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第15話 シュレディンガーの売上

アプリの王様になった私は、その後も細々と売れ続けた。


一日、一本。


売れない日もある。だが、たまに、二本。


ちりも積もれば。


App Store Connectの「収益」の欄に、数字が貯まっていった。


1000円。2000円。3000円。5000円。


見える。


私のお金が、見える。画面の中に。着実に増えていく。


私はにやけた。


ついに、である。ついに、お金が入る。


私は待った。入金を待った。


だが。いつまで経っても、銀行口座の残高は変わらなかった。


App Store Connectには、5000円。銀行には、0円。


おかしい。


お金はある。画面の中にある。なのに、私の口座には来ない。


私は調べた。そして、知った。


App Store Connectでお金を受け取るには。


——手続きがいる。


契約。税務。銀行。


三つの関門があった。


私は、アプリを作りたかっただけである。なのに、いつのまにか、契約書を読み、税務フォームを書き、銀行情報を入力している。


経理である。


私は、経理部にもなった。


開発部。デザイン部。マーケティング部。カスタマーサポート部。そして、経理部。


私は、一人である。


私は銀行の画面を開いた。


知らない項目が並んでいた。


SWIFTコード。


——なんだ、それは。


名前が強い。秘密結社みたいである。


支店の英語表記。口座名義の英語表記。


私の名前を、英語で書け、という。


姓が先か。名が先か。それすら、自信がなかった。


パスポートと同じ、はずである。


そういえば、私はパスポートを持っていない。


海外展開をあれだけ夢見ていたのに、私は一度も、日本を出ていなかった。


銀行の名前も、英語で書け、という。


私は固まった。


私の銀行の英語名。——知らない。


日本語の名前しか知らない。


◯◯銀行。それを、英語でなんと言うのか。coか、Bankをつければいいのか。


私は検索した。


出てきた正式名称は、思っていたのと違った。無駄に長かった。そして、なぜか最後にLtd. がついていた。


次は、支店の住所。これも、英語。


日本の住所を、英語にする。


3丁目2番1号。——3-2-1か。1-2-3か。逆から書くのか。都道府県は最初か。最後か。


私は、自分の住む街を、英語で書けなかった。


毎日、帰っている家が、英語にすると、知らない場所になった。


私は、自分の口座のことを、こんなにも知らなかった。


毎月、給料が振り込まれていた、あの口座を、私は、英語で説明できなかった。


私は入力した。おそるおそる、保存を押した。


エラー。


赤い文字。


「入力された情報を、確認できませんでした」


何が違うのか。教えてくれない。


私はもう一度、入力した。


エラー。


SWIFTコードを変えた。エラー。


名義の順番を変えた。エラー。


私はAI Agentに聞いた。


「銀行登録が、エラーになります」


AI Agentは言った。


「ご利用の銀行に、お問い合わせください」


正論である。だが、冷たい。


こいつにも、私の銀行のことは、どうにもできなかった。


月15000円の部下にも、限界があった。


そして、私は、一番恐ろしい事実を知ることになる。


入金には、サイクルがある。月に一度。そのタイミングで登録ができていないと。


——次まで、持ち越し。


つまり、一ヶ月。


エラーではじかれ続けると、一ヶ月。二ヶ月。三ヶ月。


その間、ずっと、お金はApp Store Connectの中に、貯まったまま。そして、増えていく。


8000円。10000円。


見える。増えていく。だが、触れない。


私はようやく、わかった。


お金はあった。最初からあった。私の目の前にあった。画面の中で光っていた。


だが。銀行にはなかった。


App Store Connectにはある。銀行にはない。


私の売上は、あるとも、ないとも言えなかった。


箱の中の、猫のようである。


蓋を開けるまで。——つまり、振り込まれるまで。それは、あるのか。ないのか。決まらない。


シュレディンガーの、売上である。


私は毎日、App Store Connectを開いた。増えていく数字を見た。


10000円。12000円。


私の、生涯初の売上。私のお金。ただし、見るだけ。


私の売上は、箱の中にいた。


生きているのか。死んでいるのか。振り込まれる、その日まで、誰にもわからなかった。


私にも、わからなかった。

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