奴隷としての人生が始まった!
指先から伸びた魔力の光が、細い糸のようにザックの身体へ絡みついていく。
しかし、全身を包み込もうとした瞬間、バチッと小さな音を立てて弾け散った。
「なるほど」
ラヴィニアは散りゆく光を静かに見つめると、再びザックへ指先を向けた。
「では、少し強くしますね」
「お願いします!」
再び光が伸びる。
先ほどよりも強い魔力が身体へ入り込もうとするが、それもあっさりと弾かれた。
ラヴィニアは何も言わず、さらに魔力を強める。
今度は、すぐには弾かれなかった。
「……お?」
皮膚の表面を、かすかな刺激が走る。
「なんか、ピリピリしますね」
「そうですか」
ラヴィニアはザックの胸元を見つめたまま、さらに魔力を注ぎ込んだ。
「……っ」
ピリピリとした刺激が少しずつ強まり、やがて指先まで痺れ始める。
それでも、ザックの身体は流れ込んでくる魔力を押し返そうとしていた。
「…………」
ラヴィニアの目が、わずかに細くなる。
「……面白い」
「え?」
返事はなかった。
代わりに、室内の空気が変わった。
窓の外で木々がざわめく。風もないのに枝葉が揺れ、周囲に満ちていた魔力が大きな流れとなって家へ集まり始めた。
「……!?」
さすがのザックにも分かった。
何か、とんでもない量の力が集まってきている。
自然から引き寄せられた魔力がラヴィニアのもとへ流れ込み、彼女自身が持つ膨大な魔力と混ざり合っていく。
長い白髪が、風もないのにふわりと浮かび上がった。
「では、もう少し」
次の瞬間。
「っ!?」
ザックの全身が強張った。
それまでの痺れが、一気に痛みへと変わる。
身体の内側を無数の針で刺されるような痛みに、思わず歯を食いしばった。
「っ……!」
それでも、ザックの身体は侵入してくる力を押し返そうとする。
するとラヴィニアは、押し返された分を補うように、さらに魔力を注ぎ込んできた。
「ぐっ……!」
痛みが増す。
全身が痺れ、指先の感覚すら曖昧になっていく。
それでも、ラヴィニアは止まらない。
ザックの魔力が押し返すたび、それを上回る力が容赦なく流れ込んでくる。
「っ、ラヴィニア……様……!」
これはまずい。
痛い。
めちゃくちゃ痛い。
(ちょっと待ってください! 一回止めてください!)
せめてそれだけは伝えようと、ザックは歯を食いしばって顔を上げた。
「いっ、……」
しかし、ラヴィニアの顔を見た途端、言葉が詰まった。
彼女は笑っていた。初めて会ったときと同じ、穏やかで柔らかな笑みを浮かべている。
だが、ザックが魔力を押し返すたびに、彼女は嬉しそうに瞳を輝かせ、さらに強い力を注ぎ込んでくる。
まるで、ザックの抵抗そのものを楽しんでいるかのように。
「すごい……」
ラヴィニアが、恍惚とした声で呟く。
「まだ、私の魔力を押し返してる……」
(痛い!痛い!痛い!)
ザックの苦痛に気づく様子もない。
その瞬間、ザックの脳裏に第三王子の顔が浮かんだ。
『本当に大丈夫?』
(殿下、あなたがあんなに心配していた理由。俺、今ちょっと分かったかもしれません……!)
ラヴィニアが、ゆっくりともう片方の手をザックの胸元へ持ち上げた。
「では、最後にもう一押し」
「ま、待っ……!」
次の瞬間、これまでとは比べものにならないほどの魔力が、ザックの身体へ流れ込んだ。
「っ!!」
声すら出なかった。
全身を貫く激痛とともに、ザックの魔力がついに押し切られる。
胸元に眩い光が走り、複雑な術式が浮かび上がった。
だが、それを確認する余裕などザックにはなかった。
視界が白く染まり、身体から一気に力が抜ける。膝が折れ、ザックはその場に崩れ落ちる。
最後に見えたのは、完成した契約術式を心底嬉しそうに見つめる、ラヴィニアの笑顔だった。
そこで、ザックの意識は途切れた。
◇
近所に住んでた爺さんはよく言っていた。
「俺はなぁ!昔、国王様に仕えていた騎士でなぁ!」
でたよ、この話。もう何回目だよ。聞き飽きたよ。
「それでなぁ!敵をバッタバッタとなぎ倒して!」
伝説の聖騎士になったんだろ。
「お前にも俺の強さの秘訣を教えてやろう!まずは——」
—————————
——————
——……
「っ!!」
ザックは勢いよくベッドから飛び起きた。
「いっ……!」
全身に鈍い痺れが走り、反射的に身体を丸める。
「いってぇ……」
何が起きた。
いや、何が起きたかは覚えている。
奴隷契約だ。
ラヴィニアの魔力を身体が弾いて、それを上回る魔力を流し込まれて、それでも身体が抵抗して——。
「…………」
そこで、最後に見た光景まで蘇ってきた。
自分が痛みで声も出せなくなっている目の前で、それはもう楽しそうに笑っていたラヴィニア。
「…………」
ザックは無言で前を見つめた。
「人を見る目には、自信あったんだけどなぁ」
どうやら少しだけ、自信を失ったらしい。
「……そうだ、契約!」
そんなことより、今はこっちである。
ザックは慌てて自分の胸元を見る。そこには文字のような、記号のような紋様が薄く刻まれていた。
「…………」
恐る恐る指先でなぞってみる。
痛みはない。
「これが……」
奴隷契約の証。
そう思った途端、ザックの顔がみるみる明るくなっていく。
「……おお」
胸元を何度も確認する。
「おおお……!」
念願の奴隷契約が、自分の身体に刻まれている。
「奴隷になってる!」
ザックはベッドの上で拳を握りしめた。
「やったぁ!!」
つい先ほどまで思い出していた激痛も、ラヴィニアの恐ろしい笑顔も、今だけは綺麗さっぱり頭から消えていた。
「目が覚めましたか」
開いた扉の向こうに、ラヴィニアが立っていた。
両手で持った盆には、ティーポットと二つのカップ、それから焼き菓子の載った皿が並んでいる。
「ラヴィニア様!」
「元気そうですね」
ラヴィニアはベッド脇のテーブルに盆を置くと、カップにハーブティーを注ぎ、ザックに差し出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます!」
受け取ったカップから、爽やかな香りがふわりと漂う。ひと口飲んでみると、なんだかお上品な味がした。
「口に合いましたか?」
「美味しいです!」
「それはよかったです」
ラヴィニアは満足そうに微笑み、自分の分にもハーブティーを注いだ。
その仕草を眺めながら、ザックは改めて思う。
(やっぱり、ご主人様選びは正解だったかも)
気絶した自分をベッドまで運び、目が覚めれば飲み物まで用意してくれる。少なくとも、ザックが想像していた『酷い主人』とは程遠い。
ザックはもうひと口飲んだ。やはり、お上品な味がした。
しばらくして、ラヴィニアはカップを静かにテーブルへ置き、ザックを見る。
「そういえば、契約についてまだ説明していませんでしたね」
「契約? あ! これですか!」
ザックは胸元の紋様を指さした。
「ええ。なぜ今は、あなたの身体が契約魔法を弾かないのかという話です」
「気になります!」
「あなたの身体が抵抗するのは、外から魔力が入り込もうとしたときだけでしたので」
「ほぉ?」
「あなた自身の魔力による抵抗を上回る力で契約術式を押し込み、身体の内側に定着させました。一度定着すれば、術式はすでにあなたの一部です。今さら身体が弾くことはありません」
「なるほど?」
ザックは分かったような、分かっていないような顔で頷いた。
「つまり、力ずくで俺の身体に分からせたってことですか?」
「……言い方はともかく、そういうことです」
「なるほど!」
「ただ、少々強引に押し切りましたから、しばらく身体に痺れが残るかもしれません」
言われてみれば、まだ指先が微かにピリピリしている。とはいえ、動かす分には問題なさそうだ。
「それと、この部屋についても説明していませんでしたね」
「この部屋?」
ザックは改めて周囲を見回した。
ベッドのほかに衣装棚や机、椅子など、生活に必要そうな家具がひと通り揃っている。
「ここは今日からあなたの部屋です。好きに使ってください」
ぱっとザックの顔が明るくなった。
「やった! ありがとうございます!」
奴隷になれただけでも嬉しいというのに、自分の部屋まで用意してもらえるとは。
(幸先のいい奴隷生活だなぁ!)
「歩けそうでしたら、あとで他の部屋も案内します」
「もう歩けますよ!」
元気よく答え、ザックはさっそくベッドから降りようとした。
そこでふと、自分の身体を見る。
(そういえば、まだ裸だった)
「服なら、そこのタンスに入れてあります。今後もこちらで用意しますから、安心してください」
「ありがとうございます!」
「私はこれを片付けてきますので、その間に着替えていてくださいね」
「分かりました!」
ラヴィニアが盆を持って部屋から出ていくと、ザックはすぐさまタンスを開けた。
中には黒や白のシャツに黒いズボン。下着や靴下まで、ひと通り揃っている。
適当に上下を取り出して着替えてみれば、サイズはぴったりだった。
「おお、ちょうどいい」
ほどなくして、ラヴィニアが戻ってきた。
「着替えましたか?」
「はい!」
「では、こちらへ」
ラヴィニアに連れられ、ザックは家の中を見て回った。
自分に与えられた部屋とラヴィニアの寝室、先ほど転移してきた研究部屋のほかに三室ほどの空き部屋があり、そのうちの一室は物置として使われていた。
浴室やトイレも広く、二人で暮らすには十分すぎるほどの広さがある。
「結構広いんですね」
「もともと住居として建てられたものではありませんから」
「そうなんですか?」
「ええ。以前は別の用途で使われていた施設だったそうです。長いこと空き家になっていたものを、私が買い取って修繕しました」
「へえ~!」
ひと通り見て回ったところで、ラヴィニアに続いて外へ出た。
「おお!」
視界いっぱいに、青々とした草原が広がっていた。
風に揺れる草の向こうには一軒の家が建ち、その傍らには小さな畑が広がっている。そして、それらを取り囲むように、鬱蒼とした森がどこまでも続いていた。
ラヴィニアはこの場所を他人に知られたくないらしく、詳しい位置を教えてくれなかった。おそらく、滅多に人が寄りつかない土地なのだろう。
ふと、ザックは風に乗って漂ってくる気配に気づき、森の方へ顔を向けた。
「とてつもなく強い魔獣の気配がしますね」
「分かるのですね」
「はい」
「鼻がよく利く犬みたいですね」
「わんわんっ!」
「…………」
「…………」
「では、次に行きましょう」
再び家の中へ戻り、次に案内されたのはキッチンだった。
中央には大きな調理台があり、壁際の棚には食器や調理器具が綺麗に並べられている。
「ここがキッチンです。明日から、私の食事はあなたが用意してください」
「任せてください!」
「三食きっちり食べます。朝食は七時、昼食は十二時、夕食は十九時でお願いします。素材は奥の倉庫にあります」
「はい!」
「それから、朝は六時に起きてください。朝食の準備を始める前に、居間と廊下の掃除をお願いします」
「はい!」
「私の研究部屋には勝手に入らないこと。用があるときはこちらから呼びます」
「はい!」
「夕食の片付けまで終われば、その日の仕事は終了です。それ以降は好きに過ごしてください」
「はい!」
「家の中でしたら何をしていても構いません。ただし、敷地の外には勝手に出ないように」
「分かりました!」
「ほかに頼みたいことがある日は、その都度指示します」
「はい!」
次々と告げられる指示に、ザックの返事はどんどん良くなっていった。
(最高だ……!)
何時に起きて、何をして、いつ仕事を終えればいいのか。すべて決まっている。
自分で次にやることを考えなくていい。それが、ザックにはたまらなく嬉しかった。
(これだ! これこそ、俺が求めていた生活だ!)
「それと、最後に」
ラヴィニアがザックを真っ直ぐに見つめた。吸い込まれそうな紫の瞳に、ザックは思わず息を飲む。
「あなたは今日からザック・ホルトではなく、ザックと名乗りなさい」
「分かりました! 喜んで家名は捨てます!」
「本当に、随分な変わり者ですね」
「ありがとうございます!」
「褒めてません」
ラヴィニアは、よく分からないものを見るような顔をした。




