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2/21

第2話 月3000円の開発チーム、そして誰もいなくなった

昨日、私は天才だった。


天気で服装を提案するアプリを思いつき、海外展開まで見えた。

世のアプリ開発者は、たぶん震えて眠ったはずである。


私は興奮して眠れなかった。


そして翌朝。


私はさっそくAI AgentをWindowsに入れた。


インストール。

ログイン。

VS Code連携。


なんだか急に開発者っぽい。


画面の端にAI Agentがいる。

ただのチャットではない。

ファイルを読んで、コードを書いて、私の代わりに何かを進めてくれるらしい。


つまり、私のPCの中に開発チームが入ったのである。


ここからが本番である。


昨日までの私は、ただのアイデアマンだった。

しかし今日からは違う。


私は実行する男である。


思いつくだけなら誰でもできる。

居酒屋で「こういうアプリあったら売れるんじゃね?」と言う人間は山ほどいる。

だが、実際に作る人間は少ない。


私は作る。


なぜなら、私にはAI Agentがある。


私はプラン画面を見つめた。


月3000円。


高い。


普通に高い。


月3000円といえば、飲み会に行ける。

安めの居酒屋なら、かなり戦える。

ランチなら数日分である。

コンビニで何も考えずにカゴへ入れる権利が、何回か失われる。


私は会社員である。


毎月、給与明細を見ている。

総支給額を見て一瞬だけ夢を見て、控除欄を見て現実に戻されるタイプの会社員である。


手元に残る金額は、毎月だいたい「生きてはいけるが、調子に乗ると怒られる」くらいである。


その私にとって、月3000円は軽くない。


だが、考えてみてほしい。


これは浪費ではない。


投資である。


自己投資である。


未来への投資である。


いや、投資だけではない。


商売である。元手なのだ。


来月には何倍にもなっている。

なっているかもしれない。

なっているだろう。

なってくれ。


切実に。


同じ3000円でも、「課金」と呼ぶと少し罪悪感がある。

だが「自己投資」と呼ぶと、急に背筋が伸びる。


私は背筋を伸ばした。


月3000円の開発チーム。


かなり高級な部隊である。


頼むぞ。


元を取らせてくれ。


私はプランを確認し、登録した。


その瞬間、私はただの会社員ではなくなった。


月3000円の開発チームを抱える男である。


社長である。


とうとう、社長の一人になったのだ。


私はAI Agentに最初の指示を出すことにした。


だが、何を書けばいいのか。


少し迷った。


業務なら、要件定義書がある。

課題管理表がある。

仕様書がある。

画面一覧がある。

謎のExcelがある。


しかし個人開発には、それがない。


自由である。


自由すぎて、少し困る。


私はしばらく考え、入力した。


「天気で服装を教えてくれるアプリを作りたいです」


送信。


なんとなく、ですます調になっている。


AI Agentにも、こちらの真摯な気持ちが伝わっただろう。


我ながら、かなりシンプルな指示である。


だが、AI Agentにはこれくらいで伝わるはずだ。


相手はAIである。


いい感じにしてくれるだろう。


すぐに返事が来た。


アプリの目的。

ターゲットユーザー。

主な機能。

画面構成。

必要な情報。

今後の拡張案。


出る。


めちゃくちゃ出る。


私は驚いた。


こちらは一行しか書いていない。


「天気で服装を教えてくれるアプリを作りたいです」


これだけである。


それなのに、AI Agentは勝手に膨らませてくれる。


私は思った。


これはもう、部下ではない。


優秀な部下である。


いや、優秀な部下は時々こちらの理解を超えた質問をしてくる。


「そもそもこの機能、ユーザーに必要ですか?」


などと言ってくる。


AI Agentは言ってこない。


最高である。


私は続けて入力した。


「iPhoneアプリっぽくしてください」


送信。


かなり初心者っぽい指示である。


だが、私の頭の中には明確なイメージがあった。


iPhoneアプリっぽいやつ。


白くて。

丸くて。

余白があって。

なんかスッとしているやつ。

ダークモードとかにできるやつ。


Appleっぽいやつ。


ただ、それを言語化するのは難しい。


だから私は、AI Agentに任せることにした。


AI Agentは返してきた。


「シンプルで見やすいUIにしましょう」


そう。


それである。


私はうなずいた。


わかっている。


こいつは、わかっている。


私はさらに指示した。


「女性にも使いやすい感じにしてください」


送信。


これもかなり雑である。


女性にも使いやすい感じ。


具体的に何なのかはわからない。


色か。

丸みか。

言葉遣いか。

やさしさか。

北欧か。

ブルベとか、パステルカラーとか、なんかそういうやつか。


だが、私にはわかっていた。


世の中には、女性にも使いやすい感じというものがある。


AI Agentなら、そこをいい感じにしてくれるはずである。


返事が来た。


「柔らかい配色、やさしい文言、朝に見やすいシンプルな画面がよいでしょう」


完璧である。


私は完全に気持ちよくなった。


私の雑な指示が、ちゃんとした言葉になって戻ってくる。


これはすごい。


会社なら、雑な指示を出すと怒られる。


「もう少し具体化できますか」


「誰向けですか」


「何をもって使いやすいとしますか」


「女性にも、という表現は少し広すぎませんか」


うるさい。


そんなことはわかっている。

わかっているが、まだ言葉になっていないのだ。


AI Agentは違う。


怒らない。


詰めない。


会議を設定しない。


「承知しました」と言って、前に進めてくれる。


私は次の指示を出した。


「画面を考えてください」


AI Agentは画面構成を出した。


ホーム画面。

天気表示。

服装提案。

持ち物提案。

設定画面。


かなりそれっぽい。


私は言った。


「もっとかわいくしてください」


AI Agentは言った。


「カード型UIにすると親しみやすくなります」


カード型UI。


聞いたことがある。


アプリっぽい。


私は言った。


「カード型でお願いします」


送信。


AI Agentはカード型UIの説明を出した。


私はだんだん社長の顔になってきた。


指示を出す。

案が返る。

採用する。

次に進む。


これが経営である。


私は次々に入力した。


「天気のアイコンも出したいです」


「服装のアイコンも出したいです」


「傘とか上着とかも表示したいです」


ここまでは、まだ普通だった。


少なくとも私はそう思っていた。


しかし、画面が少しずつ形になってくると、人間は欲が出る。


「朝に見ても疲れない感じにしてください」


「文字は少なめがいいです」


「でも説明不足も困ります」


「初心者にもわかりやすくしてください」


「おしゃれにしてください」


「でも意識高すぎない感じでお願いします」


だんだん、注文が増えてきた。


だが、これは仕方ない。


私はプロダクトオーナーである。


プロダクトオーナーは、プロダクトに責任を持つ存在である。


つまり、思いついたことを言う責任がある。


私はさらに入力した。


「シンプルにしてください」


「でも寂しくはしないでください」


「高級感も少し欲しいです」


「でも高そうには見せないでください」


我ながら、かなり面倒くさい。


業務でこんな依頼者がいたら、私は静かにチケットを閉じたくなる。


だが、ここは私のプロジェクトである。


私は依頼者であり、発注者であり、最終決裁者であり、社長である。


そしてAI Agentは怒らない。


「よい方向性です」


「以下のような構成が考えられます」


「まずはMVPとして絞るのがよいでしょう」


MVP。


出た。


Minimum Viable Product。


最小限の何かである。


最初から全部作らないという、賢そうな考え方である。会議で言うと少し仕事ができそうに見えるアレである。


私はMVPという略語を、もう三回くらい人前で使える気がしていた。


私は言った。


「MVPで作りたいです」


返事が来る。


「まずは、地域を入力し、天気に応じて服装と持ち物を表示するだけに絞るとよいでしょう」


私はうなずいた。


なるほど。


絞る。


非常にプロダクト開発っぽい。


私は今、削っている。


実際には欲しいものを全部言ったあとでAIに削ってもらっているだけだが、気分としてはかなり削っていた。


やはり、最初はシンプルがいい。


機能を足すのは簡単だ。


本当に難しいのは、削ることだ。


第一話でも似たようなことを思った気がする。


私は確信した。


プロダクトの本質をわかっている。


ここで私は、さらに入力した。


「これって何で作ればいいですか?」


送信。


個人アプリ開発初心者らしい、非常に正直な質問である。


私はSIerのエンジニアだ。

だが、個人でスマホアプリを出したことはない。


業務システムなら多少わかる。

Web画面なら見たことも作ったこともある。

だが、スマホアプリとなると急に景色が変わる。


何で作るのか。

どこで動くのか。

どうやって作るのか。

スマホにどう入るのか。


よく考えたら、何も知らない。


だが、知らないことは問題ではない。


AI Agentに聞けばいいからである。


返事が来た。


「iPhoneアプリとして始めるならSwiftも選択肢ですが、将来的にAndroid対応も考えるならFlutterが向いています。Flutterなら1つのコードベースでiOS/Androidの両方に展開しやすいです」


Flutter。


聞いたことはある。


たぶんGoogleの何かである。


鳥ではない。


そこまではわかる。


iPhoneもAndroidもいける。


つまり、世界である。


私はうなずいた。


「Flutterでお願いします」


送信。


ここから、いよいよコードである。


AI Agentが動き始めた。


プロジェクト構成。

main.dart。

画面クラス。

データモデル。

服装提案ロジック。

サンプル天気データ。


出る。


コードが出る。


ファイル名が出る。

フォルダ名が出る。

なにやらターミナルで実行するコマンドも出る。


AI Agentは、私の知らない場所で、私の知らない何かを組み立て始めていた。


全然わからない。そもそも.dartって拡張子が何か聞いたこともない。


だが、AI Agentが進んでいるので、たぶん進んでいるのだろう。


私は画面を見つめた。


すごい。


本当にコードが出ている。


会社なら、ここに来るまで何週間もかかる。


要件定義。

基本設計。

詳細設計。

レビュー。

承認。

見積もり。

スケジュール調整。

担当者アサイン。


だがAI Agentは違う。


もうコードを書いている。


私は完全に勝利を確信した。


「やっぱり、いける」


私は続けて言った。


「このプロジェクトを作ってください」


「必要なファイルは作成してください」


「まず動くところまでお願いします」


「初心者なので、実行手順も教えてください」


「エラーが出たら直せるように、構成はシンプルにしてください」


かなり初心者である。


だが、初心者であることは恥ではない。


恥なのは、聞かないことである。


私は今、聞ける男だった。


AI Agentは答えてくれる。


ファイル名。

作業内容。

実行コマンド。

注意点。


私は思った。


親切。


あまりにも親切。


会社の開発環境構築手順書より親切である。


会社の手順書は、だいたいどこかが古い。


「このボタンを押す」と書いてあるが、そのボタンがもうない。

「appの最新版を入れる」と書いてあるが、「app_最新版_最終_修正版_2.exe」がある。

「必要に応じて設定する」と書いてあるが、その必要性を判断する情報がない。


AI Agentは違う。


今、目の前で教えてくれる。


私は時計を見た。


まだ午前中だった。


午前中。


恐ろしい。


午前中だけで、企画、要件、画面、コード、アプリ名、ストア文言の入口まで来ている。


会社なら、午前中はだいたい朝会とメール確認で終わる。

昼前にようやく「今日何やるんだっけ」となる。


しかし個人開発は違う。


朝から世界が進む。


私は月3000円の力を見た。


高いと思った。

飲み会に行けると思った。


だが、これは投資である。


飲み会で得られるものは、せいぜい唐揚げと翌日の胃もたれである。


しかしAI Agentなら、アプリができる。


これは勝った。


完全に勝った。


少しだけ、午前中に働かせすぎた気もする。


要件を出させた。

画面を考えさせた。

文言を整えさせた。

UIをかわいくさせた。

Flutterを提案させた。

プロジェクト構成を出させた。

コードも出させた。

実行手順も出させた。


普通の人間なら、そろそろ「一旦整理しましょう」と言ってくる量である。


だが、相手はAI Agentだ。


無限である。


少なくとも、私の中では無限である。


私はさらに指示を出した。


「では、ここまでを踏まえて、実際に動く完成版のFlutterアプリを作ってください」


送信。


私は椅子にもたれた。


来る。


いよいよ来る。


完成版である。


これでアプリが動く。


動いたら、もうアプリ開発者である。


いや、起業家である。


いや、創業者である。


動いたら、次は見た目を整える。

名前を決める。

アイコンを作る。

ストアに出す。

海外対応する。

ジョニーが使う。


私はもう、かなり先まで見えていた。


返事が来た。


私は画面を見た。


そこには、今までと少し違う文章が表示されていた。


利用上限に達しました。


私は固まった。


利用上限。


何だそれは。


私はもう一度見た。


利用上限に達しました。


見間違いではなかった。


AI Agentは休まない。

AI Agentは疲れない。

AI Agentは拗ねない。

AI AgentはSlackで「ちょっと相談いいですか?」と言ってこない。

AI Agentは「これやる意味あるのですか?」とも言ってこない。


だが、リミットは来る。


私は初めて知った。


AIにも定時がある。


いや、定時ではない。


これは課金プランである。


資本主義である。


私は月3000円で開発チームを雇ったつもりでいた。


飲み会一回分を捧げた、私の精鋭部隊である。


その精鋭部隊は、午前中で全滅した。


月3000円の開発チーム。


そして誰もいなくなった。

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