発でここまでやるのか」
そんな会話がされているかもしれない。
されているに決まっている。
Appleの社員が、私のスクリーンショットを見ながらうなずいている。
天気。
服装。
持ち物。
完璧な導線。
完璧な体験。
完璧な世界観。
私はスマホを見るたびに、未来の売上を計算した。
一日千ダウンロード。
一割が課金。
一人三百円。
一日三万円。
一ヶ月で九十万円。
悪くない。
いや、少ない。
世界である。
App Storeである。
日本だけではない。
アメリカにもいる。
ヨーロッパにもいる。
インドにもいる。
南半球にもいる。
朝、服装に迷う人間は、世界中にいる。
そこへ私のアプリが届く。
これはもう、社会貢献である。
売上だけの話ではない。
人類の朝を変える話である。
私は、まだ承認もされていないアプリで、月収を計算していた。
三日目には、住む場所を考えていた。
海辺の家か。
高層マンションもいい。
夜景を見ながらMacBookを開く。
成功者である。
だが、海も捨てがたい。
ハワイみたいな海。
夕陽。
酒。
波の音。
私はベランダでグラスを傾けながら、次のアプリを作る。
もう会社には行かない。
Slackも見ない。
上司もいない。
あるのは海。
夕陽。
酒。
App Storeの売上グラフ。
完璧だった。
私は一円も売れていないのに、腰に優しい椅子まで選んでいた。
そして四日目。
Appleからメールが来た。
私は胸を高鳴らせた。
来た。
ついに来た。
承認か。
世界か。
億か。
ハワイか。
私はメールを開いた。
すると、アプリはスパムになっていた。
正確には、Appleからそう言われた。
Guideline 4.3。
Spam。
スパム。
私は画面を見つめた。
スパム。
カルディで売っている、脂っこそうな肉の缶詰だろうか。
妙に高く、妙に重く、何に使うのかよくわからない缶詰。
できれば、そっちであってほしかった。
そっちであったら完全に意味不明である。
何度見ても、スパムだった。
昨日まで私は開発者だった。
アプリ提出者だった。
未来の個人開発王だった。
だが、朝起きたらスパム、加工肉だった。
変化が急である。王が屠殺場で加工されたようなものだ。
人間の尊厳には、もう少し段階があってほしい。
私はメールを読んだ。
似たようなアプリがある。
十分な独自性がない。
そのような意味のことが書いてあった。
正論である。
正論の気配がする。
自分でも1話で言ってた気がする。
だが、痛い。
かなり痛い。
私は第一話の自分を思い出した。
「似たアプリがあるということは、市場があるということだ」
言った。
たしかに言った。
かなり堂々と言った。
既存アプリがある。
つまりニーズがある。
ニーズがあるなら勝てる。
そう思っていた。
違った。
既存アプリがある。
つまり、似ている。
似ている。
つまり、スパム。
市場だと思っていたものは、地雷原だった。
私は、需要のある場所へ向かったつもりだった。
しかしAppleから見ると、そこはすでに同じようなアプリが並ぶ棚だった。
その棚に、私はもう一個、似た箱を置こうとしていた。
「服装を提案します」
「天気でおすすめします」
「今日の持ち物がわかります」
なるほど。
言われてみれば、見たことがある。
いや、見たことがあるから作ったのだ。
見たことがあるから、いけると思ったのだ。
完全に矛盾している。
私は市場調査をしたつもりだった。
だが、実際には、類似性の証拠を集めていただけだった。
「このアプリと似ています」
「このアプリも似ています」
「これもあります」
私はAppleに提出する前から、スパムの材料を自分で確認していたのである。
用意周到な自爆だった。
私はAI Agentを開いた。
こういう時は相談である。
月額の部下である。
私は聞いた。
「Guideline 4.3 Spamでリジェクトされました。どうすればいいですか?」
送信。
AI Agentは即座に答えた。
「独自性を高めましょう」
出た。
正論である。
強すぎる。
私は、もっと優しい言葉がほしかった。
「Appleが厳しすぎますね」
「これは不運ですね」
「あなたは悪くありません」
そういう言葉がほしかった。
できれば、膝掛けと温かいお茶もほしかった。
だが、AI Agentは現実を言う。
独自性を高めましょう。
つまり、今のアプリには独自性が足りない。
つまり、Appleの言っていることはだいたい合っている。
やめろ。
そこまで正しくなるな。
人間はもっとファジーなんだ。
サザエボンを許容する世界であれ。
私は、アプリの画面を見た。
天気。
服装。
持ち物。
シンプルである。
シンプルすぎる。
シンプルは美徳だと思っていた。
だが、審査では、シンプルすぎると似る。
似るとスパムになる。
美徳が罪になる世界。
それがApp Storeだった。
私は考えた。
独自性とは何か。
難しい言葉である。
会社ではよく聞く。
「弊社ならではの価値」
「競合優位性」
「差別化ポイント」
会議で出ると、だいたい誰かが資料を一枚増やす言葉である。
私は個人開発をしている。
会議はない。
資料もない。
上司もいない。
だが、独自性は求められる。
一人なのに。
一人なのに、競合戦略を考えなければならない。
私はアプリを出したいだけなのに。
私はマーケティング部になっていた。
第4話ではWeb担当者になった。
今度はマーケティング部である。
個人開発。
それは、一人で全部の部署になる仕事だった。
開発部。
デザイン部。
法務部。
Web制作部。
マーケティング部。
カスタマーサポート部。
そして、炎上対策本部。
私は一人である。
チームを選択してくださいと言われた時も、一人だった。
サポートURLを作った時も、一人だった。
そして今、スパム対策会議も一人である。
私は会議を開いた。
出席者、私。
議題、スパム。
重い。
朝から重い。
私はホワイトボードもないのに、頭の中で書き始めた。
何が違うのか。
誰のためのアプリなのか。
なぜ、このアプリでなければならないのか。
何を削るのか。
何を足すのか。
私は、ようやくまともなことを考え始めていた。
遅い。
提出してから考えることではない。
本来は、作る前に考えることである。
私はアプリ紹介文を読み返した。
「天気に合わせて服装を提案します」
弱い。
あまりにも普通である。
普通すぎて、逆に清らかである。
まるで、面接で「長所は真面目です」と言う人みたいだ。
悪くはない。
悪くはないが、採用される理由にはならない。
私はスクリーンショットを見た。
晴れ。
気温。
おすすめの服。
きれいにまとまっている。
だが、見たことがある。
私が見ても、見たことがある。
Appleが見ても、見たことがあるに決まっている。
私は、自分のアプリを初めて客観視した。
それは、天気アプリだった。
いや、天気アプリ風の服装アプリだった。
もっと言うと、よくあるやつだった。
胸が痛い。
自分で「よくあるやつ」と認めるのは、かなり痛い。
だが、認めなければ進まない。
私はAI Agentに聞いた。
「独自性を出すには?」
AI Agentは答えた。
ターゲットを絞る。
ユースケースを明確にする。
他アプリにない体験を作る。
説明文で差別化する。
審査メモで補足する。
また正論である。
私はメモを開いた。
タイトルを書いた。
「Spamリジェクト対応方針」
急に仕事である。
完全に仕事である。
私は個人開発で自由を得たはずだった。
だが、結局、要件定義書を書こうとしている。
会社から逃げた先で、会社員人格が追いついてきた。
怖い。
かなり怖い。
だが、頼もしい。
私は書き始めた。
ターゲット。
朝、服装に迷う人。
子どもの服装に迷う親。
天気予報を見るが、結局何を着ればいいかわからない人。
ジョニー。
ジョニーは重要である。
彼は半袖半ズボンで冬へ向かう可能性がある。
救わなければならない。
次に、独自性。
ただ天気を表示しない。
服装判断に絞る。
持ち物も出す。
寒暖差に注意する。
朝の判断時間を減らす。
一画面で終わらせる。
私は少しずつ立ち直ってきた。
そうだ。
ちゃんと整理すればいい。
何が違うのか。
誰に届けるのか。
どう見せるのか。
もう一度、作り直せばいい。
説明文を直す。
スクリーンショットを直す。
審査メモも書く。
Appleにちゃんと伝える。
私は顔を上げた。
まだ終わりではない。
スパムと言われた。
だが、スパムではないと証明すればいい。
私は再びApp Store Connectを開いた。
修正する。
再提出する。
ここからが本当の個人開発である。
私はそう思った。
思ってしまった。
数日後。
Appleからメールが来た。
私は胸を高鳴らせた。
今度こそ来たか。
承認か。
世界か。
億か。
私はメールを開いた。
そこには、こう書かれていた。
Guideline 4.3 - Spam
スパム。
またスパム。
私は画面を見つめた。
スパム。
何度見ても、スパムだった。
私は静かに椅子にもたれた。
どうやら、独自性を高めたつもりだったのは、私だけだったらしい。
天気。
服装。
持ち物。
ターゲット。
ジョニー。
全部まとめて、まだスパム。
私はApp Store Connectを閉じた。
要件定義書も閉じた。
AI Agentも閉じた。
今日はもう、何もしたくなかった。
個人開発は自由だ。
上司はいない。
会議もない。
誰にも怒られない。
ただし、Appleから二回スパムと言われる。
私はアプリを出したいだけだった。
だが、ある朝、アプリはスパムになっていた。
そして、直して出したら、またスパムになっていた。




