19話〜残し残されるもの〜《残る懐かしさ》
柔らかい日差しが菫に朝を告げた。
朝から油臭い工場長の挨拶を受けることもない。
今日は清々しい朝を迎えられた。
「おはようございます」
菫は洗面を終え、食堂から台所に声をかけた。
「ああ、お姉様、もう少しゆっくりなさっていただいても……今しばらく、あさげの支度まで」
「お気遣いありがとう。ただ舞さんにばかり頼ってはと思いまして」
「いいえ、ここは私たちの住まいですので……今度、本家に寄らせていただいた時には」
暖簾越しに菫に受け答えする舞は、上半身をのけぞらせながら料理をした。
「そうしてもらいましょうか、あまり邪魔してはいけないので……」
そう言う割に立ち去ろうとしない菫に、
「ああ!?邦夫ならもう起こす時間ですね、どうしましょう」
と、菫に投げかけるような口ぶりの舞。
「そうですか、なら手隙の私がひとつ……」
そういうといそいそと邦夫の部屋へと歩き出すのだった。
「ほんと、分かりやすい人。いつもああなら……」
気難しい顔の時の菫に辟易している舞だった。
「さあ邦夫、顔を洗いましょうね」
菫は邦夫の手を取り洗面台に立たせるのだった。
「お姉様はあんなに子供好きなのに……」
なぜ独身を貫いたのか?
と問いかけようとして口籠る舞。
「ああ、姉さんはそういう人さ」
菫を憐れむとも敬うとも取れる目で答える颯太だった。
「さあ、綺麗さっぱりしましたね、お父様たちにご挨拶しましょうか」
「おはようございますっ」
笑顔で元気に挨拶をする邦夫に、
「おお、邦夫、おはよう」
と、屈みながら颯太はその頭を撫でた。
ちょうどそのタイミングであさげを運んでくる舞に、
「運ぶくらいなら私にでも」
菫は腰を浮かせるのだった。
「ですからお姉様、ゆっくりなさってください」
こんな時の菫には好意を持つ舞が笑顔を見せた。
「そうかい、ならそうさせて」
また椅子に腰を下ろすのだった。
腹を満たしたあと、木組みのおもちゃで邦夫と遊ぶ菫は時計を見た。
針は11時を過ぎていた。
「そろそろ邦夫のお腹も落ち着いてきただろうし、ついでに外でお昼でもいただいてこようかね」
菫は颯太も誘うようにそう言った。
「いいですね、ならみんなで行きますか?」
舞の顔色を窺う颯太に、
「私はお洗濯にお掃除がありますので」
そう言って、両手を体の前で合わせお辞儀をする舞。
「そ、そうだな?ではお土産を買ってくるから楽しみにしていてくれ」
たどたどしくそう答える颯太。
それを背中で見てやり過ごす菫だった。
「姉さん、バスでいいかい?」
「何だ、自動車を出してくれるんじゃないのかい?」
「いやあ、俺も休みくらい、たまには表で……」
事情を理解する菫が、
「そうかい、しかし帰ってから気づかれるんじゃないのかい?」
と、言ったところで、
「お前……まさか私をダシに」
邦夫と手を繋いだまま後ろを振り返る菫。
「ごめん、姉さん。頼れるのは」
と、颯太は手を合わせ菫を拝むようにするのだった。
「まぁ、舞さんじゃやむなしだね。いいよ今日は私のせいにしな」
言い終わる前に正面を向き、邦夫とバス停にスタスタと歩く菫だった。
ガタガタな舗装にバスの大きなタイヤが土の線を引いて止まった。
そして、通り町のバス停で降りる3人。
「ここも随分と変わったもんだね」
決してキョロキョロすることのない菫。
しかし、目だけは辺りを見回していた。
そこに落胆するでもなく、新しさに心弾ますわけでもない。
ただ、変わり映えを見つけている、それだけだった。
「姉さん、ここ……懐かしいですね」
颯太が1軒の洋食屋を指差した。
振り返り、
「そうだね、父を思い出すね」
そう言い立ち止まる菫の目に浮かぶ風景は……
ショーケースに飛びつく真樹夫の幼い姿だった。
「あ!?邦夫」
ショーケースに両手をつき額を押し付けるのは、今や邦夫だった。
「これ邦夫、ガラスが曇ってしまったよ。お料理が美味しく見えないじゃないか」
真樹夫を重ね、懐かしさに微笑む菫なのだった。




