第17話 『ホーリーフェスタと雷帝』
――朝。
最近の習慣で、明け方には目を覚ます。カーテンの隙間からこぼれる微量の朝日が顔に当たってくすぐったい。ベッドから上体を起こして、大きく伸びをする。
残念ながら、今日は兄上との朝練はお休みだ。なぜなら、今日は二年生の校内戦が行われる日だから。
早速、身支度を整えるために洗面所に向かう。
まず、左耳に三日月のイヤリングを付ける。照明に反射してきらりと光るそれを見ると、頬が緩んでしまう。
次に後ろ髪を櫛で梳かしながら、真ん中で左右に分けた前髪を見る。
青い髪の中に混じる黒い部分。分けた前髪それぞれに黒いメッシュを入れたように見える。あまり違和感はないと思うので、問題ないかな。
顔を洗い、最終チェックを行って完了。
パジャマから黒いローブにとんがり帽子をかぶって、制服の着用はばっちりかな。本当にこれで杖を持てば、魔法使いのように見えるのよね。
実際、事象系練気は魔法のようなものだから、間違ってはいないと思う。
さて、折角早く起きたのだし、兄上の所へ行こう。
静かに扉を開けて、部屋を出る。
兄上が住んでいる部屋は下の階なので、静かに廊下を歩いていく。
静まり返った廊下は、微かな物音でも響いてしまうから。起こしてしまわないようにゆっくりと歩く。
そして、兄上の部屋の前までやってくる。
とりあえず、扉をノックしてみた。すぐには反応は来なかった。
だから、もう一度やってみた。それから少し待っていると――
「葵か、どうしたこんなに朝早く」
「……起こしてしまいましたか? すみません」
声を小さくして謝る。大声で言うと、周りに迷惑がかかってしまう。
「いや、気にするな。最近は葵と朝練をやってるから、朝は早くなっているんだ。さ、入って」
兄上が微笑みながら、私を中に入れてくれた。
良く考えてみると、兄上の部屋に入ったのは初めてかもしれない。
朝練をやっていた時は、部屋の前で待っていたから。
「綺麗に整頓されていますね」
「まあ、そんなに必要なものもないしな」
部屋の中は物が散らかっているような事はなく、片付けられていた。
ローテーブルには、湯気が上がっているマグカップが置いてある。たぶん、紅茶だと思う。
兄上は無類の紅茶好きだ。と言っても、茶葉以外は認めない、という人ではなくティーバッグでも問題ない、という人ね。
「葵も飲むか? ティーバッグの紅茶だけどさ」
「お願いします」
「よし、じゃあちょっと待ってろ。あー、牛乳はどうする?」
「入れてください」
「了解、適当に座っておいてくれ」
兄上が小さなキッチンに入っていき、私は言われた通りローテーブルの近くに座った。
寮の設備は一通り暮らせるだけの物が揃っているので、不便さというのはない。
小型のキッチンが設置されている事から、食堂に行かず自炊する人もいると聞いている。でも、食堂に行く多くの学生も朝食は部屋で食べるという人は多いわね。
「はい、お待たせ」
「ありがとうございます」
ミルクティーを受け取って、早速一口。ぽわーっと温かさが体に沁み入ってくる感じがする。
それはミルクティーの温かさなのか、兄上が入れてくれたものだからか。
ずずーっとお互いが紅茶を飲む音だけが聞こえる空間。会話がない空間だというのに、本当に落ち着く。
私は好きな人の側にいられるだけで、幸せだからだろう。
近くに兄上がいて、こうしてゆったりとした時間が過ごせる。これ以上のものはない。
「何だか、落ち着くな……」
「そうですね……」
十分程、そのような時間が続いた後、兄上が口を開いたので相槌感覚で私も返した。
「葵はさ、やっぱり≪ホーリーフェスタ≫の出場を狙っていたりするのか?」
「一応はそのつもりです。自分の力を試したいと思うので」
一番の目的は兄上の恋人になり、この人を支える事。二番目の目標としては≪ホーリーフェスタ≫で良いと思っている。
兄上もきっと一つの目標として見据えているはずだから。
≪ホーリーフェスタ≫とは、白桜市で開催されるバトルエンターテイメント。それは白桜市にある七つの高校に所属する少年少女が、練気を用いて頂点を決める戦いだ。
その内容は毎年、ランダムで設定されており、その発表時期も決まってないのよね。
白桜市の七つの高校に入学する生徒たちのほとんどが、その出場を目指している。
ただ、枠には限りがあるので熾烈な争奪戦があったりするのよね。その枠の決め方は各校でバラバラだと思うわ。
≪ホーリーフェスタ≫に出場すれば、その注目度は高くなるから一躍有名人となれるのよね。
そうすれば、≪SOF≫への道も開けるというもの。挑む事自体は自由だけれど、あの場所は最高峰のリーグだから。
それだけではなく、色々と恩恵があると聞いている。
でも、私が思うに≪ホーリーフェスタ≫に出場する理由は、自分の力を存分に試したいから、というのが大きいと思う。
自分が持つ力を存分に振るう事が出来る場所、それが≪ホーリーフェスタ≫という舞台だから。
「だよな。ここに来たって事は≪ホーリーフェスタ≫に出場するために来たんだよな。俺も頑張らないとな、今日が正念場だと思う」
「兄上ならきっと事象系練気に目覚める事ができます!」
「だといいけどな。っと悲観的な考えを持っていたらダメだな」
「はい! 私も応援しますから!」
「ありがとな、葵」
「兄上……」
兄上の手が私の頭に乗る。そして、優しく撫でてくれた。
だから、私は少し甘い声が出てしまった。さらさらと私の髪を撫でる音だけが部屋に聞こえて、恥ずかしくなってしまう。
そう思っていると、兄上が手を離してしまった。私は引っ込められるその手を名残惜しそうに見る。
「そろそろ準備しないとさ」
「そ、そうですね。兄上、朝食は私が作ります!」
「悪いな、頼むよ」
***
「全く、葵だけずるいよー」
「ごめん、桃花。でも、兄上は今日試合があるから何かできないかなと思って」
「まあ、そういう事なら許すよ。私もお兄様のために早起きしたつもりだったんだけどなー」
雲一つない真っ青な空の下で、私たち六人は目的地に向かって歩いている。
あの後、朝食を作っている所へ薫流がやってきた。私を見て驚いてはいたけれど、それ以上は追及しなかった。
私が兄上への想いを暴露したせいもあると思う。ただ、兄上には報告していないみたいで良かったと思う。
兄上が変に私を意識したような行動を取っていないのが何よりの証拠ね。
そして、二人で兄上の準備等を手伝っていると、朱莉、望海、桃花の三人がやってきたという訳。
三人から色々と言われたけれど、そこは今のように笑って流す。
それから六人で談笑して歩く事、十数分。敷地が広いので目的地に着くまでも大変よね――時間がかかるという意味で。
そこにあったのは、円形の闘技場――コロッセオ、という感じかしらね。大きなアーチ状の入口が各方面にあるわ。
すでに多くの先輩の姿が見える。ここにいるほとんどは、校内戦に出場する生徒。つまり、二年生の先輩方だ。
私たちがやってきた事で、先輩方が騒めき始める。
そして、多くの視線が私たちに注がれる。しかし、その矛先は主に兄上。
「お兄さんは色々な意味で有名っすからねー」
「皆、噂していますよ? お兄ちゃんが私たちの事を侍らせているって」
「はあ……朱莉、俺がいつお前たちを侍らせた」
兄上が大きくため息を吐く。噂と言えば、この噂もあったわね。
内容は朱莉が今言ったようなもの。一年生の間、というより上級生の中で広まっているものね。
「兄上、仕方ないと思います。それに私たちは兄上の事をしっかりと分かっていますから」
「そうだな。まあ、お前たち自身が嫌に思っていないならそれでいいさ」
その時、さらなる騒めきが私の耳を襲った。これは私たちに向けられたものではないと思う。
先輩方の視線は私たちではなく、校舎の方に向けられた。
その先には、向日葵色の髪をポニーテールしている少女と黒髪のストレートヘア、メガネをかけている少年がこちらに向かって歩いている。
威風堂々とした歩みは王者の風格を感じさせ、自然と先輩方が道を開けていた。
口々に聞こえるのは、『雷帝』という単語。
そして、彼女らが立ち止まったのは私たちの前。ポニーテールの少女は兄上をにらみつけるように見る。
「おぬしが立花龍じゃな? 大河から話は聞いておる。相当できるとな」
「ああ、そうだ」
兄上が大きく頷いた。おそらく反応したのは前半部分のみだと思う。
「わらわの名前は如月環奈。【雷帝】、と呼ぶ者も多いな。校内戦でおぬしと戦えるのを楽しみにしておるぞ」
「俺もお前と戦うのを楽しみにしていたんだ」
二人の間に流れる緊迫した空気。自分に向けられている訳ではないにもかかわらず、肌を刺すような感覚。
【雷帝】と言う二つ名に偽りはない程の存在感。
「ほう?」
環奈先輩から殺気にも似た練気が周囲に飛ばされる。朱莉たちが身構え、ざわざわしていた先輩方も口を閉じた。
兄上が片腕を横に広げ、私たちを制した。そこで朱莉たちも構えを解く。
あれだけのものを当てられては、警戒しない方がおかしいわ。私は慣れている事もあって反応していない。
「ふははははっ! では、楽しみにしておるぞ。わらわを楽しませてくれ」
あれ? 今、環奈先輩が私を見た? 気のせいではない。私が反応しなかったからかもしれないわね。
悠然と去っていく環奈先輩。その後ろではメガネをかけた先輩――五色大河先輩が振り返って片手拝みをしていた。
大河先輩は環奈先輩の従者のような事をしている。本人が好きでやっているので、私が口を出す事ではないと思う。当然、二人の関係に口出す事もね。
【雷帝】如月環奈――一度はその強さに憧れ、求めようとした存在。
でも、気が付いた。彼女の強さは私が求める強さとは全く正反対のものだと。
しばらくの間、近くにいたからこそ、良く分かった。兄上と彼女では決定的に違うものがあるのだと。




