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どこかの世界線  作者: マメ


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4/9

4線~冷徹な直情〜

真樹夫の名を呼ばなくなった瑠美がいた。

真樹夫をマッキーと呼ぶ瑠美がいた。


異なる世界に同じ瑠美が……


「ああ、またか・・・・・・」


悪夢を見たようにうなだれながら目覚める真樹夫がいた。


月夜に紺とクリーム色に透けるカーテンを見ながら、少しの衣擦れがベッドの温もりを逃すのだった。


隣で寝息を立てる瑠美に気づかれぬようそっとドアを閉める真樹夫を、背中で見ていた瑠美は、


「はあ、、、」


と心底うんざりするようにレース越しに月を見るのだった。



階段の照明を点けるのさえ躊躇い、ひっそりと1階に降りていった。


冷蔵庫の薄いオレンジの灯りがキッチンに広がり、そこに凍えそうな水の冷たさに手を引くのだった。


そして棚から底の厚いグラスを取り出し、ソファーに腰を下ろした。


琥珀の液体の流動が不規則に月明かりに透けた。


グラスから唇に触れる琥珀色を舌で舐め苦みを確かめるようにした後、一息にそれを飲み干した。


喉をそして食道を流れ落ちる熱さに心地良さを感じ再びグラスに注ぐのだった。


そして、夜明けを待たずして琥珀の中へと揺れ漂い眠りに落ちていった。



瑠美の朝は早い。


まだ薄暗いうちから朝食の準備と身支度を整えるのだった。


ソファーに眠る真樹夫の肩を揺すった。


すでに名前さえ呼ぶことを拒絶するような瑠美の目は壁の時計しか見ていなかった。


「今日の帰りは?」


強引に肩を掴まれ目覚める真樹夫。


「あ!?今日はいいよ。食べてくるから」


「そう、じゃあ私も食事の誘いの返事を待たせているから……」


「ああ、心配しなくていいよ」


(心配?)


そんな真樹夫の言葉も瑠美には苛立ちの元でしかなかった。


玄関に急ぐ瑠美は靴箱からローファーを取り出し、ドアに付いたベルを鳴らして出て行くのだった。


(仕事の割にはデカいバッグだったな)




瑠美は専業主婦として家に籠ることを拒否した。


いつまでも女として輝きたい、そんな思いから、これまでの仕事を続けることを選んだのだった。


電車のシートに座り食事の返事を送信すると瑠美はバッグへとスマホを入れた。


到着駅に近づきドアに立つ瑠美は、ガラスに映る胸元を確かめるように見つめた。


そして電車を降り、人混みの隙間を縫って改札へと消えていった。



その頃、ようやく起き上がり朝食を摂る真樹夫。


瑠美の食事は味も栄養価も申し分ないものだった。


ただ新婚当初とは何とも言い難い差が、どことなく違和感として胸に痞えるのだった。




「おはようございます。課長」


「おはよう、今日も決まってるね紗代子君」


「あはっ、ありがとうございます」


駅を降りたところで部下の紗代子に声をかけられた真樹夫だった。


「おはようございます」


「おはよう北山。今日は早いなぁ?」


「ホント公彦が早いなんて何か起きなきゃいいけどね〜」


「煩いなぁ紗代子は?課長と仲良く出社しやがって」


「ごめんごめん、紗代子君とは駅でばったり会って……悪かったな北山」


「いえ、課長はなんにも悪くないっす!紗代子の問題ですから」


「何よぉ〜公彦ぉ、私とやり合おうっての?」


「またかよお前は?」


少し呆れ気味な公彦に、拳を握って見せる紗代子は笑いを堪えるのだった。


「全くお前たちは朝っぱらから仲がいいな?」


「そんな課長はなんかあまり……」


真樹夫に漂う寂寥を感じ取る紗代子。


「そう見えるか?なら今日は早退でもさせてもらおうかな?」


「え!?ダメですよ課長。午後から会議ですよ。部長も出るのに……」


「公彦はホント部長が怖いのね?」


「人のこと言えないだろ?あの人の前でプレゼンなんて考えられないよ」


「なんだ北山、また俺に押し付ける気か?」


「ホントすんません課長。今日ばかりは!」


そう言って手を合わせて頭まで下げる北山だった。



眠くなる昼下がり、そんなモノを吹き飛ばすように会議は始まった。


「えー、今日は本社から統括本部長がお見えになられ、会議に出席していただける事となったのでより一層心を引き締めるようにな」


と、部長の言葉に眠気どころではなくなった公彦と紗代子だった。


「このように連携して進めて行く所存であります」


と、プレゼンを終える真樹夫の堂々たる姿勢に見惚れる公彦。


そして真樹夫の言葉に満足の笑みを浮かべる部長。


そこに目を細める本部長が黙って手を挙げるのだった。


「永山商事との折衝は?」


その声色に固まる一同の中、笑みさえ浮かべる真樹夫が、


「はい、その役目に関しては自分が先頭にと考えております」


と柔らかな声質で答えるのだった。


「そうか、そうだな?山崎、お前以外に任すわけにはいかないからな」


一瞬にして本部長から険を消し去る真樹夫に改めて尊敬の眼差しを向ける紗代子たちだった。


「それでは本日の会議はこれまでとする」


笑溢れる部長の言葉に席を立つ一同。



「真樹夫、今日はどうだ空いているか?」


「はい、本部長からのお誘いに勝る用事などありませんよ?私には」


「ははは、相変わらず調子のいいヤツめ」


満更でもないと笑う本部長だった。



「しかし凄いよな課長って、あの本部長とあんなに仲良くしてるなんてな?」


「ホントよね。本部長が課長の頃からの部下とはいえ社内に中々いないでしょうね?」


「ああ、俺もいつかああなりたいなぁ?」


「公彦がぁ?無理無理!絶対」


大袈裟に手を振って見せる紗代子。


「あ!?お前の旦那さんになる男に向かってこのぉ?」


「ええ、そしたら私じゃなくてアンタが寿退社したら?私が養ってあげるから」


「ムカつくけど言い返せない俺がここに居て……」


「べー、そんなだから公彦なんだよ!」


「うっせー」


日常化したやりとりを済ませデスクに着く2人だった。



「さーてお疲れさん、俺はこれから飯行くからお前らもキリのいいとこでな?」


「はい課長。私は資料まとめが有りますので、でも家でやれば……」


「ダメだ。仕事を家に持ち帰るな!残業するならここでやれ。タダ働きは厳禁だ、いいな!」


「分かりました」


「今日は早く帰って、明日合間を見ながらまとめればいいよ」


「分かりました、ありがとうございます」


「じゃあ俺も今日はっと」


「お前はダメだ」


泣きそうな顔をする公彦。


「何でですか?」


「お前は合間とか作れる器用さがないだろ?」


紗代子と顔を見合わせて笑い合う真樹夫だった。


そして、本部長たちと夜の街へと繰り出すのだった。



(はあ、すっかり遅くなってしまったな)


「ま、本部長とも久々だし相変わらずな人だったな」


そういい、自宅の門にたどり着いたのだが、


(もう寝てるのか?0時だしな)


鍵を開け中へ入り、



(はあ、風呂は朝でいいや……眠いしな)


そう思い2階の寝室へと向かうのだった。



いない——


(リビングにもいなかったしなぁ?連絡も……)


スマホを見るが形跡はない。


(何かあったのか?)


そう思うと途端に落ち着きをなくす真樹夫は電話をかけるのだった。



出ない——


出る訳がなかった。



他に摂れる手段を持たぬ真樹夫は、メッセージを送信するのだった。


そしてベッドに横になり、既読のつかないままのメッセージを見つめ——




           ◆◆◆



ブッブッブッ、


「あっ!?」

 

スマホをバイブにしておいたが、その揺れと音の大きさに、


「何だ電話か?奥さんからか?」


「は、すみません。アイツも仕事だったので連絡しそびれまして」


「電話してこい」


「いえ本部長、後で大丈夫ですから」


言いつつスマホをしまう真樹夫。


「本部長も仰ってるんだ、行ってこい。お前の原動力は奥さん何だからな」


「はは、ありがとうございます。部長」


軽く会釈しながら店の外へと駆け出す真樹夫だった。


「しかしもうこんな時間だな?そろそろ引き上げるかな」


「え!?本部長、私はもう一件行こうと思ったのですがね?」


わざと悪どい顔を作って見せる部長に、


「まったく、お前も真樹夫もあの頃のままだな?今度ゆっくり行こう」


「そうですね、お互い奥さんに了解を得て気兼ねなくですな」


そう言い笑い合う2人だった。


店に戻る真樹夫、会計を済ませる本部長。


「今日は帰ろう」


「すみません、俺のせいでこんな」


「お前のせいじゃないよ、みんな——」


「同じだ」


ははは、


そんな3人は別々の方向へと帰路に着くのだった。



(あれ、まだ電気が……もう1時だというのに)


ドアを開け中に入る真樹夫。


「遅いっ、もう——」


「ごめん、ついつい連絡するのを……ほらコレ買ってきたから」


瑠美の好きなコンビニスイーツを渡す真樹夫。


「もぉ、こんなんで……子供じゃないんだからね私は」


言いつつもテーブルにつきパッケージを開ける瑠美は、


「マッキーお茶。ニルギリね」


「はいよ。て、今食べるのか?ダイエットは」


「んもぉ、連絡ないしマッキーが浮気してないかとか考えてたら痩せた」


「そんなか?」


笑顔のままティーポットをテーブルに置いた。



ガラスのティーポットの水滴、それをぼーっと眺める真樹夫。


「ねえ、カロリー燃焼にさぁ今から」


「いや、もう寝る。飲み過ぎたし」


「あっそう、おじさんたちと飲みに行く元気はあっても私と……」


拗ね気味な瑠美の顔を、可愛らしく思いながら見つめる真樹夫。


「さあ、食べたら寝るぞ」


「待って急いだらもったいない」


小さなプラスチックのスプーンで少しずつ口に運ぶ瑠美だった。



寝支度を済ませる2人は連れ立って2階へと上がっていく。


「やっぱりダメ、今日はマッキーが浮気していたかも分からないから、確かめないといけないから」


「ええ!?してないよ。部長に電話してみるか?」


「今から?いいの?」


「いや、今はごめんなさい」


「はい決まりぃ!マッキー浮気チェックだから仕方ないの〜」


仕事と、飲み疲れの深夜……


愛妻とは言え項垂れる真樹夫だった。




           ◆◆◆



「う、あぁ〜」


レース越しにでも日差しはもう強かった。


針は10時を回っていた。


真樹夫はスマホを取ると、


『遅くなったので泊まりました。今日は休日出勤なのでお願いします』


とだけ返信が来ていた。


はあ〜、


寝疲ればかりとは思えない真樹夫のため息。


朝からインスタントラーメンで誤魔化す真樹夫はソファーで天井を見上げた。


ぼーっとした頭に緩やかに天井は捻れ、歪んだ空間へと意識は薄れていった。




           ◆◆◆



「ねえ、本当に離婚したいの?」


「ああ、もうこんな生活は」


テーブルに座りサインを促す真樹夫。


仕事への出がけにそれを突きつけられた瑠美は戸惑いつつもテーブルに座った。


「今日帰ってからじゃダメなの?今日は朝から重役会議なんだけど、その前にこんな話って」


「いや、もう限界なんだ。俺を自由にさせてくれ」


「自由にて?あなたが家事を選んだ。そして私は仕事を続け、あなたを養って来た」


「だから、やっぱもうこんな生活は嫌なんだ」


「勝手ね、いいわ。あなたが今から1人で生きていけるの?アテは?」


ペンだけは手にしながら瑠美。


「それは分からん。だが決めたんだ」


「そう、じゃあお金はもう渡さないわよ。なんなら慰謝料も貰うわよ。路上生活でも何でもすればいいわね」


そう言いペンを走らせるのだった。


「はいコレで成立ね。今更破かないでね」


そう言いながらスマホを耳にあてる瑠美、


「ああ、山崎です。今日の重役会に少し遅れると伝えてちょうだい」


それを臆さない瑠美の地位。



そして、一通り真樹夫の荷物をまとめさせ、家の鍵を取り上げた。


「じゃあ、これで私たちは他人ね。今までありがとう」


「あ、あぁ……」


切り替えが早い女と、尾を引く男。



言い出したのは——



そんな言葉が真樹夫の後頭部に鳴り響いているのだった。



瑠美の本当の気持ちなど——



           ◆◆◆




リビングは黒一色に覆われていた。


曇り空のせいで星さえない闇にリモコンの薄い緑だけが、微かな希望のように埋もれていた。


ピッ、ふわぁと広がる灯りに目を擦る真樹夫。


よろける体は壁に手をつき歩いた。


玄関に靴はない。


2階は——


寝室にもどこにも瑠美の姿はなかった。



また厚底のグラスに琥珀を注ぎ灯りのトーンを絞った。


琥珀がただの茶色に変わった時、それを一気に飲み干すのだった。


そしていつしかボトルはただの空き瓶へと、真樹夫の心を象徴するかのごとく……



『ああ、公彦が課長みたいにかっこよかったらなぁ?』


脳裏によぎる紗代子の冗談めいた嘲り。


『お前こそが未来だ』


会社を背負って立つと推してくれた本部長の言葉。


何故か家にいるとどれもが重くのしかかるように、その背を丸めさせていった。


新しいボトルを手に庭へと出た。


そこには1人が入れる程の小さなプールがあった。


デッキチェアに腰を下ろし、キュッとコルクを抜いた。


微かな風に白い光を放つ水面に、応えるようにして淡い蜂蜜色がグラスへと飛び込んで行くのだった。


プールに浮かぶ幾重にも重なる柔らかな白い光をぼーっと眺めながら、ただただグラスを傾け続けるのだった。




玄関のベルが風ではない揺れに鳴った。


常夜灯のままのリビングから庭の真樹夫を見ることもなくテーブルに座る瑠美。


バリバリとビニールを開けお湯を注ぎ込む。


はぁ、


3分待つまでもなくため息は何度となく繰り返された。


テーブルに肘を突きながら月明かりに、輪郭となった真樹夫の背を眺めていた。


「そっか?」


と、立ち上がり大きな吐き出し窓を開け、真樹夫の隣に座る瑠美。


「……帰ったのか?」


瑠美の方へ向きを変えたのかも分からない真樹夫の顔。


「ごめんなさい、今日も遅くなって」


淑らしく見せる瑠美。


「ん?いいさ、いつも無理してもらってるからね」


「そ、ありがとう」


(今まで——)


やはり真樹夫の方を向けない瑠美。


「飲みすぎたかな?」


立ち上がる真樹夫に……足を掬う。




遠くでサイレン2つ、ハモるように夜の静寂を掻き消しながら近づいて来るのだった。


それを聴きながら、冷めたカップラーメンを啜る瑠美は、月だけを——


煌びやかな光だけを覗いていた。




そして……


サイレンは止み、インターホンが鳴った。




瑠美は立ち上がった。





             完






真樹夫を突き放す瑠美のいる世界線。


確かに存在したいくつかの世界。




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